[ジミニー☆クリケット]
2015年11月11日 18:00
11月9日(月)に、奈良まほろば館(日本橋室町1-6-2日本橋室町162ビル)で開かれた南都法話会に出席しました
当日のお話は、唐招提寺の久保孝学師でした
南都法話会は、「奈良の有名寺院の若手僧侶が伝える『奈良の心』」というサブタイトルで、毎回、東大寺、西大寺、興福寺、薬師寺などのお寺の僧侶の方々のお話が聞けるものです
時間は、 午後2時から3時半までの1時間半で、場所は、奈良まほろば館の2階です。
定員は、各回70名で、出席を事前に申し込む方式で、応募者が多い場合は抽選になります。
今回は、律宗の総本山、759年に鑑真和上により開かれた唐招提寺の久保師により、「そうだ菩薩になろう」というインパクト抜群のタイトルで、修行や戒律にまつわる大変興味深いお話をうかがいました
奈良まほろば館では、法話会の他にも、聖徳太子を通じて当時の歴史を理解する講座や、世界遺産の吉野大峯を紹介する講演、日本画や写経の教室など、奈良の魅力を知ることのできるイベントがたくさん用意され、継続的に開催されています
また、当日は1階の展示スペースで、下市町と黒滝村の紹介や、特産品の展示も行われていました
奈良まほろば館のHPはこちら ⇒
http://www.mahoroba-kan.jp/
[銀造]
2015年11月11日 14:00
中央区銀座6丁目の「大和屋シャツ店」さんは、日本で初めてのワイシャツ店です。
手元にある「中央区はじめて物語マップ」の説明によると、
~商い・ものづくり編~に、⑤日本で最初のワイシャツ店
現在:yamatoya本店
発祥:明治9(1876)年、現住所:銀座6-7-8
♦横浜関内の弁天通りに日本で最初のワイシャツ店を開業しました。
最初のうちは、港にあふれる外国人相手に商売をしていました。
横浜大空襲で焼け、昭和28(1953)年に銀座で再興しました。
大変お得なワゴンセールに初めて遭遇しました。
大和屋さんのシャツの内側の首に当たるところには、布製のタグが縫い付けられています。
EST 1876
yamatoya ®
GINZA
これが、品質保証の証しでしょう。
銀座店などの詳細情報は、こちらです。
http://www.yamatoya-shirts.co.jp/
[ジミニー☆クリケット]
2015年11月11日 12:00
[サム]
2015年11月11日 09:00
晴海トリトンスクエア内ポケットプラザ「花・水・樹」のグリーンアドバイザーの案内で園内を散策する毎月恒例のミニガーデンガイドツアー。今月は11月5日に開催。
秋色が深まる時節、今週末8日は暦の上では早くも立冬です。
「花枯れ」の季節ではありますが、今回興味を覚えたのはマンサク科マルバノキ。ちょっと不思議な花です。不思議① 落葉後に開花。不思議② 花の形。赤いヒトデのような形の背中合わせの2輪の花。不思議③ 刺激的でスパイシーな香り。(左上)
注目は、やはり、木々の紅(黄)葉と秋の実り。
ユリノキ・アメリカザイフリボク等の黄葉、サルスベリ・ハゼノキ・ナツヅタ等の紅葉が彩りを添えています。(冒頭左:ナツヅタ、右:ハゼノキ)
ヒメリンゴ・ハナカイドウには鈴生りの果実。
ヒメイチゴには房状の白い花に黄色の果実。今後ほぼ一年かけて黄色⇒橙色⇒赤色に熟すと云われます。
左から、ヒメリンゴ、ハナカイドウ、ヒメイチゴ、シセントキワガキ、キンカン
昨年同様、人面草<パンジー・ビオラ>の愉快な仲間たちも10月末より登場。
今年は、オーソドックスな "丸弁" に加え、面長で兎を連想させるユニークな花形の "うさぎ型" 、愛らしい小輪多花性の "極小輪" が新たに仲間入り。
うさぎ型ビオラコレクション
移ろいゆく季節を映した花木の姿に、やがて迎える冬の準備の始まりを感じつつ、新たな気づきも得たプランツウォークでした。
[CAM]
2015年11月11日 08:00
「鎧橋」際の掲示板には、谷崎潤一郎の『幼少時代』が引用されています。この引用された部分の前後で周辺の風景がよく描写されていると思うので、挙げておきます。
鎧橋は、その頃市中にそう多くはない鉄橋の一つで、まだ新大橋や永代橋などは古い木橋のままであったように思う。私は往き復りに橋の途中で立ち止まって、日本橋川の水の流れを眺めるのが常であったが、鉄の欄干に顔を押しつけて橋の下に現れて来る水の面を視詰めていると、水が流れて行くのでなく、橋が動いていくように見えた。私はまた、茅場町の方から渡って、上流の兜町の岸にある渋沢邸のお伽噺のような建物を、いつも不思議な心持で飽かず見入ったものであった。今はあすこに日証ビルディングが建っているが、もとはあの川の縁の出っ鼻に、ぴったりと石崖に接して、ヴェニス風の廊や柱のあるゴシック式の殿堂が水に臨んで建っていた。明治中期の東京のまん中に、ああいう異国の古典趣味の邸宅を築いたのは誰の思いつきだったのであろうか。対岸の小網町河岸には土蔵の白壁が幾棟となく並んでい、あの出っ鼻をちょっと曲れば直ぐ江戸橋や日本橋であるのに、あの一廓だけが石板刷の西洋風景画のように日本離れのした空気をただよわしていた。だがそれでいて、周囲の水だの街だのと必ずしも不釣合ではなく、前の流れを往き来する荷足船や伝馬船や達磨船などが、ゴンドラと同じように調和していたのは妙であった。(73)
鎧橋は明治5年(1872)年に架橋。明治21年(1888)には鉄骨製のトラス橋に架け替えられ、昭和32年(1957)に現在の橋に架け替えられた(ものしり百科;26頁)。
谷崎潤一郎は、明治19年(1886)7月24日 -昭和40年 (1965)7月30日。 「幼少時代」の筆を執ったのは、昭和30年(1955)、数え年70歳のときであった。
日本橋川の船上から見た鎧橋