シャネル銀座店の壁面イルミネーション。
クリスマス・イルミネーションが有名ですが、夏の夜は、金魚が泳いでいます。
火照った体と気持ちを癒してくれます。
黄昏時の夕涼み、そぞろ歩きで、夜の銀ブラもお楽しみ下さい。
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世界遺産登録前日の萩市回遊
「わぁ、カンボジアの遺跡みたい。」 雨が降り続く中、入り口の階段を上がり、大きく右に回って見下ろした先に、煉瓦造りの高い建物。 二股の煙突は、補強した跡なのか、色違いの煉瓦が積み上げられています。 その高さ、10.5メートル。 前を歩いていた二人連れが声を上げたように、雨にけぶる密林の中に建つ仏塔のようにも見えました。 萩反射炉。 幕末、海防強化を図るための、鉄製大砲を鋳造するのに欠かせない金属溶解炉。 萩の世界遺産群の一つです。 私が山口県萩市を訪れたのは、世界遺産に登録されるはずだった当日でした。 「祝、明治日本の産業革命遺産群、世界遺産登録」の旗がたなびく様を想像していたのですが、 「えっ、一日延期されたの。」 ボランティアガイドのおじさんも、申し訳なさそうでした。 ちょっと気勢を削がれた感じでしたが、逆に、見学の人も多くなく、記念写真をしっかり撮ってきました。 反射炉の正面左手奥に山陰本線の線路が、驚くほど近くを通っているのです。 白煙をあげてディゼル機関車が走ったら、ますますカンボジアの雰囲気が出るのにな。
恵美須ヶ鼻造船所跡。 安政3年(1856年)まで想像力を羽ばたかせないと、船の姿は浮かんできません。 ふむふむ、石組みが残るあたりが、その当時、進水式の会場になったのかな。 世界遺産登録を機に、今は説明板だけのこのあたりも、見学を受け入れる整備が一気に進むのでしょう。
松下村塾。 私のご学友に長州出身の者がいて、やたらと「松陰先生は。松陰先生は。」と口癖にしていました。 めんどくさい奴だな、と思いながらも、なぜか気が合って、良く飲みに行きました。 なんとなくご縁があって、ここ3年続けて松陰神社に参拝しています。
萩城下の街並み シャッターを押したい場所がたくさん集まっています。 今年になって建てられたのが、中央公園の久坂玄瑞の銅像。 禁門の変から150年(ということは、玄瑞没後150年)の区切りに、「久坂玄瑞の進撃像」として、1月24日に除幕式が行われたとの事。 式典には、俳優の東出昌大が出席して盛大に行われました。 うちの嫁さんは、右手を前方にかざしたその像のモデルが、東出君だと思い込んでいます。
萩博物館。 旧上級武家地の区域にあり、いつも入り口を素通りするだけでしたが、今回はじっくり見学してきました。 学芸員の方がとても気さくに話しかけてくださるので、ついつい立ち話、長話。 優しい人柄に、もう少し時間があればと思いながらも、「夏みかんソフト」を食べる時間だけは確保して博物館を後にしました。
旅の復習は、中央区日本橋2-3-4、日本橋プラザビル1階にある、「おいでませ山口館」へ。 山口県のアンテナショップとして、名産品の数々や、各種パンフレットが集約されています。 旅の見どころも詳しく教えてくれます。 フグの一夜干しやかまぼこは、おすすめの一品です。
京橋の丘と中央区エコタウン構想
海の日の連休とともに中央区も一気に梅雨明けですね!ようやく待ち望んだ夏到来ですが、街なかを歩いていてもものすごい暑さです。中央区にも浜離宮庭園や浜町緑道など緑の豊かな場所もありますが、銀座から日本橋にかけての商業地区はビルも多いためか緑も少なめです。
さて、日本橋ですこし遅めのランチを食べて中央通りを京橋方面へ戻ります。中央通りは歩道の車道寄りに花壇が続く「はな街道」 (特派員の○傘さんの「2011年5月14日のブログ記事(/archive/2011/05/post-793.html)もあって、季節毎の花が楽しめる素敵な場所ですが、残念ながらほとんど街路樹の木陰が無くこの季節は歩くのもちょっとつらいなぁと思いながら汗を拭き拭き歩いていくと、目の前に突然緑の豊かな空間が。。。そう、京橋の丘です!中央通り、鍛冶橋通り沿いの歩道はもちろんのこと、ビルの地下1階から5階までのベランダまで緑の樹木や草花で覆われていて、どことなくリゾート気分です(1階にはアウトドア用品専門店のmont-bellもありますので、そのまま登山にも出掛けられそうです(笑)。)
