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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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【中央区観光検定対策】川・橋編(4)

[Hanes] 2019年1月 6日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は【中央区観光検定対策】川・橋編最終回で、河川の埋め立てを取り上げます。
(これまでの記事はこちらから→(1)(2)(3)

多くの河川や掘割により、江戸時代から「水の都」と呼べるほどだった現在の中央区。
しかし時代を経るにつれ河川は埋め立てられ、その名残はまちなかの案内板や残された親柱の存在で知ることができます。
いつ、何を機に埋め立てられ、それによってまちがどう変わったのか...
そういったことを5W1H的に覚えておくと、出来事同士を因果関係で結ぶことができ、
より中央区の発展史が頭に入りやすくなります

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(↑昨年受験検時の対策ノートの1ページ)

河川の埋め立ての契機となった出来事は、大きく分けて以下の4つに分けられます。
震災復興、戦火復興、東京オリンピック、その他。

■震災復興
入船川、鉄砲洲川、西堀留川(伊勢町堀)はこの早い段階で埋め立てられました。

■戦火復興
当時、残土やがれきを運ぶ車両や燃料がありませんでした。
そこで、水路としてあまり必要ではない川を残土やがれきで埋め立てて土地を造成し、
それを売却して事業費を捻出するという都のがれき処理対策が実施されました
それこそがこの埋め立てで、外堀川の北半分や三十間掘川はこの時姿を消しました。

■東京オリンピック(1964年、第18回)
オリンピックに向け、高速道路、地下鉄、幹線道路の整備が急がれました。
そこで、築地川楓川を埋め立て、一号線(京橋~芝浦間の4.5km)を中心とした首都高を建設し、佃大橋の架橋(1964年)により、佃川の埋め立てが行われました。
しかし、あまりに立て続けに埋め立てたため、雨水の排水が不可能に
そこで、東京都下水道局のポンプ場が浜町、中洲、箱崎町に設けられました。

〈余談〉
聖火リレーのコースは、清洲橋~茅場橋間の1.5km、
茅場橋~鍛冶橋間の2.0kmでした

河川の埋め立てについては特に詳しく覚えておく必要はありませんが、
知っているときっとまち歩きが楽しくなると思います

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

【中央区観光検定対策】川・橋編(3)

[Hanes] 2019年1月 5日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
少し間が空いてしまいましたが、【中央区観光検定対策】川・橋編の続きです。
(これまでの川・橋編の記事はこちらから→(1)(2)
今回取り上げるのは、③川の合流地点とその前後の橋、④橋の特徴といわれです。

まずは、③川の合流地点とその前後の橋について。
突然ですが問題です!
・日本橋川が隅田川に合流した後、最初に架かる橋は何でしょうか?
・日本橋川はどこ(地名)付近で亀島川に分かれているでしょうか?
・亀島川が隅田川に合流した後、最初に架かる橋は何でしょうか?

今回はあえて答えを載せませんが、上記の問題に対してパッと答えが浮かばない方、
検定前に確認してみてはいかがでしょうか

続いて④の橋の特徴といわれは、実際に見たり、書いたり(描いたり)すると効果的に覚えられます!

■隅田川

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(絵心はなくても、特徴をインプットできたもの勝ちです

・両国橋(明暦の大火を機に架橋。当時は「大橋」。橋名の由来→(1)
・新大橋(関東大震災で落橋や火災を免れ、橋上の人々の命を救った「人助け橋」。)
・清洲橋(ドイツのケルンにあった吊橋がモデル。橋名の由来→(1)
・永代橋五代徳川綱吉50歳を祝し架橋。道路橋としては日本初の鋼鉄製トラス橋。
 明治37年には路面電車が敷設。)
・中央大橋(新川-佃間。パリ・セーヌ川との友好記念「メッセンジャーの像」有。)
・佃大橋(昭和39年、「佃の渡し」に代わり架橋。佃川埋め立てに伴い、佃橋撤去。)
・勝鬨橋(完成時には「東洋一の可動橋」と呼ばれ、1日5回跳開。
 1905年、日露戦争での旅順陥落を記念した勝鬨の渡しに始まる。)
・築地大橋環状第2号線が通る新しい橋。)

