[銀造]
2018年8月 9日 12:00
奉祝天皇陛下ご即位30年、明治150年記念 住吉神社例祭が8月3日から8月6日迄開催されました。私は、8月6日(月)に出かけました。
月島西仲通りを若人により威勢よく担がれた神輿。 景気づけと熱中症対策にに水が掛けられていました。
地元の子供たちによる山車(だし)、微笑ましく、太鼓のお囃子が和やかな雰囲気でした。
佃に移動して、普段は見る事のない、木製鳥居を潜って、
佃小橋から聖路加タワーが見える場所で立てられた幟旗。
周辺の幟の総数は、六本だとか。
佃の歴史については、摂津国西成郡佃村(大阪)の漁師は、徳川家康が住吉神社を参詣した折とか、大阪の陣などで家康の為に種々の便宜を図った。これに恩義を感じていた家康は天下を取ると、漁師たち36名を江戸へ呼び寄せ、水産物の漁獲の許可を与えて住まわせた。彼らは、最初は日本橋付近の魚河岸に住んでいたが、後に隅田川河口の寄り洲を与えられたので、ここに島を造成して移り住み、自分たちの生国の名前を取って、この島を「佃島」と名付けた。 (この佃島の築造年は、「中央区ものしり百科によれば、正保元年、西暦1644年です) ~中略~ そして、自分たちの島が出来上がると、郷土の産土神(うぶすなかみ)であり、海上の守護神であった住吉神社を勧請して、この島に住吉神社を建立したのが正保三年、西暦1646年との事です。(現在の地名に島は付かず、佃何丁目という表示です)
この大きな幟旗は、広重の名所江戸百景、夏の景、「佃しま住吉の祭」に描かれているので、前々から見たかった物の一つです。
銅鳥居から建替えられた赤鳥居に、幟旗がたなびいていて、風情が伝わってきました。
佃まちかど展示館周辺には、東都一大きいと言われている千貫神輿、
虎の獅子頭とお供え物
龍虎の獅子頭
他にも多数の文化財が展示披露されていて、歴史と文化を感じることができました。
中央区まちかど展示館と佃まちかど展示館の詳細はこちらです。
http://chuoku-machikadotenjikan.jp/tenjikan/
龍虎の獅子頭などに関する説明は、中央区民文化財の説明が大変に参考になります。
http://www.city.chuo.lg.jp/kusei/syokai/tyuobunkazai/ryukonoshishigashira.html
[デ・ニーロ]
2018年8月 9日 12:00
もし太宰治が平成の現代に生きていれば、銀座のバー・ルパンの帰り道で晴海通りへ出た際、こんなコトをつぶやいてSNSに投句したカモ。
中央通りを新橋から銀座4丁目に向って歩いて行くと、銀座三越が見えてくるでしょう。
銀座のランドマークとして、和光と並ぶ三越の外壁には、巨大ポスターのような垂れ幕広告が掲出されます。
それらは季節の風物詩のようにアーティスティックで、アタクシはいつも楽しみしているのですが、ニャンと!
スヌーピーがチャーリー・ブラウンや仲間達と登場してるって、半端ない!
おなじみのデパート催事のPRですが、この景観は新鮮に映りました。
よく見ると20周年とあり、三越によるスヌーピー企画にはそれほどの歴史があったとは驚きです。
1905年(明治37年)「デパートメントストア宣言」をした百貨店の老舗三越なだけに、日本で初めてスヌーピーのキャラクターを販促ツールとして採用した?
というわけではなさそうですが、銀座とスヌーピーのご縁のレキシは意外と古かった(といっても平成になってからなので、遅いぐらいだが)
米国の漫画家チャールズ・M・シュルツによる絵本「ピーナッツ」にスヌーピーが登場したのが、1950年。
1999年(=平成11年)、その50周年のプレ・イベントとして始まったのが「スヌーピー in 銀座」なのだそうです。
だから、ざっくばらんに言うならば、銀座にスヌーピーがよく似合う背景に、三越が一役買っていたとは言えるでしょう。
てなことを、このタイミングでまち歩きガイドをしている時にはアナウンスできますよね。
三越の前身である三井呉服店の初代も、生きていれば
「スヌーピーに家督を譲りたい!」
と言ったカモ。(このご案内のBGMにはレキシの池ちゃんを流そうっと!)
ただこれは、
以前ご紹介した松屋銀座の「スヌーピー展」と違って、ほぼ物販オンリーのイベントです。
シュルツさんの原画も小粋なインスタレーションもありません。
しかし、その
キャラクター・グッズの数も種類も半端ない!って。
昔からスヌーピー♡ラブなアタクシは、有り金(の半分未満)を叩いて、大人買いをしてしまいました〜(>_<)
平成最後の
「スヌーピー in 銀座 2018」は、8月12日まで!
↓ お盆は北海道に帰省中のデ・ニーロ特派員の過去記事はこちら ↓
◎銀座のバー・ルパン (2016年5月31日付)
太宰の短編小説「富嶽百景」に「富士には月見草がよく似合う」という台詞が出てきますが、何か問題ありますでしょうか?
