銀座には、世界でも有名なブランドがお店を出しています。
お店のショウウインドウも、それぞれ個性的です。
きょうはその一部を紹介します。
ひとつひとつのお店をじっくり見るのも面白そうです。
それぞれがその店の企業理念 ステイタスを
鮮明にあらわしている感じがします。
ウインドウの飾りつけは、閉店後
多くは真夜中に行われます。
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オリミネベーカーズ勝どき店のご案内です。
オリミネべーカーズ勝どき店は 大きな熊パンの看板が目印。
熊の看板につられて店内に入ると、ゆったりとパンを選べるスペースが。
ウインドウの奥では、気合を入れてパン焼きの真っ最中。 乳化剤やイーストを使わない、正真正銘のおいしいパンが焼かれています。
ほんのりとした小麦の香りに誘われ フランスパン そしていくつかをかごに入れました。
最後に目に留まったのが イイダコパン 小さなタコが丸いパンの上に鎮座。
フランスパンをかみしめると 小麦のふくよかな香りが口の中に広がります。
それぞれのパンはとても個性的。イイダコパンは青い海を思いだす味がしました。
住所 東京都中央区勝どき3-6-3 営業時間 午前10時から午後8時まで お問合せ 03-5144-5977へ 都営地下鉄大江戸線勝どき駅下車。清澄通り沿いにお店はあります。 全日本綱引フェスティバル(浜町公園)
昨日の激しい雷雨から打って変わって、今日8月21日は晴天の強烈に暑い日となりましたが、浜町公園の中央区立総合スポーツセンターで全日本綱引フェスティバルが開催されました。
勿論メインは「一般」「ジュニア・ユース」「選手権女子」「選手権男子」各部の真剣な戦いです。
一方、昼休みには子供たちと荒汐部屋のお相撲さん、ミス中央の美女達との綱引が行われました。 子供たちと言ってもちゃんとチームとして練習をしているので侮れません。 対戦相手は 或いは、
晴海埠頭の日本丸海王丸
7月の暑い日の朝 豊海埠頭を散歩。 対岸の晴海埠頭を眺めると大きな帆船が レインボウブリッジを背景に停泊していました。
埠頭の展望台と比較すると船の大きさが実感できます。 晴海ふ頭に向かい 船体に近づくと。舳先に金色のエンブレムが。 燦然と朝日に輝いていました。 海王丸二世(上の中央の写真)は晴海埠頭の新豊海橋寄りに停泊 近くで見られないのが残念です。 日本丸 海王丸はときおり 晴海埠頭に停泊しています。二艘とも停泊は珍しいです。
〇日本丸(にっぽんまる:)二世は 昭和59年就航 2570トン 全長110.09m 全幅13.80m マスト高43.5m 〇海王丸(かいおうまる)二世は平成元年就航 2556トン 全長110.09m 全幅13.80m マスト高43.5mです。(ウイキペディア) 茶ノ木神社 ー献茶祭ー
茶ノ木神社(リガーレ日本橋人形町敷地内)では、立春から数えて『八十八夜』の5月1日(日)に第9回目の献茶祭が開催されました。
式典終了後、新茶(鹿児島、宇治、静岡)の試飲や日本茶インストラクター協会によるミニ講座も開かれました。 五月晴れの好天下、今年の新茶(3種)を賞味しました。
<茶ノ木神社の歴史> 徳川時代に、下総佐倉藩主堀田家の中屋敷に守護神として祀られていたお稲荷様が茶ノ木神社の発祥だそうです。その頃、社を囲むように植え込まれていた茶の木が神社の名の由来ですが、現在も茶ノ木神社にはお社の左右に茶の木が植えられています。 長い間、堀田家の屋敷はもとより、近隣にも火災が起こらなかったことから火伏の神様として崇敬されていました。どのような経緯で現在の地に定まったのかは明確ではありませんが、様々な人々の手によって守られ続け、1933(昭和8)年以降は蛎殻町や人形町などの町内会がお守りしてきました。1985(昭和60)年に新たに布袋様を合祀して日本橋七福神巡りの1社に加わり、その後日本橋人形町地区の都市再開発事業を経て、2008(平成20)年に再度旧社殿が再建されました。現在では、福徳円満と防災の神様として信仰を集めています。
築地市場を歩いてみました。(休日編2)
春の築地市場の閉市日市場を歩いてみました。 開市日とことなり、潮待茶屋も閑散 。 潮待茶屋とは 日本橋に市場があったころ 船での輸送が盛んにおこなわれ、 日本橋川は浅く 引き潮だと船が出せず 上潮を待つあいだ 休んでいた場所。 青果部もパレットが積まれているだけ。 湾曲して 建造物がありますが これは昭和の中頃 国鉄の鉄道線路が走っていた名残でもあります。
昭和10年に日本橋から移転して以来
あと半年少々で、築地市場も移転し豊洲市場となり 昭和の良き時代を彷彿させた 建物群もすべて取り壊されます。 いまのうちに この建造物群を見納めしましょう。
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