■日本橋川
・豊海橋(元禄11年架橋当時は乙女橋とも呼ばれた。梯子を横にしたようなデザイン。
 周辺風景は、北原白秋『大川風景』永井荷風『断腸亭日乗』にも描写あり。)
・湊橋(新川-箱崎間。江戸湊の出入口にあたることが橋名の由来。)
・茅場橋(昔、南詰は茅場河岸(を切って積む置場)で、これが橋名の由来。)
・鎧橋(大正-昭和には市電が走った。「メイゾン鴻乃巣」「鎧の渡し」要確認。)
・江戸橋(明暦の大火後に江戸橋広小路を整備。江戸時代には小店が集まる盛り場。)
・日本橋(慶長8年に架橋。翌年には五街道の起点に。4つの橋詰広場も要確認!)
・西河岸橋泉鏡花の名作『日本橋』の舞台。)
・一石橋(江戸時代初期に木造橋として架橋。橋名の由来も要チェック。)
・常盤橋
・旧常磐橋(江戸時代に江戸城正面大手門に通じる「江戸五口」の一つ常盤橋門有。)
・新常盤橋

■亀島川
・霊岸橋(茅場町-新川間。江戸時代は葦の生い茂る低湿地帯。)
・新亀島橋
・亀島橋八丁堀-新川間。元禄12年架橋。今の橋は平成14年のもの。
・高橋
・南高橋旧両国橋の一部を再利用。都内に現存する明治期の鉄骨橋梁としては
 旧弾正橋に次いで古い。)

■朝潮運河
・朝潮大橋朝潮橋晴月橋
・トリトンブリッジ(屋根付きの動く歩道!)
・黎明橋晴海通りが通り、トリトンブリッジと並行。)
・黎明大橋環状第2号線が通る新しい橋。)
・朝潮小橋(平成15年竣工の約113mの橋。自転車と歩行者専用。)

■その他の橋
・佃小橋(佃島完成時に架橋。橋の下には、住吉神社の本祭りで使う大幟の柱
 腐食防止のため川底に埋められている。)
・柳橋(町年寄が架けた木造橋に始まる。永代橋がモデル。
 永井荷風『牡丹の客』横光利一『紋章』にも描写あり。)
・海運橋(楓川に架かっていた。東詰に江戸幕府御船手頭向井将監の屋敷があり、
 「将監橋」「海賊橋」とも呼ばれた。)

今回ご紹介した橋がすべてではありませんが、それぞれの橋には面白いエピソードがあります。
まち歩きの際には、橋の袂にある案内板も要チェック
テキストにはない詳細な情報が含まれていることもあり、勉強になりますよ!

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

【中央区観光検定対策】歌・キャッチフレーズ編

[Hanes] 2018年12月29日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は歌・キャッチフレーズ等に焦点を当て、中央区観光検定対策に役立つ情報をご紹介します!

まずは歌ですが、全部覚えてくださいとは言いません
少なくとも、作詞、作曲、歌手(代表的な人がいる場合)、歌い出しの歌詞はおさえておきましょう!
(余裕があるようでしたら、作詞者・作曲者の業績やその他の部分の歌詞もおさえておくとよいかもしれません。)

■銀座の柳
作詞:西條八十、作曲:中山晋平
「♪)植えてうれしい 銀座の柳 江戸の名残の うすみどり」

銀座の柳.jpg

【関連記事】【遠足シリーズ第4弾】銀座の柳二世がとりもつ縁

■これがお江戸の盆ダンス
作詞:荒木とよひさ、作曲:市川昭介
「♪)ハ~ This is Tokyoのまんまん中で ちょいと踊ろよ 盆ダンス」

これがお江戸の盆ダンス.jpg

【関連記事】中央区の魅力を再発見!八丁堀と京橋の盆踊り

■銀座の恋の物語
作詞:大高ひさを、作曲:鏑木創、歌:石原裕次郎、牧村旬子
「♪)(女)心の底まで しびれる様な (男)吐息が切ない 囁きだから」

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【関連記事】ジミニ―☆クリケットさん「銀座の歌碑めぐり」

■佃島の盆踊り唄
単調なリズムの櫓太鼓念仏のような口説き唄が特徴のこの盆踊りでは、
哀愁と無常観漂う「秋の野分けは無常の風よ、散れば残らず皆土となる、悟り開けば草木も国土、仏頼めよ南無阿弥陀仏」と唄われます。

続いては、キャッチフレーズ等です

■三越日本橋本店
日本初の西洋式劇場「帝国劇場」のチラシに掲載され、話題を呼んだ広告のコピーがこちら!
「今日は帝劇明日は三越」バッグ

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■髙島屋日本橋店
昭和8年(1993年)に新築した店舗(地下2階、地上8階)は、高橋貞太郎の設計。
全館冷暖房を完備し、話題を呼んだ宣伝コピーがこちら!
「東京で暑いところ、髙島屋を出たところ」

