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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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悔んだり、笑ったりのガイド体験

[小江戸板橋] 2016年9月13日 16:00

観光協会特派員になりますと、普段の生活ではお目にかかれない、様々なドキドキを体験することができます。

 

「中央区内のエリアをガイドすること」

これも、ガイド・案内の業務に職業として携わらない限り、一般の方が行うことはごくまれなことです。

初めてお会いする方々に、歩きながら、地域の魅力を伝えていく。

小型携帯マイクを通して話すその活動が、私にとっては非日常であり、胸がギュッと締め付けられたり、はらはらドキドキしたり、頭の中が真っ白になったり、口が渇いて言葉にならなかったり、妙な高揚感に包まれたり、感謝の言葉に笑顔が湧きあがったり、ふんわりとした暖かな気持ちにしてくれたりします。

プロのガイドの方々には案内のマニュアルがあり、臨機応変な対応ができる場数を踏んで臨んでいます。

私たち特派員も、観光協会主催のガイド研修を受講し引率の旗を握るのですが、非日常の事柄である案内活動は、思わぬ落とし穴にはまったり、壁に激突したりを繰り返してしまいます。

 

先週の土曜日に、築地場外市場の専門店を巡り、聖路加ガーデンまでのご案内を行いました。

お話はかなり前から伺っていましたので、じっくり準備を整える時間がありました。

このエリアで中央区の魅力が伝わる場所はどこか。

指定された時間内に目的地に達するには、どのようにルートを取ればよいか。

安全で効率的な、歩道の歩き方や横断の仕方。

日陰を作る場所や、雨に濡れにくい場所、空調が効いた建物などの天候を考慮した位置の確認。

生活者目線ならではのトリビアは。

参加者が食いついてくれそうな話題は何か。

ホームページからの情報収集と合わせて、各施設のパンフレット等を集めました。

築地は今いろいろと話題の中心になっているエリアだけに、テレビや雑誌などに特集が組まれ、ドラマの舞台に取り上げられたりしています。

そうしたものも一通り目を通します。

 

そして最も大事なことは、実際にその場所に身を置いてみることです。

想定したルートを、時間を計りながら歩いてみる。

どんな店構え、どんな店員さん、売れ筋は、お客様の行列の状況は。

足を運んでこそ見えてくる景色、匂い、重なりぶつかり合う音、肌の触れ合う感覚がつかめてきます。

生の感覚が分かれば、伝える情報も絞ることができるのです。

言葉に変換してみると、風景はまた別の輝きを放ち始めます。

 

ストックブックは資料でパンパンに膨れ上がりました。

しかし、お伝えできたことは、本当にわずかでした。

でも、あれもこれもと詰め込もうとせず、持っている情報をどんどん削っていく思い切りも必要。

移動しながらですと、目の前に見える物事に絞り込むことが、分かりやすいガイドにつながります。

参加者の様子をよーく観察して(直観も含めて)、言葉を交わしながら、最も適したストーリーを提供していく。

年齢、住まわれている場所、ご案内地域への訪問回数、その構成割合にあったものを探ります。

それがスマートにできたならば、プロですよね。

 

アクシデントに見まわれながらも、時間までに目的地へ到着。

なんか面白かった。また訪ねて来たいな。

そんな出会いのお手伝いができたのならば、嬉しいです。

私自身、楽しい時間を過ごしました。

ありがとうございました。

 

 

 

午後の眠りを誘う蝉しぐれ

[小江戸板橋] 2016年8月25日 16:00

東京には何種類くらいの蝉が生息しているのでしょうか。

雨上がりに陽射しが戻ると、コンクリートで覆われた街路の

木々に湧き出でて、鳴き声を降らします。

一度気になりだすと、耳がその音を追いかけます。

 

ミーンミンミンミン

ジージージージィ

シャシャシャシャ

木の高い枝から降りてくるその音色は、夏を代表する音です。

ミンミンゼミ、アブラゼミ、クマゼミ。

ジー、ツクツクホーシ、ツクツクホーシ

この蝉の鳴き声は、間違えずに種類を言い当てることができます。

蝉時雨は、夏の季語です。

すでに立秋もお盆も過ぎていますが、今が盛りです。

 

