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◆ 今年は歌舞伎を観てみたい

[隅田の花火] 2017年2月10日 09:00

 

昨年の秋、旅行に行った滋賀県の近江八幡。水辺のある風景や、古い商家が連なる街並みがとても綺麗なところである。

街を散策していて趣のある古具屋に立ち寄ると、店先に乱雑に置かれている冊子が。右から書かれている『歌舞伎座』という文字が目にとまった。

 

s_hanabi43-1.jpg歌舞伎座の興行の時に歌舞伎座で売られていたと思われる古い冊子。『昭和7年11月』と書いてある。かなり古いなぁと思いながらも、結構綺麗な保存状態であるのに驚いた。

 

歌舞伎座は東京の中央区にある。何だか特派員の私に向けて『買ってください』と言われているような気がして、値段を見たら500円、帰りの新幹線で読むことにした。

 

 

『9代目團十郎30年追遠興行・昭和7年11月』。

 

2013年に亡くなった市川團十郎は12代目なので、その3代前。台東区の浅草寺にある團十郎の像。この方が9代目である。

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昭和7年は西暦では1932年で今から85年前、関東大震災後の復興がほぼ終わりを迎え、次の時代に向けて歩み始めた頃である。

 

この興行は、9代目團十郎が1902年に亡くなられてから30年後の、1932(昭和7)年11月に行われた。

 

 

昭和7年の冊子をめくってみる。演目が書かれていた。

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実は私は観劇自体を殆どしたことがないので、歌舞伎についてはあまりよくわからない。「勧進帳」はなんとなくわかるが、「口上」って何だ??そんな情けないレベルである。  

 

 

わかるページをパラパラと探す。

 

歌舞伎座の中の各食堂のメニューの値段が書いてある。聞き慣れた店の名もある。 

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 コーヒー   ・・・15銭

 ソーダ水   ・・・20銭

 親子飯    ・・・70銭

など、いっぱい書いてあるが、一番高いメニューは竹葉亭の上蒲焼、2円だ。

 

因みに観覧席の値段。一番高い席は7円80銭、安い席は90銭。今となっては逆に想像が難しい。

 

 

歌舞伎座の建物写真や座席図も載っている。

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昭和7年頃、歌舞伎座の建物は3期目の建物でその後の空襲で焼けてしまった。この3期目の建物は真ん中に大きな破風屋根があったのが特徴だ。現在の建物は数年前に完成したタワービル併設の建物で5期目となる。

 

 

「9代目團十郎の功績」を解説した長文のページ。読むのに苦労したが、少し整理してまとめてみた。

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江戸時代、中央区にいくつかあった歌舞伎の芝居小屋は江戸末期の天保の改革で浅草に移ることになるが、この頃に9代目團十郎は生まれている。

 

明治の時代となり、守田座が今の中央区新富に戻ってくる。その後守田座が『新富座』と名を変えたのと同じ頃、1874(明治7)年に9代目團十郎を襲名。この頃にまだ歌舞伎座は無かった。

 

9代目團十郎の一番の功績は、演劇改良運動の一環で「活歴」と呼ばれる新しい劇に「挑戦」したこと。史実と異なる内容や演出を改めて、史実を尊重した脚本としたり、本物に近い衣装や小道具を使ったりする新しい劇に取り組んだ。

 

新富座の新しい建物が1878年にできるが、ガス灯のある近代的な建築であるこの新富座は、明治という新時代において演劇界の文明開化の象徴的な場所となるだけでなく、團十郎の挑戦を後押しする場所となり、歌舞伎興行の中心となった。

 

この新しい劇は歌舞伎の「活歴物」というジャンルになったが、実際のところ観客の評判はあまり良くなく、なかなかうまくいかないこともあった。

 

しかしこういった演劇改良運動は初の天覧歌舞伎に繋がり歌舞伎の社会的地位向上に寄与するだけでなく、さらには1889年の「歌舞伎座」設立にも繋がり、「団菊左時代」の一翼として明治期の歌舞伎界を盛り上げていくことになる。

 

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(現在の歌舞伎座の建物)

 

要は30年後の昭和7年に記念の興行が行われるような功績を残した凄い人だった、ということだ。

「9代目團十郎」というひとりの人間を通して歌舞伎の歴史を見てみると、断片的な知識が線で繋がったような感じでとても勉強になった。

 

