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◆ 戦後70年・聖路加病院の日野原先生からのメッセージ

[隅田の花火] 2015年10月 9日 12:00

中央区明石町にある聖路加国際病院。この病院の名誉院長を務められる日野原重明先生が10月4日に104歳を迎えられました。日野原先生は太平洋戦争直前の1941年8月にこの病院に着任され、以来70年以上医療に携わり活躍されている方です。

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その日野原先生が今秋、「戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり」という本を書かれました。

この本を書店で見つけ、表紙の絵を見て一目気に入り気づいたらレジに並んでいました。中をパラパラと見てみると文字は大きな活字で印刷され、漢字にはふりがながふられています。そう、この本はこれからの未来を担う若い世代に向けて書かれている形になっています。

聖路加国際病院の歴史や日野原先生自身の体験を通して、戦争そして平和の尊さについて次世代に伝えていこうという日野原先生の思いが伝わってくるような内容です。

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聖路加国際病院は1902年にトイスラー博士により開設されて以来、キリスト教の精神を中心に据えた医療が行われてきましたが、同時にアメリカと深いつながりのある病院であるため、太平洋戦争の開戦前後から微妙な立場に追い込まれます。

開戦すると病院の名前は変えられ、十字架は取り外されました。病院だけではなく日野原先生自身にも疑いの目が向けられ、憲兵から尋問を受けたりします。そして終戦後は建物がGHQの管理となったりと、この病院は戦争という時代に翻弄されました。そのような歴史と体験が書かれています。

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また、よく築地界隈は聖路加病院があるおかげで大きな空襲を受けなかったといわれていますが、それを証明するようなアメリカ空軍機からばらまかれたビラなど、多くの写真がこの本に掲載されているのも特筆すべき点。若い世代だけではなく、老若男女・すべての世代が読めるような内容であると思いますし、中央区の戦時の歴史の一つとしてこの病院の歴史を知ることができるような内容にもなっています。

(下の写真は「かちどき・橋の資料館」に展示されていた隅田川の写真。改築前の旧館が写っていました。)

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この本を読んだ次の日、聖路加国際病院の旧館に足が向かっていました。中のチャペルに入るのも久しぶりです。

聖路加国際病院には、15年ほど前に銀座で心筋梗塞で倒れた義父の命を助けていただいたり、今年の冬には家族がお世話になったりと、私にとっても縁のある病院。特にこの旧館の前にある庭に来るとほっとする場所だったりします。

 

今は平和な空気が感じられるこの場所ですが戦時の痕跡が残っている所があります。

この旧館チャペルの入り口(写真左)の横の、この旧館が建てられた1930年代からある定礎石です。

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この石には、

「ST.LUKE'S INTERNATIONAL MEDICAL CENTER

DEDICATED TO THE GLORY OF GOD

AND THE SERVICE OF HUMANITY」

そして、「神の栄光と人類奉仕のため 聖路加国際医道院」と訳語が書かれています。

s_hanabi25-6.jpg旧館は90年代に改修工事が行われたので、この定礎石は当初は違う場所にあったそうです。この石には12個の釘穴の跡があるのですが、これが戦時の痕跡。憲兵隊にこの石を取り外すように強要されたため、その対応として薄い御影石で覆い隠した時の痕なのだそうです。

 

また旧館のとなりの建物の本館の1階には、この病院の年表が大きく掲示されており、歴史を見ることができるようになっています。

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戦後70年という節目である今年。政治でも、戦争そして平和について考えさせられる大きな出来事がありました。

 

終戦から時間が経つにつれ、戦争と平和について考えるのはだんだん難しくなってきている気がします。

日没が早くなった秋の夜長。こういう類いの本を読んでみるのも良いかもしれません。

 

 

 

◆ 明治村にある「お助け橋」 隅田川新大橋の旧橋

[隅田の花火] 2015年10月 2日 09:00

 隅田川に架かる橋のひとつ「新大橋」。 オレンジ色の主塔が特徴的なこの橋は、清洲橋のひとつ上流にあり、中央区の日本橋浜町から江東区の森下方面に繋がります。1977年(昭和52)に架けられた比較的新しい橋です。

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今回はその先代の橋、1912年(明治45)に現在地に架けられた鉄製の旧橋の話なのですが、この橋はトラス橋という剛健なフォルムでありながら、優美な装飾が施された橋だったといいます(下の写真は現在の橋の主塔に取り付けられているプレートで旧橋が描かれています)。

