[鞠つき]
2011年6月12日 06:28
お寿司屋 「すしざんまい」でお馴染みの、"喜代村塾"にて
お寿司の握り方教室に参加しました
喜代村の先生よりご指導 酢飯の作り方 これがとっても大事
玉子焼きの焼き方も教わりました
鯵も3枚におろします お寿司のネタの出来上がり
先生の作品 さすがはプロ とっても美味しそう
私の握ったお寿司 カリフォルニア巻も作りました
鯵をつみれ汁にして、さあ試食
自分で作ったお寿司は、とりわけ
美味しかったです
忘れないうちに復習しなきゃ
すしざんまい喜代村塾のHP
[銀造]
2011年6月11日 19:06
築地の元気印、「つきじ喜代村」さんが、10周年キャンペーンを実施中です。
今日は並ばなくて、直ぐ食べられる物をと考えながら歩いていると、築地4丁目の交差点で、すしざんまいのお知らせのチラシをもらいました。おっ、そうだ!廻転寿司と閃き
つきじ喜代村の「廻るすしざんまい」 へ。
暫く来なかったので、メニューが増え、アメリカンチエリー、ケーキなどのテザートがあります。 小さなお子さんも嬉しそうです。
貰ったチラシには、「東日本大震災で被災された皆様に、・・・、期間中の売り上げの一部を日本政府を通じて東日本大震災義援金として役立たせていただきます。」とあり、アンケートの応募用紙も。 当たると特賞は本鮪1本プレゼントを3名様に。A賞は1万円の食事券を150名様に、B賞は特選すしざんまい無料券(3,150円税込相当)。 もれなく500円の割引券が。 こりゃ、「すしざんまい」へ急がないと。 開催期間は本年、平成23年6月25日までです。
詳しくは、http://www.kiyomura.co.jp/
[滅紫]
2011年6月10日 21:49
10日昼の部を観る。お目当ては仁左衛門さんと孫の千之助君の「連獅子」。「祖父と孫の連獅子」は本公演では初とか。千之助君はH.15年3歳での初お目見え、翌16年の「お祭り」の若鳶千吉での初舞台から観ているだけに、11歳になって「連獅子」を演る成長振りが嬉しい。
H.17年の18代勘三郎の襲名公演を観るためにイタリアから一時帰国した友人の母上が「鰯売り」を観ながら「初舞台(S.34年)の桃太郎であの小さかった勘九郎ちゃんがこんなに立派になって。。。」とウルウルしながらご覧になっていたのを思い出した。とはいえこちらもすっかり千之助君の親戚のオジサン・オバサンと化しているのに苦笑い。でもこれも歌舞伎を見る大きな楽しみの一つ。
肝心の舞台は大スターの祖父仁左衛門さんに「伍して頑張ろう」という意欲がちょっと小柄な全身にあふれんばかりで満場の拍手。「立派」の一言。各紙の劇評にもあったが「あっぱれ!11歳」である。昼の部は他に「頼朝の死」「梶原平三誉石切」。
夜の部は吉右衛門さんの「団七九郎兵衛」に仁左衛門さんが「一寸徳兵衛」を付き合う「夏祭浪速鑑」。二人が同一舞台に立つのは33年ぶりとか。見逃せない舞台は来週のお楽しみ。他に「吹雪
峠:「かさね」
[ダンディ松]
2011年6月10日 15:30
現在の中央区には、かつてお江戸の時代に「日に千両がおちる場所」があったのをご存知でしょうか。
いずれもたくさんの人が集ること場所であることから、大量の銭が使われることを意味しています。
そんな場所が下記の三ヶ所だったのです。
(一)日本橋河岸の魚河岸
(二)日本橋堺町・葺屋町の芝居町
(三)傾城町として栄えた吉原(新吉原)
※江戸で最初の芝居小屋は寛永元年に猿若座が京橋に櫓を上げた事が始まり、その後幕府の命により禰宜町(ねぎまち、現在の日本橋堀留町)、堺町(現在の人形町)へと移転している。
さて傾城町・吉原はもともと現在の人形町界隈にあったのですが、あの明暦3年(1657)の江戸の大火「明暦の大火(振袖火事)」の後、万治2年(1659)に現在の淺草裏へと移転したのです。そして万治2年には隅田川に最初に架橋された大橋(両国橋)がこの年の12月13日に竣工しています。
