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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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築地本願寺に行ってきました!(動物探しのツアー)

[株式会社 彦晴] 2017年12月 8日 14:00

築地本願寺に行ってきました!皆さんもご存じの通り、現在の築地本願寺の本堂は、1923年(大正12)の関東大震災で焼失した後に1934年(昭和9)に再建されたものです。設計は東京帝都大学名誉教授伊藤忠太博士によるものです。この秋には境内整備が終了し、本堂正面左側にあった石碑類が新大橋通り側に移設されて、その跡地にカフェ&ブックストアを併設したインフォメーションセンターが新設されました。

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本堂へ真っすぐ進むと、そこには羽根の生えてライオンが私たちを迎えてくれます。本堂の外見は「古代インド様式」

の石造りとなってます。

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エントランスには幾何学模様のタイルと大理石の柱、扉の上にはステンドグラスが目に入ってきます。これだけを見ているとここが「お寺」だったことを忘れてしまいます。

本堂内は、桃山様式と言われていますが、シャンデリアがあったり、パイプオルガンがあったりでお寺の荘厳な雰囲気だけではなかった。また本堂の片隅にはX JAPANのhideさんの祭壇が設けられていて今でも世界各国からファンの方がお見えになるそうです。(hideさんの葬儀は築地本願寺であったそうです)

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また、本堂の4本の柱には四神の彫刻がありました。

左から青龍・朱雀・白虎・玄武です。

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本堂2階から1階に下がる階段付近には、たくさんの動物たちが私たちを楽しませてくれます。

左から、鳥、猿、像です。これは「物事は全体を見渡すことが重要」という仏教説話「三畜評樹」をあらわしていると言われています。

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左から牛、獅子、馬です。このようにたくさんの動物の彫刻が私たちを楽しませてくれます。

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それから鐘をつるしている鳳凰、(この鐘はいつ鳴らすのだろう?使用しているのか?と考えていたら、法要が始まる前に実際に鳴らしていました。音は本堂のどこにいても聞こえるくらいに響いていました)そしてグロテスクと呼ばれる珍獣がいます。グロテスクからは舌が伸びて、階段の手すりとなっています。なんと伊藤忠太博士は「妖怪研究」という本も出版しているそうです。博士は遊び心があった人だなあと感じました。

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そして最後の1枚は像2匹が梁をささえている写真です。皆さんも築地本願寺で"動物探し"チャレンジしてみてください。

 

 

築地市場に行ってきました!

[株式会社 彦晴] 2017年11月27日 12:00

築地市場へ行ってきました。「築地」とはだれもが知っているように海や沼などを埋め立てた土地のことである。1657年明暦の大火により、日本橋横山町にあった「江戸浅草御坊」が消失し、その代替地として幕府から下付されたのが八丁堀の海上、その海を埋め立てた土地が築地のはじまりである。簡単に書くと築地は寺町・武家屋敷⇒海軍⇒中央卸売市場へと変換していったのである。

 

そして現在では、"TSUKIJI"言えば世界的にも市場の街として有名である。今回はそんな街のレアの情報探しの街歩きとなりました。

 

この築地には日本初のホテル「築地ホテル館」があったことは有名ですが、案外知られていないのが現在、築地市場場内に宿泊施設があることです。その名は「築地市場厚生会館」です。場所は勝どき門口のおさかな普及センター資料館の右隣の位置となります。マグロのせりの見学などの参加する人のご利用が多いようです。

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こちらの写真は場内市場です。海幸橋門を入り魚がし横丁を目指します。最初に紹介したいのが「茂助だんご」です。童謡「だんご三兄弟」のモデルとなったお店です。作詞をしたメディアクリエーターの佐藤雅彦さんが贔屓にしているだんご屋さんとのことです。

右の写真は皆さんよくご存じの吉野家築地1号店です。創業は日本橋の魚河岸で明治32年です。屋号の「吉野家」は創業者松田栄吉氏の出身大阪吉野町から名づけられたそうです。

