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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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歩道に鉄道信号機!

[小江戸板橋] 2018年9月21日 17:30

築地市場の豊洲移転は、10月11日実施に向けて、詰めを急いでいると聞きます。

豊洲移転後には、五輪選手村とメイン競技会場を結ぶ道路が整備されます。

日本国中を熱くさせたアジア大会や、テニスのグランドスラムにおいて、日本選手の活躍が伝えられ、さらにボランティアの募集が始まると、2020年に向けてググッと気分が高揚してきます。

 

東京五輪に向けたスケジュールが進む中で、少し気になるものがあります。

「浜離宮前踏切」の跡地にある、「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」です。

汐留駅から分岐して、東京市場駅に貨物を引き込むための東海道本線の貨物支線。

全長1.1km。そこに設けられた踏切の名残りなのです。

環状2号線からは離れているものの、一連の開発や作業の過程で撤去されてはいないだろうかと思い、

銀座八丁目21番1号先に行ってみました。

銀座郵便局の入り口。

平成30年9月19日現在、ちゃんとその存在を確認できました。

 

港区に位置する新橋駅は、「汽笛一声新橋をはやわが汽車は離れたり」と鉄道唱歌東海道編第1番に掲げられているように、鉄道発祥の地であり (実質的には汐留駅の位置になります) その周辺には、鉄道関連の様々な施設が残され又は復元されています。

かつて、2010年4月のブログに「中央区の駅は、みんな地下」と書きましたが、中央区内の地表面に残る鉄道施設は、意外と少なく貴重なのです。

 

築地市場には、貨物列車で、トラックを使った陸路で、隅田川河畔から舟運で、様々な品物が集約され、発送されていった名残を見ることができます。

築地市場の隅田川に面した建屋が、ぎゅっと扇形に湾曲しているのは、鉄道貨物の引込み線が場内奥まで入り込んでいたことを物語っています。

最盛期には、1日150両の貨車が通過しました。

何編成もの貨物列車が荷物を積み込み、全国へと発送されていったのです。

幼いころ地方都市で暮らしていた私は、さまざまな形式の貨車をつなぐ貨物列車に心惹かれ、連結された貨車の数をひたすら数えていたものです。

私が見た貨物列車も、築地から浜離宮前踏切を渡り、汐留の東京貨物ターミナルで組成され、運ばれていったのでしょう。

この踏切は説明文から、昭和62年1月31日まで使用されていたことが分かります。

 

この信号機、実は歩道にぽつんと佇んでいて、ちょっと寂しいのです。

もし私に貸してくれたなら、そうそう、シグナルが点灯するように息を吹き込み、ボタン操作でカンカンカンと信号音が出せるように整備したいと思うのですが、どうでしょう。

歩いている人が驚くので、却下?

いや、記念物を残す際の、ひとつの提案でしたので、どうぞ聞き流してくださいませ。

 

 

桶町千葉のなごり

[小江戸板橋] 2018年8月18日 12:00

剣道の初心者が、入部の動機を話してくれた。

「幕末、各藩の志士は、剣を交えることで互いに相手を理解し意思疎通を図った。それがどういうものか、自分も体験したいと思った。」

ほぉ、すごいな。

単純に時代劇にあこがれて剣道を始めた自分との違いに、感じ入ってしまった。

 

江戸時代、藩は独自の統治を行い、育まれた文化も違う。

異文化の中で育った人物同士が、相手を知る手段として剣術を活用したことは、武家政権の下では自然な成り行きだったのだろう。

幕末の緊張感が張りつめた時代にあって、江戸の町に多くの道場が営まれ隆盛したことは、その証しだともいえる。

 

八重洲二丁目八番。

鍛冶橋通りに面した、東京スクエアガーデンの手前に、「千葉定吉道場跡」の案内板が建てられている。

千葉周作が創始した、「北辰一刀流」。

合理的な指導法によって、門人は6千人を超え、近代剣道の礎を担った流派である。

千葉定吉は周作の実弟で、桶町と呼ばれたこの周辺に道場を構えていた。

土佐藩の坂本龍馬が江戸に剣術修行に来た折、入門したのが桶町千葉、千葉定吉道場である。

龍馬を指導したのは、主として定吉の長男で道場を任されていた12歳年上の重太郎であったようだ。

後に龍馬は、桶町千葉の塾頭にまでなっている。

 

土佐藩の上屋敷は東京国際フォーラムの場所に、中屋敷は中央区役所の場所にあった。

龍馬が起居したのは、土佐藩中屋敷の長屋と考えられるので、現代の新富町から京橋まで、時には竹刀・防具をかついで通っていたのだろう。

私の妻は、ドラマの役者さんがそのまま実在の人物と思い込む傾向がある。

こうした話をすると、大河ドラマ「龍馬伝」の福山雅治さんが、京橋周辺を剣道着を着て歩いていたのだとイメージしてしまう。

近いうちに、福山龍馬は、小栗龍馬に変わるかもしれないが。

 