今日のお題「高尾稲荷神社」には、この万治2年に起こった新吉原の妓楼「三浦屋」の二代目太夫・仙台高尾の悲しいお話が伝わっています。私にとっての仙台高尾のイメージが今人気のテレビドラマ「仁ーJin」に登場する花魁「野風」とダブってしまいます。
落語の「仙台高尾/浮世床」のまくらで語られる一節。
「えー、ェッ、昔からこの、人は名を残したいと言う事を申しますが。まァ、ァーッあの人が何をしたと言う、名前が残ると言うのはこれはまァ、ァーッ、容易ではございませんが。えー徳と言うものが無いとまァ名は残らないと申しますが。花魁なぞで、ェーッ、名を残したのが随分ございますが。えー、昔はこのォ、ォーッ吉原では松の位なんと言いまして、え大変見識を売りましたものだそうで。でお客様の方も、ォッ高い金を払って、その見識を喜んで買いに行ったと言う。」なんて調子で始まる噺ですが......。
この噺を要約すると、仙台六十二万石伊達綱宗が三浦屋の万治の二代目高尾、いわゆる仙台高尾を身受して、のちに芝の下屋敷へ舟で連れていく途中、三つ又(隅田川の現在の清洲橋と永代橋の間にあった砂洲)で吊るし斬りにしたという巷説があるんですね。(左:現在の三ツ又付近)
高尾には島田重三郎という情人があったので綱宗のいうことを聞かず、意地になった綱宗が高尾の体重と同じ重さの黄金二十貫で身請けしたという俗説もあります。
高尾の遺体が数日後、この地大川端(隅田川)の北新堀河岸に漂着し、当時そこに庵を構えていた僧が居合わせて引き揚げ、手厚く葬ったといわれます。高尾の不憫な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て、彼女の神霊・高尾大明神を祀り、高尾稲荷社としたというのが当社の起縁です。
稲荷社としては全国でも非常に珍しいことに、現在この社には実体の神霊(実際の頭骸骨)が祭神として安置されているのです。
高尾稲荷の場所(中央区日本橋箱崎町:IBM社屋のすぐそば))
明治のころ この地には稲荷神社および北海道開拓使東京出張所(後に日本銀行開設時の建物)があったそうです。 その後現三井倉庫の建設に伴い社殿は御神体ともども現在地に移されました。
高尾が仙台侯に贈ったといわれる句
「君は今駒形あたり時鳥(ほととぎす)」
尚、仙台高尾の墓は台東区淺草の春慶院(浄土宗)の檀家墓地の入口の脇に置かれています。
[下町トム]
2011年6月10日 09:00
人形町の〔甘酒横丁〕は皆さんご存知の名物ストリートですね。
道の両側には様々な商店が並び、どこか江戸風情を感じさせるような雰囲気が心を和ませてくれます。
そんな〔甘酒横丁〕のぼく楽しみは何と言っても「ちょっと一杯♪」のひとときです。
有名な居酒屋として、〔笹新〕と〔山葵〕がすぐ近くにあります。
いずれのお店も個性が豊かなのと、訪れるお客さんがたの人柄がいいですね。
いいお店はいい客に支えられるというのがよく分かります。
もちろん、ほかにも良いお店はたくさんあります。それぞれにお気に入りの店を贔屓にして、薄暮の人形町をほろ酔い気分で歩いてみるのはいかがでしょうか。
[まぴ★]
2011年6月10日 09:00
築地名物けしあんぱんで有名な、築地木村家。
明治43年創業のお店です。
私が行ったお店は、築地駅の近くの木村家ペストリーショップで、
イートイン出来る席も少しあります。
あと、築地場外市場にも店舗があるみたいです。
今回買ったのは、ラスクとシュークリーム。
店の外にたくさんのラスクが並んでいて、試食もあったので食べてみると、
ほんとに細く切った食パンをラスクにしたもので、
あ~昔からあるラスクってこの味やん!というような懐かしい味でした。
お菓子のラスクじゃなく、パンのラスク。
飽きない味で、パクパク食べてしまいました。
ほんとに素朴で美味しいです。
そしてシュークリームも、どこか懐かしい。
昔近所のパン屋さんで売ってたようなシュークリーム。
ここのパンを食べると、タイムスリップした気分になれます(*^^*)
あんぱん好きな方は、ぜひ名物けしあんぱんを!