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場内市場には本屋さんはもちろんのこと図書室まであります。そのほかにも診療所や歯科医院もあり少しびっくりしました。

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そして場内市場と言えば、貨物車両やターレが走る活気ある景色です。場内はトラック、フォークリフト、ターレが所狭しと走っています。ある意味本当に危険なので十二分に注意を払う必要があります。やはりなんと言っても、一番目につくのがターレットトラック通称ターレです。このターレ、小回りが利きます、狭いスペースでも回転が可能です。なんと最大積載量は1000㎏だそうです。現在ではほとんどのターレが充電式のモーターが動力となっており音もとても静かです。もちろん小型特殊自動車として登録すれば公道も走ることが可能です。今回は整列したターレが充電する写真も撮ることができました。(柱から配線が各ターレにつながり充電しています)また、一番下にある写真は正門の詰所横にある拾得物掲示板です。(今日の落し物は電話子機、生カキ、くじらベーコンと記載されていました。仕入れたばかりの食材をターレで運ぶ際に落としてしまったのでしょうか?築地市場ならではの話です。もっと不思議なのは電話子機です。事務所で使っていた子機を外に持ち出し落としたのでしょうか?う~ん、それしかない!)

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また、築地場内には都バスが停留所があります。ですからトラック、ターレと同じ場内の道をバスが走っているのです。そのバスはJR新橋駅から築地中央市場行き(循環)市01系統です。平日、新橋駅始発5:02と早いですが築地市場最終も都内23区なのに17:20とメチャクチャに早いので注意が必要です。それに日曜・祝日の運行はありません。これは築地市場利用のお客様&関係者専用バスと言っても過言ではないでしょう

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それはさておき、1935年築地市場開場と同時に汐留駅・東京市場駅の間に貨物線が開業しました。築地市場が扇型をしているのも鉄道の長いプラットフォームを敷地内に確保するためだったといわれているのは周知の事実です。その引き込み線の証拠となる踏切跡も見てきました。こちらは住所では銀座8丁目となるそうです。

右の写真は築地市場の青果門より引込線のあった朝日新聞社横の通りを撮ったものです。踏切跡はこの先にあります。

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そして、最後の1枚は波除神社の紅葉し始めた枝垂れ銀杏です。

きっと三の酉の頃には、もっときれいな黄色となっていることでしょう。

 

 

 

佃へ行ってきました!

[株式会社 彦晴] 2017年10月31日 14:00

台風一過で久しぶりに天気がよかったのでぶらり、佃へ行ってきました。

現在の佃は江戸時代の石川島と佃島が起源となっています。

今日は旧佃島、現在の佃1丁目付近をぶらぶらとしてきました。

皆さんもご存じのとおり、佃島は摂津国西成郡佃村の名主森孫右衛門に従って

江戸に下った漁師たちが築いた島です。

 

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住吉神社は1646年に摂津国西成郡佃村の住吉神社を分社したことにはじまります。

 

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住吉神社の陶製扁額と水盤舎はみどころのひとつです。

扁額は有栖川宮幟仁親王の染筆によるものです。

また、水盤舎の欄間部分には帆をはった回船や潮干狩りの風景など、

佃島の風景が彫られています。

 

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水盤舎の水盤の背面には「天保十二年 丑正月 白子組」と刻まれています。

住吉神社陶製扁額・水盤舎どちらも区民有形文化財に登録されています。

また、住吉神社の境内には五世川柳・水谷緑亭句碑があり、「和らかでかたく持ちたし

人こころ」の句が刻まれています。

 

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住吉神社の鳥居をくぐり隅田川方面に歩くと佃島渡船場跡の石碑が目に

入ってきます。渡船は昭和39年に佃大橋の完成で廃止となりました。

近くには江戸時代から続く3件の佃煮屋さんが今でも営業しています。

 

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佃島渡船場跡の隣には佃まちかど展示館があり、獅子頭や神輿を

見ることができます。

 

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住吉小橋を右手に旧石川島方面を見ると石川島灯台跡を確認することが

