[kimitaku]
2014年8月19日 14:00
銀座一丁目を、昭和通りに沿って西側を日本橋方面へ歩くと、
京橋地区に差し掛かる少し手前、通りに面してお店がありました。
朝早く、煌々と明かりがともり、おなかが空いたので、お店に入りました。
気が付くと、讃岐のうどん屋さんです。
入口に店員さんがいて、ここで、うどんを注文。
そのままカウンター越しに進むと、天ぷらが、
それぞれお好みの具を箸で取り、最後に計算します。
私は、朝食カレーセットを注文。値段は300円。
あたりを見回すと椅子は60席。
広い店内は空いていて気持ちが良いです。
アツアツのうどんと、ミニカレー丼がトレイに。
テーブルまで運びます。
窓際に座り、通りの景色をのんびり見ながら、うどんをほおばります。
程なく、お客さんが数人、歩いて車でと、おいでになりました。
讃岐うどん通のお客さんは、私と頼み方が違って、少し粋。
「あつ」「ひえ」とかいろいろ注文を。食べ方もつるつると、耳に心地よいです。
それを、眺めながら、これからは讃岐うどんの勉強もしなければいけないと思いました。
落ち着いたお店は、これからのたくさんのお客さんを、待ち構えていました。
トッピングもいろいろあります。
瀬戸うどん銀座一丁目店
(電話:お客様窓口 0120355529 です)
24時間営業です。
[橘]
2014年8月18日 15:17
浜町公園にある総合スポーツセンターで17日(日)に綱引の大会が開かれました。
競技会は午前9時半から選手権の部(男子/女子)、一般の部、ジュニアの部に別れて、予選リーグと決勝トーナメントが行われました。選手権の部の試合は力強く、大変な迫力でした。
一方、昼休み中には荒汐部屋の力士と子供達の綱引、ミス中央の美女達と子供達の綱引、力士とミス中央の綱引等色々なエキシビションマッチが行われ楽しませてくれました。
最後は仲良く力士とミス中央の記念撮影です。
又、スポーツセンターの外には沢山の屋台が出ていました。
中央区観光協会の屋台では、打ち水の桶があったり、鉄砲、けん玉、ヨーヨー釣等でも遊べます。ミス中央もお手伝い。
よしもと興業の屋台にはこんな人もいました。
荒汐部屋の屋台ではちゃんこを販売していたので、昼食に食べてみました。
鶏肉と野菜がたっぷり入り塩味でさっぱりしていて大変美味しかったです。
又、日本橋ビールという地ビールを売っている屋台があったので買ってみました。お味は今晩のお楽しみです。
[橘]
2014年7月16日 14:00
現在は育児用品から介護までをサポートする会社となっていますが、哺乳瓶の会社として皆様も一度はお世話になったのではないかと思われる会社"ピジョン"の本社が、日本橋久松町にあります。
この会社の玄関に猪の像があります。
これは、「幸福を招く猪」といわれる彫像で、17世紀イタリアの彫刻家ピエトロ・タッカの作品の複製です。本物はイタリアのフィレンツェにあるそうです。
猪像の鼻先をなでると金運、縁談、子宝などに恵まれるとされており、沢山の方が鼻をなでたのでしょう、鼻の所だけがピカピカになっています。
皆さんも前を通りかかったら是非鼻を撫でてあげて下さい。
ピジョン株式会社
中央区日本橋久松町4-4
(都営浅草線 東日本橋駅が最寄です)
[ミル]
2014年6月27日 13:00
銀座8丁目の資生堂ギャラリーで開催中の展覧会、「中村誠の資生堂 美人を創る」にお伺いしました。
1950年代半ばから80年代にかけて、資生堂の代表的な広告を手がけられた中村誠さん。
前田美波里さんや山口小夜子さんがモデルとなった広告は、どなたもご覧になったことがあるのではないでしょうか。
「一業、一社、一生、一広告」
をモットーに、資生堂のイメージを視覚化することに生涯をかけ、伝説的な広告の数々を生み出されています。
1926年、盛岡に生まれた中村さん。
絵を描くことやデザインへの憧れを持つようになったのは、少年時代、薬局に貼られていた資生堂のポスターの美しさに心を奪われたことからなのだそう。
会場には、中村さんが高校時代に撮られたモノクロームの小船の写真が展示されていました。
普通の岸辺と小船なのに、とても詩的な画面で、完成された美しい構図が印象的でした。
その後、東京美術学校に進学した中村さんは、戦後、なにも商品がない店先に貼られた、資生堂の原節子さんのポスターを見つけます。
それは、売るものがない商店主を励ますために資生堂が配ったポスターだと知った中村さんは、資生堂で働くことを決意し、門を叩いたのだそうです。
そして、少年時代に憧れた「花椿」の表紙をデザインした、山名文夫さんのいる宣伝部で嘱託として働けることとなり、1949年には正社員として入社。
1957年、先輩の代理で香水の広告を手がけたことが転機となり、その後多くの資生堂の広告を手がけられています。
中でも、香水は化粧品会社の顔となる商品で、企業のブランドイメージに関わるものなので、大事に育ててこられたのだそう。
中村さんの手がける香水のポスターは、その一枚が詩のように美しいもの。
「計数に表現することのできない表情とか、雰囲気、空気感。
誇張して言うと『人間の存在感と心』が現れることが大切」
表現について、そうおっしゃっている中村さん。
文字のビジュアルも大切にされ、コピーライターの方へも、
