中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

Sanrioworld GINZA

[ロシアンララバイ] 2015年6月 5日 18:00

宝くじ大当たりで有名な銀座チャンスセンターは銀座駅C4出口です。

長い列に並んで宝くじを購入しましたら、

並んでた列の後方に踵を返して晴海通りの高架下に足を運びましょう。

 

そしたらキティちゃんとマイメロちゃんが歓迎してくれています。サンリオワールド銀座です。

photo1photo1.JPG

「サンリオワールド銀座」は、世界最大のサンリオフラッグシップショップで、世界一の品揃えを誇るそうです。

 

明日はどんなフルーツ入れて持って行きましょう?

photo2photo2.JPG

 

【Sanrioworld GINZA】

東京都中央区銀座4-1先 西銀座1F・2F

営業時間  月〜土11:00~21:00 日・祝日11:00~20:00

詳細はこちら→http://www.sanrio.co.jp/shop/sh1703100/

 

 

小黒アリサ展〔銀座三越〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月 5日 14:00

6月3日から、銀座三越8階アートスペースインフィニティで、「小黒アリサ展-たまとけもの-」が開催されています

onoazu10.JPG小黒アリサさんは、1990年生まれの若手アーティストで、日本の伝統的な根付彫刻に魅せられて、ご自身の作品にその要素を取り込み、どこから見ても楽しめるように裏側まで丁寧に彫り込んだ木彫作品を制作しているそうです

確かに、木の温もりが感じられ、丸くて手で包み込んで鑑賞したいなと思わせるような作品は、根付の雰囲気を残しつつ、斬新で個性的です

コアラ、うさぎ、ひつじ、ぞう、きりん、かものはし(のように見える)けものたちが、まあるく、まあるく愛らしく表現されています牡羊座

onoazu20.JPG開催期間は6月9日(火)までです。

銀座三越のHPはこちら ⇒ 

http://mitsukoshi.mistore.jp/store/ginza/index.html

牡羊座 

 

 

◆中央区 ここに歴史あり(61) 楓川宝橋公園の地蔵尊

[巻渕彰/写楽さい] 2015年6月 5日 09:00

八丁堀と京橋の間の楓川跡に陸上橋の宝橋が架かっている。橋上は楓川宝橋公園で、西詰北側に「宝地蔵尊」の小さな祠がある。楓川は江戸前島の東端とされ、西側は江戸初期の本材木町であった。宝橋は関東大震災後の架橋である。

 

0913_61_150601takarajizo.jpgこの宝地蔵尊の由来はなんであろうか。地蔵像台座にわずかに刻文がみえる。昭和29年(1954)夏の午後6時55分、当時8歳の児童が楓川に落ちて亡くなった、とある。愛しい子どもを供養するお地蔵様だった。

 

この楓川は江戸初期から物流を担った重要な堀割で、八丁堀舟入から日本橋への舟運路であった。50年前の東京五輪の際に埋め立てられ、川底が首都高速1号線に変わった。

 

かつて宝橋の欄干には、廓門橋(後の呉服橋)から撤去された擬宝珠が赤坂の弁慶橋とともに取り付けられたという。橋の西側の町名は現在京橋であるが、住居表示変更前は「宝町」であった。都営地下鉄浅草線に「宝町駅」にその名が残る。

 

60年前、子どもの転落事故を追悼する宝地蔵尊は、当時の地域環境を語るとともに、子どもたちが元気に遊んでいた情景が思い起こされる。二度と悲惨な事故が起こらないことを願って見守り、祠に寄り添うビワは実をつけ始めてきた。@巻渕彰

 

 

 

日本橋地区の地盤沈下と再興

[CAM] 2015年6月 4日 18:00

 

 近年の「日本橋」について、矢田区長は「日本橋から大企業の本社機能の転出が始まったのは昭和50年代前半のことである。流通機構の変化が叫ばれ、日本橋に集積していたさまざまな問屋に陰りが感じられるようになったのは50年代後半である。・・・・そして平成10年以降には、バブル経済の崩壊や金融再編の流れの中で日本銀行の周辺から地方銀行など金融機関が消えていった。・・・・・・このような変遷と・・・変化によって、いつのころか誰言うともなく『日本橋の地盤沈下』がささやかれるようになったのである」(「日本橋ルネッサンス」『日本橋トポグラフィ事典』2007年)と述べておられる。

 

 「日本橋は今日でも東京の、さらには日本全体の金融の中心と呼べるかもしれない。日本銀行も証券取引所も日本橋にある。けれども大企業は、ほとんど日本橋からほかの土地に出ていった。三井銀行や第一国立銀行も...本店はもう日本橋にはない」(サイデンステッカー『東京下町山の手』ちくま学芸文庫:261頁)

 

 

