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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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【本格和食】銀座 藤田(銀座八丁目)

[お染] 2016年7月29日 09:00

そろそろ梅雨明けですね。
先日、こちらのブログで銀座の料理教室をご紹介したところですが、
今回はそちらのお店にお食事に行くことができたので、それをご紹介します

  

銀座八丁目にある和食料理店「銀座 藤田」、平日の昼間と毎週土曜日は料理教室が開催されていますが、普段は接待などにも使われる大人なお店です。

   

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博品館の並びにある第三ソワレ・ド・ビルの地下1階です。

   

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銀座のお店...ちょっと緊張しますが、光に誘われて入ってみましょう☆

      

カウンターがひらけているので、大将が目の前で鮮やかに作ってくれるのを眺め、
ワクワクしながら待ちます。

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大将のお話も楽しく、心地よいおもてなし気分がほぐれます
学生時代に本格的に野球をされていたそうなので、そんなお話も聞けるかも^^


ちょうど良い頃合いに、手の込んだお料理が一品ずつ目の前に運ばれてきます。

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まだちょっと動くくらい新鮮な「ウニ」とたくさんの食材が入った「蒸し物」。

    

お鮨を握るときに、香りづけのためだけに大葉を使っていたり(!!)、さりげなく一手間がかけられています。

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こちらのお野菜は天ぷらになります。
すべて普通に大きくなるものですが、小さいうちに収穫しているんだそうです。     

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香ばしくて豊潤な風味の「えびせん」と〆の「卵かけごはん」。超絶美味! 

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他にも、ホワッホワのあなごや、ほのかに柚子香るアオリイカ、肉厚でプリプリの海老...etc
いろいろあったのですが、出されるなり思わず食べてしまったので、写真はありません(^^;

    

食べることってこんなに楽しくて幸せなんだなと思えるお店です(´▽`*)  

海外の方もいらっしゃるようですが、和食の素晴らしさを伝えるのにうってつけかと。

ここ一番のお食事のときにもオススメですよ☆

    
==こちらで学べる料理教室も随時募集中です==

 ☆関連ブログ☆

  初級クラスについて

  中級クラスについて

      
◆銀座 藤田
HP:http://hitosara.com/0006039581/(ヒトサラ)
住所:中央区銀座8-8-7 第三ソワレ・ド・ビル B1F
電話:03-3572-5601

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永井荷風と鰻

[CAM] 2016年7月28日 18:00

 前回のブログで、荷風が竹葉亭に通ったという記述を知らない、と書いてから、少し気になって、『断腸亭日乗』を読み返してみた。すると、数か所、「竹葉亭」の名が出てくる。

 

(昭和10年9月15日)「くもりて暗き日なり。哺時(ほじ;哺の篇は日。今の午後4時ごろ)日本橋白木屋楼上古本展覧会に赴き尾張町竹葉亭に飯してかへる。」

 

(昭和10年12月15日)「昏暮銀座に往き尾張町竹葉亭に飯して後茶店辺留(キュベル)を訪ふ。」

 

(昭和12年10月5日)「曇りてむし暑し。十月の気候とは思はれぬなり。正午に起き銀座に飯して土州橋に行く。・・・・夜また銀座に行き竹葉亭に飯す。」

 

 そのほかに、鰻を食した記述として、

 

(大正6年12月28日)「米刃堂主人『文明』寄稿家を深川八幡前の鰻屋宮川に招飲す。余も招かりしかど病に托して辞したり。」

(大正10年5月28日)「松莚子の招がれて仲通の鰻屋小松に飲む。」

(昭和22年6月念8)「細雨終日糠(ぬか)の如し。市川駅前のマーケットに鰻飯90円を食して海神に行く。」

 

 等があるが、全体として、その記述は極めて少ない。荷風はあまり鰻が好物ではなかったようにも思われる。

(昭和15年10月初8)には、「子弟を教育するものは先(まず)第一にこれら人心の機微を察せざるべからず」として「鰻は万人悉(ことごと)くうまいと思つて食ふものとなさば大なる謬(あやまり)なり。」などと述べている。

 

 

真夏のスタート!日本橋橋洗い

[柴犬] 2016年7月28日 14:00

7月24日の日曜日は、日本橋橋洗いでした!