所用があり、明石町の聖路加国際病院に行きました。

東京メトロ築地駅から聖路加タワーに至る通りには、

「聖ルカ通り」との愛称が付けられています。

陽射しを避けて北側の並木道を歩きます。

ちょうど、明石タイムドームと道をはさんだあたりは、樹木の高さと

相まって、鳴き声が空に突き抜ける気がします。

病院の壁面が、絶妙に共鳴しているのでしょうか。

小道にはベンチが二脚備え付けられています。

散歩の途中で陽射しを避けた、高齢のおばさまが

ちょこんと腰を掛けています。

ゆっくり、白い御髪が揺らいでいました。

木々に包まれていると、ふっと心も舟に揺られてしまうのでしょう。

騒がしい蝉の声は、夢の世界に引き込む調べに変わっているようです。

 

この界隈は、明治時代の初期に外国人居留地として様々な文物がもたらされた

文化の窓口ともいえるところです。

そのため、記念碑や解説板をたくさん目にすることができます。

都内にあるミッションスクールのルーツも、この周辺に集中していました。

聖路加病院内にあるトイスラーホールで、お祈りをしてきました。

患者さんの祈りの場であり、数々の講演会なども開催される院内礼拝堂です。

椅子に静かに腰を掛けていると、気持ちが落ち着きます。

誰でも入室していいの?

礼拝等の時間を外せば、大丈夫です。

私自身、おおらかな仏教徒ですもの。

 

 

祈りの築地本願寺

[小江戸板橋] 2016年7月13日 14:00

広い本堂の中に、祈りの声が重なり合って、高く低く共鳴していきます。

湧き上がる響きが空気を震わせ、気持ちがぎゅっと高められていきます。

「なんまいだぶ、なんまいだぶ、南無阿弥陀仏」

 

7月7日、浄土真宗本願寺派第二十五代専如門主が築地本願寺をご巡拝される。

そのセレモニーがあることを新聞の広告で知り、参拝したいと思い立ちました。

戦国時代を舞台にしたゲームでは、プレイキャラクターを「本願寺」に設定し、強大な信長軍に対峙することが多く、なんとなく親しみを抱いていました。

そのきっかけになったのは、司馬遼太郎の『尻啖え孫市』でした。

戦国の鉄砲技能集団、雑賀衆の首領の一人。

信長を最も苦しめた石山合戦の主力部隊です。

破天荒な戦国武将に惹かれ、雑賀孫市の足跡を訪ねて、文庫本を手に和歌山の街を歩いたこともありました。

そのような関わりしかありませんでしたから、本願寺は遠い歴史上の存在との印象が強かったのです。

 

本願寺門主。御消息。

現在にも、続いているんだ。

脈々と継承されてきた法統。

バーチャルからリアルに引き戻されるように、その場に立ち会ってみたいと思ったのです。

 

「あのう。参拝したいのですが、入ってもいいですか。」

本堂の正面扉の前で、守備するように立つ僧侶に、遠慮しがちに話しかけました。

「どうぞ、お入りください。」

微笑みををたたえて、入堂を促してくれました。

「前の方に、まだ空席がございます。」

とのアナウンスに、カジュアルな服装の私でしたが、ズズッと前列にまで進んでしまいました。

 

明るくライトアップされた堂内。

黄金色の輝きが、桃山文化の名残を伝えているかのようです。

僧侶たちの動きは、能舞台を見ているような心地でした。

凛として姿勢を保ち、滑るような見事な足さばき。

一挙手一投足に込められた修練の業。

数世紀を超えて、伝え続けられてきた祈りの姿。

 

式典の終わり近くに、パイプオルガンの伴奏による合唱がありました。

キリスト教会の讃美歌のような調べに、驚かされました。

大小2000本のパイプが奏でる音に合わせ、本堂に集まった人々の柔らかな声が重なり合って、身が軽くなるような気分でした。

 

2014年(平成26年)に国の重要文化財に指定された築地本願寺。

文化財見学の対象に留まるのではなく、日々お勤めがなされ、伝統ある諸行事が営まれていることに尊さを感じ、また、これまで以上に近しさを思いました。

 

本堂前の広場に朝市の出店があり、新鮮なきゅうりとサクランボを購入しました。

 

 

 

