銀座キャピタルホテル新館の裏、ガソリンスタンドの方から築地川公園に入ると、タイサンボク(泰山木)の巨木に白い花が咲き、甘く上品な香りを放っています。
すぐ近くに、キウイの棚があり、こちらは実が成育中です。(写真は5月に開花時)
聖路加看護大学の所の信号を渡り、南側に移動しましょう。リンゴの実が100個以上なっています。
子供さんによる観察、お絵かきの題材に如何でしょうか? 子供達が自然と触れ合うことの出来る貴重な空間です。 大事にして行きたいと思います。 銀造
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築地川公園 July 2012 タイサンボク、キウイ、リンゴ
銀座キャピタルホテル新館の裏、ガソリンスタンドの方から築地川公園に入ると、タイサンボク(泰山木)の巨木に白い花が咲き、甘く上品な香りを放っています。 すぐ近くに、キウイの棚があり、こちらは実が成育中です。(写真は5月に開花時) 聖路加看護大学の所の信号を渡り、南側に移動しましょう。リンゴの実が100個以上なっています。 子供さんによる観察、お絵かきの題材に如何でしょうか? 子供達が自然と触れ合うことの出来る貴重な空間です。 大事にして行きたいと思います。 銀造
月島七不思議~第2話「月島の生い立ち」
〔月島〕というのは、もちろん地名であり、地下鉄の駅名であります。現在の住所としての〔月島〕は、〔初見橋〕から〔月島橋〕までの間の区域に1~4丁目までの区割りで存在します。 序章でも少し触れましたが、そもそもの〔月島〕はもっと広い地域を指しました。1883(明治16)年に計画が策定されて東京湾の埋め立てが始まったときに、その記念すべき最初の土地が〔月島第一号埋立地〕と名づけられたのです。その後、埋め立て計画は進行し、〔月島2号地〕(現在の〝勝どき1~4丁目〟)、〔新佃島〕(現在の〝佃〟の一部)、〔月島3号地〕(現在の勝どき5~6丁目)、〔月島4号地〕(現在の〝晴海〟)、さらに〔月島漁業基地〕(現在の〝豊海町〟)と広がっていきました。(掲出の地図は1958(昭和33)年当時のもの)
その後、1965(昭和40)年に住居表示が一新され、現在の地名になりました。〔月島〕の地名の範囲はやや狭まったわけです。
かつては多くの下町では通りの両側を一つの〝町〟とする区割りが一般的でした。江戸時代の長屋に見られるように、路地を挟んで〝向こう三軒両隣〟という考えが普通だったんですね。実際の生活感覚に合っていたのだと思います。 新しい住居表示は欧米の〝ブロック〟という考え方に準拠して町を区割りしました。そのために、道路の向かい同士が〝他所の町内〟となり、背中合わせの家屋が〝同じ町内〟となったのです。郵便などの利便性を重視したといいますが、今となってはこれでよかったのかと思うところはありますが・・・。 ただ、今でも月島の町内会は古い付き合いを大切にし、昔の区割りに近い形で町を区分けし、〔月島○の部〕(○は漢数字)という名称でコミュニティーを形成しています。
続きを読む: 月島七不思議~第2話「月島の生い立ち」 文明開化期の学園都市、築地・明石町界隈
聖路加国際病院の一角には日本で最初の四年制看護学科や大学院博士課程を持った聖路加看護大学がある。この大学は1964年に大学となったが、元々は1920年(大正9年)に聖路加国際病院付属高等看護婦学校として設立されている。その辺りを歩いてみると関東各地に現存する多くの大学や学校の発祥の地との記念碑が数多く見られる。 古いものでは、1858年(安政5年)には慶応義塾がこの地に開かれている。その敷地には中津藩邸があり解体新書の翻訳もこの辺りで行われている。