◎銀座でスヌーピー展 (2018年3月4日付)
◎ブラ「お能」 (2018年6月28日付)
◎猫の旅物語 (2018年5月14日付)
◎インバウンド講習参加報告(たぶん) (2018年7月31日付)
[湊っ子ちゃん]
2018年8月 9日 09:00
佃島を歩いていますと、三角形の空間と出会うことがよくあります。
それに沿うように、歩道も三角形をしています。
三角形の空間ができた理由は、"町並みの向き"にあるようなのです。
♪ 佃島と新佃島
地図を眺めていると、佃島の町並みは、江戸側とほぼ揃っているのに対し、新佃島は、月島と同じ向きをしています。
その昔、摂津国西成郡佃村(現在の大阪府西淀川区)の漁師たちは、家康に招かれ江戸入りし、白魚献上の御用を務めました。その後、正保元年(1644)に、佃島を築造しました。
そのとき、佃島は江戸城を向くように造られたそうです。そのため、佃島は江戸の町と向きが揃っているようです。
一方、新佃島は明治29年(1896)に誕生しました。月島地区と同じ時期に埋め立てられ、築地や深川と向きが同じだということです。なるほど、深川との間には相生橋があり、まっすぐな道でつながっていますものね。
そこで、三角形の空間ができたのですね。
佃島を黒線で囲みました。
左、赤枠は新佃島。右、間にできた三角形の空間。
(中央区立京橋図書館「郷土室だより」付録地図をもとに作成/明治44年)
♪ 佃島と佃大橋
◀ 春の佃大橋
昭和39年(1964)開通
佃大橋と新月陸橋の軌道も、三角形を作っているようです。
佃大橋は、隅田川を渡ったところで、大きく軌道を変えています。道路の向き、ないしは町の向きが違うからですね。
三角形の空間は、公園になっています。
歴史のある町というのは、地形や道に表情があって面白いですね。
歩くたびに新しい発見がある、そんな中央区がやっぱり好きです。
中央区観光特派員 湊っ子ちゃん
第18号 平成30年6月22日
[ようちゃん]
2018年8月 8日 18:00
1 はじめに
月島と言えば「もんじゃ焼き」が有名ですが、月島で独自に考案され、月島の住民によってのみ愛好されている食べ物として、レバーフライ(またはレバカツ昔は肉フライ)があります。戦後の物資が不足していた食糧難の時代、安価で栄養価の高い食べ物として、牛や豚のレバーを薄くスライスしてパン粉を付けフライにし、秘伝のタレにくぐらせたものです。2010年7月のテレビ東京の「アド街ック天国」佃編では「ひさご屋阿部」が15位、2012年1月放送の月島編ではレバーフライとして4位にランクされています。持ち帰り用として200円以内というリーズナブルな価格です。10年くらい前だと4~5軒あったのですが、今は「ひさご屋阿部」と「持ち帰りの王道」の2軒だけになってしまいました。この2軒のお店を紹介します。
2 お店の紹介
(1) ひさごや阿部
中央区佃3丁目1-12の相生橋のたもとにある、昭和24年創業の元祖レバーフライです。四角く5cm四方ほどにスライスした豚レバーの片側に竹串をさして油で揚げ、秘伝のタレにくぐらせていただきます。1本150円、営業時間は11時~13時/15時~18時30分、定休日は:日曜、祝日、第1月曜日
「ひさご屋阿部」店舗 レバーフライ
(2) 味の王道
中央区月島1丁目16-5の王道流の新レバーフライです。豚レバーをペースト状にしてパン粉を付け、串に刺さないで、揚げソースに浸していただきます。持ち帰りは一枚180円(店内で注文すると220円)、営業時間は平日は18時~/土日祝日は15時~
「味の王道」店舗 レバーフライ
3 その他
月島近辺の居酒屋等でもレバーフライを出す店があります。月島の裏名物レバーフライ。月島に立ち寄った際には是非ともご賞味ください。
[yaz]
2018年8月 8日 14:00
東日本大震災以降、南海トラフを中心とした大地震の到来を心配しています。関東大震災時の東京府における推定震度から中央区の地層を考えてみたいと思います。
山の手・下町を含む江戸には埋め立てと堀の造成の歴史があります。江戸開府直後に、本郷台地から続く江戸前島の埋立により日本橋・銀座地区が作られ、日比谷入江を埋め立てて日比谷・有楽町・丸の内地区の武家屋敷地域が作られました。江戸時代には月島・晴海地区は海でした。
関東大震災時の東京府の震度分布を見てみましょう。赤坂溜池・麻布十番や江東区の赤数字(震度7相当)が気になります。
埋め立てられて造成されたのではない佃島は、隅田川の上流から流れてきた土砂が自然に堆積してできた土地であることから、標高は月島・勝鬨地区よりも高くなっています。関東大震災時の震度は"5"程度だったようです。一方隅田川を浚渫した土砂を使って埋め立てられた土地である月島・勝鬨・晴海地区は関東大震災時の震度は"5~6"程度だったと言われています。
埋立地だから月島・勝鬨地区の関東大震災時の震度はもっと大きいのではないかという先入観を持っていましたが、銀座・日本橋程度で小さくてびっくりしています。
今の中央区には江戸前島と呼ばれた砂洲がありました。その西側は、日比谷から大手町にかけて日比谷入江が入っていました。開府後すぐ、幕府は埋め立てをしました。
隅田川の東側は地盤が悪く、西側は地は良いと言われています。しかし一部洪積地盤に穴があいて、そこに沖積地盤が入り 込んでいるので、大手町側に激震地域があります。一方、江戸前島の地盤の良さは明確です。
不動産を購入する場合には、古地図を見て地形を確認しましょう。「山の手なら安心、下町は危ない」という地名だけに踊らされないように!関東大震災発生日=9月1日の前に一言でした。
[ジミニー☆クリケット]
2018年8月 8日 12:00