まちを彩り歴史を語る建物たち

[小江戸板橋] 2016年6月27日 09:00

ビルの谷間に木造の町家建築を見つけると、ポーッとその周辺だけが時代の香りを漂わせているようで、懐かしい感覚にとらわれます。

銀座や日本橋の辻角に、そうした建物を見つけた日には、よくぞ幾多の試練を乗り越えて姿をとどめてきたものと、感心することしきりです。

 

震災、戦災、高度経済成長期の地上げの荒波。

移動する手段がない建物にとって、耐え忍ぶしかない状況です。

こうして今に残るのは、きっと、所有していらっしゃる方々の並々ならぬ思いが注ぎ込まれた証しなのでしょう。

 

中央区立郷土天文館〈タイムドーム明石〉の区民ギャラリーで、中央区内に残る近代建築物のパネル展が、7月3日(日曜日)まで開催されています。

私、この企画を待っていたのです。

確かにどこかで目にしたはずなのに、明確な所在地が分からないまま過ごしてきた建物。

再び、巡り合える好機です。

展示されているパネルは23枚。

町家建築からビル建築まで。明治期から昭和40年ころまで。

区内には多様な建築材料、構造、デザインに特徴のある建物が建てられてきました。

「華の東京のど真ん中」ならではの種類の豊富さであり、現存していることに敬意を表します。

 

パネルの写真だけ見流せば、1分もあれば会場をひと回りできます。

でもそこは、とても楽しみにしていたものですので、じっくり拝見させていただきました。

建物本体の写真をメインに、

1、建物の特徴

2、建物にまつわるエピソード

3、建物情報(所在地、創建年、構造・規模、用途、大工等)

4、写真(建物の内部写真や、細部の意匠、活用されている状況など)

が、一枚に盛り込まれています。

エピソードには、建物に対面した時の注目箇所がまとめられており、それまで気づかずに見逃していた部分が、すっきりと目の前に広がるようです。

 

会場内の机に「用語解説」のプリントが用意されていました。

パネルに表記された建築用語や建物に関連する人物について、分かりやすい説明が記されています。

プリントと合わせてパネルを見れば、建築初心者の私でも、十分に見どころが理解できます。

そして、同じく用意されているパンフレットが嬉しいのです。

23枚の建物写真が載っており、各建物の所在箇所を示す地図もついています。

目的の建物に、迷うことなくたどり着けそうです。

 

会場のギャラリー前の通路の壁面には、震災後の銀座通りを描いたパノラマ絵巻が掲出されていました。

細やかに描かれた建物の一つひとつが、活き活きと見えました。

 

 

お岩通り商店会。いやー、ロックだねェ。

[小江戸板橋] 2016年5月26日 09:00

まだ5月というのに、夏日の連続。街を歩くと汗が吹き出します。

都電荒川線の新庚申塚駅で降りて、線路に沿って北方向、白山通りを渡ります。

何気なく目に入った看板に「お岩通り商店会」(豊島区西巣鴨)の文字を見たとき、

「本当に! これってありなんですか。」と心の中で叫びました。

お岩さまといえば、押しも押されもせぬ夏の定番「東海道四谷怪談」の主人公。

歴代の名優の手によって磨かれた技を駆使し、舞台で、スクリーンで、その強力なる霊力を縦横に発揮します。ジャパンホラーがブームですが、「怪談」から連想される存在としては、まぎれもなく日本のトップに君臨しています。

できれば個人的には関わりを持ちたくない存在ではあります。

でも、地元の方々には深い縁があり、心の拠り所として崇敬を集めているからこそ、このような良い意味でのファンキーなネーミングが続いているのでしょう。

まさにロックの境地。

 

中央区新川二丁目に「於岩稲荷田宮神社」があることは、以前、特派員ブログでも取りあげたことがあります。

この機会に、関連する社寺を巡ってみようと、新宿区四谷、中央区新川、豊島区西巣鴨をひと回りしてみました。

江戸時代の初期のころ、四谷左門町の組屋敷に御家人田宮家がありました。

当時の御家人といえば、傘張りの内職にも表れているように、極めて貧しい生活を強いられていました。

そのような中で、田宮家を隆盛させた賢婦人がお岩さまです。

お岩さまが信仰していた屋敷神が、後に「お岩稲荷」と呼ばれ、御家人の妻たちをはじめ、不遇な婦人たちの守り神となっていました。

そうした伝承を基に四世鶴屋南北が傑作を生みだします。文化・文政年間(1825年)歌舞伎が上演されると、爆発的な人気を博し、お参りする人もうなぎ上り。

 

四谷於岩稲荷田宮神社。

東京メトロの四谷三丁目駅からのアプローチが最も近いでしょう。

赤い幟がはためいて、原作のおどろおどろしい雰囲気は和らいでいました。

グループでやってくる方、おひとりの方、二人でお参りする方。

えっ二人で・・。 縁切りのイメージがあるのですが、大丈夫ですか?

