[柴犬]
2017年4月30日 09:00
桜も過ぎ、ついに寒い季節が終わりました。
と、いうことは...「水都・東京を船で巡る」江戸舟運ツアー・シーズンの開幕です!
江戸は水都であり、水路による物流を基盤に栄えた町です。現在の都内主要道路も、元々は水路であった道が数多くあります。そして中央区内には、隅田川や日本橋川を筆頭に現役の水路がいくつも残っています。そこを船で回ってみよう!というのが、舟運ツアーです。単なる船遊びではなく、100年ちょっと前までは貿易船が行き交うバリバリの幹線道路、玄関口だった水路をゆく旅です。江戸の面影はもちろん、華やかな明治大正の面影が残る遺構もたくさん。地上からは見えないアレやコレも、ガイドさんの説明と共に見れちゃいます。
ここ、どこだかわかる人はいますか...!?(ヒントは、某地下鉄の跡地です。)
もちろん、現在のホットな場所も巡ります。
築地市場に...
豊洲予定地!
ツアーには様々な種類がありますので、どんな場所をどのくらいの時間で、どれほどディープに見たいのかお好みに合わせてチョイスできます。各ツアーには専門のガイドさんが付くので、とっても面白いですよ。
東京湾に造成中の埋立地を見ることもできます。
舟運ツアーは冬季は開催されないので、これから数ヶ月がオンシーズンです。その時々によって、多種多様なツアーが開催されています。詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
→水都東京を創る会
ゆったりした水路から平成の東京を眺めると、全く違った姿が見えてきます。江戸から戦前にかけての人やもの、文化の流れ、浅草など隣接地域との繋がり方も体感できるかと思います。
とっても充実なイベントなので、これからの暖かい季節にぜひ、水路から中央区に遊びに来てください。
ちなみに...
「川というより橋が好き!!」という方にはこちら。
東京都建設局が編集した、「橋のポケットマップ」。都内の主要な河川と橋を網羅した素晴らしい一冊です。
中を開くとこんな感じ。
一つ一つはポケットサイズで、全5冊。全て入ったボックスセットが800円というバリュー価格です。勝鬨橋のたもとにある「かちどき 橋の資料館」などでも販売しています。こういった地図は実はあまりないのでおすすめです。
[CAM]
2017年4月28日 14:00
4月26日の読売新聞東京地方面に、築47年と老朽化した中央区役所庁舎の建て替えについて報じられていますね。現住所に建て替えるためには、仮庁舎への移転と併せて2回の引っ越しが必要になり、費用がかさむため、現在のブロッサムの地へ移転する案も有力であること。しかしながら、現所在地は、土佐藩築地邸跡という由緒ある地なので、移転を惜しむ声があると述べています。
『ものしり百科』では、「この一帯は、文政9年(1826)に土佐藩山内家が拝領した場所で、当地には藩邸があった。山内家は中屋敷や下屋敷として使用していたという。幕末期の藩主15代山内豊信(容堂)は、薩長とともに明治維新を主導した人物として知られる。幕末の志士・坂本龍馬は、この藩邸に寄宿しながら千葉定吉の道場に通っていたといわれる。中央区役所別館の横に説明板がある。」と述べられています。
[朱房の十手]
2017年4月26日 18:00
永代橋は江戸時代現在の場所から150メートル程、上流にかけられていました。創架は1698年ごろとされています。当時は大規模な木造橋で見晴らしの良い名所として浮世絵に描かれています。
道路橋としては日本初の鋼鉄製です。明治37年には路面電車が敷設されました。
5代将軍綱吉の50歳の祝賀を込めて架橋されました。文化4(1807)年8月19日には深川八幡の祭礼に向かう混雑で橋が崩落し1000人以上が溺死しました。この事故は落語になるほど様々な物語があります。また赤穂義士が吉良邸から泉岳寺に引き上げるときに渡った橋として知られています。
