[お江戸のマーシャ・堀内]
2015年11月 9日 16:00
11/1の中央区まるごとミュージアム、午後からのバスガイドの前に少しばかり町散歩をしました。
1)COREDO室町の福徳神社で、中央区コミュニティーサイクル(自転車)を借りて、神社巡りです。
電動自転車で、平地を走るにはもってこいなのかもしれません、返却PORTも日本橋、京橋、そして
銀座や月島にも少しあり、PASMOなどでの決済のようで、新たな街の面持ちがします。
→中央通りを先ずは日本橋、京橋を経て銀座まで、11/3までイベントの「銀座八丁めぐり」です。
一丁目の幸稲荷神社、銀座稲荷神社(ビルの屋上)、龍光不動尊(ビルの屋上)、朝日稲荷神社と
半分ほど周りました。来年は時間を取って全部回ってみようと思います。
2)お昼を兼ねて、築地場外の奥に佇む"築地 波除稲荷神社"です。江戸開府の時から、埋め立て造成地
をたくさん作らねばならなかった中、ここ築地海面は、いくら堤防を築いても波にさらわれ一番苦労した所だったそうです。
ある日、海に漂う光るものを拾い上げたところ、稲荷大神のご神体ということで
社殿を造りお参りしたところ、波風がピタリと止んで埋立て工事が完成したという事です(1659年)。
毎年6月の"つきじ獅子祭り"でお出ましの獅子頭一対は境内にあり、圧巻です。
拝
[巻渕彰/写楽さい]
2015年11月 9日 09:00
「東海道中膝栗毛」でおなじみの戯作者・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)、今年は生誕250年にあたる。通油町(現日本橋大伝馬町)の蔦屋重三郎「耕書堂」に寄食し、のち、近くの長谷川町(現日本橋堀留町二丁目)で暮らした。墓所は現在、勝どきの東陽院にある。中央区内の一九ゆかりの地を訪ねてみよう。
十返舎一九は明和2年(1765)、駿府(現静岡市)で駿府町奉行所の与力同心を務めた重田家の長男として生まれ、重田貞一を名乗る。幼少より武芸や学問に励み、槍術の鍛錬に熱心だったという。
寛政6年(1794)30歳の秋ごろから、通油町の蔦屋「耕書堂」に寄食して、ドウサ引き(明礬を溶かした水に膠をまぜた液で、絵具の滲みを防ぐために塗る)をしていたと伝わる。一九はすでに大坂で浄瑠璃作家として知られていた。耕書堂では黄表紙3作でデビューし、著作から作画、筆耕までを一九自身がこなしたという(写真上)。
寛政8年(1796)には蔦屋を出て、長谷川町に住まう。通油町の東南に位置し、版元の村田屋、榎本屋、岩戸屋などとも近く、堺町・葺屋町の芝居町に近接した場所で、役者なども住んでいた。落語「百川」では「三光新道」が話に出てくる。現在は「三光稲荷神社」が鎮座している一帯である(写真中央)。
ベストセラーの初編となった「浮世道中膝栗毛」は享和2年(1802)刊行。「東海道中膝栗毛」として、京・大坂を旅した8編を著したのは文化6年(1809)、45歳のときで、その後も続編が刊行された。
専業作家として、筆一本で暮らした一九は天保2年(1831)に67歳の生涯を閉じた。葬られた東陽院は当初、浅草永住町にあったが、関東大震災後、現在地の勝どきに移転した(写真下)。中央区民文化財登録の墓には「此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら」の辞世が刻まれている。@巻渕彰
[CAM]
2015年11月 8日 09:00
昭和5年(1930)に建てられた旧三菱倉庫江戸橋倉庫は、事務所機能を備えた都市型倉庫であった。 新ビルは、水辺に浮かぶ船を思わせる外観になっており、都選定歴史的建造物である。(ものしり百科;151頁)
