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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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関戸 勇 写真展〔コミュニケーションギャラリーふげん社〕

[ジミニー☆クリケット] 2019年1月 9日 09:00

築地1丁目、築地ガーデンビル2階のコミュニケーションギャラリーふげん社で、「関戸 勇 写真展『視線の先』PARTⅡが開催されています

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会期は、1月8日)から26日)までです。

時間は、火曜から金曜までが12時から19時土曜12時から17時までで、日曜月曜がお休みとなります。

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関戸勇さん写真展は、こちらのギャラリーでは昨年に引き続き3回目の開催となるそうです

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関戸さんは、岩波映画製作所写真部を経て、現在はフリーランスで活動されている北鎌倉在住の写真家です

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今回の写真展は、関戸さん九霞園三代目村田行雄さんの共著「たくさんのふしぎ1月号 盆栽をそだてる」(福音館書店)の発売に併せて開催されていますが、展示写真は現九霞園園主 村田勇さんの丹精な盆栽に魅せられた関戸さんが十数年通う内に撮影された作品です

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展示されている作品の盆栽は、唐カエデケヤキヒトツバタゴ五葉松といった、通常、私たちがイメージする盆栽に交じって、さつまいもパセリアケビ)などびっくりするような盆栽()もあります

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ただ、共通するのは、「美しさ」ということで、自然の造形美しさ人が手を加えたことによる美しさがうまく協調し合っているように感じました

その盆栽の最も美しい瞬間を、美しく切り取った作品が展示された写真展です

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私の撮った会場風景のスナップ写真では、とてもその美しさは伝えられませんので、是非、ギャラリーにお越しになり、直にこの美しさを皆さんの目で確認してみてください

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なお、ギャラリー内での写真撮影に関しては、ギャラリーおよび当日会場におられた関戸さんにご了解をいただきました

ありがとうございます

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コミュニケーションギャラリーふげん社のHPはこちら ⇒

http://fugensha.jp/

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2019 築地・波除神社 初詣

[サム] 2019年1月 7日 14:00

P1010031ELS'.jpgDSC08221RSRG.jpg 築地市場の豊洲移転後も土地の氏神様として親しまれている築地・波除神社。

新しい年を迎える12月31日深夜、今年も多くの初詣客で賑わっています。

提灯に灯がともり、本殿前には、清浄の祓いの神具、茅を束ねて輪にした「茅の輪」が設えられています。

23:30から執り行われる、その年最後の祭典「年越ノ大祓式」終了後、元旦0:00まで一旦境内への立ち入りは禁止となり、年が明けると、太鼓の音と共に「明けましておめでとうございます」の掛け声を合図に、鳥居前に長蛇の列を作った大勢の参拝客は順次境内に入り、先着1000名に配られる手作りの縁起物「干支の守り札」(左上画像)を受け取り、茅の輪をくぐり、本殿前に向かいます。

例年15日すぎまで、多くの初詣客で賑わいます。

 

 

浜離宮の放鷹と駅伝応援をはしご

[saru] 2019年1月 6日 12:00

3日に昨年の正月に引き続き、浜離宮恩賜庭園の放鷹術の実演を観に行きました。これは浜離宮が将軍の鷹狩場だったことに由来して、毎年正月に行われています。

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やってみたいというお客さんも何人か挑戦し、ちゃんと腕に飛んできました。

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隣接するビルから獲物に向かって急降下させる実演。昨年はトビやカラスがたくさん飛び回り威嚇していたせいか、途中の木に降りてしまいましたが。

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今年は見事、獲物に向かって一直線で鷹は舞い降りてきました。

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園内には出店も出ていて、歌舞伎座出店の「将軍雑煮」を頂きました。将軍が食べた雑煮を再現しているそうで、体が温まりました。

