築地市場の場内にある水神さま(昨年暮れの風景)。

ここ築地市場内には鳥居とほこらのある遥拝(ようはい)所があります。ここでおまいりすることで、北の遠くの方向の神田明神境内にある「水神社」本殿を拝むことができるようになっている、そういう場所です。
「水神社」は魚河岸(魚市場)の歴史とともに歩んできた神様で、その始まりは江戸の初めにさかのぼります。
徳川家康公により大阪から江戸へ引き連れてこられた漁師で日本橋魚河岸の礎を築いた森孫右衛門一族が「弥都波能売命(みづはのめのみこと)」を祀った、「大市場交易神(おおいちばこうえきしん)」がその始まりとされ、その後、神田明神内に社殿が設けられ今に至っています。
魚河岸は関東大震災のあと、昭和10年に日本橋から今の築地市場の地に移りましたが、その時できたのがこの遥拝所というわけです。
その後80年間、水神社は魚河岸で働く方々を見守ってきました。
築地場内はあわただしい場所ですが、この遥拝所は比較的落ち着ける場所。いつも綺麗にされており季節の花も咲いたりして心を和ませてくれます。

今は紫陽花がとても綺麗ですね。
しかし来年、魚河岸が豊洲新市場に移転することになりました。ということはこの遥拝所も魚河岸と一緒に移転することになるのはごく自然の流れです。
同じ敷地内にある「旗山」と刻まれた石碑は、かつてここ築地が日本海軍の地であったことの由来を記すものになりますので、ここ築地の地に残ることになるのでしょうが・・・
しかし魚市場の「場外」はここ築地に残ります。遥拝所の裏の場外では、市場移転前に先行して開業する予定の施設「築地新市場」の建設が行われており、築地の新しい歴史がまた始まろうとしています。
そんな水神社のお話として、今まさに注目なのは、場外にある「波除神社」の『つきじ獅子祭』。このお祭りで水神社の大神輿が担がれます。

元々、水神社のお祭りもありますが、大々的に水神社の神輿が担がれたのは魚河岸が築地に移ってきてから数回しかないようで、市場祭りを除き築地町内を渡御するのは25年ぶりとのこと。
水神社の神輿が担がれること自体が珍しいうえに、「波除神社」の大神輿との連合渡御、いわゆるコラボは史上初。波除神社の大神輿が担がれるつきじ獅子祭の本祭は3年に1回なので、このコラボは「最初で最後」とか「歴史的瞬間」とか言われるゆえんです。
今後、水神社の神輿が築地町内で担がれるのはなかなか難しいと思われ、今回は水神社の「築地さよなら渡御」的性格もあると思います。
「波除神社」の『つきじ獅子祭』。

神輿が町内を巡るのは6月13日土曜日の渡御祭になります。
http://www.namiyoke.or.jp/shishimaturitokusetsu.html
ぜひ皆様の目でご覧になっていただけたらと思います。
ん? このパネルですが、実際の風景と比べてみると何だか全然違います。勝どきや晴海にあるはずの高層ビルが全然ありません。
このレインボーブリッジからの20年前頃の景色と現在の高層マンション群の景色を比べてみると、そういった人口の増加も当然だなと思ってしまいます。
VOLENDAM(フォーレンダム)というオランダ籍の船で、61,214t、全長238mもあります。長さだけでいうと勝鬨橋の長さが246mなのでそれに匹敵する大きさです。

近くから見ないと味わえない感動もあります。
あ~。結構長い距離でしたが天気にも恵まれ、なかなか楽しむことができました。
いゃ~、やっぱりここ明石町河岸公園は、日当たりが良いせいなのか、隅田川の開放感のせいなのか、春を感じるにはすばらしい場所だと思います。
しかも晴れていれば最高。桜のピンク色には青い空が一番似合います。
水色の橋が永代橋で、緑色の橋が勝鬨橋。


その次はどのような灯がともるのでしょうか。
写真の左側の十字架の尖塔がある建物が旧館、右側奥のタワービルが聖路加タワー、そしてこの2つの建物の間にある建物が本館となっており、この3つの建物は2階レベルでそれぞれ渡り廊下のような通路でつながっています。入院患者は真ん中の本館で過ごします。

しかし今回は、手術前、手術の日、そして手術後のリハビリ歩行の付き添いを兼ねて何度か訪問させていただく機会に恵まれました。
すぐ右がチャペルなのですが、入り口はガラス張りになっており、チャペルの外から中を見ることができます。そのせいか、入りやすいチャペルだなと思いました。
この場所も昔からの建物なので、床がミシミシ系。椅子に座ってしまうと、いい心地で眠くなってしまいます。
くしくもこの日は東京五輪開会式まで2020日前となる日。
(東京都HPより)


