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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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わいんの窓

[王冠とあざみ] 2018年5月26日 18:00

築地に住んでいると『銀座は庭』なので、気候が穏やかになると

晴海通りか、松屋通りか、マロニエ通りを歩いて向かうことが多い。

先日も、築地警察署からヤマト運輸本社前を過ぎ

ナチュラルローソンの辺りで、向かいにオープンしてから

ずっと気になっていたワインショップに立ち寄った。

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わたしは、ひいお婆ちゃんと父から

酒飲みのDNAをしかと受け継いだために

「バッカス(酒の神)に愛された女」と自称するほど

生活のあらゆるシーンで、酒と薔薇の日々を堪能している。

ワイン資格も取得、ワインインポーターに勤務し、

旅行なら、酒蔵・カーヴ・蒸留所抜きに巡ることはまず無い。

  

その日も、神様からの粋な計らいが用意されていた。

ワインショップの運営責任者が

旧知の仲の、小林ソムリエではないですか!

耳元でベートーベンの「運命」が鳴り響く。(嗚呼、神様)

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小林成好氏は

バーテンダー&ソムリエとして44年のキャリアを持つ重鎮。

「高卒でホテルに入社した時、

出来れば配属されたくないのがコックとバーテンダーだった。

うぶな若者にとって、酒と女が身近なバーテンダーは

なんとなくダークなイメージがあって嫌だった。」と振り返る。

1980年(昭和55年)開業のセンチュリーハイアット

(現:ハイアットリージェンシー東京)に永らく勤務。

「でも、いま想えば運命だったのでしょうね。

配属先にいい人がいて、周りの環境が良かった。恵まれて来ました。」

 

銀座 赤坂離宮のオープンに伴い、転職。

周富徳さんから赤坂璃宮を引き継いだ譚彦彬シェフが

2004年10月、銀座交詢ビルに

万感の思いをこめて開店したのが「赤坂璃宮 銀座店」

 

*シェフへの当時のインタビュー記事があったので抜粋*

「銀座ではワインにこだわりたい、と考えました。

それで小林ソムリエを招集したんですが、

大型ワインセラーを、2台も入れることになってしまってビックリ。

店に入ってすぐに目につきますからインパクトがあるでしょう。

でも、結果としてソムリエの知識や接客は

他のスタッフにも大変いい影響を与えましたから

とても良かったなと思っています。」

 

次にオファーされたのが

国内有数を誇る「酒類食品卸」日本酒類販売

インポーター直輸入ワインのリアル店舗運営。

2012年10月、直輸入商品のPR・広告宣伝を目的とした、

ショールーム兼ワインショップ<わいんの窓>オープン。

東京駅八重洲南口、徒歩1分の好立地な場所だったが、

2017年、再開発のため移転を余儀なくされる。

 

しかし、常連のお客様からの「遠くへ行かないで!」

「せめてタクシーでワンメーター以内の距離に!」

という熱望の声に、2017年9月、東銀座での再出発となった。

 

ショップのコンセプトを伺うと

●毎日、日替わりで、泡1種、白3種、赤3種、

グラスワイン(120m)の用意があるので、

ミニBarコーナーで味を確認してから安価で購入して頂けます。

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●地域密着。

セラーでは、すぐ飲めるように、冷やして販売もしているので

働く人、住んでいる人、地元の人に

お家の延長のワインセラーとして、気楽に使って欲しい。

「上手く抜栓出来ないから、コルク抜いて!」だけでもOK。

   

●J.S.A.ソムリエ・J.S.A.ワインエキスパート呼称資格認定試験に

出題されそうなワイン品種のセット販売もあり。

  

また、非常に驚いたのが、

小林氏と再会したのが12ぶりぐらいにも関わらず

「最後にお会いしたのはデパートの催事で、

ヴーヴ・クリコをお飲みいただきましたよね」と

驚くべきお言葉。!

言われるまで綺麗さっぱり忘れていましたが、

確かに。。。そうでした。。。

記憶が鮮やかに甦ります。。。

恐るべしバーテンダーの記憶力。

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小林氏の円熟に達した接客と、その人生経験の豊かさから

会話の糸が繋がって、ワインショップなのに、長居して

つい、人生相談までしちゃいそうになる、懐の深さ。

「ワインを購入する」以外の何かが必ず得られる場所です。

 

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<わいんの窓>

所在地:〒104-0061 

東京都中央区銀座3丁目14-1

電話番号:03-3541-6420

営業日 毎週火曜日~土曜日

定休日 日曜・月曜・祝祭日

営業時間 10:00~21:00

 

 

 