できます。また住吉水門をまじかに見ることができます。

水門は通常、船舶の出入りのため開放していますが、高潮、津波時には

閉鎖され地域の住民の生命・財産を守るそうです。

 

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佃を歩いていると、現役の井戸がいくつかありました。

そして佃小橋です。佃小橋には住吉神社の大祭で使われる大幟の柱が腐敗

防止のために川底に埋められています。白い看板には「此の場所には

江戸時代後期寛政拾年(一七九八年)徳川幕府より建立を許された

大幟の柱・抱が埋葬されておりますので立入ったり掘り起こしたり

しないでください。 佃住吉講」と書いてありました。

そして、最後の写真は佃小橋の背後にそびえたつ「リバーシティ21」の

高層マンション群です。この情緒ある佃の街並みにマッチしているのか?

していないのか?私にはよくわからなかった。・・・

 

 

 

人形町に行ってきました!

[株式会社 彦晴] 2017年8月30日 09:00

人形町に行ってきました!

 

知っている人も多いかと思いますが"人形町"という正式な地名の歴史は浅いです。「人形町は、現在三丁あって、水天宮の電停から北北西の方向に堀留町にいたる都電路線の両側を占めており、正しい町名としては、昭和八年住吉町、堺町、新和泉町、芳町、元大阪町、蛎殻町、松島町の一部をまとめて起立されたのである。しかし水天宮とともに、人形町の呼び名は、ふるくから有名であった」『中央区史』より

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水天宮前交差点よりの水天宮(安産と水難にご利益があるといわれ、戌の日には多くの参拝者で賑わいます)

 

そして、人形町の発展に大きな要因となったのは明治5年に蛎殻町の有馬候中屋敷に芝赤羽橋有馬候上屋敷から水天宮が移ってきたことにある。そして水天宮の門前町として発展していったのである。

 

「毎月一日・五日・十五日・戌の日に月次祭を行うが、初水天宮・例大祭(五月五日)・戌の年戌の日には遠近より来り詣でる人々多く繁華雑踏を呈するが、その繁昌ぶりは他にその比を見ないといわれる。神楽七十五座や地元有志の余興が奉納され、境内外には縁日がところ狭しと立ちならび、参詣者陸続としてつづく盛況は都下の一異観であった」『中央区史』より

 

しかし大正震災の後は各地に新興商店街が誕生し、発展したり百貨店の繁栄が人形町を衰退させていた。戦後においても、一般的に社寺は振るわなかったため、水天宮も同じく現代のような注目されることはなかったのです。

 

さて、時代の移り変わって2017年人形町は素晴らしい街へと変貌しました。

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地下鉄日比谷線のA1・A2出口から地上に上がると人形町通りを挟んで2台のからくり時計が訪問者を迎えてくれます。

 

人形町と言えば、甘酒横丁、蛎殻銀座跡、西郷隆盛屋敷跡、谷崎潤一郎生誕の地、日本橋七福神、玄次店などが有名ですね。今回は水天宮前交差点から甘酒横丁交差点までにスポットを当てて街歩きしてきました。

 

水天宮交差点は三原堂本店と重盛永信堂が人形町通りを挟んで立っております。重盛の人形焼き・ゼイタク煎餅は人形町土産としてとても有名です。三原堂のどら焼き・豆大福もとても人気がありますが、私が個人的にお薦めするのは塩せんべいです。絶妙な味付けで後を引きます。人形町通りをそのまま甘酒横丁方面に進み、右手からニッキの香りが漂ってきたら、寿堂に到着です。ニッキの香りの黄金芋は人形町の名物です。そのまま道なりに進むと右手に玉英堂があります。玉英堂のとらやきが有名ですが、私は"玉饅"をお薦めしたいです。饅頭が5層からできていて見た目も楽しめて程よい甘さがとてもよいのです。また玉英堂の現在立っている地に"尾張屋"という甘酒屋があったことが甘酒横丁に由来することも有名です。

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三原堂本店 重盛永信堂 寿堂 玉英堂

 

