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2017年10月 8日 18:00
何方かが「すきやばし次郎」なる鮨屋のことについて書かれていたのを読んで、保有の関連資料を見直してみました。
"JIRO DREAMS OF SUSHI" というDVDは2011年の制作(音声は日本語、英語字幕)。『すきやばし次郎旬を握る』という書籍は、単行本が1997年、文庫版は2001年の刊行です。私は、職人、芸能人、スポーツマンなどが妙な講釈、教訓を垂れるのは好みではないのですが、このDVDではそれほどの嫌味は感じられない。
私のような貧乏人は、1回3万円以上もするというような高級寿司店には入れないし、入る気も全くないのですが、店の位置と外観だけ、参考までに見学に行ったことがあります。本文章は、「グルメ情報」ではなくあくまで「歴史・文化」について述べたものです。
御長男が述べている通り、このカリスマ化してしまった主人が亡くなった後、店の運営をどう維持していくかが問題でしょうね。
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2017年10月 6日 14:00
http://www.nihonbashi-tokyo.jp/enjoy/gem/201212/
>人形町の甘酒横丁にある豆腐屋「双葉」(日本橋人形町2-4-9)。深川で創業した後、昭和23年(1948年)にこの地に移ってきたのだという。豊富な品揃えが魅力の店だ。
風情ある竹筒に入った『竹豆腐』には、日本橋らしい逸話がある。かつて隅田川沿いには料亭がひしめき合い、春は花見、夏は花火、秋は月見の屋形船を出していた。そこで供する品として豆腐は人気だったが、舟の揺れでガラスの器から飛び出してしまうことが多かったため、それを防ぐ策として竹筒に流し入れた商品を思いついたのだという。
>名物の『ジャンボがんも』は、三代目の遊び心から生まれた商品。30年ほど前、大きさの違うがんもを重ねて、年の瀬に"お供えがんも"として売り出したところ「美味しい」と評判になり、通年の商品として売り出した。家で煮る際には、味つけの前に茹でこぼすのがコツ。つなぎの大和芋がふっくらと膨らみ、味がしみやすくなる。「これからの季節、お豆腐はお鍋やおでんによく合いますよ」。
ぜひ足を運んで、数種類のお豆腐を購入し、心ゆくまで大豆の美味しさを楽しもう。
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2017年10月 6日 14:00
「人形市」が始まりました。12回目だとかで、今年は10月5日(木)、6日(金)、7日(土)の3日間です。これが終わると、10月8日(日)は「てんてん祭」です。さらに、10月28日(土)には「ハッピーハロウィンラリー2017」と、人形町では、楽しい企画が続々と続きます。 以下は、「人形市」10月5日夕方の光景です。
メトロ駅出口付近
からくり人形(火消し)付近
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2017年10月 5日 12:00
http://www.nihonbashi-tokyo.jp/enjoy/gem/201201/
江戸時代、歌舞伎や浄瑠璃、人形芝居などで賑わった人形町。創業から百年余り、昔ながらの味を守り続けているのが「人形焼本舗板倉屋」(東京都中央区人形町2-4-2)だ。もともとは「焼きまんじゅう」という名前で、芝居見物に訪れる人たちに愛されていた。その後、初代が人形町の名前にちなんで「人形焼」と命名したという。
人形焼の姿は七福神。創業当時は全身像だったが、現在はお顔だけが並んでいる。布袋尊、弁財天、恵比寿、毘沙門、大黒天、寿老人、弁財天ときて、福禄寿のお顔が見えない。「うちの人形焼は6つの神様。お客様の笑顔を合わせて七福神になるんです」と話すのは、四代目・藤井雄太さん。
店頭では1個から販売しており、焼きたてをいただくことも出来る。カリッとした香ばしい皮の中から、柔らかでふっくらとした餡が顔を覗かせ、独特の美味しさ。食感のコントラストに驚かされる。「翌日の味もいいんですよ」という四代の言葉どおり、一日置くと皮と餡がしっとりと馴染み、これまた優しい味わいが楽しめる。
創業以来、手焼きを守り、素材も吟味してきた。きめの細かな生地は、卵黄に砂糖やはちみつなどを加えて一晩寝かせ、翌朝、メレンゲ状にした卵白と小麦粉とを合わせて仕上げている。「一晩寝かせることで、砂糖の粗い粒子が柔らかくなるんです」。餡は、十勝産のあずきとしゅまりという品種のあずきをブレンドしたもの。このほか、餡が入っていない「戦時焼」や、清流に住むことから清らかでめでたい魚とされる鮎をかたどったお菓子などもある。
人形町で生まれた人形焼。七福神のお顔をありがたく眺めながらいただきたい。
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2017年10月 4日 18:00
自分の能力もわきまえず(ペーパー通訳案内士です)、ついついインバウンドのまち歩きツアーのガイドを引き受けてしまったので、人形町まで、その下勉強に行ってきました。
