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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銀座八丁神社めぐり in AUTUMN GINZA 2015

[銀造] 2015年11月10日 18:00

 「銀座八丁神社めぐり2015 」が、今年も11月1日から3日の3日間開催されました。

AUTUMN GINZA 2015のご案内を片手に、参加している最寄りの神社の何処からでも参加できるのが嬉しいですね。

最初に訪問した神社でご集印帳を頂き、その神社のスタンプも押印して頂きます。 2番目以降は、そのご集印帳に押印して貰います。

今年は、幸稲荷神社、銀座稲荷神社、龍光不動尊、朝日稲荷神社、宝童稲荷神社、銀座出世地蔵尊、歌舞伎稲荷神社、あづま稲荷神社、成功稲荷神社、豊岩稲荷神社の十社がご開帳して下さいました。

 朝日稲荷神社でお賽銭を入れ、二礼、二拍手、一礼すると、「朝日稲荷神社縁起」が記された封書を頂きました。

中には、屋上に祀られた鳥居とお社、絵馬の絵葉書を頂戴しました。また、ひとつ銀座の歴史に詳しくなります。

 成功稲荷神社では、今年も資生堂さんの"savon d'or" を頂きました。贈り物には、石鹸 有難うございました。

 

宝童稲荷神社では、孫の健康を祈願してお祈りしました。

和光ビルと銀座の街並、宝童稲荷神社のお社をデザインした素敵なクリアファイルにおみくじが入っていました。

それには、宝童稲荷縁起とご託宣が記されていました。「運気良し

また、明治35年当時の弥左衛門町とその周辺の地図が記されており、勉強になります。(後述、追伸)

  

追伸:宝童稲荷神社のご縁起について申し上げますと

宝童稲荷という小さなお社が祀られた四丁目三番の通り抜け路地は、稲荷小路と呼ばれておりました。

この宝童稲荷は、稲荷信仰がたいへん盛んであった江戸時代に、もとは将軍家の跡継ぎの成長を守るために、江戸城内に祀られていた神社でした。

 この稲荷が防災に大変霊験あらたかであったので、堂守りの弥左衛門という人が、神霊の分神を受けて、現並木通りの角に建立したのが、四丁目の"宝童稲荷のはじまり"といわれています。

宝童稲荷は、士商の分け隔てなく、守り本尊となり、弥左衛門も、居をここに定め、生涯、稲荷のお守りをしたので、このあたりを弥左衛門町と呼ぶようになりました

 宝童の名前にあるように、このお稲荷様は子供の健やかな成長を守る神様です。また、弥左衛門町を発祥の地とする名だたる企業が多いことから、商売繁盛の神様としてお参りする方が引きも切りません。

子宝、商売繁盛を祈願とし、よきご縁を授ける社として、今日でも厚い信仰を集めております

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たいめいけん 凧の博物館 まるごとミュージアム2015

[銀造] 2015年11月10日 17:00

  日本橋の「たいめいけん」さんは、タンポポライスやボルシチなど美味しい洋食で有名ですが、

凧の博物館を設置されており、年初めには晴海埠頭や浜町公園などで、お子さん向けに凧について教えてくれたり、凧の楽しさも教えてくれています。

私も何度か訪れ、またドイツからいらした観光客の方を道案内したこともあります。

そんな楽しい「凧の博物館」を訪問したので、ご報告します。 

 入館して沢山の凧に圧倒されそうです。

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 凧の揚がる原理や風の条件などについても説明がありました。

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 微笑ましい凧を見つけました。 「家内安全」

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 ドイツ連邦共和国との相互理解に寄与されたので、当時の外務大臣,三塚 博さんからの感謝状もありました。

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 ブルネイの凧揚げ協会の会長さんから贈られた凧。

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 コロンビアより愛を込めて

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 「食在味格  凧在風格」 良いお言葉です。

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やっぱり、凧は実物を見て、実際に揚げないと、その楽しさは分かりませんよ。

 「たいめいけん」さんと「凧の博物館」のHPはこちらです。 日本橋で、美味しい洋食と凧の博物館をお楽しみ下さい。

https://www.taimeiken.co.jp/

あなたの運気も凧の様に高く揚がることを祈念しています。 銀造

 

 

クリスマスイルミネーション準備中〔ブルガリ〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年11月10日 14:00

11月6日()朝、中央通り沿いに銀座2丁目交差点にかかると、ブルガリ銀座タワー店のビル壁面に、毎年恒例のヘビクリスマスイルミネーションが準備中でした

頭部は完成、尻尾の部分がまだですね

bvlga111.JPGブルガリの、宝飾品のアイコンとして有名な「セルペンティ(イタリア語でヘビ)」をモチーフとしたイルミネーションが点灯する季節がきましたね

点灯は、11月13日(金)の予定だそうです

 

 

「花椿通り」

[CAM] 2015年11月10日 12:00

 「まるごとミュージアム」で、外堀通りと昭和通りにおいて、銀座7~8丁目で交差する花椿通りを少し探査しました。この近辺には資生堂関係のビルがいくつかあります。

 

 銀座7丁目の本社ビルです。神主さんが集まってなにやら儀式を行っていました。11月1~3日に行われる「銀座八丁神社めぐり」で、屋上に鎮座する「成功稲荷神社」(ものしり百科;53頁)を公開する準備ではないかと推測しました。

 

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 近辺には、「すし椿」という店もありますが、「おまかせ18,000円より」となっています。「椿と名のつく店、どれでも好き」の私ではありますが、まだ、入ったことはありません。