龍馬さんはとてもモテたようである。

男というものは、勢いづくといかにモテたかを吹聴したがるものだが、龍馬の手紙にもそうした記述が残っている。

千葉定吉の娘の佐奈さんは、免許皆伝、才色兼備の「千葉の鬼小町」と名を轟かしていた。

そして龍馬の婚約者だったといわれている。

時代を動かしていく人物は、多くの人を魅了し、連鎖を生み出すパワーを持っていたものだ。

 

千葉定吉、千葉重太郎の墓所は、豊島区の雑司ヶ谷霊園にある。

 

 

お江戸日本橋。私のスタート地点。

[小江戸板橋] 2018年7月29日 18:00

「ここは、双十郎河岸って言うんだって」

「双十郎、って誰なの」

「何か紫色の頭巾をかぶっている、鞍馬天狗のような人かな?」

「それは・・ 宗十郎頭巾だよ」

 

日本橋南詰東側、「滝の広場」に日本橋船着場があります。

その場所に愛称となっている、双十郎河岸の碑が立っています。

碑には双十郎の元となった、二人の歌舞伎の大名跡の名が記されています。

十二代目市川團十郎、四代目坂田藤十郎。

東西の名優の名にちなみ、双十郎河岸と命名されました。

 

長さ49メートルの石造二重アーチ橋は、1911年(明治44年)に完成しました。

日本橋架橋百年祭が、2011年(昭和23年)に行われました。

百年祭の7月31日は、日本橋川の繁栄を期して、船乗り込みと記念碑セレモニー。

屋形船「大江戸丸」が船着場に近づいてきます。

船の屋上に座り、居住まいをただすご両優。

江戸の荒事、上方の和事を代表するお二人です。

日本橋の橋上や広場に集まった人々から、「成田屋」、「山城屋」の掛け声がかかります。

そして大きな歓声と拍手の中、除幕式が行われたのです。

 

日本橋船着場からは、日本橋運河めぐり、隅田川周遊やお台場めぐりなど人気のクルーズ船が出航しています。

夏は、宵闇が迫るころのコースで、夕涼みを楽しむこともおすすめです。

いつもと違う水辺のにぎわいを、川面に映る街の灯りを眺めるのも趣があります。

船着場の鉄の扉に描かれた水鳥のデザインもかわいいです。

 

今日も記録的な暑さ。

ぎらつく太陽に照らされた橋の欄干。触れると熱さで思わず飛び上がります。

石材の上では、身の薄い干物なら、余裕で料理が出来そうです。

 

 

私事ですが、このブログで投稿が100回目となりました。

特派員となって、他の活動に負担にならないように、そして長く継続できたらいいなと、ほぼ月1回のペースを保ってきました。

区切りとなる回に、日本の街道の起点となる日本橋に戻ってきました。

「花のお江戸にあこがれて、各地の小江戸の活躍に喝采をおくる、『小江戸板橋』でした。」

 

 

聖地が形つくられる予感がします。

[小江戸板橋] 2018年6月23日 09:00

銀座5丁目5-11。

みゆき通りから北に入った路地にその集団はいました。

明治から昭和の古風な衣装を身に着け、スマホやデジカメにポーズをとって雰囲気を創り出します。

どこで手に入れた品物なのでしょうか。

古着屋からの掘り出し物。

それとも、おじいちゃん・おばあちゃんが愛用していた、若かりし頃の輝ける衣装でしょうか。

セピア色の写真から抜け出して来たようです。

カフェの女給さんかな。いや、与謝野晶子風、樋口一葉風、泉鏡花風。

ブラウン系のマントを来ているのは、太宰治なのでしょう。

ご本人はそのつもりなのでしょうが、どうも判別不明な人物もいます。

彼らを引き寄せているスポットが、文人が足しげく通った老舗バー「ルパン」なのです。

路地を覗くと、シルクハットに片眼鏡をかけたアルセーヌ・ルパンの看板が存在を主張しています。

太宰が写真家林忠彦氏に撮らせた、バーカウンターの椅子で足を組む写真。

太宰の代表的な写真を生み出す、二人の出会いの場でもありました。

コスプレ集団は、太宰の足跡を求めて、路地に引き寄せられていたのです。

 

どうやら、若いコスプレイヤーを活性化させたのは、「文豪ストレイドッグス」という漫画です。

文豪をキャラクター化し、作品名を冠した異能力で戦うバトルアクション。

太宰が駆使する異能力は「人間失格」。

直接触れると、あらゆる異能力を無効にしてしまう能力です。

現実でも「人間失格」には、読み手の頭の中をかき乱す特殊効果が込められていますよね。

他の文豪も、彼らの作品にちなんだ異能力を繰り出すのです。

入学試験に近代文学史的な出題があるのならば、この漫画でアウトラインを押さえられそう。

 

数年前に冬の津軽を旅しました。

斜陽館の近くにある津軽三味線会館の展示コーナーの隅に、黒マントと角巻を見つけました。

見ただけという手はありません。

さっそく、着用。

しばれる寒さが、太宰っぽさを醸し出してくれました。

 

