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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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引率者ガイド講習について(参加報告)

[デ・ニーロ] 2015年6月17日 09:00

 先日、中央区観光協会主催の「引率者ガイド講習」というのを受けてきました。

 

 中央区観光検定の合格者を主な対象とした研修で、このような教育プログラムは3年ぐらい前から始まったと聞いています。観光検定自体の歴史が新しく、新人ボランティアガイドとして身につけるべきスキルと知識というのはまだ体系的に整理されていません。そうした状況の中で、必要最低限の項目を取得するのには有意義なものでしたので、備忘録的に報告させて頂きます。

 

「引率者」「ガイド」

 

 この似て非なる役割をボランティアガイド(=多くの場合「引率者」)は重層的に受け持つことになります。(二人体制で行う場合は役割分担します)

 


 プロの世界でも明確な線引きは難しいとされる責任と職務が存在しますが、一般的には、あるいは素人目線では「ガイド」という言葉でひとくくりにされがちであったゆえ、意識されにくい部分でした。


 「まち歩き」というツアー全般のオペレーションや接客など、「観光的ご案内」という役割ではなく、事務的かつ地味ではあるけれども、必要かつ極めて重要なパートを担うのが「引率者」です。


 万が一のトラブル時対応なども含め知識だけでも膨大な量にのぼり、「初級編」と「中級編」の2回の座学の締めくくりとして、5月下旬に実地研修が行われました。


 講師はいずれも添乗員ガイド協会代表理事・埒見(らちみ)雅行氏。

 


 長年にわたって数多くの観光地でツアー添乗(ガイド)されてきたご経験から、わかりやすく、的確なアドバイスをして下さいました。


 最終回の「実地編」では、ガイド候補者でもある私たち新人特派員が、自らツアーを企画し、ご案内するというプログラム。

 

 普通であれば主催者側から設定されたコースや指示書に基づいて引率を行うわけですが、自分でツアーを企画し、コースを考えるという作業がとても新鮮で、よい刺激になりました。

 


 私は、数年前にNHKが「ブラタモリ」で放映していた銀座の路地裏を歩いてみたかったので、研修会場の築地社会教育館からみゆき通りを使って銀座8丁目の金春通りまでの散策でシュミレーション・ツアーを構成してみました。


*画像をクリックすると別ウインドウで拡大表示されます

 

Ginza_Tabi_Story.jpg

 参加者10名程度でただ歩くだけなら15分ぐらいのショートコースですが、案内しながらの散策となると倍以上の40分ほど時間がかかりました。

 ツアー参加者の自由散策がなく、引率者が一方的にご案内する形式を埒見さんはあえて「引き回し」という表現を使っていらっしゃいましたが、この引き回しのコツなどについても教えて頂きました。

 

 例えば、ツアー参加者は引率者の後をついて歩いて行くわけですが、引率者が要所要所で立ち止まり何か説明したい場合があります。

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 それは観光的な情報であるよりも、何らかの危険防止上の注意事項であるかもしれません。

 

 道の角や奥まったスポットに参加者を集めて、グループ全体を「こじんまり」とした集団にまとめてから確実に説明したい時に、引率者はそのスポットで立ち止まってアナウンスするのではなく、そこを少し通りすぎます。

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 列の先頭を歩いている人もそこを通過し、最後尾にいる人がそのスポットに差し掛かかろうとするまさにその時に、初めて引率者が立ち止まり、最後尾の人からそのスポットへ誘導し、グループ全体をその奥まった場所へ、自然と逆戻りするように促します。

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 いきなり大きな声で「こちらにお集り下さい!」

 

 などと「叫ぶ」のはあまりスマートではない。

 


 先頭の方から強引に誘導するよりはスムーズに、しかし気持的には「押し込む」ような感じでご案内できます。ツアー参加者には「引き回し」されているような印象を与えず、なるべく気持よく移動して頂けるような気配りがここにはある。

 


 このようになめらかで無理がなく「芸術的」とも言えるやり方を可能にするには、歩き方の導線(流れ)を意識し、コースの地理的な情報だけでなく、地形や造形的、あるいは施設などの構造的な特色をも把握しておくことが重要です。

 


 時間は限られていますから、いかに短時間で、手際よくご案内できるかが成功への鍵となるでしょう。

 


 このように、まぁ、

 


 言われてみれば、当たりまえ のようなコト でも、

 

 


  実際に現場で目撃すると目からウロコで感激です!