【遠足シリーズ第2弾】京橋にあった!日本初の街頭公衆電話

[Hanes] 2018年5月26日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は前回に引き続き、中央区外で区の歴史を知ることのできる遠足シリーズです。
第2弾の舞台は長崎市のグラバー園。
そこで思いがけなく出会った中央区ゆかりのものをご紹介します。

早速ですが、今回フォーカスするゆかりのものとは...こちら!
写真に答えが写っていますが、「自働電話」と呼ばれるものです
現代の電話ボックスと異なり、お洒落で西洋風ですよね

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一瞬、「西洋の影響が色濃く残る長崎ならではの光景なのでは?」と思いましたが、
よくよく見てみると、
「明治33年東京・京橋のたもとにわが国最初に設置したものを復元しました」
と書かれているではありませんか

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気になって当時の写真を探してみると、ありましたありました!
まだ高層ビルのない京橋に佇む趣のある自働電話ボックス

Automatic.jpg
(逓信総合博物館 所蔵)

当時の電話機は、アメリカで用いられた名称「オートマチック・テレホン」を直訳し、
「自働電話」と名付けられましたが、公衆電話と同一のものです。
1通話時の市内通話料(15銭)を2年後に5銭に下げたところ、利用者が増え、普及!

ちなみに普及し始めた1902年。中央区では資生堂パーラーがオープンしています
当時の理髪料が1通話時の通話料と同じ5銭であったのに対し、パーラーのアイスクリームソーダは1杯25銭だったそうで、
非常に高価な飲み物だったことを再確認することができます

さて、話を戻しまして、ここで簡単に公衆電話の歴史を振り返ってみます
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1900年9月  それまで電信支局や郵便局内にしかなかった公衆電話が、上野・新橋両駅
         構内に設置される。
1990年10月 初の屋外用公衆電話ボックスが京橋のたもとに設置される。
(その後の詳細は、NTT西日本「公衆電話機のうつりかわり」をご覧ください。)
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日本初の常設エスカレーターが三越日本橋新館に設置されたことは、
中央区観光検定の勉強をしていて知りましたが、
公衆電話が初めて街頭に進出したのもここ中央区だったのですね

復元ではありますが、記念に自働電話ボックス内に入ってみようと
ボックスに馴染んだこの取っ手を引くと、

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内部は現代のものとさほど変わりのない広さになっていました。
現代のもののように上から下まで透明ではないので、視界はやや制限されますが、
導入されたばかりの自働電話から電話をかける人の気分を味わうことができました

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広島市、長崎市と2記事通して遠足シリーズをお送りしましたが、
区外で発見できる中央区の魅力や関連史はきっとまだまだあるはずです。
出先で中央区に関する史跡を探してみるのもなかなか楽しいですよ


 

 

ビワの実、実る〔銀座柳通り〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年5月26日 12:00

昨年もご紹介した銀座柳通りにあるビワの木に、ビワの実が実っています

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ビワの木に関して言えば、中央区内で築地川公園新大橋通りにもあるのですが、やはり、銀座の通りビワが生っているというのは、絵的にインパクトがありますね

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ビワは、バラ科)の常緑高木です

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ビワに関する豆知識としては、奈良時代から生薬鍼灸などの民間療法に利用されてきたそうで、琵琶葉びわよう)、種子琵琶核びわかく)とよばれる生薬だそうです

大薬王樹」と呼ばれ、民間療薬として親しまれてきたとのこと

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桃栗三年柿八年」ということわざがありますが、これは、果樹を植えたら、食べられる実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかるということを表しているそうです

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この「桃栗三年柿八年」のあとに続くことばには、「梨の馬鹿目が十八年」「柚子は大馬鹿十八年」「林檎にこにこ二十五年」 「梅は酸い酸い十三年」とかがあるらしく、「枇杷(は早くて)十三年」というのもあるそうですよ

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オレンジ色ビワの実を見ると、まだ入梅前ながら、が近づいているなという気がします

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昨年6月のブログ記事はこちら ⇒

/archive/2017/06/post-4369.html

 

 

伝統を守り続ける料亭 ①  ~ 玄冶店 濱田家 ~

[rosemary sea] 2018年5月26日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をスペシャライズ インして取材します、rosemary seaです。

玄関口.jpg

玄冶店 濱田家(げんやだな はまだや)さんは日本橋人形町にあります、伝統と格式の料亭です。

今回は濱田家さんの歴史について語らせていただきます。

 

玄冶店 濱田家 総支配人 伊藤博仁さんにお世話になりました。

それでは・・・

外観(昼).jpg 外観(夜).jpg

玄冶店 濱田家さんの創業は大正元年(1912年)になります。

まず、店名の由来から・・・

「濱田家」の名は江戸時代、花街として知られました芳町(よしちょう:現在の日本橋人形町周辺)の芸者さんの置屋「浜田屋」に由来します。

 