その玉英堂を右折すると甘酒横丁です。甘酒横丁を直進すると明治座へと繋がっています。この甘酒横丁には、つづら店や三味線・ばちなどなどを扱う楽器店などの老舗がいくつもあります。また甘酒横丁を右折して少し進んだ右手には

鯛焼きで有名な柳屋もあります。しかし今回は右折しないで左折してみることにしました。

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するとすぐ目に入ってくるのが、"谷崎潤一郎生誕の地"の石碑です。谷崎潤一郎は、明治19年この地にあった祖父の家、谷崎活版所に生まれたそうです。なおこの石碑の書は谷崎潤一郎夫人の松子さんによるとのことです。

 

その先にあるのは日本橋小学校です。現在リノベーション工事中でした。ここは西郷隆盛屋敷跡として有名です。江戸時代にはこの地は姫路藩酒井家の下屋敷となっていました。また、明治6年の沽券図には「蛎殻町一丁目壹番 二千六百三十三坪 金千五百八十六円 西郷隆盛」との記載が残っています。

西郷隆盛はこの地には明治4年より明治6年までの2年間のみの滞在となります。明治六年の政変にて鹿児島へと戻り、明治10年西南戦争を起こして自害をすることになるのです。

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また、人形町にはこんな路地が残っていて下町情緒を感じられます。

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最後に日本橋七福神の二社を紹介して今回のブログを終了しようと思います。

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    茶ノ木神社         松島神社

 

茶ノ木神社 「この地には下総国佐倉藩堀田家の中屋敷があり、その守護神として祭神を祀った。神社の周囲にぐるり植え込まれた茶ノ木が、名称の由来と伝わる」『中央区物知り百科』より(日本橋七福神の布袋尊)

 

松島神社「松島町にあり、創祀の年月は元享以前と伝えられ、神霊は天正十三年吉見兼見の勧請するところであるという。保食神を祀る、住吉この辺が海洲であったころ、海中に松樹ある小島があった。島の祠を俗に松島稲荷と称したのだという。正徳三年この地が町地になった際、とって町名とした」『中央区史』より また松島神社は毎年酉の市が開催されることでも有名であり、社はビル1階部分に組み込まれています。(日本橋七福神の大国神)

 

今回は人形町の一部分にスポットを当てブログを書きましたが、まだまだ人形町の魅力について書ききれておりません。今回触れることができなかった、蛎殻銀座跡や大門通などについても別の回にて記載してみたいと思ってます。

それにしても、人形町は歴史・文化においてとても内容の深い街でした。

 

 

日本橋サンキュー(39)神社巡り!!

[株式会社 彦晴] 2017年7月 6日 16:00

その日は、暑かった。今日は休みブログでも書いてみるかと思った。しかしブログを書くためには何かネタが必要だなと考えた。以前から気になっていた日本橋のたくさんの神社に光を当ててみることとした。ルールは簡単、日本橋地区にある神社をできるだけお参りしまわる。(ただし自転車OK) そうと決まれば中央区図書館へ「中央区沿革図集」をコピーして東京駅からスタートした。

 

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①豊川稲荷神社      ②大原稲荷神社     ③鳥居稲荷神社

豊川稲荷神社は東京駅八重洲口の飲食街の路地の中にあります。通常でしたら何気なく通り過ぎているかも

 

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④純子稲荷神社      ⑤日枝神社摂社     ⑥明徳稲荷神社

明徳稲荷神社は日枝神社摂社内に合祀されています。

『日枝神社兼務社。昭和五年六月から産千代稲荷社を合祀』(「中央区史」より)

 

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⑦兜神社         ⑧小網神社       ⑨銀杏八幡宮

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⑩茶ノ木神社       ⑪明星稲荷神社     ⑫高尾稲荷神社

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⑬永久稲荷神社      ⑭水天宮        ⑮松島神社

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⑯末廣神社        ⑰三光稲荷神社     ⑱富澤稲荷神社

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⑲初姫稲荷神社      ⑳池洲稲荷神社     ㉑岩代稲荷神社㉒出世稲荷神社