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この旧橋の一部は、愛知県犬山市にある「博物館明治村」に登録有形文化財として保存展示されています。かねてから明治村には行ってみたかったのですが、ようやく念願が叶いこのシルバーウィークに見に行って来ました。

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一目見た感想ですが、意外に大きかった印象でした。明治村には日本橋浜町側の8分の1程度が移築されているのですが、これを単純に8倍した姿を隅田川上にあったかのように想像してみると、当時もかなり大きく感じられたのではないかと思います。
全長173メートル、幅25メートル、開通して間もなく市電も通るようになったそうで、この明治村にもその跡が再現されています。

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それと、この橋の特徴とされる装飾。思っていたよりも繊細で美しかったです。橋自体が重厚な感じなので、よりそう感じられるのかもしれません。一番驚きだったのはの野村素介筆の「橋銘板」。色合いはエレガントを通り越してゴージャスな感じです。

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橋銘板、照明器具や歩道の高欄の色は、以前灰色系のペンキで塗装していたそうなのですが、今年の春に創建当時の色に復原する形で塗り直されたとのことです(下の写真は、曲線を多く取り入れた歩道の高欄の装飾)。

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白い花崗岩製の高欄や親柱は荘厳さを感じさせる造りです。

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明治時代に架けられたこの旧橋ですが、よく話に取り上げられるのは関東大震災の時の出来事です。

 

他の橋が震災で落ちる中、当時比較的新しかったこの橋は落ちることなく、燃えることもなく、逃げ惑いこの橋に殺到した群衆の多くの命を救いました。そのため「人助け橋」とか「お助け橋」と呼ばれるようになりました。

 

現在の橋の中央区側の袂には、「大震災避難記念碑」「人助け橋の由来碑」があります。

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「大震災避難記念碑」は思っていたよりも大きく、見上げるような感じ。これは当時の人々のこの橋に対する感謝の大きさを物語るものなのかもしれません。

 

大震災の10年後の昭和8年に建てられたものだそうで、書かれているのは、この橋に避難されてきた近隣神社の神の力・荷物を捨てる適切な判断をした人の力があったので多数の避難者が助かった、というような内容です。

 

 

 一方の小さいほうの「人助け橋の由来碑」は、旧橋から今の橋への交代時に建てられた碑。震災当時、久松警察署の新大橋西詰派出所に勤務する警察官の適切な判断を称える内容が記されています。

 

多数の避難者を誘導すると同時に、このままでは避難者全員が焼死してしまうと判断し燃えそうな荷物を隅田川に捨てさせ、一万人を超える命を救ったのだそうです。

 

ですが、この橋が防災上も優れた橋だったということがいちばんの理由ではないかと思います。

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明治村は今年50周年だそうです。こういう歴史的価値のある建造物が現物の資料として残され、見ることができ、感じることができること。すばらしいことだと思います。
橋に限らず、ビルや建物の建て替えの際には後世に伝えるための努力も必要だということをここに来て感じました。

 

 

 

◆ 隅田川 夕焼け小焼けで 日が暮れて

[隅田の花火] 2015年8月21日 14:00

 

都会にあって、隅田川の河畔は幾分か空の広い場所。

私は田舎者であるのでしょうか、ついつい広い空を求めてここに来てしまいます。

s_hanabi23-1.jpg(5/25勝鬨橋脇より築地市場方面)

 

今年の夏は晴れの日が多く、そのせいなのか夕暮れが綺麗な日が多い気がします。

s_hanabi23-2.jpg(6/27勝鬨橋)

 

夕暮れって、太陽が沈んでから素晴らしいドラマになる時があります。

茜、オレンジ、ピンク、ブルー。予想もつかない光を放ったりするのです。

s_hanabi23-3.jpg(6/27勝鬨橋)

 

それが河畔だと、川面に光が映り感動が倍増もします。

隅田川越しに日の入りの方向が見られる、 佃・月島・勝どきからの河畔の夕暮れは、 特に綺麗な場所だと思います。

s_hanabi23-4.jpg(8/4佃より新川方面)

 

でも太陽が沈む方向だけが綺麗になるというわけではありません。

太陽が沈んだあとは、光が当たる雲が脇役から主役に代わったりするからです。

s_hanabi23-5.jpg(7/15隅田川大橋より永代橋方面)

 

さて今日はどんなドラマになるのか・・・

数十分の間ですが、刻々と変化していく夕空は展開が読めません。

s_hanabi23-6.jpg(8/9勝鬨橋脇より築地市場方面)

 

