[O傘]
2010年11月22日 12:49
江戸時代の天下祭「山王祭」に参列していた「静御前」(しずかごぜん)の山車(だし)はじめ、10数台の人形山車の絢爛豪華な巡行が、栃木市の中心街「蔵の街大通り」で行われました。「とちぎ秋まつり」です。
祭りは隔年で開催されているそうですが、今年(2010年)は開催の年にあたっていて、11月13日(土)、14日(日)の2日間行われました。
ガイドのサポーターも兼ねて「絢爛とちぎ山車祭見物」のイベントに参加することになり、
日本橋の町内が所有していた「静御前」などの人形山車【参考1】の巡行を、初日(11/13)に見てきましたのでご紹介します。
東武浅草駅を10時30分発の特急に乗り、約1時間10分で栃木駅に到着です。
祭りは14:30の開始なので、それまで街の散策をしました。
【街の紹介】
街には、いたるところに古い蔵(土蔵)が現存し、出桁(だしげた)造りの家も多く目にします。明治、大正の昔に返ったようです。
これらの多くは文化庁の登録有形文化財や県の文化財に指定されています。
街の中心には、流れの穏やかな清流「巴波川」(うずまがわ)が流れ、
祭りに来たお客を川舟にのせ、船頭が土地の民謡や蔵の話を披露しながら竿を操っていました。
川床には藻が揺らぎ、たくさんの鯉が泳いでいます。見ているとゆったりした時の流れを感じます。
栃木市の街の歴史については【参考2】をご覧下さい。
【とちぎ秋まつり】
オープニング・セレモニー(出発式)で、栃木市の鈴木俊美(としみ)市長の挨拶があり、
「今回の秋つりは、3月に近隣3町を合併し人口も倍近い14万人になった新生栃木市の最初のとちぎ秋まつりで、大変意義深い。
また小江戸と呼ばれる川越市、旧佐原市や、中央区、墨田区とも幅広くお付き合いをしている。」
などの挨拶があり、
来賓として香取市、春日部市などに並んで、
中央区から区長代理の中央区文化・生涯学習課長の鈴木 浩(ひろし)氏が紹介されました。
大勢の見物客が両側の歩道をうずめる中、絢爛豪華な人形山車の巡行が始まりました。
お目当ての「静御前」の山車には、太鼓席の横に「元江戸山王祭 九番山車」【参考3】の札が立ててありました。
多数の山車が連なり巡行する様子を見ていると、江戸時代の山王祭を見たような気がします。
歌川広重の「名所江戸百景」に「糀町(こうじまち)一丁目山王祭ねり込(こみ)」の絵があり、山車が連なり、
桜田濠越しに半蔵門から江戸城に練り込む様子が描いてあります。
この「とちぎ秋まつり」を見て、当時の天下祭りで使用された高さ7mもある人形山車45基の行列がいかに絢爛豪華で壮大だったかを思わずにはいられませんでした。
そして日本橋で所有していた「静御前」の山車に会えたのも嬉しく、感慨深いものがありました。
中央区と交流のある「小江戸」栃木市を是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。
【参考1】栃木の山車
「とちぎ秋まつり」に、江戸時代の天下祭「山王祭」に出御(しゅつぎょ)した「静御前」(注)の山車は、日本橋の町内が所有していたもので、明治初期に栃木の倭(やまと)町3丁目が購入したものだそうです。
(注)静御前:京の白拍子(しらびょうし)(平安時代から鎌倉時代にかけて、歌舞を行う遊女)で源義経の寵女(おもいもの)。頼朝に捕らえられ、鎌倉「鶴ケ岡八幡宮」の舞台で直垂(ひたたれ)、立烏帽子(たちえぼし)に刀を差し「しづやしづ、賤(しづ)のをだまき、くり返し、むかしを今に、なすよしもがな」と頼朝の前で臆せず歌ったといわれます。
静御前の人形は嘉永元年(1848年)、「松雲斎 徳山」の作といわれ、栃木にある山車で最も古い人形です。
このほか三国志の「劉備」(りゅうび)、「関羽」(かんう)、「張飛」(ちょうひ)の山車もあり、これらは明治26年(1893年)、県の祝典のために日本橋本石町の人形師「三代目 原 月舟」に依頼して製作したものだそうです。
そして、「天照大神」(あまてらすおおみかみ)、「日本武尊」(やまとたけるのみこと)、
「素盞鳴尊」(すさのおのみこと)、「神武天皇」、「太閤秀吉」(たいこうひでよし)、「桃太郎」の山車もあり、「静御前」および三国志の3体と合わせて県指定有形民俗文化財です。
