初投稿です。
4月7日の午後、佃島周辺と新川公園に出かけました。
午前中は晴れていましたが、午後は雲や風が出て肌寒くなりました。
それでも、桜を楽しむ花見客がたくさんいました。寒いのでコートやジャンバーを羽織って、お酒や食事を楽しんでました。
隅田川では水上バスが満員のお客様を乗せて、上り下りしてました。
花見のみなさん風ひかないといいですね。
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◆中央区 ここに歴史あり(42) 震災復興事業を振り返る-3〈公園編〉―今残る、貴重な都市空間
関東大震災から6年6カ月後の昭和5年(1930)に復興祭を挙行した東京は、帝都復興事業で復興公園を各地に造成した。江戸期の火除け地に相当する公園地は、防火対策と避難場所確保から設けられたものである。区内に今も残る震災復興公園地は、過密な都市にあってオアシス的空間になっているとともに、防災広場でもある。 当時の浜町公園はつぎのような状況であったそうだ。周知のとおり旧熊本藩細川邸の跡地である。 正面には噴水と噴水池。南側には児童遊戯場やプールがあり、東側は大芝生地の先にジョサイア・コンドル設計の記念塔が建つ。大川(隅田川)端は植樹され、東京湾が望める。総面積は約8600坪。 小公園は復興小学校とセットで開発された。再建された復興小学校は市内では117校に及ぶという。うち中央区(当時は京橋区と日本橋区)では25校が該当した。現在も常盤小学校、十思スクエア(旧十思小学校)などが存続し、東京都歴史的建造物に指定されている。コンクリート造りで耐火化された小学校に隣接して小公園がつくられた。 市内全体では52か所に小公園が造成された。当時の区内(京橋区・日本橋区)では以下の11公園であった。()内は隣接小学校 1.常盤公園(常盤小学校)、2.久松公園(久松小学校)、3.十思公園(十思小学校)、4.箱崎公園(箱崎小学校)、5.蛎殻町公園(有馬小学校)、6.鉄砲洲公園(鉄砲洲小学校)、7.京橋公園(京橋小学校)、8.築地公園(築地小学校)=現存せず、9.越前堀公園(明正小学校)、10.月島第一公園(月島小学校)、11.月島第二公園(月島第二小学校) 京橋公園には当時のコンクリート製2連式の珍しいすべり台が残っていたが、老朽化のため昨年(2011)撤去され、往時の写真説明板が建っている(写真下右)。現在でも復興公園の大半は、児童公園など地域コミュニティーの場や防災拠点として寄与している価値は大きい。開園当時の姿をわずかに残すのは文京区の元町公園という。●巻渕彰 院展とお花見
4月9日まで日本橋三越本店で開催されている「第67回春の院展」を見て、その後日本橋近辺の桜のお花見をしてきました。
「春の院展」:1945年11月に「日本美術院小品展」が日本橋三越本店で開催され、1970年に「春の院展」と改称され現在に至っている。(日本橋三越本店HP「春の院展」より抜粋しました) 今回の応募点数は870点、その内入選は314点。展示出品点数は同人の方の作品を含めて346点。見ごたえがありました。 日本画に興味があり、ちょうど桜の時期でもあり日本橋界隈のお花見とあわせて毎年見させてもらっています。(入場無料なのもありがたい)
丸善の横の「さくら通り」の桜も満開。プラザビルの前の広場には屋台も出ていました。いい場所にはブルーシートが敷かれ場所取りもされていました。 ちょっと肌寒かったですが気持ちのよい、いい花見でした。来週はもう散ってしまうのかな。。。 春を告げる白い花々<晴海トリトン&周辺>
街に野山に花が咲き乱れる季節がやってきた。 フクジュソウを始めとして、ロウバイ、ソシンロウバイ、マンサク、キブシ、トサミズキ、ヒュウガミズキ、アブラチャン、サンシュユ、レンギョウ・・・と早春の黄色系の花色に続き、ウメとサクラに挟まれたこの時期、晴海トリトンスクエアの「緑のテラス」「花のテラス」並びにその周辺では、白色系の花色がだいぶ目立つようになってきた。 ハクモクレン、コブシ、シデコブシ、タムシデ・・・可憐なスズランも。 華やかなソメイヨシノが満開を迎える前、春の淡くやわらかな陽光に清楚な白い花が季節感を醸し出している。
ハクモクレン コブシ タムシバ
ユキヤナギ ベニバナユキヤナギ ベニバスモモ
中央区鉄道ものがたり <その9>(最終回) 「銀座線と銀座駅」
中央区の鉄道に関する四方山話をお届けしてきましたが、ひとまず今回で最終回とします。