上部写真、下部の絵共に佃島方向を望んでいます。
上部写真は永代橋から撮影しました。
[銀造]
2017年4月26日 14:00
銀座5丁目の高級靴店、"madras"
先日、店の前を通りかかったら、「madras 名前の由来」というリーフレットを入手しました。
銀座で初めて靴を買ったのは、このお店か、もしくはワシントン靴店かはっきりしませんが、
ずっとこのお店の店名が、"何故、インドの地方の名前と同じなのか"という疑問を30年以上、持ち続けていました。
頂いたリーフレットの説明によると、
「madras 名前の由来:
マドラスの名前の歴史は、イタリア人 バレンチノピコロット氏が一人で会社を設立した1946年にさかのぼります。
彼の会社は、長年の努力が報いられ、本場イタリアにおいて著名な靴会社の一つとして認知されるまでに成長しました。
初期の頃に生産していた靴は、高品質のキッドを使用した手縫いのモカシンでした。 この高級素材はイタリアで鞣す(なめす)のですが、原材料となる原皮はインドのマドラス地方で入手できるものだったのです。 この高品質の革を生産する地"マドラス"に敬意と感謝をもって社名にしたとされています。」
私の長年の疑問が解消して、すっきりしました。 madrasさんの、益々のご繁栄を祈念しています。
[朱房の十手]
2017年4月25日 12:00
三十間堀跡(ピンク色の矢印の場所です)
銀座から晴海通りを築地に向かい昭和通りの手前です。
下の古地図は、嘉永2(1849)年に発行されました(黒色の矢印の場所です)。
左右に藍色で、示されているのが堀川です。二つの矢印の場所は、ほぼ同じ場所です。この辺りを歩くと道路が盛り上がっています。
京橋川から汐留川を結んでいました、慶長17(1612)年徳川幕府の命により、舟運の便を図るため主に西国大名が開削しました。堀の幅が三十間(約55メートル)あったことからこの名前が付きました。文政11(1828)年には十九間に狭められました。昭和27(1952)年には太平洋戦争後の瓦礫の山を、処理する為に埋め立てられました。
[O'age]
2017年4月25日 09:00
GSIXの一角は中央通りの歩道から人が多く前の人に合わせて歩く状態で、もちろん建物の中も混雑でエスカレーターも2列で乗るような状態でした。6階からエレベーターで13階まで、そこからは階段で上がると、神社は屋上庭園の北東側にあり、御参りができました。
靍護稲荷神社は銀座八丁神社めぐりの一社で、現地・神社の説明板には以下の記載があります。
靏護稲荷大明神由来記
抑も当靏護神社は今を去ること150年の昔、文化12年は如月の午の日、山城伏見の本宮より勧請して江戸の根岸の里に奉安す。爾来店主、店族は素より江戸市民の深き信仰を莧めて今日に至れり。 明治14年の或る夜神守の親爺は神殿付近に於いて白狐を認めたるがその跡に一巻の掛軸遺留しあるを発見し、怪しみて繙けば畏くも三州豊川稲荷神社の尊像にてありしかば直ちにその由を店主に告げて神霊と共に奉祀して今日に及べりと伝う。神社は霊験淘に顯にして特に火防の神として世々付近住民の難を救わせ玉減ること一再に止まらず近き例に徴するも去る大正12年9月関東大震災亦大正14年3月日暮里の大火に当り既に危うく見えたるにも係らず神域社殿は勿論松坂屋舎宅の凡て無事なるを得たるは今尚世人の耳目に新たなる所なり。 昭和4年己巳の春2月18日 2の午の吉辰をトし日枝神社宮司に請うて神霊を分霊し地上80尺の本館屋上に挙安して茲に遷座の式を行えり。 昭和40年4月15日誌 松坂屋 銀座店
横には松坂屋銀座店がここにあったんですよという説明板。そうかここにはもうないんだと思うと、一瞬寂しい感じも。