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とりあえずの腹ごしらえの後、駅伝の応援へ。

京橋から永代通りまでの中央通りを13時過ぎ位に通過するみたいでしたので、八重洲通りの交差点まで歩いていきました。着くと沿道にはかなりの応援の方たち、出走大学のブラスバンドも来ていて盛り上げています。しばらくして先頭走者がやってきて、声援が多くの飛び交いました。

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もう大手町のゴールも近いせいか、ラストスパートという感じです。

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テレビで見るのと違った、生の臨場感を味わえた1日でした。

 

 

【中央区観光検定対策】川・橋編(4)

[Hanes] 2019年1月 6日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は【中央区観光検定対策】川・橋編最終回で、河川の埋め立てを取り上げます。
(これまでの記事はこちらから→(1)(2)(3)

多くの河川や掘割により、江戸時代から「水の都」と呼べるほどだった現在の中央区。
しかし時代を経るにつれ河川は埋め立てられ、その名残はまちなかの案内板や残された親柱の存在で知ることができます。
いつ、何を機に埋め立てられ、それによってまちがどう変わったのか...
そういったことを5W1H的に覚えておくと、出来事同士を因果関係で結ぶことができ、
より中央区の発展史が頭に入りやすくなります

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(↑昨年受験検時の対策ノートの1ページ)

河川の埋め立ての契機となった出来事は、大きく分けて以下の4つに分けられます。
震災復興、戦火復興、東京オリンピック、その他。

■震災復興
入船川、鉄砲洲川、西堀留川(伊勢町堀)はこの早い段階で埋め立てられました。

■戦火復興
当時、残土やがれきを運ぶ車両や燃料がありませんでした。
そこで、水路としてあまり必要ではない川を残土やがれきで埋め立てて土地を造成し、
それを売却して事業費を捻出するという都のがれき処理対策が実施されました
それこそがこの埋め立てで、外堀川の北半分や三十間掘川はこの時姿を消しました。

■東京オリンピック(1964年、第18回)
オリンピックに向け、高速道路、地下鉄、幹線道路の整備が急がれました。
そこで、築地川楓川を埋め立て、一号線(京橋~芝浦間の4.5km)を中心とした首都高を建設し、佃大橋の架橋(1964年)により、佃川の埋め立てが行われました。
しかし、あまりに立て続けに埋め立てたため、雨水の排水が不可能に
そこで、東京都下水道局のポンプ場が浜町、中洲、箱崎町に設けられました。

〈余談〉
聖火リレーのコースは、清洲橋~茅場橋間の1.5km、
茅場橋~鍛冶橋間の2.0kmでした

河川の埋め立てについては特に詳しく覚えておく必要はありませんが、
知っているときっとまち歩きが楽しくなると思います

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

【中央区観光検定対策】川・橋編(3)

[Hanes] 2019年1月 5日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
少し間が空いてしまいましたが、【中央区観光検定対策】川・橋編の続きです。
(これまでの川・橋編の記事はこちらから→(1)(2)
今回取り上げるのは、③川の合流地点とその前後の橋、④橋の特徴といわれです。

まずは、③川の合流地点とその前後の橋について。
突然ですが問題です!
・日本橋川が隅田川に合流した後、最初に架かる橋は何でしょうか?
・日本橋川はどこ(地名)付近で亀島川に分かれているでしょうか?
・亀島川が隅田川に合流した後、最初に架かる橋は何でしょうか?

今回はあえて答えを載せませんが、上記の問題に対してパッと答えが浮かばない方、
検定前に確認してみてはいかがでしょうか

続いて④の橋の特徴といわれは、実際に見たり、書いたり(描いたり)すると効果的に覚えられます!

