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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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サイデンステッカー「東京下町山の手(LOW CITY, HIGH CITY)」

[CAM] 2015年6月27日 16:00

  

 

 明治以後の東京とりわけ中央区(日本橋区・京橋区)の歴史を知るには、サイデンステッカー氏の「東京下町山の手(LOW CITY, HIGH CITY)」「立ち上がる東京(TOKYO RISING)」が好個の文献だと思います(英語では両者が合本され、"Tokyo from Edo to Showa 1867-1989"というタイトルで、ペーパーブック版が出版されている)。 私が"好個"というのは、単なる無味乾燥な歴史書ではなく、主題が明確である上に、著者の江戸・東京への愛が満ち溢れた著作だからです。

 

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   特に、「東京下町山の手」は、サイデンステッカー氏の「下町」(主として旧日本橋区と旧京橋区)への愛が満ちた書です。源氏物語や谷崎作品を英訳した著者だけに、通常の日本人では到底及ばないほど深くてしかも簡明な叙述がなされています。前著について、「立ち上がる東京」のはしがきで、著者自身が次のように述べています。

 

>(前著は)かつては江戸の文化の中心だった下町が、やがていかなる意味でも中心ではなくなっていった時の流れへの、一種の挽歌だった。 (03)

 

The book is elegiac, its emphasis on the part of the city which was ceasing to be any sort of center at all.

 

 そして、前著では次のように述べています。

 

>もちろん、古いものの死と新しいものの出現とは深く絡み合っていて、そう明快に切り離せるものではない。けれども江戸の伝統がたどった運命は、もっぱら下町にかかわることであるのだから、下町に関係のない事柄は、自然、本書に登場することも少なくならざるをえない。・・・・東京のたどった歴史には、首都であったために起こったことと、一つの都会として経験したこととを区別できるのではないだろうか。そして私が書きたいと思ったのは、東京が一つの町として経てきた歴史だったのである。  (07

 

The departure of the old and the emergence of the new are inextricably entwined, of course. Yet, because the story of what happened to Edo is so much the story of the Low City, matters in which it was not interested do not figure much. ・・・・・

A distinction may be made between what occurred in the city because it was the capital, and what occurred because it was a city.

  

 

 

11階のファーム〔銀座・伊東屋〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月27日 09:00

6月にリニューアルオープンした銀座2丁目伊東屋の新本店 G.Itoya

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その12階建てのビルの11階が、「FARMファーム)」となっており、何だろうと思って、エレベーターで上がってみると、まさに野菜が栽培されていました

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土を使用しない水耕栽培で、安心な野菜が屋内で育成されています

野菜の成長する様子は、伊東屋さんの旧本店ステンレスビルの窓枠を使用したウインドウから見ることができます

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ここで毎日収穫される新鮮な野菜は、12階のレストランで出されるそうです

まさに、銀座で味わう地消地産

 

 

日本橋・昭和レトロな喫茶店『カフェ メラミ』

[みど] 2015年6月26日 14:00

昭和通りからわずかに入った日本橋三越本店の向かいのはずれ
にある小さな喫茶店『カフェ メラミ』。
昭和49年開業とのことなので、昭和レトロ感たっぷりお店です。
店内には年輪を重ねていそうな調度品、ダークブラウン色の
インテリアなどがますます雰囲気を醸しだしてくれています。
さらには熟年のご主人は、蝶ネクタイをしており、一瞬、昭和
のあの時代にタイムスリップしたかのようです。
店のスペースはカウンター席5、4人掛け3卓、2人掛け1卓と
お世辞にも広いとは言えませんが、個人的にはこのくらいが
調度良いかと思います。 

 

看板メニューは「アカスパセット」、赤いスパゲティという意味
のようで、ナポリタンが登場。エノキ、たまねぎ、ウインナー
ベーコンと文字通り赤いスパゲティです。
(ピーマンや小松菜など緑色の野菜が入っていない)
セットとして焼きおにぎり、サラダ、コーヒー or 紅茶 付きで
800円とリーゾナブル。
ちなみに、この「アカスパセット」は昭和49年創業当時の人気
メニューでだったそうだが、一時やめていて、平成16年に復活
させたそうです。 

 

そして、もうひとつのお薦めは「ホットケーキセット」。
平日の14時~18時限定ながら、500円という安さ。
しかも、しっかり手焼きです。ほんのり甘くて、表面がサクサク
で美味しかったです♪
場所は少しわかりづらいかも知れませんが、ご近所にお越しの
際は、お立ち寄りください。 

 

☆★☆ Cafe メラミ ☆★☆
中央区日本橋本町1-1-6
営業時間 7:00~18:00土日祝休
電話:03-3241-6767

 

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【子連れで楽しむ中央区】#07:利用しやす~い授乳室(日本橋)

[お染] 2015年6月26日 09:00

子連れネタ、久々ですm(_ _)m

今回は、コレド日本橋の授乳室

 

銀座三越をはじめ、中央区の商業施設は子連れ想いの設備が充実している!と思うのですが、中でもこちらは使いやすくてオススメです。

 

コレド室町(三越前)と間違えそうですが...