左の写真は、「天照大神」の山車
さらに「諌鼓鶏」(かんこどり)、「弁慶」、「仁徳天皇」の山車もあり、これらは市指定有形文化財に登録されています。
これらの山車は県や市が保有しているのではなく、各町会が保有・維持しているそうです。
栃木の山車は「江戸型人形山車」(えどがたにんぎょうだし)と呼ばれ、山車を覆う幕が金糸、銀糸で、山車ごとに特徴のある絢爛豪華な刺繍がなされています。そして高さ7mほどもある山車が江戸城の御門をくぐるために上げ下げ可能な2重構造になっています。
大通りにある「とちぎ山車会館」で本物の山車や「とちぎ秋まつり」の映像などをいつでも見ることができます。
【参考2】 栃木の街の歴史 ~例幣使街道と巴波川の海運~
栃木市は、埼玉県の川越市や千葉県の旧佐原市(現 香取市)にならんで「小江戸」と呼ばれ、
明治4年(1871年)の廃藩置県で、江戸時代の下野国(しもつけのくに)が、栃木県と宇都宮県に分割されましたが、明治6年に2つの県が合併して栃木県になり、この栃木市に県庁が置かれて政治・経済・文化の中心地として栄えたそうです。
その後、明治17年に県庁は宇都宮市に遷りましたが、県名は栃木県として残りました。
「県庁堀」に県庁の名を残しています。
江戸時代には、家康を祀る日光東照宮に、江戸時代には朝廷から勅使(ちょくし)「例幣使」(れいへいし)が毎年参向し、栃木は、その「例幣使街道」の宿場町(栃木宿:第13番目)として発展し、
さらに巴波川(うずまがわ)を利用して、江戸との間を舟運(ふなうん)により物資輸送を行ったことで、幕末期には栃木商人は隆盛を極めたといわれます。
栃木の「蔵」はやはり土蔵が多いのですが、石蔵、板蔵もあるそうです。用途は倉庫のほか、店舗としての「見世蔵」(みせぐら、店蔵)があります。この栃木には日本最古級の見世蔵があるそうです。
栃木は江戸時代に浮世絵師「喜多川歌麿」と交流があり、最近発見された「鐘馗(しょうき)図」、「三福神の相撲」および「女達磨(おんなだるま)図」の3点の肉筆画を保有しています。
【参考3】 江戸時代の山王祭の山車行列
山王祭は、神田祭とともに将軍の上覧が許され江戸城内に入ることができたため「天下祭」(てんかまつり)と言われ、2つの祭りは交互に隔年で開催されました。
当時の山王祭の行列は大榊を先頭に、各町の山車(45基)、神輿(3基)が続き、このほか付祭(つけまつり)と称し、長唄や常磐津節などの音曲を伴った踊り屋台(移動式舞台)なども参加したそうです。
山王祭の山車は、1番の諌鼓鶏(かんこどり)から45番猩々(しょうじょう)の山車まであります(文久2年)が、大多数の山車は現在の中央区の日本橋地区、銀座地区、新川地区の町が出したものでした。
山王祭も天保の改革の倹約令の対象となって以後次第に衰えますが、文久2年(1862年)の祭が、将軍上覧の最後の天下祭といわれます。
そして明治22年(1889年)を最後に、山車が山王祭に引き出されることは無くなりましたが、
これは市街電車の架線敷設により背の高い山車の巡行が出来なくなったとか、維持と巡行に費用がかさむなどの理由だと言われています。
そして人形山車は、次第に関東各地に分散していったようです。
[O傘]
2010年11月15日 13:30
名橋「日本橋」が来年(2011年)4月で架橋100年を迎えます。これに先立って補修工事が今年(2010年)の7月下旬、「日本橋洗い」のイベントの直後から始まり、約3カ月過ぎて間もなく11月19日に終わります。
橋の側面を含むこのような本格的な補修工事は1911年4月に架橋して以来、初めてだそうです。99歳での若返りです。
この補修工事は国土交通省関東地方整備局東京国道事務所が行いましたが、
路面に敷設している御影石をいったん撤去するなどして、
敷石の下周りの漏水対策や劣化・破損した敷石などの補修工事をしてきました。
左の写真は橋の側面(上流側)の補修工事
日本橋の石材は、主に茨城県笠間市の稲田産ですが、ほかに山口県徳山産、茨城県加波山産、岡山県北木島産が使用されているそうです。
「月刊日本橋」主催で「稲田みかげ石で日本橋100年 採掘現場見学日帰りツアー」が先月(10月)初めにありました。好評だったようで、第2弾も計画しているとか。
