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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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ソープ&フルーツカービング展(ギャラリー銀座)

[ジミニー☆クリケット] 2012年7月31日 14:00

これは何sign02     スイカですsign01

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これは何sign02     石けんですsign01

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タイ王室700年余の歴史を持つ、ソープ&フルーツカービングですsign03

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カービングナイフ1本で(スイカも石けんもsign01)、こんな芸術作品ができちゃうんですねsign01

アトリエBe Freeさんの主催です。


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7月27日から29日までの3日間、銀座マロニエ通りのギャラリー銀座で開催されています(このブログが載った時には「開催されていました」?)

スイカは、この前日、先生と生徒さんたちで彫り込まれたとのことshine


 

会場は、石けんのいい香りが漂っていましたhappy01


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なお、会場は、撮影禁止だったのですが、特別に許可をいただき、写真を撮らせていただきました。

アトリエBe Freeさん、ご協力ありがとうございましたm(_  _)m

 

アトリエBe FreeさんのHPは ⇒ こちら

 

 

 

南 桂子展  船の旅

[ムーミン] 2012年7月31日 13:30

 日本橋蛎殻町にある美術館 ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションでは 銅板画家であり、又 戦後の一時期 作家の壷井栄に師事して 童話を書き 詩もつくっていた 南桂子の「詩と童話と版画」の展覧会を催しています。   2012・5・12~7・31

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ほとばしる空想力や優しいものを包むまなざしが どの作品にも結晶しています。

展覧会タイトルになった「船の旅」は 1953年の冬、銅版画を学ぶためにフランスに渡る、その船の中で書きつけた詩とスケッチです。
 
1964年には 「子供と花と犬」 の版画が ユニセフのカレンダーに採用されました。
1970年には 詩人の谷川俊太郎の詩集 「うつむく青年」の装画もてがけました。
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この美術館へのアクセスは 東京メトロ半蔵門線「水天宮前」3番出口そば、日比谷線「人形町」A
2出口徒歩8分です。
南桂子は 銅板画家浜口陽三氏の夫人です。
 

 

隅田川花火大会遠景

[TAKK...] 2012年7月31日 08:30

7月28日(土)、隅田川花火大会が開催されました。

今年も、家の近くで花火が見える場所に行ってみました。

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それは、中央大橋の上なのです。

去年より若干人が多い気がしますね。

スカイツリーとの組み合わせも、一応楽しめます(花火が小さい......)。

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会場からの距離が遠いため、花火が少し小さく、位置関係から第一会場で打ち上げられているものしか見えないようですが、スカイツリーや永代橋との組み合わせが楽しめますし、何より手軽にお祭り気分を満喫することができました。

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隅田川花火大会は、享保18年(1733年)に悪病退散と死者の慰霊を祈願する水神祭で花火が打ち上げられたのが始まりといわれています。この時の花火師は、日本橋横山町の鍵屋六代目弥兵衛。

永代橋の初代は元禄11年(1698年)架橋ですので、架橋位置や姿は違えど、当時すでにあったことになります。

そう思うと感慨深いものがありますね。

 

 

 

 

両国橋から「隅田川花火大会」を

[小江戸板橋] 2012年7月31日 08:30

7月28日、東京の真夏の夜空を彩る「隅田川花火大会」が開催されました。

今年はスカイツリーの「天望デッキ」から見下ろす鑑賞の仕方も加わりました。

観覧席から、レストランの窓越しから、ビルの屋上から、川面に陣取る屋形船から、

チャーターしたヘリから、交通規制された道路上にシートを敷いての楽しみ方もできます。

今年はぜひ見てみたい場所がありました。

「両国橋の上から、花火を見てみたい。」

 

隅田川の花火大会は、徳川吉宗公の時代、大飢饉と疫病の慰霊を祈願して、両国の川開きに花火を催したのが始まりとされています。

「鍵屋」、「玉屋」の掛け声がかかり、見物人であふれ返る「両国橋」。

数々の浮世絵に描かれてきたにぎわいは、平成の現代にあって、どう見えるのでしょうか。

 

JR総武線「両国駅」から歩いてみました。

国技館前の通りも、交通規制がされており、安心して空を見上げながら、うちわを使うことができました。

両国橋の上は、片側通行・立ち止まり禁止です。

花火の音が響いてきます。

川の上流に、打ち上げ後の煙がただよい、火薬の匂いが伝わってきます。

期待感、気分が盛り上がってくる瞬間です。

見えた。

思った以上に、重なり合う色と、球形や飛び散る光の流れが大きく見えました。

スカイツリーが、花火とコラボするように、色を変化させながら、存在感を示しています。

浮世絵から抜け出たような、提灯を飾った屋形船は、時代を超えた一級のお大尽遊びです。

 

立ち止まり禁止というものの、競い合う花火の一瞬に、携帯を向ける人の足が止まります。

誘導の交通整理員や警察官の方々の声も高くなります。

酒焼けしたオッチャンが、やたら誘導の方とコミュニケーションを取りたがっていました。

「無粋だ」などと言いなさんな。

都市には、都市ならではの楽しみ方というものがあるのです。

 

中央区と墨田区両国をむすぶ両国橋。

江戸時代、武蔵と下総の二国をつなぐ、陸上交通の要所でした。

橋詰の広小路は、江戸有数の繁華街だったと言います。

先日、テレビの歴史案内番組で、江戸城を囲む防御の要である大川(隅田川)に、両国橋がかけられたのは、徳川幕府が安定期をむかえ、文治政治へと転換していく象徴的な事だと言っていました。

 

両国橋の私の一押しは、総武線の鉄橋が、花火の光を受けて半円型に浮かび上がるところです

列車が通過するシーンは、「撮り鉄」でなくとも、シャッターを切りたくなります。

 

ビルの谷間を、打ち上げ会場方向に歩きます。

建物の角が、鋭角に花火を切り取ります。

建物に反響する花火の音は、都市ならではの余韻を生み出していました。

 

 

 

 

 

 

漢方医学復興の地

[御末] 2012年7月31日 08:30

『漢方医学復興の地』記念碑

中央区日本橋浜町2-9先

 

明治7年(1874)に明治政府は西洋医学採用を公布し、ドイツ医学を範として医事制度を確立しました。

漢方撲滅運動のさなか、復興に立ち上がったのがこの地で医師をしていた和田敬十郎です。

彼は明治43年(1910)、衣服や食事にかかる費用を倹約し「医界の鉄椎」を自社出版しました。

この書物に触発された若き医師たちが漢方復興運動を継承し、西洋・漢方の両医学が使われることになります。

 

 

勝鬨橋と屋形船

[Mr.Chuo-ku] 2012年7月30日 08:30

東京湾に流れる隅田川に架かっている橋の中で、最も東京湾に近い橋である勝鬨橋は中央区にあります。この勝鬨橋は、築地と勝どきとの間に架けられています。

今回、勝鬨橋を背景に、屋形船を撮影しました(勝どき側からの撮影)

 

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この場所からは、東京タワー、汐留にある高層ビル、浜離宮庭園などを一望できます。観光客やカメラを趣味にされている方などにより、しばしば写真撮影がなされています。テレビドラマや映画の撮影もたまになされています。また、この隅田川沿いには遊歩道(隅田川テラス)があり、ウォーキングやジョギングができます。

 

 東京タワーと屋形船

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勝鬨橋の夜景は、中央区の「夜景八選」に選ばれています。
=>中央区観光協会ホームページ:http://www.chuo-kanko.or.jp/ohako/


 

 

 
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