 


 自分の段取りがいかに不器用であったかを痛感する連続でしたが... (>_<)

 


 この他にも埒見さんからは、引率者(またはガイド)としての自覚を促すような助言やヒントを多く与えて頂きまして、とてもいい勉強になりました。細かいことをネホリハホリ質問してしまってうんざりされたかもしれませんが、ご丁寧にお答え下さり感謝しております。またこのように貴重な機会を提供して頂いた観光協会の関係者の方々ならびにバックアップでサポートして頂いた特派員の皆様にもこの場を借りてお礼申し上げます。

 


 本当にありがとうございました!!!

 

 

 

 

浜離宮花便り

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月16日 18:00

浜離宮恩賜庭園には、を咲かせるたくさんの植物が生育しており、季節ごとに私たちの目を楽しませてくれます

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今月ですと、ハナショウブ(アヤメ科の多年草)

ちなみに、カキツバタ、アヤメとの見分け方は、花びらの基のところに、ハナショウブは黄色、カキツバタは白、アヤメは網目状の模様が、それぞれあることです。

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ハナザクロ(ザクロ科の落葉広葉低木)

地中海原産、ザクロの園芸品種です。

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ガクアジアイ(アジサイ科の落葉低木)

初夏あるいは梅雨時期の風物詩です。

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ノウゼンカズラ(ノウゼンカズラ科の落葉つる性低木)

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花期は7~8月中国原産、日本には古い時代に入ってきており、平安時代には薬用として栽培されていたとのこと。

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キンシバイ(オトギリソウ科の半落葉小低木)

中国原産、江戸時代に渡来。初夏から夏にかけて咲きます。

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アメリカデイゴ(南アメリカ原産、マメ科の落葉低木)

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を感じさせる真っ赤な花です。

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燕の御茶屋〔浜離宮恩賜庭園〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月16日 14:00

浜離宮恩賜庭園は、江戸時代、甲府藩の下屋敷の庭園から将軍家の別邸浜御殿を経て、明治以降、宮内省管理の離宮になり、その後東京都に下賜されて都立公園として現在に至っています

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先月、園内では、三つ目となる御茶屋の復元が完了しました

燕(つばめ)の御茶屋です

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燕の御茶屋は、十一代将軍徳川家斉の時代にあった御茶屋のひとつで、釘隠しの金物がツバメの形をしていたのが、名称の由来と言われています。

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屋根は、サワラ材を重ねて葺いた「こけら葺き」です。

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浜離宮では、現在、庭園内の茶屋群の復元を進めています

1983年に「中島の御茶屋」、2010年に「松の御茶屋」を復元。

2017年度までに「鷹(たか)の御茶屋」も復元するそうです。

19世紀後半にあった迎賓施設「延遼(えんりょう)館」も2020年までに復元し、都の迎賓施設として使う方針だそうです。

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梅雨の合間の晴天の一日、池に泳ぐクロダイやボラを見ながら、広々とした庭園を散策するのは気持ちがよかったです

 

 

東野圭吾「祈りの幕が下りる時」の橋を歩く④

[橘] 2015年6月16日 09:00

小説「祈りの幕が下りる時」に出てくる橋を小説中でカレンダーにメモされた月の順にご紹介していますが、今回は5月のカレンダーに書かれていた"一石橋"近辺のご紹介です。

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一石橋です。橋の名前の由来は、橋の北に金座頭の後藤家(五斗)、南に呉服頭の後藤家(五斗)があって、二つのゴトウ(五斗)を合わせて一石と名付けられたそうです。
現在の橋は大正11年に架け替えられ平成9年に大改修されたものですが、大正11年当時の親柱が一本だけ残されています。


ichikoku.jpg橋の袂には「まよひ子のしるべ」と記された迷子しらせ石標が残されています。
石標の左側面には「たづぬる方」と刻まれており、迷子の特徴を書いた紙を貼るようになっており、右側面には「志らする方」と刻まれており、迷子の所在に関する情報を貼るようになっています。
江戸時代には迷子が多く出たため、情報を開示する掲示板の役目をする様に、地元の町人が資金を出し合って建てたものです。
現在は東京都の指定有形文化財に指定されています。