 

 

でもなぜこの冊子は近江八幡にあったのだろう。

 

近江八幡は戦国時代に造られた水運の発達した城下町で、「近江商人」を生み出した商業の街。近江商人は各地に進出し江戸時代を通じて江戸の日本橋でも活躍していたようで、今の中央区日本橋にも近江商人をルーツとする企業が名を連ねているらしい。

 

そのような縁で東京見物で歌舞伎を観にきたのかも、と想像してみた。

 

 

昭和7年は銀座にこの建物が竣工した、そんな年であった。

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歌舞伎座のある東銀座からは歩いて数分。歌舞伎を堪能したあと、この冊子を手にしながら真新しいこの建物を目にしたのかもしれない。

 

 


少しだけ歌舞伎に興味が湧いてきた。

この冊子を見つけたのも何かのご縁。今年は歌舞伎座で歌舞伎を観てみようかと思う。

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(人形町にある勧進帳・弁慶の像)

 

 

5日の日曜日に早速、歌舞伎を観に行ってきた。

まずは無料で観られる『新富座こども歌舞伎』。この新しい歌舞伎の挑戦も今年で10年目を迎えたそうだ。

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(新富座こども歌舞伎・口上)

 

この活動に参加するこども達、かなりの「挑戦」だと思う。『新富座』の名に恥じない、こどもながらのプロ意識にとても感服してしまった。
 

 

 

◆ 築地の歴史と未来

[隅田の花火] 2017年1月 5日 16:00

2017年、良い初夢は見られましたでしょうか。今回はお正月らしいものをご紹介してみようかと思います。

 

一昨年の秋に、築地場内市場を歩いていたら本屋で「お魚かるた」というかるたを見つけたのですが、このかるたが面白い。

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築地市場は1935(昭和10)年に開場しましたが、このかるたは市場の開場当時の時代に作られました。その後散失してしまったようなのですが、20年くらい前に見つけ出されて、復刻版として販売された「80年前に子どもたちが遊んだかるた」です。

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(発売元は千代田区神田神保町の奥野かるた店)。

 

札をみると、その当時の世相が反映されている札もあったりしてたいへん興味深いです。

「ノ」:上る征途に勝男武士
「へ」:兵隊さんに上げたい太刀魚

 

日常に戦争が見え隠れする時代に築地市場は開場したことがわかったりする、ある意味、築地の歴史を知ることができる文化的遺産?です。

 

汽車が描かれている札がありますが、当時は汽車が市場に乗り付けて魚を運んでいました。今の場内市場の建物が扇形をしているのは、プラットホームをなるべく長くとる必要があった、という名残です。

 

 

 

そんな時代から80年。昨年は市場の移転問題という騒ぎとなったわけですが、その傍らで場外市場には昨年の秋に「築地魚河岸」がプレオープンしました。

 

年末に築地魚河岸に行ってみました。この建物の上から眺める築地場外の街はなかなかイイかも。大好きスポットになる予感です。

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いつもの年と同じく、築地の年末は大賑わい。市場移転後も「場外市場」はここ築地で賑わい続けていきます。

 

この築地魚河岸のとなりに建つ建物は歴史ある「看板建築」。新旧の建築が隣り合うことになりました。

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「看板建築」は、建物の正面が真っ平らな看板のようにデザインされた木造商店建築、とでも言いましょうか。関東大震災後頃から建てられ始めた建築です。
築地の街はその後の太平洋戦争の戦災を乗り越えたため、こういう看板建築が多く残っているのですが、いつの間にか壊される、というようなカンジで次第にその数も少なくなってきてしまいました。

 

この「看板建築」の名付け親は建築家・建築史家の藤森照信先生。

 

昨年の春に行われた先生の講演会「築地の歴史と未来」。この講演会では、築地界隈の昔の街並みの写真が映し出されたり、今まで何十年も築地の街を歩き見てきた先生のお話しもとても印象的で、築地の歴史を知る上でとても勉強になりました。

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先生は昨年夏に墨田区にある江戸東京博物館の館長に就任されたのですが、先生はこの看板建築の建物の保存にも尽力され、小金井市の「江戸東京たてもの園」に行くと、いくつかの看板建築を見ることが出来ます。