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(開店直前の髙島屋の様子)

■日本橋魚河岸
昼の芝居小屋、夜の吉原と並び、「一日で千両がおちるところ」と称されました

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【関連記事】「中央区×スペイン(2)~ロドリゴの見た日本橋~」「【遠足シリーズ第9弾】漁民が結んだ縁の島」

■水天宮
江戸時代において、塀越しに賽銭を投げ込む人が絶えなかった水天宮...
そこで5の日に限り一般江戸っ子に有馬家の屋敷を開放し、参拝可能にしたことから、
こう呼ばれ親しまれるようになりました
「情けありまの水天宮」

【関連記事】サムさん「2018 水天宮 節分祭」、えだまめさん「娘あずきの七五三 その3:水天宮でお参りを。(半分、反省文)」

■木造家屋が密集する江戸のまち
明暦の大火(明暦3年(1657年)1月18日)に代表されるように、江戸のまちでは非常に火事が多く、
「火事と喧嘩は江戸の華」と言われていました

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(親切な送水口博物館の館長さんのお計らいにより、港区でも中央区観光検定のチラシを貼ってPRしていただいています!ありがとうございます

【関連記事】「消防の歴史に見る中央区(前編)」「消防の歴史に見る中央区(後編)」

■ガス灯
明治7年(1874年)、銀座に灯された85基のガス灯の明るさはこう表現されました。
「夜を昼に変えた」

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■燈臺
関東大震災10周年の記念塔として数寄屋橋公園に設置された北村西望の作品。
兜を身に着けた青年がたいまつを持ち、獅子をしたがえている像で、
小さいながらも力強さが伝わってきます
その台座のブロンズ製鋳造銘板に書かれているのが、「不意の地震に不断の用意」

【関連記事】与太郎さん「震災復興記念塔 北村西望『燈臺』をめぐって」、GPPさん「北村西望作品を訪ねました(燈臺&平和記念像)」

■江戸っ子気質(山東京伝)
「江戸城の鯱をみて水道の水を産湯とした」「宵越しの銭は持たない」
「食べ物や遊び道具がぜいたく」「生粋の江戸のはえぬき」
「いきとはりを本領とする」も合わせてチェックしておきましょう

■日本橋
幕府が編纂した地誌『御府内備考』には、「この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありといふ」と記されています。

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以上、いかがでしたでしょうか?
中央区にまつわる歌やキャッチフレーズはこれらがすべてではありませんが、
前回の俳句・川柳同様、印象的なものが多いのではないでしょうか
まち歩きの際には、これらもぜひぜひチェックしてみてくださいね

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

【中央区観光検定対策】俳句・川柳編

[Hanes] 2018年12月28日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
中央区観光検定受験日が近づいてきましたが、勉強は順調に進んでいますか?
今回は俳句・川柳対策を兼ねて、中央区の史跡を巡ってみたのでご紹介します。

■九条武子夫人歌碑
彼女は西本願寺門主の次女として京都に生まれ、21歳で男爵九条良致と結婚
夫の英国留学・勤務により別居生活が10年近くにおよびましたが、
その間、和歌(佐佐木信綱)、絵画(上村松園)、生け花(西川一草亭)を学び、才能に磨きをかけました。

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彼女が残した歌集には『金鈴』『薫染』、随筆には『無憂華』があり、
築地本願寺にある歌碑に刻まれた「おおいなる もののちからに ひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや」はおさえておきたいですね

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■五世川柳・水谷緑亭句碑
佃島の風紀を心配し、自宅で忠孝節義の話をした彼の句は、住吉神社の境内で見ることができます。
「和らかで かたく持ちたし 人ごころ」

■銅鐘 石町時の鐘
この鐘は二代将軍徳川秀忠の時代に本石町に設置され、江戸城下の人々に時刻を知らせていました
近くに長崎屋(オランダ商館長の宿所)があったことから、詠まれた川柳が...
「石町の鐘はオランダまで聞こえ」

■石川啄木歌碑
彼は京橋区滝山町(現・銀座6丁目)の朝日新聞社に入社し、
肺結核等で26歳の若さで亡くなるまでの約3年間、校正係の仕事をしながら創作活動を行いました。
「京橋の 滝山町の 新聞社 灯ともる頃の いそがしさかな」