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昭和24年に埋め立てられる迄は外堀川が中央区と千代田区の境を南に流れ土橋で汐留川に合流していましたが、外堀川が日本橋川から分岐していたのが、一石橋の辺りです。
埋め立てられた外堀川の上には、呉服橋の辺りにはパソナ(以前は大和証券)、新ビルを建設中の鉄鋼ビル、大丸デパート等が現在は並んでいます。鍛冶橋以南には西銀座デパート、銀座インズ等が並び、その上を高速度道路が走っています。
又、明治43年に埋め立てられた道三掘(内堀の和田倉門から外堀川を結ぶ堀)が外堀川と合流していたのもこの辺りの様です。

 

 

初夏のあじさいガーデン 2015

[サム] 2015年6月15日 18:00

R0033834LLS.jpgR0033849RRSG.JPG ファンケル銀座スクエア(銀座5)10Fテラス付サロンスペース「ロイヤルルーム」にて「あじさいガーデン2015」が開幕。

会期:6月12~19日 11:30~18:30

初日は生憎雨模様となりましたが、"あじさいは雨が似合う" 例えの通り、しっとりとした瑞々しさを漂わせ、寧ろ風情ある眺めです。

雨天の日は上部がテントで覆われ、雨を凌いで観賞することが出来ます。

今回は育苗家松永一氏が作出した、四季咲きで、5月から開花し始め、晩秋まで順次咲き続ける可憐なあじさい「霧島の恵み」も展示されています。

花弁が9月頃から色づき始め、11月頃までアンティーク風の美しい紅葉色を楽しむことが出来ると聞きます。

また6月15~18日には同会場にて、フラワーアレンジミニレッスン「ミニバラとあじさいのプリザーブドフラワーのオリジナル額」「カラーサンドを使った涼やかな観葉植物の寄せ植え」も予定されています。

銀座の真ん中、地上40mのプチ庭園で、梅雨時はややもすると塞ぎがちになる心を和ませてくれる、あじさいの彩りを楽しまれては如何ですか。

 

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勝鬨橋

[皐月の鯉の吹き流し] 2015年6月15日 14:00

子供の頃、勝鬨橋を渡り築地から月島へ行くと、少々大げさだが別世界へ行くような感じさえした。

もちろんその頃の月島・勝どきは、今では想像もできない町の様子だった。

橋を渡るとき上から川面を見るとその高さで恐怖感があった。
また、橋が開いたときの記憶がかすかにあるが、この時路上の砂やゴミが滑り落ちてきたそうでこれがかなりの量で砂ぼこりが舞ったという。

勝鬨橋_01_全景.JPG

勝鬨橋は、現存する数少ない可動橋だか、
今は、「機械部への送電を取り止めており、可動部もロックされ
1970年11月29日を最後に開閉が停止となり、開けることはできない」 ようである。

開1.JPGのサムネイル画像開2.JPG開3.JPG開4.JPG       これを見て開く様子を想像してください

橋の構造は、

「橋本体(片側だけで重量900t)と軸を挟んで乗せられているカウンターウェイト(重量1,100t)で構成されている」といことだが、
船で下を通って、このカウンターウェイトを見たと言う知人の話では
(正しいかどうか不明だが) 鉛の棒状のものらしい。

中央部分は
「電動式のロックピン機構が備わり、現在もこのロックピンによって固定されているので
合わせ目に立ったとしても振動によるズレが感じられることがない。」
とインターネットサイトで記載されているが、実際この部分に立つとズレが感じられないが大型車の通行時はけっこう揺れます。

勝鬨橋_02_中央部.JPG                   ここは、大型車が通ると上下に揺れます


可動分の手前歩道には、信号機(もちろん使われはしない)が現在もあります。
車道にもしばらく信号機は残っていた。

橋が開く際は、この信号器が赤になり、橋上の往来を停止させていた。(警報サイレンも鳴ってたようだ)

勝鬨橋_03_信号機.JPG勝鬨橋_04.JPG       ここにも、しばらく信号機がありました。↑

当初から路面電車用のレールが敷設されたようで
都電が、月島と銀座・日比谷方面を行き来していたと思う。
このレールの轍に自転車のタイヤを取られ中央車線付近で転倒したことがある。
この当時でもかなりの交通量があったが、痛い思いはしたが、運よく交通事故にはならなかった。

私の中では、
美しさは清洲橋が1番
力強さは永代橋が1番
存在感は勝鬨橋が1番

中央区内に架かる橋は他にもあり、隅田川テラスから眺める橋はバラエティーに富み楽しいでよ。

 

 
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