 

ジブリアニメの「千と千尋の神隠し」のモチーフとなった建物があるという有名なエリアに、かつて中央区新富町にあった銅板張りの看板建築「植村邸」が移築保存されています。

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この江戸東京たてもの園には看板建築の詳しい解説もあるので、ここで建物を見て少し勉強したあとに築地の街を巡ってみると、築地の街が少し違った風景に見えてきます。

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(築地にある宮川食鳥鶏卵の建物)

 

私が先生を初めて知ったのは、以前に聖路加礼拝堂の記事を書いた時に読んだ本「建築探偵の冒険・東京篇」の著者であったこと。1986年に書かれたの本なのですが、賞も受賞されている本で、江戸東京たてもの園では山積みで売られていたりします。

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この本にはいろいろな建物に関わる話が書かれていて、中央区でいうと、渋沢栄一の兜町の夢の街の話と聖路加国際病院旧館・礼拝堂の建物の話が書かれています。建築に関しては殆ど無知な私でも読めた本ですので、建築初心者でも楽しめる本です。

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(築地魚河岸の建物から遠くに見える聖路加国際病院)

 

 

築地の市場にはこれからもたくさんの方がいらっしゃると思います。

ですが築地は市場だけではなく、建物の歴史の詰まった街でもあったりします。「市場で楽しんだ後は建物巡り」なんていうのも違った楽しみ方です。 

 

市場から築地本願寺の建物を見に行ってみるのも良いですし、

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(築地本願寺・1934年築の重要文化財)

 

築地六丁目あたりの街を看板建築を探しながら散策して、聖路加国際病院のある明石町まで足を延ばしてみる、なんていうのも面白いかと思います。

 

この建物は1933年築の聖路加国際病院旧館(聖路加国際大学)の建物です。

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1990年代に、聖路加のタワービルや新館が新たに建てられましたが、そちらへの病院の機能の移転もあり、その時にこの建物も一部改築がされました。

 

建物の正面から入ると、奥の2階にある礼拝堂(チャペル)へと続く廊下があります。

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奥にあるチャペルは1936年築でたいへん荘厳で素晴らしいのですが、この旧館1階も面白い。

 

この廊下には何故か、チャペルだというのに大黒様や恵比寿様といったお正月っぽい立派な額が掲げられています。

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それはこの建物の歴史に理由があったりするのですが、答えを書いてしまうのはちょっともったいない。

先程の本はこの建物の改築前の時代に書かれていますので、本の中に答えが書いてあります。

 

ご興味のある方は是非読んでみてください。

 

この旧館1階は聖路加国際病院の理念みたいなものが凝縮されている場所となっており、本を読んでから行くと結構見ごたえがある所だと思っています。

 

 

さて、2017年の築地市場。移転時期はまだ未定なので、もしかしたら来年のお正月も市場は移転していないかも知れません。

移転してしまうことは少し寂しいですが、楽しみにしていることもあります。

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今年は隅田川の「築地大橋」、渡ることができるようになるのでしょうか。東京の未来に繋がる橋。早く渡ってみたいです。

 

 

 

◆ もんじゃ通りで東根芋煮

[隅田の花火] 2016年12月 2日 18:00

 

27日の日曜日、築地に程近い明石町の隅田川河畔を歩きました。先日、東京にはまだ11月だというのに雪がぱらつき、一気に寒くなって参りました。

今日も寒空。寒いので、あの佃大橋で月島に渡り、山形の芋煮を食べて暖まろう、ということに。

 

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今日は、月島のもんじゃストリートで「山形県東根市・河北町観光物産フェア」が開催されるその日。毎年恒例となってきました。美味しい芋煮が食べられる、楽しみにしているイベントです。

 

明石町から佃大橋を渡ります。ここから見える明石町河岸の晩秋。とても色鮮やかで綺麗でした。

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橋を渡って月島の西仲通り商店街にたどり着きました。「もんじゃストリート」として有名な商店街です。

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お~ぅ。やってるやってる。今は、りんごやラフランスの季節。

「りんご積みチャレンジ」。4個積み重ねて割引券をもらっちゃいました。

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山形県の東根市は中央区の友好都市の町で、今年は友好都市となって25周年という記念すべき年だそうです。