「銀座線」は何と言ってもわが国最初の地下鉄です。1927(昭和2)年に東京地下鉄道が浅草-上野間で開業し、1934(昭和9)年に新橋まで全通させました。この時に中央区を貫く幹線鉄道の位置を確立したわけです。 その後別会社であった東京高速鉄道が渋谷-新橋間で全通すると同時に新橋で直通運転を始め、今の運行形態が築かれました。後に戦時体制で両社は「帝都高速度交通営団」(営団地下鉄)に吸収され、2004(平成16)年に民営化して「東京地下鉄」(東京メトロ)に衣替えするまで続きました。 「銀座線」という名称は、実は戦後になって命名されたものです。正式名称で3号線と呼ばれていたこの路線に馴染みやすい名前をつけようということになり、1953(昭和28)年に沿線随一の繁華街である「銀座」を冠することになったものです。 「銀座線」の特徴といえば、東京では「丸ノ内線」と2系統だけの標準軌(1,435mm)かつ第3軌条集電方式を採用していることです。地下鉄の草創期は少しでもトンネルの断面を小さく抑えることを目的に、パンタグラフを用いず線路脇の「給電用レール」から集電する方式を主に用いました。欧米の地下鉄や大阪市の地下鉄などはほとんどこの方式を採用しています。東京では銀座線、丸ノ内線以降は、他社線との相互直通などを考慮し架空線かつ狭軌(1,067mm)を採用するようになりました。その意味でも初期の地下鉄の設計思想を今に伝えている貴重な路線でもあります。 その歴史的価値が認められて、2008(平成20)年に「鉄構框構造やアーチ構造など、土木的に貴重な構造物が多数存在する」との理由で、土木学会選奨土木遺産に選ばれました。駅のホームから一度トンネルのつくりを眺めてみてください。当時の土木技術で何とか強固な構造を保とうと框を施してあるのがうかがえます。先人の知恵と努力に敬服の限りです。 さて、その「銀座線」の名前のもととなった「銀座駅」はこの路線を代表する駅です。この駅を利用してどれだけ多くの人が出会ったり想い出を紡いだことでしょう。今でも銀座駅の出入口は存在感を大きく示してくれます。 ところで、「銀座駅」は駅そのものとしてもおもしろいですよ。東銀座駅に向かう地下道にユニークな石像が陳列されていますし、構内の改札近くには「マーキュリー像」が設置されています。これは、1951(昭和26)年に、営団地下鉄のシンボルとして何体か設置されたものの一つです。マーキュリーはご存知のとおり〝商業の神様〟です。銀座という日本一の商店街の繁栄を祈っているようですね。 また定期券売り場には〝地下鉄グッズ〟の販売コーナーもあります。お子様へのお土産としてはもちろん、東京観光の記念品としてもおもしろいのではないでしょうか。 そんな歴史ある「銀座線」にも今月から新型車両が登場します。新・1000系です。かつての銀座線車両を髣髴とさせるレトロでモダンなデザインではないでしょうか。 昔の銀座線といえば、駅のそばではよく照明が切れたり扇風機が止まったりしたものです。これは、冒頭に述べた第3軌条集電方式ならではの現象です。駅の進入部あたりに給電レールが途切れる個所をどうしても設けざるを得ず、〝デッドセクション〟というゾーンが存在したのです。今の列車は、電気系統が工夫されているのでこの事象は発生しません。今となっては懐かしい想い出になりました。
「銀座線」を含めて、中央区の鉄道は魅力がいっぱいです。これからも注目していきたいと思います。これまで9回の連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。 菜の花と鵯<浜離宮恩賜庭園>
東京の今年の桜の開花は、平年より5日遅れ、昨年より3日遅れの3月31日。 浜離宮恩賜庭園のソメイヨシノも昨年に比べ約1週間遅れで開花。 今週末辺りが見頃になるだろうと聞くが、今年は天候の影響で菜の花と桜の競演が見られそうとのことである。 菜の花畑ではたくさんの鵯(ヒヨドリ)が飛び回り、菜の花を啄ばんでいる。 ヒヨドリは元々、10月頃渡来し4月頃渡去する冬鳥であったと聞くが、近年は留鳥・標鳥として、里山・樹木のある公園の他、都市部でも普段よく見かける鳥のひとつとなっていると云う。 非繁殖期には果実、草の葉や芽を中心に採餌し、花蜜も好み、繁殖期には昆虫類も多く捕食するらしい。 左下写真は電通本社ビル46Fからの「浜離宮恩賜庭園菜の花畑」眺望。
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