さて、既に多くの特派員の方がブログ記事を書かれているので、詳細はそちらをご覧戴ければと思いますが、この素敵な空間は東京スクエアガーデンという24階建(高さ124メートル)の超高層ビルです。この場所にはもともと大正時代に建てられた旧片倉工業本社ビルが建っていましたが、それを建て替えて2013年にオープンした新しいビルです。観光協会特派員も登場する中央エフエム84.0MHzの番組「大好き!中央区」の収録がこちらの地下1階のスタジオで行われているほか、ビルの6階には京橋環境ステーション(中央区立環境情報センター)もあります。
緑豊かな「京橋の丘」に「京橋環境ステーション」。。。 以前「変貌する京橋地区~マリオットと明治屋~(2014年4月11日)」というブログを書いて、歴史的建造物を生かした地域の魅力・価値向上への取組みについて紹介しましたが(/archive/2014/04/post-1962.html)、京橋は地域の地域環境の改善ということでも、中央区そして日本をリードする「エコタウン」の実現へ向けて変貌を始めていたのでした。
中央区では2012年6月に「中央区エコタウン構想(http://www.city.chuo.lg.jp/kankyo/seisaku/kankyotopikkusu/ecotownkousou.html)」
を策定し、構想を具体的に進めていくための2つのモデル地区のうちの一つとして東京駅前地区を業務系モデル地区に指定しています。 京橋環境ステーションは東京駅前地区のエコタウンづくりの重要プロジェクトの一つとして「最先端の環境関連技術の情報提供、普及啓発」を行っていくことを具体的な役割とされており、エコテク(環境関連技術)への取組みに積極的な企業による展示・紹介がされているほか、環境に関心の高い区民向けの講座やイベントなども幅広く行われています。京橋環境ステーションを中心としたエコタウンへの動きにより、今後東京スクエアガーデンに限らず、中央区が緑の豊かな住みやすい街になってほしいなあと思いながら午後の仕事に戻りました。 江戸っ子の二重構造
西山松之助氏は、「江戸ッ子という人たちは、単純な階層による単純な構造をもつ特定の存在ではなく、二重構造をもっているということである」として、
「主として化政期以降に出現してきた『おらぁ江戸ッ子だ』と江戸っ子ぶる江戸っ子」(自称江戸っ子)と、そうではなくて「日本橋の魚河岸の大旦那たち、蔵前の札差、木場の材木商の旦那たち、霊岸島や新川界隈の酒問屋とか荷受商人というような、元禄以前ごろから江戸に住みついて、江戸で成長してきた大町人ならびに諸職人たち」(本格的江戸っ子)とに分けられる(西山松之助『江戸ッ子』吉川弘文館、1980年;9)という。
そして、西山氏は、「劣等感の裏返しと考えられるような優越感に独りよがりを楽しんでいたような、"自称江戸ッ子"だけではなく、もっと高度な文化を持った豊かな人たちもいたという、二重構造をもった江戸ッ子の全体像を明確に論じたい」という。(10)
この西山氏の『江戸ッ子』という著書は、「長い間の通説を打破した画期的な成果」(竹内誠)とも評されている。
西山氏の「江戸ッ子の二重構造」論は、池田弥三郎氏の以下の論と同旨のものと云ってよいだろう。
>江戸の「本町」の商家の旦那衆に加えて、職人階級に属する人々が増加し、江戸っ子を形成していったということになる。だから、金銭についての気質を説くにしても、江戸の本町を中心にした、商人の階級に属する人々を対象にした時には、宵越しの銭は使わないどころか、堂々と貯めた人々の気質をみつけなければならない。講釈や落語の世界に出没する概念の江戸っ子から気質をひき出すことは、危険が多いのである。(『日本橋私記』88) 「紙で再現!銀座1964」フレ-ム切手記念セレモニー
7月21日、「紙で再現!銀座1964」フレ-ム切手記念セレモニーが開催されました。
この催しは、東京都立大崎高校のペーパージオラマ部の生徒さんが、 銀座通郵便局、日本郵便㈱切手・葉書室など、
生徒さん達の頑張りは、以前TVで見たので良く知っていました。
セレモニーに出席された皆様の、お褒めと今後に向けた激励のお言葉が、感動的でした。
セレモニーは、出席者のご挨拶、フレーム切手の贈呈、記念品の贈呈、大崎高校の生徒さんのあいさつ、手紙の投函式、記念撮影が行われました。
その後、生徒さん達は郵便局員に同行して、東京鳩居堂、和光、銀座木村屋、三越銀座店、教文館、銀座越後屋など、事前予約を頂いたお店に配達に行ったそうです。
今回の「紙で再現!銀座1964」 フレ-ム切手は、銀座通郵便局だけでの販売です。 私は、暑中見舞いを出すことにします。
1964年と言えば、東京オリンピックが開催された年です。
*追伸*前の記事もご参考にして下さい。 |
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