6月頃はさくらんぼが実る季節で、とても魅力的になる町ですが、それだけでなく「おいしいもの」が一年中満ち溢れている、美味しいもの好きにはとてもたまらない町なのであります。

 

わぁ~~。山形名物の「玉こんにゃく」だぁ。

s_hanabi41-5.jpg懐かしいです。私の両親は山形県出身なので、玉こんにゃくはおふくろが作ってくれた「懐かしの味」。なんだかとても「温まり」ました。

 


そして今日のお目当ての「芋煮」。

山形の芋煮は、「芋煮会」というイベントで河原などに大勢の人が集まって大きな鍋で作られます。

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「サトイモ」を使う鍋料理なのですが、ただのサトイモ汁だと思ってはいけません。

醤油ベースの味つけでゴボウやキノコ、こんにゃくも入るのですが、肉は必ず牛肉が使われる、意外とゴージャスな郷土料理です。

家で作るとなかなかいい味が出なかったりするので、大きい鍋で作る芋煮はやっぱり美味しいです。

 

しかも今日の東根の芋煮は、東根特産の「麩(ふ)」入り。味がしみ出てとてもおいしく、「おかわり」してしまいました。

 

月島にお住まいの何人かの方が、自分の家の鍋を持ってきて慣れた感じで買われていたのがとても印象的でした。月島の方はもうこの美味しさをわかっていらっしゃいます。

 

東根の「六田地区」の麩が美味しいことは地元山形でも有名。東根の名産品となっています。

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山形は豆菓子も美味しいところ。全国的には「でん六」さんが一番有名でしょうか。

これは「富貴(ふうき)まめ」という、青えんどう豆を柔らかく煮たお菓子。ほっくりとした食感がたまらない一品です。

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ということで、何だかいっぱい買いすぎてしまいました。 

 

 

来年は、酉年なんですねぇ。。

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これは、東根の隣町の「河北(かほく)町」のブースで売られていた工芸品。河北町名産の「紅花」で手間をかけて染められた布を使った、色鮮やかで贅沢な作品です。 

 

河北町は江戸時代に最上川の舟運で京や大坂に「紅花」を送り出した町。今は「紅花資料館」がこの町にあって、昨年6月には天皇皇后両陛下が東根でさくらんぼ狩りをされたあと、この紅花資料館にも立ち寄られたということです。

 

ということで、芋煮とか、玉こんにゃくとか、何となく月島の町に似合っているイベントでしたが、これからもこういう交流が続いてほしいと思いました。

 

 

 

◆ チャリで晴海大橋

[隅田の花火] 2016年11月13日 14:00

11月3日の秋晴れの文化の日。久し振りに京橋図書館に寄った帰りに、ふと見た自転車置場。ここにもコミュニティサイクルがありました。

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導入から一年以上が経ちましたが、途中、近隣区との連携もできるようになり、ますます便利になりました。

気持ちの良い天気なので、少し遠目ですが、夕暮れ時の晴海大橋に行ってみようと思い自転車を借りてみることに。

まずは充電状況を確認。この確認を怠るとエライ目にあうことがあるので、結構大事です。

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築地の町を抜けて晴海通りに出て勝鬨橋を渡り、晴海大橋の手前の交差点まで来ました。ここから橋まではまだ少し距離がありますがここが運命の分かれ道。

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晴海大橋は晴海埠頭と豊洲埠頭の間の晴海運河に架かる、500mを超える長い橋。江東区豊洲方面への車線道と中央区晴海方面への車線道が完全に二つに分断されているので、「二つの橋」が隣り合っているようにも見えてしまう、ひとつの橋です。

高さは25m弱あり、橋上からの景色は抜群なのですか、この「二つの橋」から見えるそれぞれの景色は全然違うので、どちら側を選ぶか、この交差点は運命の分かれ道だったりするのです。

 

夕暮れが近いので、夕暮れ時のレインボーブリッジが見えるだろう側を選択。進んでいくと橋が見えてきました。

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自転車だとここからがたいへん。おそらく中央区で一、二を争う急坂が待ち受けています。

 

でも、ここからがこのチャリの本領発揮。このチャリは、「電動アシスト自転車」なので、電気の力でスイスイと登れてしまうのです。

しかも歩いて渡ると10分以上はかかる橋なので、このチャリはとても快適なのであります。

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橋の上からは、まだ未開通の環状2号線が通る「豊洲大橋」、そして今話題となってしまっている「豊洲市場」が見えます。