外から見ると、地上5階までの、石造りでいかにもクラシカルなデザインの部分が残された一部であることがわかる。新しい建物は、古い建物の上に載っているのではなく、古い建物の内側に建っており、古い建物は、外壁の7割など外側の一部だけが残されているそうである。
三菱グループの創業者・岩崎弥太郎がこの地に倉庫を構えたのは明治9年。以来、この場所は三菱の倉庫として使われてきた。美術品や着物を預かることもあり、歌舞伎役者が、ここで着替えてから東銀座の歌舞伎座へ出かけたというようなこともあったという。
工事は、古い建物の地下をくりぬくところから始まった。そして、基礎固めのために地下に埋められていた松杭を引き抜いた。その数、約1500本。埋まっていた数の合計はもっと多くて約4000本だという。敷地面積は約2900平方メートルだから、1平方メートルに1本以上は松杭が打たれていたことになる。そして、抜いた松杭の代わりに現代的な杭を打って基礎を補強してから、残す部分以外を解体し、新しい建物の建設を始めたそうである。
(以上は、東洋経済オンライン「成毛真の技術探検」に拠った。)
日本橋川から見た日本橋ダイヤビルディング
[CAM]
2015年11月 8日 08:00
今日(11月3日)は、絶好の快晴となった祝日。 昨日の夕に回り残した「銀座八丁神社めぐり」完遂のために銀座へ出かけて、「AUTUMN GINZA 2015」のパンフレットをもらいました。
これをあらためて読むと、有意義な行事が一杯ですね。 それなのにもう最終日。
気がついたらもう終わっているものが大半です。 まるで自分の人生みたいで哀しい(笑)。
しかし、銀座泰明小学校で「新富座こども歌舞伎」を見たことは有意義でした。
本日の銀座通り(中央通り)です。
銀座2丁目の椿屋珈琲店の前。
今日は快晴の秋日で、勝鬨橋から観る佃・月島も鮮やかに見える。
[銀造]
2015年11月 7日 18:00
明石町のあかつき公園、聖路加タワーから湊3丁目への通りの黄葉が始まっています。
あかつき公園のポプラは背が高く活き活きとしています。元気を貰えそうです。
銀杏の葉が黄色く色づき、紅葉しているのは「モミジバフウ(紅葉葉楓)」です。
聖路加国際病院の車寄せの前の植栽の中に、素敵なタイル画を見つけました。
運上所と表示があります。 ちょっと料亭治作さんの前まで行ってみましょう。
そこには、「運上所」という石碑があります。(今までの、中央区観光検定の「中央区ものしり百科」には記載されていないようです)
幕末から明治元年にかけて、居留地が置かれ、外国貨物の通関と課税を行う「運上所」が開設されました。この運上所が明治5年に東京税関と名称変更になりました。ここが東京税関発祥の地です。
バス通りの植え込みの中には、「電信創業の地碑」があり、運上所内の「電信機役所」と横浜裁判所を結ぶ電信線架設工事が明治2年に業務を開始したとの説明が刻まれています。
聖路加看護大学の構内の米国公使館の名残のモニュメントや、ミッションスクールの記念碑を眺めたり、
あかつき公園でシーボルト像に敬意を表して、その後は、隅田川テラスでのんびりと行き交う船を見ながら、小春日和の柔らかい陽射しを享受されては如何でしょうか?
聖路加タワーや築地場外市場近くの美味しいお店も沢山あります。 どうぞ楽しいお散歩をお楽しみ下さい。
[CAM]
2015年11月 7日 16:00
表記については、ものしり百科113頁が、イタリア・ジェンツァーノ市で毎年行われる花祭りを晴海流にアレンジしたもので、花絵のテーマをバラの花びらで敷き詰めたフラワーアートを観賞できる、と説明されています。
今年は10月31日(土)から11月4日(水)まで行われました。私は、最終日の11月4日の午後から少しのぞいてきました。今日も午後は秋の好天です。
清澄通り・月島橋から臨む晴海トリトン