 

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 椿屋珈琲店なら、何度も利用しています。レトロな雰囲気です。

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晴海エリア

[CAM] 2015年11月10日 12:00

 いよいよ、明日(11月1日)は、「まるごとミュージアム2015」の開催日です。今日(10月31日・土曜日)は朝から曇り空で雨が降りそうな雰囲気なのですが、明日のコースを、もう一度自転車で回って見ました。

 

 以下では、「晴海エリア」の情報を少し増補します。

 

 勝鬨橋方面から来る晴海通りと、晴海1~2丁目方面から来る通りが交差する地点、元のホテル浦島の前の道路標示(下記)にあるように、勝鬨橋から直進する道路は、ここから「有明通り」となります。

 

IMG_2202.JPG 有明通りの少し先には、晴海大橋があります。晴海大橋は、東京都中央区晴海と江東区豊洲を結ぶ道路橋で、橋長は580m、最頂地点での晴海運河水面までの高さは24.2m、2006年3月25日に完成しました。

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 中央清掃工場、ほっとプラザはるみを右に見ながら、月島警察署新庁舎を過ぎて晴海通りをさらに進みと、晴海ターミナルに着きます。

 

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晴海ターミナル横から、レインボーブリッジを臨む。

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 オリンピック選手村予定地です。

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 帰路。勝鬨橋へ向かう晴海通り、黎明橋の右に「晴海トリトンスクエァ」がありますが、黎明橋の横に朝潮運河を渡る屋根付きのトリトンブリッジが架かっています。

 

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 「まるごとミュージアム」では、「晴海トリトンスクエァ」は「インフォメーション&抽選会場」となるとともに、「わくわく・すいすい『水辺探検』」「フラワーカーペット晴海2015」の会場にもなっていました。

 

 

三菱商船学校と商船教育140年

[之乎者也] 2015年11月10日 09:00

新川2丁目の永代橋西詰に「船員教育発祥の地」の記念碑が建っています。Mitsubishiship7.jpg今から140年前の明治8年(1875年)11月1日、東京商船学校(現、東京海洋大学海洋工学部)の前身である三菱商船学校が設立された場所です。Mitsubishiship6.jpg

当時、250年余り続いた鎖国により日本の海運業は立ち遅れ、主な外航船の運航は外国人船員に頼っていました。近代国家としての体裁を整えるためにも、明治新政府は、日本人による国際航路の運航を急務と考え、内務大臣大久保利通の命令により、三菱財閥の岩崎彌太郎に命じ、霊岸島(現在の新川)傍の大川に係留した帆船・成妙丸を校舎・練習船として、本格的な高等船員教育が始まったのでした。Mitsubishiship1.jpg

【「校船 成妙丸(明治8年)」東京海洋大学百周年記念資料館提供】

 

霊岸島で設立された三菱商船学校は、その後官立に移管されて東京商船学校となり、現在は隅田川を挟んで反対側の江東区越中島の東京海洋大学海洋工学部に引き継がれています。Mitsubishiship3.jpg

【「商船学校 霊岸島校舎(明治27年)」東京海洋大学百周年記念資料館提供

 

大久保利通は、岩崎彌太郎に命じて商船学校を作らせましたが、土佐藩のビジネスを引き継いだ九十九商会(1870年設立)を源流とする三菱蒸気船会社の本社が日本橋南茅場町に置かれていた(明治7年)ことや、同社が東京⇔大阪、高知⇔神戸航路などで蒸気船運送を行っていた(三菱蒸気船会社は、明治18年に三井系国策会社の共同運輸会社と合併して日本郵船となる)ことなどから、海運のプロとしての岩崎彌太郎に白羽の矢が立ったということでしょうか。

永代橋から新川公園、中央大橋、石川島公園を歩いていくと相生橋に突き当たります。橋を渡った江東区の越中島に東京海洋大学百周年記念資料館があります。こちらでは常設展示(船のエンジン、船模型、信号用手旗、ロープワーク他)があるほか、明治丸の甲板にも上ることができます。写真はご案内頂いた記念資料館ボランティアで東京商船大学OBの森さんです。Mitsubishiship5.jpg

なお、記念資料館では特別展として11月30日までの期間「船が開く明治~商船教育140年記念展示~ 人が船を育て、船が人を育てた」を開催中です。文中掲載の三菱商船学校関係の写真は同展示で期間限定公開されているもので、東京海洋大学百周年記念資料館さんのご好意により提供頂きました。

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 記念史料館は江東区・越中島にありますが、対岸の霊岸島(現、中央区新川)に設立された三菱商船学校の歴史を知る良い機会です。永代橋西詰の「船員教育発祥の地記念碑」から中央区のウォーターフロントの歴史に思いを馳せながら足を伸ばしてみたら如何でしょうか。

 

【船員教育発祥の地記念碑】

所在地: 中央区新川1-30先(永代橋西詰・永代通り南側歩道)

(日比谷線・東西線茅場町下車徒歩5分)

 

【東京海洋大学海洋工学部百周年記念資料館】

〒135-8533 江東区越中島2-1-6 東京海洋大学越中島地区キャンパス 百周年記念資料館

(地下鉄有楽町線・大江戸線月島駅から徒歩約10分)

開館時間:1000~1500 (火・木/第1・3土のみ開館)

入館料:無料

TEL;03-5245-7360(明治丸海事ミュージアム)