 「東京一極集中」の抗しがたい流れの中で、経済を含むすべての面で「地盤沈下」を余儀なくされ、本社機構の「東京への流出」が続いている「大阪市(中央区)」の出身者としては、上記のような状況には心から同憂の感を持ちます(なお、この間の『大阪市解体論』は、否決されてよかった、と私は考えています)。現在では、大手銀行、金融機関で大阪に本店を置く社は絶無になった。上記の矢田区長の文章など、「日本橋」の部分を「大阪市(中央区)」に入れ替えて、年代を少し変えると、そのまま通用します。

 

その東京日本橋地区ですが、最近はコレド日本橋、日本橋三井タワー等もできて、再興への動きが著しいですね。最大の象徴的事業は、日本橋をまたぎ、景観を破壊している高速道路の地中化でしょうが、なんとか実現させたいものです。

 

 

 

築地居留地研究会 「第5回:築地あじさい祭り」の受講報告

[銀造] 2015年6月 4日 14:00

 NPO法人築地居留地研究会は主催された、「第5回:築地あじさい祭り」が

平成27年5月23日に開催され、その講義を拝聴してきました。

講師は関口忠司氏で、日本学術会議・日本歴史学会・洋学史学会会員の方との触書ですが、

テーマが「わが先祖 ハインリッヒ.von.シーボルトと築地居留地・延遼館・新富座」とあります。

 

講義が始まる前からマイクを握って司会をなさっている方が、てっきり本日の講師かと誤解したり、

本日のテーマの「わが先祖・・・」というのを改めて確認しながら、講義を注意深く拝聴しました。

DSC07467 (340x191).jpg

拝聴した講義のメモをそのまま報告するよりも、セミナーの後で頒布して頂いた

小冊子、「WHO IS HEINRICH SIEBOLD 」、

副題:明治初期の日本に降り立った一人の青年がいた・・・。彼の名はハインリッヒ・シーボルト

と併せて報告します。

 

1)フィリップ von.シーボルト(敬称略。以下、フィリップ)が、日本に初め赴任したとき、

 長崎で出会った日本人女性「おたきさん」との間に、娘イネが生まれ、後に築地産院を開院したことは知っていました。

2)シーボルトの本拠地、ライン川河畔のボッパルト市で、シーボルトとその妻ヘレーネ・フォン・ガーゲルンの間には二人の男児があり、

 長男の名をアレキサンデル、次男の名をハインリッヒといった。

3)次男のハインリッヒは、父の愛した日本への興味を募らせ、明治期の日本に墺洪帝国(オーストリア・ハンガリー)在日代理公使として駐在し、築地居留地に居住しました。

4)兄のアレキサンドルは、在日英国公使館館員となったのち、徳川昭武公の遣欧使節団通訳としてドイツに帰国。明治期の日本政府の外交顧問として活躍しました。

 ご兄弟の功績は、日奥修好通商航海条約、日本初のウイーン万博への参加、

 延遼館の建設提案、日本博愛社(現、赤十字)設立提案、不平等条約の改正に尽力、明治憲法の制定に助言などがあります。

DSC07469 (340x191).jpg

5)本日の講師の関口忠司氏は、上記3)のハインリッヒが、日本に滞在中に好きになった日本橋の武蔵屋の娘「はな」さんと結婚。

 花さんが、お婆さんということで、ハインリッヒの孫、フィリップのひ孫さんにあたるとの事等が説明され、日本での活躍、いろんな方々との出会い、

 黎明期の明治維新で外交音痴の政府関係者などを親しく指導したとのお話が映像を使い、分かりやすく解説頂きました。

  シーボルト一族と日本との関わりを教えて頂いた、大変有意義なお話でした。

帰り際に購入した小冊子、「WHO IS HEINRICH SIEBOLD 」、冬青者発行、清水正雄氏著の「東京築地居留地百話」は

DSC07471 (340x191).jpg

今後の街歩きを楽しくしてくれそうです。 

 

なお、今回セミナーを主催して頂いた「NPO法人 築地居留地研究会」では、

新会員を募集中とのチラシを頂きました。

詳しくは、電話:03-3551-7595、HPは、中央区社会貢献活動情報サイト http://chuo.genki365.net/

活動紹介は、http://www.tsukiji-kyoryuchi.com     でご覧下さい。

 

 

 

 

赤いクリップ、銀座中央通りに戻る〔伊東屋〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月 4日 09:00

赤いクリップが銀座中央通りに戻ってきました

itoya60.JPG

銀座2丁目のブルガリとティファニーのビルに挟まれて立つ伊東屋本店の新装オープンが間近です

itoya50.jpg

伊東屋は、銀座で1904年(明治37年)創業の文房具専門店、本館建て替えのため、2013年から銀座マロニエ通りに仮店舗をオープンして営業を続けていました

赤いクリップは、伊東屋トレードマークです

itoya30.JPG

6月7日(をもって仮店舗をクローズして、16日(火)12:00に、新本店が新装オープンするそうです

itoya70.JPG

伊東屋のHPは こちら ⇒ http://www.ito-ya.co.jp/

 

 
<<前のページへ 345678910111213