これを見ると、いよいよ夏本番だなと感じます。


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「日本橋橋洗い」は、【名橋「日本橋」保存会】さんの主催で、毎年7月の第4日曜日に開催されています。町内会・消防署・近隣企業の方などが自由に参加してお祭り気分で日本橋をお掃除します。参加は事前登録制です。ご興味のある方は日本橋保存会さんまでご連絡を!


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当日は朝から夏日和。集合時間の午前9時には、もう人でいっぱいです。これからお昼前まで、付近の道路を通行止にしてもらい、みんなでお掃除します。



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消防署の方も準備万端です。かっこいい!お子様たちが群がっていました。


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さて、まずはセレモニーから。



普段は見ることのできない、日本橋の道路の真ん中にある「日本国道路元標」(日本橋北詰の広場に複製がありますね!)に、各地の名水を掛けます。



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涼しげです。 はっ!!あの方の姿も...。↑



セレモニーが無事済んだら、放水車の登場です。今年は再生水を利用しています。なので水力は例年より弱め。


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そのぶん、人力で頑張ります!!


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水遊びのようで楽しそうです。日本橋川が綺麗な水辺になったら、こういった光景も日常的に見られるようになるのでしょうか?




そして、橋向いのスターバックスさんは、なんと!



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アイスコーヒーを提供してくださいました。



コーヒーが苦手な方やお子様でも飲めるように、ミルクとお砂糖もたくさん用意されています。炎天下の中、笑顔で配膳してくださいました。ありがたいです。




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開始から一時間経過。日本橋はもうアワアワです。この頃になると、平服で参加した人たちはそっと歩道へ避難していたりします。ガッツリ洗いたい方はゴム草履&短パン必須で!




服と云えば、日本橋橋洗いに参加してくださっている近隣企業の方々...の、法被です。



もう法被マニアにはたまらないくらい、普段は見られない様々な老舗企業の法被が見れます。どれも社風を表す工夫がしてあって、それらを眺めているだけでも楽しいです。



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ちなみに企業の方々は、本日参加しても休日出勤にはならないそうです(笑)




様々な方が参加し、びしょびしょになって掃除しているうちに、知らない者同士でもなんとなく打ち解けてくる。そんな橋洗い、ぜひ皆さんも見に来てください!早朝の日本橋も面白いですよ!



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いよいよ中央区も夏本番です。



みなさん、ぜひ遊びに来てくださいね!!



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     綺麗になったかな?



 

 

全身茶色の鱗模様のわたしは、ウミネコの若鳥です!

[佃のうさこ] 2016年7月28日 12:00

あさ6時、石川島公園隅田川テラスに聞き慣れない声がどこからか響いています。

よく目を凝らして見ると、川面の中央あたりに黒いシルエットが浮かんでいます。

カワウさんよりも大きくふっくらとしています、、、何でしょう?

朝日の逆光でカメラの望遠を使っても、その正体の判別がつきません。

幸いにも隅田川の流れに乗ってだんだんと近づいて来るのですが、

こちらとある一定の距離になると、また川の真ん中にまで戻って行ってしまいます。

何度かそんな繰り返しの後、カメラが捉えた彼らの正体は!!

ウミネコの若鳥4羽です。

横に向いた時にはっきりとわかる嘴(くちばし)のシルエットが、正にウミネコのそれです。

しかし、その体を覆う羽の色と模様は新種発見か!!と見紛うばかりの成鳥とは別物です。

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ウミネコは、漁港でエサとなる魚を拾うことが多く、

漁港近辺で集団で舞飛んでいるイメージです。

(余談ですが、カモメは渡り鳥でしかも冬鳥ですから夏にはいません。

今、夏に目撃するカモメのような鳥は、すべてウミネコです。)

みなさんがご存知のようにミャーミャーと猫に似た鳴き声をするので、

漢字では海猫と書き表しますが、英名は、白い尾に黒帯があるので、Black tailed gull。

成鳥は、こちら。

みなさんのイメージ通りのウミネコさん達ですね。

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さて、この若鳥達はどこからやって来たのでしょうか?