6月19日は「桜桃忌」。

70年になるのですね。

映画や漫画のヒットともあいまって、三鷹の禅林寺には、海外からのファンも訪れるとの事。

それから、言っておきますが、私、太宰の作品は、好きではありません。

 

 

心豊かに、健やかに。

[小江戸板橋] 2018年5月 8日 12:00

まるで五月人形のような、可憐さ。健気さ。

静御前と忠信が、扇をかざして舞を決めると、

すかさず、『ご両人!』

演じる子供役者も、気分が乗ってくるところです。

もう、かつらや衣装の重さなんて感じません。

振りやせりふの一つひとつを、一所懸命に稽古してきたのでしょう。

師匠や先輩たちからの、厳しい激励があったのでしょう。

所作の隅々に、そうした稽古の跡が表現されていました。

境内を埋め尽くした観客から、温かい拍手が止みませんでした。

時は、平成30年5月5日。

子供の日で、端午の節句。菖蒲の節句。

所は、中央区湊1丁目の鐵砲洲稲荷神社の神楽殿。

演じますのは、「新富座こども歌舞伎」の面々。

鐵砲洲稲荷神社御鎮座千百七十八年例大祭の奉納公演の演目は、

口上に始まり、「寿式三番叟」、「義経千本桜の吉野山」、「白波五人男の稲瀬川勢揃の場」の豪華三本立て。

平成という年号で行われる最後の公演は、五月晴れの下で行われました。

太陽を隠す一片の雲もなく、境内の大樹の葉がつくり出す日影が上席。

舞台は、花の盛りの鎌倉稲瀬川堤。

「志ら浪」の文字が入った番傘に、ど派手な模様の紫地の衣装。

「問われて名乗るもおこがましいが、・・・」

待ってました。連ねのせりふ。

勢揃いした五人の男が、次々に名乗りをあげます。

あなた、誰がお好みですか。

非道はしない悪の頭目、日本駄右衛門。

娘にも若殿にも化ける、変幻自在な弁天小僧菊之助。

利平、十三、力丸も頭級の悪者です。

あれっ。でも、捕手に囲まれて窮した時に、いちいち名乗りを上げるもんなのですかね。

名を惜しむ武士同士の戦では、名乗りを上げるのがたしなみ。

桃太郎侍だって、遠山の金さんだって、決め台詞があります。

そうそう、戦隊ヒーローも敵に対して、ごあいさつのポーズを決めてから攻撃していましたよね。

いつもかっこよく、決めて行きたいものです。

小さなころから芸能に親しむ機会があって、新富座こども歌舞伎の小学生たち、素敵だと思います。

本格的な指導をしていただける師匠がいらして、こんな整った神楽殿でお披露目ができるなんて。

多くの観客の前で演じる楽しさを知ってしまった子供たち、将来の活躍が楽しみです。

 

 

灯ともる頃のいそがしさかな

[小江戸板橋] 2018年4月26日 14:00

 京橋の滝山町の

 新聞社

 灯ともる頃のいそがしさかな

銀座6丁目6番7号。

並木通りに面した歩道に、石川啄木歌碑がある。

若き日の啄木の肖像の浮彫。その下に三行書きの歌が記されている。

歌集「一握の砂」に収められた作品である。

碑の後ろ側に、キツツキが止まっているのが、愛らしい。

 

キラキラしたブランドショップの前なので、啄木をイメージできにくいかもしれない。

この場所は、朝日新聞社の前身である、東京朝日新聞社の創業地なのだ。

啄木は、明治42年3月から校正係として、ここの社屋に勤務していた。

京橋区は、日本橋区と統合し中央区となる前の行政区。

情報の集積地であり、発信の地である。

夕方になれば、取材を終えた記者たちが社屋に戻り、輪転機が響く中で、熱気を帯びた怒鳴り声が飛び交う。

インクの重厚な匂いも立ち上ってくる。

社屋の窓々から、活気に満ちた輝きが流れ出している。

啄木にはめずらしい、動きのある仕事の歌である。

 

中学2年の国語の時間。教師は啄木の歌集から百数十首を選び、暗記する課題を出した。

それを競技として、クラス全員の総当たりの暗唱大会を開くのだ。

いかにもな暗記お仕着せシステムに抵抗は感じていたが、声に出して数回読み上げてみると、胸の中にギシギシと音を立てて降りてくる。

くそっ、啄木め。

 

 不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて

 空に吸はれし

 十五の心

文庫本を手に、盛岡城址で空を眺めてみた。

ずいぶん昔のことだ。

城跡を下りて、中津川に架かる中ノ橋を渡ると、明治43年竣工の旧第九十国立銀行本店本館がある。

この重要文化財の建物を活かして、現在は「もりおか啄木・賢治青春館」という文学館になっている。

展示を見て回る。

あふれ出てくるんだなぁ。

甘酸っぱい、ほろ苦い記憶とともに、啄木の歌が。

 

 
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