初姫稲荷神社は富澤稲荷神社の境内社として祀られています。

岩代稲荷神社と出世稲荷神社も合祀されています。なんとアパートの敷地内に建っています。

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㉓椙森神社        ㉔宝田恵比寿神社     ㉕千代田神社

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㉖竹森神社        ㉗玉尾稲荷神社      ㉘笠間出世稲荷神社

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㉙初音森神社      ㉚川上稲荷神社       ㉛矢ノ倉神社

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㉜元徳神社㉝綱敷天満神社 ㉞笠間稲荷神社      ㉟久松稲荷神社

『~略~元徳稲荷神社に同じ町内に祀ってあった学問の神である天神様(綱敷天満神社)を

合社いたしました。神学の神、産業、商売繁盛、火伏せの神としてのご利益も

伝えられています。』(「元徳稲荷神社と綱敷天満神社の由来記」より)

 

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㊱濱町神社        ㊲金刀比羅宮       ㊳大廣神社

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㊴浜町で見つけた名もない祠

 

今回の神社巡りを通して、江戸時代の神仏に対する信仰の念は現代の私たちにが想像する以上に熱心であったことが再確認できた。今回取り上げることはできなかったがビルの屋上でひっそりと私たちを見守っている神社も中央区にはたくさんあるのです。そしてビルの中や路地裏に追いやられた神社でも地元の人々に守られて現代そして未来と繋がっていってもらいたいものです。

 

それから最後に、神社を簡単に見つける方法がわっかたのでそれについて記載してブログを終了しようと思います。

それは、"常に色を意識して街歩きする"ということです。

(1)赤または白 幡を探す

(2)緑 ビルや建物の街並みの中に緑(植物)を探す

こんな簡単なことですが、神社巡りをする方は是非実践してみてください。

(ただし、赤の幡を探すでは"大安売り"の幡には気を付けてください。)

 

 

 

築地に行って来ました!

[株式会社 彦晴] 2017年6月 7日 09:00

築地へ行って来ました。築地と言って、やはり外せないないのは波除稲荷神社です。

「つきじ獅子祭」には、まだ少し早いけど茅の輪くぐりをしてお参りしてきました。

境内は枝垂れ銀杏の新緑がとても鮮やかです。

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波除稲荷神社の天水鉢と獅子頭は区民有形民俗文化財となっております。

 

『民衆の間における神仏に対する信仰の念は頗る盛んで、盂蘭盆会・彼岸・灌仏・涅槃会・宗祖の忌日にはいたるところ寺詣の雑踏をみ、神仏の開帳、開龕などいうことも盛行した。ー中略ー 何々講と称する信仰団体を組織して、神社仏閣巡拝し、祈祷神学を捧げ、あるいは社前に鳥居・燈籠・幟石・天水槽などを奉納する風も頗る盛んで、これがまた商家の宣伝にもなった。「中央区史」より』

波除稲荷神社の天水鉢も一つの例として「中央区史」に記載されています。

江戸の先人たちには現代人の我々にはない神仏に対する信仰の念と見栄と意気があったのでしょう。

 

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それから、浴恩園の跡地にある日本海軍発祥の地「旗山」の石碑、そして石碑の奥が魚河岸水神社となっています。

もちろん海幸橋の親柱もチェックしたのですが写真を撮るのを忘れてしまいました。

 

お昼にはまだ少し時間があったのですが、せっかく築地に来たので海産物が食べたくなり築地場外市場にある築地魚河岸小田原橋棟へ行って来ました。

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一階部分に小売店が入っており、そこで購入した食材を三階のフードコートのテーブルで頂くことができます。

 

因みに、マグロ赤身¥800 うちわエビの刺身¥700 タコぶつ¥300ととてもリーズナブルな価格でした。生ビールは中ジョッキで¥500です。昼飲みする人にはには打ってつけな場所となっております。築地にいらした方は是非利用してみてください。ただし飲みすぎには気を付けてくださいね!