少し涼しくなった夕暮れ。いろいろな楽しみ方があると思います。

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(8/4佃より湊方面)

 

私は専ら、デジカメと携帯を持っての散歩。

 

写真はデジカメの夕焼けモードの設定にお任せです。でも時により携帯写真のほうが綺麗だったり。

 

夕暮れは、どことなく懐かしさが感じられる風景ですが、それは隅田川でも同じ。

都会の中での夕暮れは、むしろ懐かしさがより際立つような気もします。

 


もう少し暑さは続きそう。

また新たなドラマを求めて、夕暮れの隅田川を歩いてみたいと思っています。

 

 

 

◆ 佃島・住吉神社 の大幟柱掘り起こし

[隅田の花火] 2015年7月27日 09:00

今年、三年に一度の本祭が行われる住吉神社のある佃島。

 

佃小橋の上から佃掘を眺めると、下記注意書きが目に入ります。

『此の場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。佃住吉講』

 

三年に一度の本祭で立てられる、広重が描いたような大幟の「柱」とそれを支える「抱木(だき)」が、水中にタイムカプセルのように埋められているという。

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ここ佃島に来てこの注意書きを見る度に

「水中に埋めてしまって木は腐らないのか?」

とか

「今までは大丈夫だったけど今年は腐ってしまって無くなっていた、ということはないのか?」

とか思ってしまいます。

 

ということで三年に一回しかないこの柱と抱木の掘出しの作業。ちょっと興味があったので見てきました(7月5日(日))。

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当日はあいにくの雨模様となりました。

この掘り起こし、まずは埋められている木が見えてくるまで泥を掘る作業からとなりますが、泥に足を取られたりと見ているだけでもかなりハードな作業とわかります。

 
すると次第に埋められた木が現れ始め、それを取り出す作業に移っていきます。

木の取り出しはクレーンを使います。いったん堀の水で泥を落としたあと、橋上に吊り上げます。

それが何度も繰り返されます。

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一方、柱を立てる穴堀の作業が別で行われます。大幟は六本あり、六ヶ所で立てられますが、一か所につき三つの穴があけられる場所があらかじめ用意されています。

その穴をひたすら掘り進めます。

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抱木のパーツとなる木が取り出された後、6本の柱の取り出し作業となりました。長さは20m近くあるといいます。

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若い衆がその柱を運んでいきます。

この伝統的作業、引き継いでいくためには三年に一回という間隔はちょうどよいのかもしれません。

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そして最後に、大幟を立てるための抱木が組み立てられました。

s_hanabi22-7.jpgとうことで今回も無事、埋められた木が掘出され、大幟を立てる準備が整いました。

 

 

いろいろ調べてみると、木が腐るためには酸素が必要で、水の中に木を埋めるのは酸素に触れさせないという理屈らしい。

昔の人はこんな理屈は知らなかったと思いますが、経験からごく当たり前の知識だったのかもしれません。

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月島の西仲通り(もんじゃ通り)を勝どきの方にずっと歩いていくと「西仲橋」という橋があるのですが、この橋は昨年架け替えられました。

先代の橋の下には何十本もの松杭が埋め込まれ、地盤を強固にし橋を支えていたそうです。

架け替えの際にその松杭が腐ることなく掘出され、今はこの橋の脇に展示されていたり、木のベンチとして再利用されています。

s_hanabi22-9.jpgおとなり千代田区丸の内の、先代の「丸ビル」の下には何千本、「東京駅」の駅舎の下にも1万本以上の松杭が基礎固めとして使用されていたという話はご存知の方もいらっしゃるかもしれません。あの厳島神社の鳥居の下にも木杭が打たれているのだとか。

 

この松杭の話といい、住吉神社の大幟の柱の話といい、「木の力」そして「先人の知恵」には頭が下がります。

 

最近、東日本大震災で液状化が問題になりましたが、「木の力」を見直し、使用使途の無い「間伐材」を使用して杭として地中に埋め込み、液状化対策として使われはじめているのだそうです。

 

 

さて、住吉神社の本祭ですが、このあと26日にいよいよ大幟が立てられお祭りムードが高まってくると思います。

私自身、まだ大幟を見たことがないので非常に楽しみにしてます。

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◆ 2015 つきじ獅子祭 を終えて

[隅田の花火] 2015年7月 3日 18:00

 

6月中旬に行われた波除神社の「つきじ獅子祭」、神輿が町内をめぐる渡御祭を観に行ってきました。

ちょっと日が経ちましたが今回はそのお祭りについてのレポートです。かなりの盛り上がりとなりました。

  