商売繁盛、家内安全、芸能向上、それに縁結び。etc。

なんか、オールマイティな功徳、ご利益がもたらされるのですね。

よろず霊験あらたか、といった感じでしょうか。

 

四谷左門町の道路をはさんで向かい側に、長照山陽運寺(ちょうしょうざん よううんじ)という日蓮宗のお寺があります。

昭和初期に創建の寺院ですが、本堂にお岩さまの木像が安置されています。

また、境内にはお岩さまゆかりの井戸も。

1月と8月を除く毎月1日には「お岩さま開運祈願祭」が行われ、瞑想を通して心身をリフレッシュすることができるのだそうです。

 

明治12年頃に、初代市川左団次の所有地と伝えられる越前掘に遷座されたのが、中央区新川の於岩稲荷田宮神社です。

当時、芝居小屋にも近く、花柳界や芸能関係者の参詣で賑わったといいます。

中央区登録文化財である「百度石」は、四代目市川右団次が奉納したものです。

市川左団次と市川右団次は、よく混同しがちです。観光検定用の整理ポイントです。

 

西巣鴨の長徳山妙行寺(ちょうとくさん みょうぎょうじ)には、お岩さまのお墓があります。

寛永元年に創建され、明治42年に四谷から移転してきました。

 

物語にゆかりのある寺社も、直接訪ねて由来をひも解いてみると、その変遷が見えてきました。

その背景に、大流行した「四谷怪談」ブームと、厚い信仰に支えられて続いている、人々の願いや思いが感じられました。

於岩稲荷の境内で、家族連れの女の子が突然、「お母さん」と言って母親の足にしがみついた時には、スーッと冷たいものが背筋を流れました。

きっと、蜘蛛でも見たのでしょう。蜘蛛でも。

 

 

 

「東京防災」

[小江戸板橋] 2016年4月16日 18:00

「大丈夫」

えっ。それだけ?

今どこに居て、どういう状況にあるの?

職場にいるのか。帰宅途上なのか。ホテルに戻ったのか?

水は、食料は、電気は、ガスは?

大丈夫だけじゃ、情報不足だ!

 

4月14日、夜からの熊本・九州地震の群発。

長男は博多に居るものと思って、心配メールをしたら、熊本へ出張中との事。

状況を知らせろと再度メールをしても、応答なし。

やっと返ってきたのが、ひと言だけ。

『ほんとに・・。メールを打てる状況であることだけは分かったけれど・・。』

 

翌日、書店で防災ブック「東京防災」を購入した。

東京都総務局総合防災部防災管理課が編集・発行。

東京消防庁をはじめとする多彩な協力・出典がある。

本の存在は知っていた。

黄色地に黒文字。

「今やろう。災害から身を守る全てを。東京防災」

以前は、手に取ってみても、「ほぼ知っている内容だ」と元の棚に戻していた。

今、読み返したいという衝動に駆られて、一気にページをめくった。

要旨が分かりやすくまとめてある。

「おさらいクイズ」で、更に知識が体に染み込むように工夫されている。

価格、130円プラス消費税。

これだけ利用価値のある内容が、コンパクトに織り込まれている、優れものだ。

生活再建支援制度や災害対応イエローページには、付箋を付けておいた。

 

有楽町駅から銀座方面に進むと、数寄屋橋交差点に出る。

とんがり屋根と煉瓦造りの「KOBAN」は、築地警察署数寄屋橋交番。

その歩道の先に、北村西望氏による銅像「燈臺」がある。

兜をかぶり松明を掲げた青年が、獅子を従える力に満ちた作品である。

大正12年の関東大震災から10年後に、記念塔として設置された。

台座に、「不意の地震に不断の用意」の標語が記されている。

 

寺田寅彦氏の言葉として伝わる、「天災は忘れた頃にやって来る」に通じる。

その時にも、知識をフル稼働させて、体が動くように備えておきたい。

 

 

 
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