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また、彼の第一歌集『一握の砂』が、「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」で始まることもおさえておいて損はありません

■越後屋
蕉門十哲のひとりで、江戸座(江戸っ子気質を反映した派手な句風が特徴)と呼ばれる一派の代表である榎本(宝井)其角は、越後屋についてこんな句を詠んでいます。
「越後屋に きぬさく音や 衣更」
情景がふと目に浮かぶようですね

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せっかくなので、其角のその他の句も合わせて覚えておきましょう
(ここでは詳しく解説はしませんが、それぞれの句が詠まれた背景も合わせて確認しておくことをオススメします!)

「日の春を さすがに鶴の 歩み哉」
「鐘ひとつ 売れぬ日はなし 江戸の春」
「この人数 舟なればこそ 涼みかな」

■海水館跡
明治38年に開業した「海水館」は、仙台市から移築した木造2階建ての割烹旅館。
当時このあたりは東京湾が一望できる風光明媚で閑静な場所であったため、名だたる文化人が滞在しました。
海水館に関する一首は以下の通り
「冬の海 見ればかなしや 新佃 海水館は わび住みにして」
(吉井勇の歌集『毒うつぎ』より)

■十返舎一九墓
『東海道中膝栗毛』の作者である彼の墓(真円山東陽院)の左側面には、
有名な辞世の句が刻まれています。
「此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに 灰さようなら」

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■吉田松陰終焉之地
幕末の志士の多くを育てた優秀な人物でありながら、小伝馬町牢屋敷内で処刑された彼の辞世の句が、小伝馬町に設置されています。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂」

■寿司
すしを握る職人の手つきが忍術使いの呪文を唱える様子に似ていることから、こんな句が詠まれました。
「妖術と いう身で握る 酢の飯」(川柳句集『誹風柳多留』)

ここまで俳句や川柳をピックアップしてみましたが、
どれも記憶に残るような印象的なものばかりですよね
知らない句があった方、検定前にチェックしてみてはいかがでしょうか?

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

桜小橋 朝潮運河の歴史

[銀造] 2018年12月16日 18:00

 晴海アイランドトリトンスクエアに面した運河を「朝潮運河」と言います。

この運河には下流から、朝潮小橋、(朝潮水門があり)、黎明大橋(環状二号線)、黎明橋、トリトンブリッジがあります。 手持ちの中央区観光ガイドマップには、その次に晴月橋、朝潮橋、朝潮大橋がの順に記載されています。この地図には黎明橋と晴月橋との間に、細い二本線が描かれていますが、これが朝潮運河専用橋で(あさしお・うんがせんようばし)は、1960年代初期に架橋されたもので、一般立入禁止です。

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 最近、散歩した際に新しい橋が架橋されているのを知りました。桜小橋と書いてありました。「トリトンブリッジ」と「朝潮運河専用橋」との間に、2017年10月1日に架けられました。

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「桜小橋」は、勝どき二丁目と晴海一丁目を結ぶ歩行者専用橋で、朝夕の通勤ラッシュ時の歩行者の混雑緩和を図るために架けられたそうです。

また、桜小橋の横には、朝潮運河の歴史を記した説明板がありますので、ご高覧下さい。

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中央区第九の会 -2018トリトンスクエア公演-

[サム] 2018年12月16日 18:00

PC151776ELS'.jpgimageRS'G.jpg 師走恒例の「ベートーベン第九コンサート」。12月15日12:00より、晴海トリトンスクエア2F グランドロビー特設会場にて、佐藤雄一氏指揮「中央区第九の会」の、今年で12回目を迎えるトリトンスクエア公演が開催されました。

「中央区第九の会」は、中央区在住・在勤者を中心に、2007年に編成された中央区第九記念合唱団と、1994年設立の中央区交響楽団で構成され、すべてアマチュア。

第一部の、中央区交響楽団によるオープニングファンファーレ、中央区立月島第一小学校合唱団による合唱、中央区立佃中学校有志合唱団による合唱、中央区第九記念合唱団による合唱(中央区第九の会版 "お江戸日本橋" 他 )に続き、第二部のベートーベン作曲交響曲第9番ニ単調作品125「合唱付き」より第4楽章の演奏がいよいよスタートです。ベートーベンが第九に込めた「人類すべてが兄弟になる」という平和への思いを託し、力強く歌い上げられました。

 

 
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