1869年(明治2年)には鉄砲洲に外国人居留地が開かれ1899年(明治32年)の治外法権撤廃まで多くの宣教師館や教会堂がこの地に建てられた。そして宣教師たちは布教の一環としての教育を始めた。その中には次のような学校がある。 1870年(明治3年)には女子学院、1874年(明治7年)立教学院、1877年(明治10年)明治学院の前身、東京一致神学校、青山学院の前身の一つ、海岸女学校が明石町近辺に設立された。1879年(明治12年)には立教女学院が湯島から移転している。1895年(明治28年)には関東学院の源流といえる関東中学院、1905年(明治38年)には女子聖学院と今も残る多くの学園がこの地に足跡を残している。
築地・明石町には海軍関係の学校も色々と有った。1857年(安政4年)には軍艦操練所が出来ている。この関係で海軍兵学寮が1876年(明治9年)に現在の国立がん研究センター中央病院の辺りに出来て、1908年(明治41年)には海軍医学校も同じ場所に出来た。海軍関では1874年(明治7年)に海軍会計学舎、後の海軍経理学校も築地に開設されている。
聖路加看護大学を除き、当時の学校はその後、関東大震災等の影響もあり築地から各地に移転していった。もし、当時のままに学校が残っていれば築地・明石町界隈は筑波学園都市を凌ぐ程の学園都市となっていただろうと考えると面白い。 45th Sony Aquarium <銀座ソニービル>
7月16日、今年も銀座ソニービルに沖縄から美ら海(ちゅらうみ)の仲間たちがやってきた。
沖縄「美ら海水族館」とコラボの夏の恒例企画。
屋外イベントスペースの大水槽では沖縄美ら海水族館生まれの29種約200匹の魚たちが泳ぎ回り、11:30~12:00&16:00~16:30の給餌タイムも人気の的。1Fエントランスホールの熱帯魚水槽では沖縄のサンゴ礁に暮らす18種約300匹の色とろどりの生き物に出会え、8FOPUSホールのマルチシアターではジンベイザメやナンヨウマンタが実物大で登場し、迫力ある泳ぎを体感できる。 加えて沖縄美ら海水族館開館10周年を記念して8FOPUSホワイエでは、卵から育てられたサンゴを特別展示。知られざるサンゴの種類や生態の不思議に出会える。
会期は9月9日まで。初日の16日にはオープンに先立ち、屋外大水槽前でセレモニーが行われた。
尚「SonyAquarium」では蓄電システムを活用して 電力を "貯めて使う" ことにより更なる節電に取り組んでいるとのこと。
<ネムリブカ> <ヒョウモンオトメエイ> <ナンヨウハギ>
<カスミチョウチョウウオ> <チョウチョウウオ> <モンガラカワハギ>
<セグロチョウチョウウオ> <クモウツボ> <タツノオトシゴ>
「ドビュッシー、音楽と美術」展
マルセル・バシェ「クロード・ドビュッシーの肖像」
「私は音楽と同じくらい絵が好き」というドビュッシーのことば通り、彼が絵画(特に、印象派の絵画や日本の浮世絵)を愛し、それらから着想を得て、曲を作っていたということがよくわかる、非常に発見の多い展覧会でした
ジャポニスムの影響もスペースをとって説明されていました。 この展覧会は、10月14日(日)まで開催です
十字屋ホール サマーフェスティバル
「銀座から元気を!サマーフェスティバル」が、銀座三丁目の十字屋ホールで開催中です。私の気分は、二人の銀座。 銀座松屋で待ち合わせして、軽く食事と会話を楽しんで会場へ。 花岡詠二スヰング・ショッツの演奏を聴きに来ました。軽妙なお喋りと軽快なジャズで、二時間はあっという間に過ぎてしまいました。中でも、マダム中村の甘く軽やかな歌声に、うっとりしてしまいました。圧巻は、バンジョーとギターの競演でしたし、懐かしいニニロッソの曲、「夜空のトランペット」も聞けました。 料金3,000円には、ドリンク1杯の値段も含まれていますし、会場では、飲み物軽食の屋台もあり、お祭気分で楽しめます。 毎回違ったバンドが、Jazz,Latin,Hula などの名曲を演奏します。 サンバの演奏で踊れる日もあるようです。 7月31日迄開催されますので、是非どうぞ。 詳細は、こちらをご覧下さい。http://www.jujiya.co.jp/hall/event/ |
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