6月13日のお昼過ぎに波除稲荷神社を出た波除の千貫宮神輿とお歯黒獅子は、まず築地場内に入場しました。今年は、「最初で最後」と言われる水神社とのコラボということで、水神社遥拝所の前で待つ水神社大神輿をお迎えするという形です。

s_hanabi21-1.JPG(築地市場内・水神社の前で始まりを待つ水神社神輿)

 

大盛り上がりの中、波除神社・魚河岸会の方からのご挨拶が終わり、いよいよ「最初で最後」のコラボの始まりです。

s_hanabi21-2.JPG(手前が水神社神輿)

 

場内はすごい人・人・人・波・波・波。

2つの神輿は人々の波に浮かんだ船のようにユラユラと。

 

ここ「築地」に対する人々の想いが爆発した瞬間だったような気がします。

 

 

その後、場外に出て各築地町内を巡った両神輿、夜になるまで熱気が冷めることなく担がれました。

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晴海通りに出て勝鬨橋とご対面。

築地市場の開場から5年後の1940年にできた勝鬨橋。翌日の6月14日に開通75周年を迎えました。

s_hanabi21-4.JPG勝鬨橋の開通の日は、ドイツ軍がフランスのパリを占領したその日なのだとか・・・。もうすでに戦争の渦に巻き込まれている、そんな時代だったのでしょう。

その後戦災を乗り越え、築地市場と勝鬨橋は日本の高度成長を支えて来ました。今でもトラックに載せられた沢山のお魚が、この勝鬨橋を渡り築地市場に運ばれて来ます。

 

神輿の列はその後、築地場外市場の区域に入り、波除神社の神輿はいよいよ宮入りを迎えます。立派な神輿です。

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そのあとを水神社神輿が続きます。もう9時になろうかという時間です。

s_hanabi21-6.JPG朝の早い築地。築地市場はこの日の朝も普通に開場していましたので、築地の方々にとっては長い1日であったのではないでしょうか。

 

そして無事、波除神社の神輿は水神社の神輿に見送られながら宮入りを終え、コラボも終了となりました。

s_hanabi21-7.JPG観ているだけでしたが感動的な素晴らしい渡御であったと思います。

 

 

その後水神社の神輿はしばらく波除神社の鳥居の前でたたずんだ後、余韻に浸りながら市場内に運ばれていきました。

そして水神社の前に到着。

s_hanabi21-8.JPG最後に魚河岸会の方からねぎらいの言葉がかけられ、水神社神輿の渡御は終了に。

 

祭りのあとの何とも言えない寂しさが漂う、そんな瞬間でした。

s_hanabi21-9.JPGこの鳥居の前にこの神輿が来ることはもう無いのでしょうか。

 

 

翌日。お歯黒獅子の宮入りです。「つきじ獅子祭」という名のお祭り。波除神社の前は沢山の獅子ファンで埋め尽くされました。

s_hanabi21-10.JPGまたこの日は子供が担ぐ子供神輿なども町内を巡り、見物客を和ませてくれました。

 

お歯黒獅子は女性が担ぐ神輿。女性は背が低いせいなのか、周りの群衆に埋もれてしまい、担いでいる人がほとんど見えません。

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そんな大盛況のなか無事、宮入りが終わったのでした。

 

 

さて、今年のお祭りは終わり、今はいつもの築地に戻りました。

市場が豊洲に移転するという来年はまたあわただしくなるのかもしれませんが、場外市場は築地に残ります。

その場外には市場移転前にオープンするという「築地新市場」が今まさに建設の真っ最中です。

 

この「築地新市場」ですが、仮の名前ということらしく、今なんとその名前を募集しています

 

http://www.city.chuo.lg.jp/kusei/keikaku/tukiji/tsukiji_name.html

 

募集は7月21日までということですが、これから新しく始まる築地をイメージしそうな大事な名前。

築地を愛する方、名付けセンスのある方、いい名前を是非付けていただけませんでしょうか。

 

 

 

◆ さくらんぼの季節 「ひがしねの季節」

[隅田の花火] 2015年6月19日 14:00

6月14日に開通75周年を迎えた「勝鬨橋」。そんな歴史ある橋を一台の江戸バスが通り過ぎます。ん?あれは?

s_hanabi20-1.jpg「ひがしね」の広告の江戸バスです。

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ひがしねと言えば「さくらんぼ」。

今年も「ひがしねの季節」がやって来ました。

 