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晴海運河の豊洲側の散策テラスは既に出来上がっているように見えるのですが、まだ歩くことはできないようです。豊洲市場の延期に合わせ、こちらも延期になってしまったということなのでしょうか。

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ん~。心地よい日射しなのですが、逆光だったぁぁ。レインボーブリッジが見えるのですがちょっと見えづらい時間帯でした。

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橋の二つの車線道の間にはもうひとつ道路を作るための空間がわざわざ作られています。今その空間に高速湾岸線から繋がる「首都高速晴海線」を作る工事が真っ最中です。

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豊洲には既に出入口ができていますが、この工事を終えると晴海線は豊洲から晴海運河を渡り、晴海埠頭まで繋がることになります。

晴海埠頭には東京オリンピックの選手村ができますので、首都高が選手村に直結するイメージです。

 http://www.shutoko.jp/ss/tokyo-smooth/harumi/seibikouka.html

さらにこの晴海線は隅田川を地下で渡り築地場外市場の下を通って環状線に繋げる壮大な計画があるようなのですが、実現するのかは不透明です。

 

 

レインボーブリッジ側はちょっと景色が残念だったので、橋を渡りきり、反対側の車線道に行ってみることに。

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こちら側からは、江東区豊洲のららぽーとが正面に見える場所になっています。豊洲の街並みがとても綺麗です。夕陽の光が当たる、とても良い時間帯でした。

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橋の途中にはテラスのような空間が用意されていて、船が行き来する晴海運河や豊洲の街並みを、のんびり眺めることもできます。

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遠くにはスカイツリーも。解放感がありとても気持ちが良いのでジョギングをしている人も多くいらっしゃいました。

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自転車をおりて、晴海埠頭側のテラスに出てみることもできるので、水辺に近づいて歩いてみるのも良いかもしれませんね。

 

この晴海大橋からの景色ですが、「夜景」もとても綺麗でオススメです。

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この写真は昨年秋のスーパームーンの日の夜景。月明かりをとても明るく感じることができました。
今年のスーパームーンは11月14日(月)だそうです。

 

 

 

◆ NHKアニメ「3月のライオン」中央区探訪

[隅田の花火] 2016年10月 5日 09:00

この前の9月終わりの日曜日の午後、久しぶりに晴れ間が見えたので、散歩に出てみることに。

せっかくなので、10月8日から始まるNHK総合の深夜アニメ「3月のライオン」の舞台になるのではないかと思われる、東京中央区の新川地区や佃辺りを歩いてみました。

 

この「3月のライオン」のお話はマンガ本で出ていて、実はまだ読んだことはないのですが、中央区の隅田川界隈、特に佃島の辺りの風景が綺麗に描写されていることは噂では聞いていました。アニメ化されると聞き、どのように描かれるのか、少し楽しみにしているのであります。

 

今回は、歩いてみたところをそのままご紹介してみたいと思います。

 

まず、八丁堀駅のB4出口脇にある、「高橋(たかばし)」からスタート。

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この橋は「亀島川」という川に架かる橋ですが、下の写真は高橋から見た下流側の風景。「南高橋」が架かっているのが見えます。その向こうには水門越しに隅田川があって、後ろには佃の高層マンション群が見えています。

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この佃の辺りまで歩いていきます。

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あれ?こんなところに河川テラスってあったかなぁ?

s_hanabi39-4.jpg「亀島川緑道」という、最近できた河川テラスでした。かつて、水運が盛んであった頃の大動脈だった「亀島川」や「日本橋川」には今までこういうテラスはほとんど無かったので、何だか嬉しいですね。

橋のライトアップもあるので、夜景も綺麗かもしれません。

 

 

南高橋を渡ったあと、隅田川に出ました。水辺が広くてとても気持ちの良い場所です。

この亀島川の河口付近はかつての江戸の港。「いかり」をモチーフにしたモニュメントが飾られています。向こうに見えるのは隅田川下流の「佃大橋」です。

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佃の方を見てみると、高層マンション群。その手前に風変わりなものが見えてきます。