大観音から「ちどり屋」へ向かうあたりで外人の団体に出会い、ガイドの女性(日米のハーフのよう)に、聞いていてよいかと訪ねたら、「料金をいただくわよ」と笑いながら言われました。まあ、冗談であることは明らかでしたから、そのまま追いていこうかとも思ったのですが、遠慮しました。
その後、からくり時計の所では、中国語のガイドが説明していました。その他、人形町通りにはかなりの外国人が見られ、インバウンド隆盛のようです。
「ちどり屋」(東京都中央区日本橋人形町1-7-6 HSビル1階)は手ぬぐい専門店であり、「取り扱っている手ぬぐいは、全て『注染(ちゅうせん)』と呼ばれる染色方法で染められています。熟練の職人達による手染の『注染』は、伝統工芸にも指定されています」ということです。
「注染」とは、あるサイト(http://www.suzukine.co.jp/blog/2015/10/23/118)によると「明治時代に考案された日本独自の染色方法です。裏表なく染められた手ぬぐいや風呂敷、さらに浴衣などは注染の技法で染められています。細かな柄もきれいに染め上げることができるうえ、一度に数十枚を染められるので当時としては画期的な染色法だったのです。
同じように細かい柄を染める方法として染色プリントがあります。しかし、注染は糸を直接染め上げるので、布の伸縮性や通気性を損ないません。また、使うほど柔らかい風合いが増し、味が出てくるのです。ですから、洗濯をくりかえす手ぬぐいや木綿の浴衣を染めるには、ぴったりの方法といえます」ということです。
「ちどり屋」は「"手ぬぐい"の販売を通して日本の文化と職人さんを守る手助けが出来る事を誇りに、全国に店舗を展開していくべく「人形町本店」を、その第1号店として開店いたしました。手ぬぐいのほか、気づいたときにささっとお掃除ができる「箒(ほうき)」や「風呂敷」といった日本の良品もお取扱させていただいております」ということです。
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2017年10月 1日 16:00
天気のよい日には、ばあやは私を背中に負ぶって方々の縁日へ連れて行ってくれた。浜町の家から一番近いところにある清正公、人形町の水天宮、大観音、牢屋の原の弘法大師、時には日本橋通りを越えて西海岸の地蔵などへも行った。中でも大観音は活版所と同じ町内にあったので、頑是ない時から最も馴染が深かった。今は彼処がどんな風に変っているか知らないが、昔は表通りからちょっと奥へ入り込んでいて、石甃の道の両側に、浅草の仲見世を小さくしたような玩具屋の店が並んでいたので、私は必ずその前を通ると何かしら玩具をねだって帰った。 (50)
When the weather was fine, Granny often carried me piggyback to various temple fairs and markets - to the Seisho-ko, which was closest to our house in Hama-cho; to the Suitengu in Ningyo-cho; to the O-Kannon, and the Kobo Daishi Temple in Royanohara; and sometimes as far as the Nishigashi Jizo beyond Nihombashi Avenue. Of them all I felt most at home at the O-Kannnon, since it was right in our neighborhood. I have no idea what it looks like now; but it used to be set back a bit from the street, and numerous toy shops lined both sides of the flagstoned path that led to the Main Hall - like a smaller version of the celebrated Nakamise arcade in front of the Asakusa Kannnon Temple. (39)
清正公(清正公寺;浜町公園内にある加藤清正公を祀る寺)
水天宮(安産・水難・水商売に御利益のある神様で、福岡県久留米市にある水天宮を総本社とする)
大観音(大観音寺;明治13年当地に創建。本尊の銅仏は、北条政子が井戸から掘り出した古鉄の正観音の御髻から霊験を得て、鎌倉に創建した新清水寺に祀られていたものだという)
牢屋の原の弘法大師 (大安楽寺;伝馬町牢屋敷跡であったことから誰も住み着かなかったため、大倉喜八郎と安田善次郎が土地を寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建された。高野山から弘法大師の像を遷座したことに因み新高野山と号した)
西海岸の地蔵 (日本橋西河岸地蔵寺教会;奈良時代の僧・行基が彫ったとされる地蔵菩薩を安置する)