■隅田川

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(絵心はなくても、特徴をインプットできたもの勝ちです

・両国橋(明暦の大火を機に架橋。当時は「大橋」。橋名の由来→(1)
・新大橋(関東大震災で落橋や火災を免れ、橋上の人々の命を救った「人助け橋」。)
・清洲橋(ドイツのケルンにあった吊橋がモデル。橋名の由来→(1)
・永代橋五代徳川綱吉50歳を祝し架橋。道路橋としては日本初の鋼鉄製トラス橋。
 明治37年には路面電車が敷設。)
・中央大橋(新川-佃間。パリ・セーヌ川との友好記念「メッセンジャーの像」有。)
・佃大橋(昭和39年、「佃の渡し」に代わり架橋。佃川埋め立てに伴い、佃橋撤去。)
・勝鬨橋(完成時には「東洋一の可動橋」と呼ばれ、1日5回跳開。
 1905年、日露戦争での旅順陥落を記念した勝鬨の渡しに始まる。)
・築地大橋環状第2号線が通る新しい橋。)

■日本橋川
・豊海橋(元禄11年架橋当時は乙女橋とも呼ばれた。梯子を横にしたようなデザイン。
 周辺風景は、北原白秋『大川風景』永井荷風『断腸亭日乗』にも描写あり。)
・湊橋(新川-箱崎間。江戸湊の出入口にあたることが橋名の由来。)
・茅場橋(昔、南詰は茅場河岸(を切って積む置場)で、これが橋名の由来。)
・鎧橋(大正-昭和には市電が走った。「メイゾン鴻乃巣」「鎧の渡し」要確認。)
・江戸橋(明暦の大火後に江戸橋広小路を整備。江戸時代には小店が集まる盛り場。)
・日本橋(慶長8年に架橋。翌年には五街道の起点に。4つの橋詰広場も要確認!)
・西河岸橋泉鏡花の名作『日本橋』の舞台。)
・一石橋(江戸時代初期に木造橋として架橋。橋名の由来も要チェック。)
・常盤橋
・旧常磐橋(江戸時代に江戸城正面大手門に通じる「江戸五口」の一つ常盤橋門有。)
・新常盤橋

■亀島川
・霊岸橋(茅場町-新川間。江戸時代は葦の生い茂る低湿地帯。)
・新亀島橋
・亀島橋八丁堀-新川間。元禄12年架橋。今の橋は平成14年のもの。
・高橋
・南高橋旧両国橋の一部を再利用。都内に現存する明治期の鉄骨橋梁としては
 旧弾正橋に次いで古い。)

■朝潮運河
・朝潮大橋朝潮橋晴月橋
・トリトンブリッジ(屋根付きの動く歩道!)
・黎明橋晴海通りが通り、トリトンブリッジと並行。)
・黎明大橋環状第2号線が通る新しい橋。)
・朝潮小橋(平成15年竣工の約113mの橋。自転車と歩行者専用。)

■その他の橋
・佃小橋(佃島完成時に架橋。橋の下には、住吉神社の本祭りで使う大幟の柱
 腐食防止のため川底に埋められている。)
・柳橋(町年寄が架けた木造橋に始まる。永代橋がモデル。
 永井荷風『牡丹の客』横光利一『紋章』にも描写あり。)
・海運橋(楓川に架かっていた。東詰に江戸幕府御船手頭向井将監の屋敷があり、
 「将監橋」「海賊橋」とも呼ばれた。)

今回ご紹介した橋がすべてではありませんが、それぞれの橋には面白いエピソードがあります。
まち歩きの際には、橋の袂にある案内板も要チェック
テキストにはない詳細な情報が含まれていることもあり、勉強になりますよ!

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

新春 庭園の御茶屋

[あすなろ] 2019年1月 5日 14:00

庭園のお正月。

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中島の御茶屋でお抹茶を一服。
上生菓子は、とても上品な味わいです。

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池にせり出すように設けられた露台からは、冬ならではの景色が広がります。

雪吊りが冬の庭園のアクセントになっていますね。

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こちらは、特別公開された燕の御茶屋。
上段からの眺望は貴重な機会です。

縁起よく空に鷹が舞い、心地よい日差しの中、のどかな正月でした。

浜離宮恩賜庭園
東京都中央区浜離宮庭園1-1

 

 
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