橋上の最後の工程で、上流側(三越側)の歩道で、破損した石材ブロックを新たに補てんしつつ、
いちど撤去した石材ブロックをもと通りに並べる作業などを行いました。
右の写真は、復元中の歩道と、元あった位置の番地が書いてある「稲田みかげ石」ブロック(1個づつビニール袋に入っている)
橋の歩道の敷石工事中は、日本橋の中央付近を歩いて通ることになりました。
そのお蔭で、車道の中心に「道路元標」が埋め込まれる四角い窪みをまじかに見ることができます。
それから、橋の中心付近から高速道路を見上げますと、左右の高速道路の間に設置されている空中のモニュメントもほぼ真下から見ることができました。
間もなく補修工事がおわりますが、
工事と並行して11月1日(月)よりケルヒャージャパン社と名橋「日本橋」保存会による「日本橋クリーニングプロジェクト」が始まりました。
なお、ケルヒャー社は「自由の女神」や広島の「平和記念公園」など、
世界の著名な建造物・文化財の洗浄を手掛けてきたそうです。
温水高圧洗浄とパウダー洗浄(無害の炭酸カルシウムなどを噴射)を併用して、
橋の側面や欄干を、下流側3週間、上流側3週間かけて機械洗浄し、12月10日(金)に終了予定だそうです。
橋の車道中央に「日本国道路元標」のプレートが戻るのもまじかです。 2010年度内に、若返った名橋「日本橋」のお披露目があるようですが、楽しみです。
そして、石造りの日本橋「架橋100年」を迎える来年(2011年)4月には、
名橋「日本橋」保存会(会長・中村胤夫 三越特別顧問)はじめ関係者が記念イベントを検討中のようです。
これも楽しみですね。
(上の写真は昨年12月撮影)
【参考】 日本橋について
日本橋は、ご存じのように、徳川家康の江戸幕府が始まった1603年(慶長8年)に木造の橋が創架されました。 翌年5街道(注)の起点として定められました。
橋の欄干(らんかん)の頭に擬宝珠(ぎぼし)がとりつけられた御公儀(ごこうぎ)橋として江戸時代から重要な橋でした。
(注)五街道: 東海道、日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)、中山道、甲州街道(甲州道中)
日本橋の周辺は、魚河岸や三井越後屋(三越の前身)など「熈代勝覧」(東京メトロ銀座線の三越間駅コンコースに展示されている)にみるような江戸の賑やかな経済・文化の中心地でした。
その後、火災による焼失などがあり、再建を繰り返し、明治44年(1911年)4月に、20代目になると云われていますが、現在の石造二連アーチ橋が架けられました。
設計は米本晋一(よねもと しんいち)氏、デザインは妻木頼黄(つまき よりなか)氏です。
親柱の漢字とひらがなの文字は、徳川最後の15代将軍、慶喜公が書いたものです。
そして、その後関東大震災や空襲にも耐え抜いて今日に至っています。
現在の日本橋は、御承知のように国の重要文化財(1999年指定)であり、国道の起点として、橋の車道中央に「日本道路元標」が設置されています。
現在、日本橋を起点とする国道は7つあります。
1 国道1号(東海道)
2 国道4号(東北道)
3 国道6号(常磐道)
4 国道14号(京葉道路/千葉街道)
5 国道15号(第一京浜)
[O傘]
2010年10月16日 15:46
「築地よりみち館」で期間限定の「魚展(GYO TEN)」を開催中。加藤休ミ(かとう やすみ)さんがクレヨンで描いた魚の原画展です。
今日(10/16(土))は築地秋祭り。天気も良いのでちょっと場外市場をのぞいてみました。11時ごろでしたが、場外市場の各通りは大勢の人でいっぱい。
その帰りに築地KYビル(晴海通りと新大橋通りの角のビル)の2階の「築地よりみち館」に寄ってみました。
加藤休ミさんが描いたお魚や貝、海老やたこなど108点が展示されています。今にも泳ぎだしそうです。
各海産物には、産地や旬の時期、おいしい食べ方などがコメントされています。
廊下に向かい側の壁には、この魚展のために書いた「マダコ」「鮭」「マダイ」「クロマグロ」の大きな絵も展示してあります。迫力がありますよ。
光と影に影響される写真では表せない、感性に訴える、よりほんものっぽい原色の魚たちがいました。