山形県東根市は中央区の友好都市。果樹王国ということで、毎年さくらんぼの季節になると中央区で「さくらんぼ祭り」を開いてくれます。

  

さくらんぼ祭りでは、なんといっても「さくらんぼ種飛ばし大会」。今年も築地本願寺と月島西仲通りでの開催です。今週末です。

  

●今年の開催要項

http://www.city.chuo.lg.jp/kusei/kohokotyo/koho/h27/270601/06_10/index.html

 

昨年、私も行ってみたのですが、出遅れてしまったため着いた時にはすでに満員でした。

 

いままでの種飛ばしの記録は17m83cmだそうです。

 

この距離、だいたいどのくらいかというと、野球のバッテリー間の距離・ボウリングの投げる距離(18mチョット)。かなり長いですね。

 

昨年のミス中央のブログを見ると、種飛ばしのちょっとしたコツもあるみたいです。

●昨年のミス中央のブログ

http://chuo-kanko.or.jp/miss/2014/07/01/

 

中央区から記録更新となる飛距離は果たして出るのか・・・

ミス中央の華麗な種飛ばし風景は今年も見られるのか・・・

注目です。

 

東根市はこのほかにも夏の「大江戸まつり盆おどり大会」での特産品の販売、冬の「雪まつり」での雪の提供など、交流をさかんにしていただいている、中央区にとっても大事なパートナーです。

s_hanabi20-3.jpg(写真:今年の2月の雪まつりで。)

 

 

実は東根という場所は私にとって思い出のある場所。両親の田舎がそれぞれ東根の隣町であるため、子供の頃は夏休みになると帰省で毎年のように山形に帰っていました。

 

思い出と言っても東根については、おばあちゃんに美味しいお団子屋に連れていってもらった、という記憶しかないのですが・・・

いつ行ったのか?どこのお団子屋に行ったのかも覚えていません。もうたぶん35年以上前の話。初めて食べた「ずんだ」の味が衝撃的でした。

 

そんな東根市にこの春、超久しぶりに訪ねてみましたので、ご紹介します。

 

東根市は山形県の中央、やや東よりに位置し、町の西側には最上川が流れ、山々に囲まれた懐かしい風景が広がる町です。

とは言っても、最近では綺麗な道もたくさん整備され、山形県の中では発展が今なお進んでいる町と言えます。

s_hanabi20-4.jpg(写真:市中心部に程近い大森山山頂からの5月初旬の風景。左側の雪を被った山が「月山(がっさん)」。)

 

市内には山形空港があり、羽田から便が出ています。

また東京からは、高速道路が繋がっているのでマイカーで行くこともできますし、新幹線も「さくらんぼ東根駅」で止まります。

昔に比べ選択肢が増え、東京からも近くなりました。

 

新幹線が市内に入ると車窓からは時折、果樹畑の風景が飛び込んでくるので、東根市は「果樹王国」であることを実感します。

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6月はさくらんぼの季節。さくらんぼ狩りで賑わうほか、本家の種飛ばし大会が開かれたり、さらにマラソン大会まで開かれる、まさに「ひがしねの季節」です。

s_hanabi20-6.jpg秋になれば、りんごやラフランスなど、果物には事欠きません。それらを絞ったジュースもまたなかなか美味しくお勧めです。

 

東根でもう1つ名産をあげるとすれば、さくらんぼ東根駅と東根駅の間にある「六田地区」の麩(ふ)になります。

この六田地区は羽州街道沿いにあり、昔は小麦の栽培地だったことに加え水の綺麗な場所だったため、宿場であった江戸時代から麩の製造が行われています。

s_hanabi20-7.jpg今も六田地区には数件、麩の製造販売を行っているお店があります。麩を使ったお料理や生麩のスイーツを食べることができたり、麩の饅頭やラスク・かりんとうなどのお菓子などを売られているお店もあって、かなりの賑わいでした。

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東根には温泉もあります。その名も「さくらんぼ東根温泉」。足湯もあるので、ちょっとした一休みもできます。

 

その温泉街のはずれに・・・

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お団子屋がありました。

店の雰囲気は昔の記憶と全然違うのですが、その味に、「ここに間違いない」と納得したのでした。

 

中央区のこれからのいろいろなイベントで、東根市がまたいろいろな物産品を販売していただけると思います。さすがにお団子は無いと思いますが、もしかしたら、今回ご紹介した名産品もあるかもしれません。

今後のイベントで東根市のブースがありましたら、ぜひ覗いてみてくださいね。