「漢字が5つ6つ、それからあとは平仮名で宝石がこぼれてくるようなコピーを」
と具体的に指定をされていたのが印象的でした。
ギャラリーに飾られている、時代を彩ったポスターはどれも、輝くような美しさ。
広告を作るというだけではなく、
「日本の女性の美しさで、日本の未来を拓く」
ということを常に念頭に置いていらっしゃったような、中村さんの祈りにも似た気迫を感じました。
上品で静かな情熱とエレガンス。
美はうつろい、一瞬の中に永遠を見るもの。
それを一枚の広告にこめた、美への誠意がつたわってきます。
「中村誠の資生堂 美人を創る」は、6月29日まで、資生堂ギャラリーで開催されています。
「中村誠の資生堂 美人を創る」
2014年6月29日(日)まで
資生堂ギャラリー
〒104-0061 東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
Tel : 03-3572-3901 Fax : 03-3572-3951
11:00~19:00 最終日の日曜は11:00~18:00
毎週月曜休 (月曜日が祝日にあたる場合も休館)
入場無料
[佐平次]
2014年6月26日 14:00
日本一の高級商業地の銀座にも昭和30年代までは多くの路地がありました。
裏通りには木造の家屋も結構残っており、木造の家屋は民法上境界線から50㎝以上離して建てなければならないため、必然的に1m以上の隙間ができるのです。住民も多かったので、実際は生活上の便からそれ以上の広さが取られた私道、つまり路地が造られていたのです。
しかし、何と言っても「土一升金一升」と言われた土地ですから、どんどん木造家屋は壊され、或いは火災で焼失した(この頃はとても火事が多かったのです)跡には効率の良いビルディングが建てられてきました。
不燃構造の建築物は建物が接して建てられるため、私道である路地は新しいビルに吸収されて消滅していったのです。
その当時は、私道は地主の持ち物であり、其処を通る人たちは地主がビルを建てて、路地が通れなくなっても仕方がないと思われていたのでビルを建てる場合は敷地いっぱいにビルを建てるのは当然だと思われていたのです。
現在は、私道といえども其処を日常使用している人たちには通行する権利が発生して、勝手に私道を閉鎖することは出来ないとされています。難しく言えば、私道を通行する権利は取得時効できて、その権利(通行地役権)は登記が無くても地主に対抗できるとの判例があります。つまり地主といえども勝手に私道を閉鎖したり潰したりすることはできないのです。
まあそんな小難しい話はおいといて、今でも木造の古い建物が残る裏通りや、ビルになっても利便性を考えて残した路地が所々に残っており、その中には隠れた高級バーがあったり、サラリーマンのための居酒屋があったりします。
今回はその中の一つ、銀座八丁目の路地を紹介しましょう。
そこは、高級社交場のひしめく花椿通りと御門通りに挟まれた銀座八丁目のちょっと新橋よりにあり、金春通りから並木通りに抜ける路地で、かつて高級官僚やエリートサラリーマンから「出世路地」と呼ばれていた路地があります。
以前は銀座通りから続いていたのですが、銀座通りと金春通りの間はあまりに狭くて危険なためか現在は鍵の掛かった扉が設置されて通れなくなっています。
ですので、今は金春通りにある鮨の名門店「久兵衛」の近くの入り口が出発点(俺のフレンチが目印)、飲み屋が立ち並ぶ路地を抜け、続いて左手に「ポルシェ・ビル」のある路地を抜けるとそこは並木通りになり、その先は路地ではなく広い車道になります。
そのまま真っ直ぐ、外堀通り、JRの高架をくぐり、日比谷通りを突っ切って行くとやがて霞が関に出て国会議事堂にぶつかります。(約15分~20分)
銀座八丁目にあり、どんどん末広がりに広くなっていく道を真っ直ぐにつき進めば日本の政治の頂点である国会議事堂に突き当たるところから「出世路地」と呼ばれていたのでしょう。
まあ実際には薄暗い路地の中で酔っ払いが立小便をすることが多いところから「小便横丁」とも呼ばれていましたが・・・(笑)
[kimitaku]
2014年6月25日 18:00
梅雨の晴れ間、晴海埠頭公園を散歩しました。
旧水上バス発着場から公園内に入ると、鳩がたくさん」地面に群がっています。
何だろうと歩み寄ると、あたりは酸っぱい果物の香りで満ちています。
見上げると、大きな常緑樹に、真っ赤に、小さな実が、それもたわわに実ってます。
・・・・・・「ヤマモモ」です。・・・・・・・・・
口に含むと、小粒ながら甘酸っぱい香りが口の中に広がります。
この「ヤマモモ」築地市場青果部や場外でも、6月の中旬に一週間ほどその店頭に並びます。
月島の立ち飲みの奥さんにお話しすると、
「高知に新婚旅行の際、無くなった旦那さんと一緒に味わった初恋の味だよ・・・・懐かしい・・・・」
二人で、真っ赤に売れた「ヤマモモ」を口にしたときの、甘酸っぱいその香りは、今でも忘れられないと 思い出にふけっていらっしゃいました。
探して見ると、この「ヤマモモ」の大木、公園内に2,3本あるようです。
梅雨のあいま、朝夕の散歩の際、常緑の林に入り、「ヤマモモ」の香りをいそしまれたらいかがでしょうか。 甘酸っぱい香りを緑の木々がお届けしています。