ここ関東地方沿岸の繁殖地からでしょうか?定かではありません。

ウミネコは、世界でも日本の沿岸を中心に、

サハリン、千島列島、中国大陸沿岸から台湾までにしかおらず、

世界的には珍しい鳥で

日本での繁殖地の青森県蕪島・岩手県椿島など5ヶ所は天然記念物指定になっています。

繁殖地で孵化して幼鳥から若鳥まで育ったもののみが、夏に各漁港に姿をみせます。

ウミネコは、縄張り意識が非常に高いようで、親鳥は巣に近寄った別の雛も攻撃するし、

雛同士も絶命するまでの傷を負わせるとか。

この隅田川までやって来た若鳥は、

孵化から約2ヶ月生き抜いた精鋭中の精鋭なんだと思われます。

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ウミネコは、幼鳥から繁殖する成鳥になるまで3年かかり、

その羽から何年目か識別できるそうです。

上の写真の右上のウミネコさんは、まだ頭部がグレーで羽の一部が茶色なので、

2年目のように見受けれます。

繁殖する成鳥は、来年2月末には繁殖地に帰ってしまいますが、若鳥はそのまま越冬します。

隅田川で一年中観察出来るグループと、繁殖地に戻るグループと分かれる訳ですね。

知れば知るほど奥の深いウミネコさん。

これからは、あなたは何歳?って思いながら観察してみようと思います。

 

 

まち歩き、江戸和菓子と出会う(明石町・湊・入船編)

[達磨] 2016年7月28日 09:00

有楽町線・新富町6番出口(海抜2.4m)を隅田川向って歩くと、昭和39年に架橋した「佃大橋」(現在は周囲耐震補強工事中)の上り口、「佃島渡船の石碑」があって、傍にある児童公園の棚にはキュウイが可愛い実を付けている。表通りには、「都立築地産院」跡地に平成15年新築の「国際紙パルプ商事」がある。覗くと!エントランスに同社仙台の子会社が制作した仙台七夕飾り、8月19日まで一般者にも展示されている。因みに、今年の仙台七夕は8/6~8/9です。

変更KPP七夕.jpg国際紙パルプ商事

このビル右脇に1905年創立「女子聖学院」発祥の碑があって、玄関斜め前の植え込みには、青山学院の楚である「海岸女学院」の記念碑が建つ。

 

ここから聖路加タワー(高さ/ 220.63m)に向って手前、居留地通りに660年の歴史を誇る饅頭発祥の「塩瀬総本家」...京都で饅頭屋を開業し時に掲げた「日本第一番饅頭所」の文字。

ここ塩瀬総本家の会社概要による、創業は南北朝時代の貞和5年(1349)で、初めて薯蕷饅頭、奈良饅頭をもたらした林浄因が中国から来日した年。同社のHPと大百科事典(マンジュウ)等での饅頭の歴史!!!

 

『塩瀬総本家』万治2年(1659年)、京都より日本橋に出店。昭和25年に現在地明石町に設立(HP)。今は2階喫茶室がなく寂しいが、変わらず格式を重んじる店内。戦後時代の七代目創案(へぇ-)の本饅頭と庶民派にうれしい和菓子「どらやき」「大福」...名店の上品な口あたりをいただいた。

変更塩瀬.jpg塩瀬総本家

 

江戸時代は江戸湊で栄えたという湊・入船の町に向う。外人慰留地の一角でということで、大戦の被害から逃れたのだろうか、今でも古い家の商店や飲食店が混在している町。中央区でも開発が遅れている地区のようだ。今も印刷業やこの関連業が多くあって、入船2丁目には「ミズノプリンティングミュージアム」がある。この地域はバブル期に地上げと崩壊後の虫食い状態だったと記憶している。湊2丁目では、ここで高層複合ビル建設の再開発が進んでいる。近くの「鉄砲洲稲荷神社」は鎮座1180年記念事業の工事中で、鳥居が閉鎖されている(参拝は通常通りHP)。

ところで中央区の真ん中は?入船3丁目付近かなぁ...「中央区はじめて物語マップ」で検証してみました。

 

和菓子屋は、靴業発祥の地・新富町7番出口に近い入船3丁目三陽』さんと八丁堀駅から直ぐの入船1丁目『入船青柳』さん。

『三陽』・・・昭和8年の創業以来、流行に惑わされることなく、和菓子本来の味を守り続けてきました...(HP)。「水饅頭」は熊笹に包まれ、とろっとした皮に上品な粒餡、香りも楽しめる品。また季節感ある和菓子をいただきたい!