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これは、「霊岸島水位観測所」という施設。明治初期、まだここは埋め立てもなく隅田川の河口だったところで、その頃にこの辺りで東京湾の平均水位が測られ、日本の海抜の基準となりました。

今の施設は36mほど下流に移されたものです。

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「中央大橋」を使って隅田川を渡り、佃にやって来ました。橋の下からは、上流の永代橋とスカイツリーが顔を覗かせます。

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隅田川のテラスを下流の佃大橋の方に歩いていくとスカイツリーがこんなふうに見える場所もあるんです。

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隅田川はたくさんの船が往来します。この辺りはかつて、石川島と呼ばれていた場所です。

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この女の子の銅像の後ろには、江戸幕末の頃に作られた和式の灯台「石川島灯台」のモニュメントが建てられています。

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「住吉小橋」を渡り、佃島のエリアに入ります。住吉神社の鳥居をくぐり、境内に入ると子どもを従えた狛犬にお出迎えされました。

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住吉神社は、宝探しのように境内を隅々まで見ていくと、いろいろなものにめぐり会えるのでとても面白い場所です。 

 

 

というか、このノスタルジックな佃島自体が宝島。

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佃煮の老舗や、狭い路地裏、銭湯の煙突、今も使われている井戸のポンプ、親子連れがはぜ釣りをする風景など、昭和の香りが色濃く残る街並みです。

ゆったりとした時が流れるこの場所、くまなく歩けば何か心に残るものがきっと見つけられると思います。

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「3月のライオン」は今回のアニメ化だけでなく、来春には実写版の映画も封切りされるとのことです。

とりあえず10月8日(土)の夜から始まるアニメを見てみようかと思います。

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◆ チリ海軍帆船「エスメラルダ」晴海寄港

[隅田の花火] 2016年9月 6日 09:00

8月の終わり、晴海に世界最大級の帆船が寄港しているということを知り、27日(土)に見に行ってきました。

 

小雨混じりの残念な天候であるにも関わらず、船の内部が一般公開されるとあって結構な人手。「帆船」の内部を見るのは初めてということもありとても楽しみでした。

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この船は南アメリカのチリ海軍の練習船で、名前は「エスメラルダ」。エメラルドという意味らしいですが、その優麗な姿から「白い貴婦人」とも呼ばれているそうです。

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帆船なので、やっぱり背の高いマストが印象的。この船には4本のマストがあり、高さは49メートルもあります。

特徴としては、一番前のフォアマストだけ横帆を張るための横棒がついていて、あとの3本は縦帆なので横棒がついていないところ。日本丸や海王丸とは違うところです。

 

 

甲板に上がってみました。所々にロープが横たわっているのが帆船らしいところ。床は木でできています。甲板の船首の方は、それなりの傾斜もありました。実際に甲板に上がってみないとわからないところですね。

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甲板の後ろの方には、触ると壊れてしまいそうな感じにも見える操舵輪。手前のベルは船鐘です。

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この船での使われ方はよくわかりませんが、操舵輪が甲板の後ろにあるのは、帆に当たる風を見て舵をとるからだそうです。

また船鐘は、船上に時刻を知らせたり、警鐘として使われたりする、船の意志を伝えるものです。もし船に魂があるとしたら、この船鐘に宿るのだとか・・・

 

 

その甲板からさらに階段を上ったところにある「ブリッジ」。中を見てみたいなぁ、とジロジロ覗きこんでいたら、中に入れてくれました。

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それほど広くはない空間ですが、一番感動したのは木の古い質感というか、木のぬくもり感。

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この船は1954年に就役という、60年以上の船。何だかこの船の歴史みたいなものが感じられて、とてもいいものを見させてもらいました。

 

若者が多くみられたこの船。チリ国人だけでなく日本人も含めた様々な国の男女300人以上が乗り込んでいるそうです。

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6月にチリ国を出港、7ヶ月間かけて練習航海をしながら親善を兼ねて使節団的に世界各国を周っています。今回の東京への寄港は9年ぶり。

チリ国に帰国するのは来年正月明けのスケジュール。長い航海ですね。次は韓国だそうです。

 

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帆を張るのは風の安定する外海で行われるのでしょうが、青い空の下で白い帆を張って進むこの船をいつか見てみたいものだなぁと思いました。

 

 

 
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