開催期間は、
2010年10月15日(金)~30日(土)と短いです。
「百聞は一見に如かず」、築地を訪れたついでに是非一度のぞいてみてください。入場無料です。
【参考】
ところで「ととけん」ってご存知でしたか? 「日本さかな検定」のことだそうで、「O傘(おーさん)」は知りませんでした。
今年(2010年)5月23日に「第1回日本さかな検定」が開催されました。(合格率:3級91%、2級53%だそうです。)
隣の売店には、公式ガイドブックが発売されています。
そこにはたくさんのお魚などの海産物が載っていますが、加藤休ミさんが描いたものです。
今の私たちはお肉の料理を食べる機会が多いのですが、四方を海に囲まれた日本はもともと魚食民族で、昔から旬の海産物を食べて歴史を築いてきたようです。
お魚をおいしく食べるためにも、お魚の基礎知識を増やすとよいのかもしれません。
そういった意味でも「ととけん」が、食材としての海産物の知識を増やし、お魚好きになる良いきっかけになるかもしれませんね。
この「築地よりみち館」の「魚展」のコーナーにも、「ととけん」の紹介パネルと「問題抜粋」のパネルが展示してあります。
是非検定にトライして、食材としてのお魚の「通」になってみてはいかがでしょうか。
なおこの展示が終わった後は、またもとの築地の幕末・明治のころの錦絵の展示に戻るそうです。(「O傘」の9/14のブログをご覧ください。)
[O傘]
2010年10月 8日 16:30
「第58回中央区観光商業まつり」(2010年10/1~11/5)のイベントの一つに、「第5回中央区内アンテナショップ・スタンプラリー(10/7(木)~10/21(木))」(主催:中央区アンテナショップ連携推進協議会)があります。
今年は、「まるごと高知」の1店舗が加わり、17店舗のスタンプラリーとなりました。
初日(10/7)にすべて歩いて回ってみましたので簡単にご報告します。
なお、昨年は、「銀造」特派員と「メニイブックス・オサ」特派員がスタンプラリーについてブログにアップしています。
10/7(木)は天気に恵まれました。朝10時過ぎ、まず築地に到着して、早い昼食(場外市場門跡通りの「井上」でラーメン、これがいつもおいしい)をとり、次のように回りました。(これがベストかどうかわかりませんが・・・)
⑯コウチ・マーケット→⑮いわて銀河プラザ→⑭ぐんまちゃん家(ち)→⑰青森の店→⑪おいしい山形プラザ→⑩銀座わしたショップ→⑨まるごと高知→⑫坐来大分→⑬銀座熊本館→⑧福島県八重洲観光交流館→⑦北海道フーディスト八重洲店→⑥京都館→⑤富士の国やまなし館→④おいでませ山口館→③奈良まほろば館→②日本橋・新潟館NICOプラザ♯2→①にほんばし島根館
下の写真は、歩いた順にアンテナショップを撮ったものです。
周りを楽しみながらゆっくり回ったので、終わったのが1時近くでした。
回っている途中、多少、発見(?)がありました。
⑫「坐来大分」から⑬「銀座熊本館」に行く途中、銀座西3丁目交差点にあるビルの入り口で何人かの女性のみなさんがチェックしていたお店のパネルの写真です。人気がありそうです。それから、晴海通りを渡ったSONYビルの外の展示スペース(夏は沖縄の海の水族館があった)ところでスヌーピーの人形に合いました。
またSONYビルのお隣の「PUB CARDINAL」の道路沿いで可憐なコスモスに出会いました。
福島のアンテナショップの入り口では、福島県須賀川市の観光について、松尾芭蕉の新「おくのほそ道」須賀川コースのPRに芭蕉のいでたちをした女性や、5月の牡丹のPRに牡丹キャンペンクルー(女性2名)、その他11月の松明(たいまつ)まつりなどの須賀川のイベントについて須賀川市長はじめスタッフが熱心にPRをしていました。
このラリーで購入したものやサービス品は以下の通りです。
コウチ・マーケットでは、四万十川「川のり」の佃煮を購入して蜂蜜入りゆず飲料ドリンク「ごっくん馬路村」をサービスにもらいました。
青森では「ねぶた漬」を購入して5%引いてもらいました。
「まるごと高知」では、「ぼうしパン」を購入。
福島ではサービス料金(250円)のソフトクリームを食べ、須賀川市のクイズに挑戦(答えはその場にある参考資料に出ている)して面白いボールペンをゲット。