・・・「東京六花街(とうきょうろくかがい)」

以前は柳橋・芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草を六花街と呼んでおりましたが、柳橋花柳界の消滅後は向島が加えられ、六花街と呼ばれました。

芳町は周辺に歌舞伎の芝居小屋が建ったことで花街の原型ができた、と云われています。

 

川上貞奴.jpgここで登場しますのは「浜田屋」の芸者、貞奴(さだやっこ)さん。

日舞に秀で、才色兼備の誉れが高く、時の総理 伊藤博文や西園寺公望といった名立たる元勲からひいきにされました。

名実ともに日本一の芸者であったと云われています。

また、のちに彼女は「日本初の女優、川上貞奴」として広く知られる人でありました。

 

芸者置屋としての「浜田屋」は明治の末にそのお店を閉めることとなります。

しかし現:「玄冶店 濱田家」創始者であります三田五三郎(みた ごさぶろう)氏は、浜田屋主人の親戚筋でありました関係で、この由緒ある「浜田屋」の名を譲り受けられ大正元年、料亭「濱田家」を開業されました。

 

・・・「玄冶店」

玄冶店は江戸初期の名医、岡本玄冶(おかもと げんや)に由来します。

初名は宗什、のちに諸品と改めましたが、「玄冶」は通称名です。

天正15年(1587年)、京都に生まれました。

16歳の時、曲直瀬玄朔(まなせ げんさく)の門に入りまして医学を学び、玄朔門下第一の高弟と称されました。

徳川家康に拝謁し、元和元年(1618年)法眼、寛永5年(1628年)には法印に叙せられました。

法眼・法印は本来、僧位(お坊さんの位)の最上位を言うのですが、江戸時代にはお医者様にも及んでいた位です。

元和9年(1623年)、二代将軍秀忠に召されてその侍医となり、続く三代将軍家光にも重用され、家光の病を平癒させたことで名を馳せました。

啓廸院の称号も賜り千石の領地も拝領し、江戸ではここ日本橋人形町に屋敷を構えました。

のちに世人はこの日本橋人形町付近を、岡本玄冶の邸宅跡にちなんで「玄冶店」と呼ぶようになりました。

そしてご隠居さんやお妾さんなど、小金を持っていて働いていない人々が住む、というイメージの地域となりました。

幕末の嘉永6年(1853年)に大当たりをとりました歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)の舞台「源氏店(げんじだな)」のモデルとして玄冶店は有名になりました。

 

ここから更に横道に入りますが、もう少しおつきあい願います。

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・・・与話情浮名横櫛【三代目瀬川如皐(じょこう)・作】

いわゆる「切られ与三」です。

三幕、源氏店妾宅の場より

  (与三郎)   え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、

          いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。

  (お富)    そういうお前は。

  (与三郎)   与三郎だ。

  (お富)    ええっ。

  (与三郎)   お主(のし)ゃあ、おれを見忘れたか。

  (お富)    えええ。

  (与三郎)   しがねぇ恋の情が仇。・・・ ⇒ (ここから長ぜりふ:略)

 

長唄の四代目芳村伊三郎の体験談が講談となり、更に如皐が舞台化しました。

登場人物も「おまさ」がお富に、「伊三郎」が「与三郎」に替えられ、時代も江戸を鎌倉に、場も「玄冶店」を「源氏店」に替えています。

初演は嘉永6年(1853年)、江戸中村座で、配役は与三郎:八代目市川團十郎、お富:尾上梅幸(のちの四代目菊五郎)でした。

のちに与三郎:十五代目市村羽左衛門(うざえもん)、お富:六代目尾上梅幸、蝙蝠安(こうもりやす):尾上松之助による名演技が評判となりました。

大正から昭和にかけての歌舞伎の代表作です。

なお、ここから派生して小山内薫の戯曲「与三郎」、春日八郎の歌謡曲「お富さん」、市川雷蔵・淡路恵子の映画「切られ与三郎」などが、作品として生み出されました。

濱田家ロゴ.jpg

・・・「蝙蝠安」

強請(ゆすり)のため、お富さんのところへ与三郎を連れてくる人物。

濱田家さんのシンボルマーク「蝙蝠」は、この蝙蝠安にちなんでいます。

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画像は濱田家さんのマッチ。切られ与三(右)と蝙蝠安(左)。

 

・・・今回はここまでです。次回に続きます。

濱田家(門).jpg

玄冶店 濱田家

日本橋人形町3-13-5

03-3661-5940     FAX 03-3808-0801

営業時間 <昼> 11:30~15:00 (水曜、木曜、土曜のみ営業)