圧縮入船三陽.jpg三陽

 

『入船青柳』・・・明治24年10月現在地(当初南八丁堀)で開業。店内に明治期の振子時計が老舗の時を刻んでいる。初代から受け継がれた「菊最中」は、サクサクの薄皮に上質の餡...お勧めに納得!桜の皮の香り「道明寺」!丁寧な技に和菓子を感じた。

圧縮入船青柳.jpg入船青柳

以上。

 

 

「日本橋」名の由来(3)

[CAM] 2016年7月27日 18:00

 さぎごろ、「日本橋」名の由来について、その起源は「二本橋」であったとする池田弥三郎氏の所説を紹介したが、たまたま、これを否定的に解する説(『中央区区内散歩 史跡と歴史を訪ねて(第8集)』 中央区企画部広報課・編集発行 平成22年3月)(以下「区内散歩」という。)を発見したので、この問題を再説したい。池田弥三郎氏の所説は『日本橋私記』(昭和47年発行)で説かれたものであり、45年近く前の著作であるが、「区内散歩」は比較的最近のものである。 

 

 「区内散歩」は次のように述べる、

>池田は、日本橋は最初二本丸太を渡した程度の橋「二本橋」であっただろうといわれます。その粗末な橋は、おそらく工事用のものでしょうが、日本橋川の川幅からいって、丸太二本を渡した程度のものでは用をなさないでしょう。(25)

 

 しかし、他方では、

>もっとも埋め立てに際して工事用に簡易な橋を架けていたということは当然考えられます。太い丸太を二本渡した程度のものであった可能性はありますが・・・(19)と、矛盾したことを言っている。

 

 池田氏は

>日本橋の橋名の由来に触れた『見聞集』(慶長見聞集;江戸初期の見聞記。三浦浄心作。1614年(慶長19)刊。10巻)の前後の記事は、もう少し慎重に読むべきだろうと思う。

 として、

 

>『見聞集』では、「江戸に古より細き流れただ一筋あり」とし、これに「橋五つ」わたしてあったけれども「みな、たな橋にて、名もなき橋どもなり」として、その五つの橋を、(1)雉子橋、(2)ひとつ橋、(3)竹橋、(4)大橋、(5)銭瓶橋、としている。

 

 そして、

>こういう『見聞集』の記載は、橋の名というものがいかに自然発生的に出来上がっていくものかを説いていて、興味がある。丸木の一本橋だから一つ橋、竹で出来ているから竹橋。ほかのに比べて大きいから大橋。いかにも自然で平凡でありふれている。(53)

 

 また、

>『紫の一本(ひともと)』という著作には「一ツ橋、日本橋(二本橋)があって三本橋がないのはどうしたことか」と書かれている。 このような「戯語」めかして書いてあることの背景に、日本橋はもともと「二本橋」であったのだが、それがいつか、同音連想で日本橋となってしまったという、その当時の人々がまだ知っていた巷間の「知識」が隠されているとみることは、決してこじつけではない。 (50) と説く。

 

 そして、

>橋の名が、単純で端的な名付けられ方をしているのは、何も橋に限ったわけではなく、橋の名も含めて、地名の発生からしても、もともと単純であったのである。(54) と説かれるのは説得的で同感できるように思う。

 

「区内散歩」で

>二本が三本となり四本となっても、最初の「二本橋」の名称が残ったというのでしょうが、無理があるように思います。(25) 

などと述べるのはおかしい。 「竹橋」が木橋にかわり土橋にかわっていけば竹橋という名が残るのは無理がある?とでも言うのだろうか。

 

 すでに例に挙げた「一ツ橋」「竹橋」などのほか、「六本木」「二本松」などなど、地名とは最初の由来がそのまま残ったものが多いのであって、必ずしも現況に合わせて「改名」されていくとは限らないだろう。

 

 

 
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