山口では「塩粒うに」を購入して「ふく茶漬」をもらいました。
島根では、「赤だし しじみ汁」を購入して「松崎せんべい」をもらいました。
是非皆さんも「銀ぶら」や日本橋界隈においでの節、あるいは「築地市場まつり」の際には、アンテナショップ・スタンプラリーに参加して「中央区観光商業まつり」を楽しんでみてはいかがでしょうか。10/21(木)までです。
[O傘]
2010年10月 5日 14:30
「第58回中央区観光商業まつり」(2010年10/1~11/5)のイベントの一つに、体験型宝探しイベント「中央区大捜査線~大江戸財宝伝説を追え!~」(11/5まで)があります。
中央区観光商業まつりのオープニング・セレモニー(10/1、11時~11時半ごろ、主会場:銀座三越 9階「銀座テラス」)を見た後、天気も良く面白そうなので宝探しイベントにチャレンジしました。
半日かかりましたが、ヒント提供店のお世話にならずに、8か所の宝箱(木製:たてよこ10cm×7.5cm、高さは8cmと小さい)を見つけて、中のキーワードを8つ集めることができました。
宝探しは、宝箱のある場所の手がかりになる絵(パンフレットに載っている)を見て、8つの場所を特定するのですが、宝箱のある場所は中央区の広範囲に散在していますので、江戸バスのご厄介(10/1は無料でした)になりながら、とても良いウォーキングと頭の体操になりました。
この宝探しにチャレンジする場合は、まず、「参加方法」や「手がかり」、「キーワード記入欄」などが載っているパンフレットを中央区の公共施設やアンテナショップでゲットしてください。
パンフレットには、このほかに「発見報告所」(9か所)や「ヒント提供店」(40か所)のリストとそれらの場所を示す「地図」も載っています。
このパンフの手がかりの絵を良く見ますと、宝箱がある場所がぼんやり分かってきます。
そしてどのような順番で回ればよいかのイメージもわいてきます。
でも、全部わからなくても、分かった場所にまず行ってみるのが一番良いです。感じが分かりますよ。
写真は、橋のたもとにある宝箱(開いた状態)。小さいです。
途中、チャレンジしている小学生二~三人の組によく出会いました。
この写真は、お母さんの助けを借りて宝箱のところにやってきた小学生一行。
しゃがんでいる子供のところに宝箱が!!
この写真は、ポールの根元にある宝箱のキーワードをゲットして、
次のポイントの情報交換をするお母さんや、手がかりと地図を見て次を検討している小学生。
宝箱4つ以上発見したら、キーワード記入欄にキーワードを書いて発見報告所に行き確認印を押してもらい「発見者賞」をもらいましょう。8つ全部見つけると、さらに「パーフェクト賞」として抽選で豪華賞品が当たる権利をゲットできます。(「発見者賞」は先着3,000名限定です)
キーワードを記入して、さらに同じ住所氏名、アンケートを記入し、パンフからそのページを切り離して、発見報告所の応募箱に入れて宝探しゲームが完了します。
左の写真は応募箱とパンフ
もうすでにクリアされた方もいると思いますが、まだの方は是非、(童心に帰って?!)宝探しイベントにチャレンジしてみて下さい。大人も結構楽しめますよ!
ご成功をお祈りします。(O傘(おーさん))
なお、パンフの手がかりを見ただけではどうしても宝箱の場所が分かりにくい場合は、「O傘」から、パンフに載っている「手がかり」の絵について、以下に少しコメントを差し上げますね(かえって分からなくならないよう祈っていますが・・・)。
財宝①の手がかり:オープニングセレモニー主会場のそば!
財宝②の手がかり:線が書いてありますが、道路です。
財宝③の手がかり:似た名前の橋が3つありますが、図の石垣に注目!
財宝④の手がかり:熊の像は櫓(やぐら)の前の店先にある。
財宝⑤の手がかり:ピンク色の線路は台東区へ。草色の線路は千代田区へ。
財宝⑥の手がかり:剣の達人は高田馬場での助太刀(すけだち)で有名。
財宝⑦の手がかり:一行目の文章から町を連想すること。
財宝⑧の手がかり:明治になって築地から月島埋立地への渡し舟があった。川沿いのテラスにはない。
GOOD LUCK !!