     <夜> 17:30~22:00

定休日 日曜・祝日

総室数 8室(2~60名様)

お料理単価 <昼> お一人様 15,000円 / 25,000円

          (サービス料15%別、消費税別)

      <夜> お一人様 30,000円 / 40,000円 / 50,000円

          (サービス料20%別、消費税別)

 完全予約制です。

玄冶店 濱田家さんのホームページはこちら

⇒ https://hamadaya.info/

 

 

 

中央区の歩道っておもしろい!6 【銀座1丁目】

[湊っ子ちゃん] 2018年5月25日 14:00

中央区には、地域のみなさんに親しまれ、愛称を持った道が98路線あります。どの道にもストーリーがあり、様々な表情で私たちに語りかけてくれます。そしてじつは、愛称を持たない道にも、たくさんの魅力が詰まっているんです。今日は、そんなさりげない道に、スポットライトを当てたいと思います。
 

♪ 高速下のレトロな道
 
こちらは、銀座1丁目17番、「木挽町仲通り」の始まる一歩手前の道です。愛称はありません。あえて言うなら、特別都道451号線。首都高の銀座一丁目駐車場があり、その隣には京橋消防署が並びます。昭和通りからひとつ入ったところの、ひっそりとした道でありながら、車も人通りも多く、生活に欠かせない道です。
 
江戸時代の慶長期、外堀から楓川を目指し開削された約600mの水路、「京橋川」。戦後の復興事業の一環として、昭和29年(1954)から埋め立てが始まり、昭和34年(1959)に姿を消しました。ちょうどこの辺りに、「白魚橋」が架かっていたはずです。今は頭上を高速道路が横切り、日陰を作ります。

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この銀座1丁目駐車場は、一面レンガ張りになっています。どことなく懐かしい雰囲気が漂っています。駐在さんがおり、大きな窓越しに、思わず目が合ってしまうところも、なんだか人情味があります。歩道のわきには、小さな植え込みがあって、花が咲いています。コンクリートと車の騒音に囲まれたなかで、小さな花たちは、健気に季節を伝えてくれます。

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隣の京橋消防車は、住所が変わり、京橋3丁目14番になります。銀座1丁目駐車場との間の隙間から覗き込むと、通りの向こうはぐっと沈み込んだ地形になっており、かつての楓川を、猛スピードでゆく車たちが見えます。エントランスの植え込みには、かわいい花が咲いていました。そして、キュータくんがポーズをとっているのです。さらに、キュータくん用のミニのカーブミラーもあり、何ともかわいいです。

 

♪ 自動電話交換発祥之地
 

銀座1丁目駐車場の反対側は、もう木挽町仲通りです。セイコーウォッチの大きなビルに出会います。角を曲がって新金橋方面を向くと、敷地内の植え込みに「自動電話交換発祥之地」碑をみつけました。記念碑にはこうあります。

kyu03.jpg― 我が国における自動電話交換方式の発祥は、大正15年1月20日、旧京橋電話局の交換業務開始による。自動電話交換開始50年に当り京橋電話局跡であるこの地に、記念碑を造り昭和50年1月20日除幕した。記念碑は当時の自動電話交換機の回路図の一部を図案化したものであり、「自動電話交換発祥之地」は米澤滋博士の筆によるものである。―

(東京都中央区銀座1丁目26番1号)
 

この記念碑が除幕された昭和50年(1975)、ここに建っていたのは、ホテル銀座ラフィナート(旧名 京橋会館)という建物だったそうです。その時は、今よりもっと大きな回路図が、エントランスの外壁に掲げられているのを写真で見ました。セイコーウォッチのビルが建ったのは、平成28年(2016)5月です。この記念碑もそれに合わせ、新しく造り替えられたのだと思います。現在は、NTT東日本京橋ビルが、銀座2丁目にありますね。 こうして見ますと、名もない道にも、かけがえのない"あゆみ"があります。だから、中央区の歩道っておもしろい!と思うのです。

中央区観光特派員 湊っ子ちゃん

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第11号 平成30年5月20日

 

 

ミルフィユ専門店★ミルフィユメゾンフランセ

[まぴ★] 2018年5月25日 09:00

松屋銀座にあるミルフィユの専門店です。
ここでしか買えないようで、フランス産小麦パイ生地が使用されています。

 

パッケージがとてもお洒落で高級感もあり、
いくつかの情報番組でも取り上げられたようです。

 

この日はプチガーデンパーティの手土産に
持っていきましたが、とても喜ばれました(*^^*)

 

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サクサクで香りも風味もよく美味しいし、
なんといっても銀座限定品なのがいいですね!

 

ミルフィユメゾンフランセ 松屋銀座のホームページ

 

 

 
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