コレド日本橋は日本橋駅直結です

 

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地下入口のひとつ。地下鉄コンコースとつながってます。

ちなみにこの写真だと階段になってますが、左側の角を曲がれば階段なしで入れます◎

ベビーカーOK

 

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地上。中央通り×永代通りの日本橋交差点のところです。

 

授乳室は3階にあり、とても広々してます

この広さはなかなか見かけないです。そしてあまり混んでない!

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設備充実!しかもキレイなので安心です。

 

ここ以外でも、コレド日本橋内のお手洗いは子供用チェアが普通についているので、どの階も使いやすいです。

三井さん、ありがとうございます!! m(_ _)m

 

店内の通路も広いですし、ステキなお店もたくさん入ってます。

子連れで行けそうなお店もあって、実際、私も1歳児を連れて何度か利用させてもらいました

 

夏に向けてお出かけの機会も増えるかと思いますが、ひとつ覚えておくときっと役立ちますよ~^^

◆コレド日本橋

住所:東京都中央区日本橋1-4-1

HP:http://31urban.jp/institution.php?iid=0009

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再生の力、「茅の輪くぐり」。夏へ向かって!

[小江戸板橋] 2015年6月25日 16:00

「こっち来て、こっち来て、こう回って。」

お父さんの手を引いて、坊やが神社の参道に設けられた「茅の輪」をくぐります。

タッタッタと、8の字にくるくる回る動きが、すっかり気に入ったようです。

竹を組んで、チガヤを束ねた輪を吊るす。

異界への入口のように立てられた円と、無限大を示す∞の字の歩き方。

言葉にできぬ、力が引き出される気がします。

 

茅の輪の効力を語る歌があります。

「水無月の 夏越の祓 する人は 千歳の命 延ぶというなり」

延命長寿の祈りです。

この和歌を唱えながら、輪をくぐるという習わしもあります。

 

町内会の掲示版に、形代(かたしろ)の受付の文がありました。

六月晦日、紙で作った人形に身のケガレを移して川に流し、清める。

再生の儀式なのでしょうか。

 

この円い茅の輪。実はお正月の「しめ縄」の原型とする説もあるのです。

輪を解けば、一本の縄になります。

清浄な場を示す縄。

丸くなったり、線になったり、変幻自在なその姿は、太さや色合いからして青大将。

日本の野山に広く生息する比較的なじみのある「へび君」です。

日本の神様には、へびの姿を借りた存在は珍しくありません。

川や沼の守り神、主であり、雨を呼び、渇きを潤し、豊かな実りを与えてくれる。

小判や宝玉との相性も良いようです。

なんといっても、脱皮しながら再生・成長していく姿はとても神秘的で、

はかりしれぬパワーを感じます。

野を横切り、大河を渡り、荒波を越えて移動し、再生を繰り返す力に、

古人は「安珍清姫」のように、「女性の情念」をも重ねてきました。

 

恵みの雨の季節です。

晴れた日を選んで、お近くの神社の「茅の輪くぐり」で、新たなパワーを

いただいて来ましょう。

私が向かっているところですか?

築地の波除稲荷神社です!

 

 

日本橋人形町

[CAM] 2015年6月25日 09:00

 水商売の経験がないところから自分の力で小料理屋を開き、有名料亭と言われるまでに発展させた女将(志賀キヱさん)が書いたという本(『人形町酒亭きく家繁盛記』草思社;2001年)を読みました。 

 

   志賀さんは、当初(昭和50年ごろ)メトロ日比谷線沿線で店を開きたいと思い、いくつかの駅前を検討したが、「人の流れが一定方向だと、どうしても二回転目のお客様を迎えるのがむずかしい」から「夜の人の流れが少し雑多な、駅を基点としてごちゃごちゃしている、みなさんがいっぺんに帰るというよりも駅から出てくる人もいれば、町をうろつく人もいる」という自分なりに設定した条件にぴったり合ったのが人形町であったということです。素人にしては良い着眼点だったでしょう。

 

 しかしながら、かつては都内でも有数の盛り場だった人形町ですが、現在では"盛り場"とは少し分類しづらいでしょうかね。

 

   サイデンステッカーは、『立ち上がる東京(Rising Tokyo)』(原書1990年)の中で、次のように述べています(安西徹雄訳)。

 

>大正時代は、ともかく大きな変化の時代だった。盛り場も大きく変わる。昭和4年に東京の盛り場を調査した記録があるが、・・・・

 この調査で名前が挙がっているのは銀座、新宿、上野、浅草、渋谷、それに人形町と神楽坂だが、今なら東京の代表的な盛り場として、人形町や神楽坂を挙げる人はまずあるまい。

・・・・・・・

人形町は、明治期には大いに活気があったが、震災後は、今日に至るまで衰退を続けている。昔の日本橋区の大半は、かつては自他共に認める江戸町人文化の中心だったけれども、みな同様の運命をたどった。人形町にしても、昔日の下町の面影を探訪するには格好のところではあるが、人が集まるという点では、新宿のようなところとは比較にもならない。(40

 

 Ningyocho was lively in Meiji and has been in decline since the earthquake. So has most of the old Nihombashi Ward, the recognized center of mercantile Edo. Ningyocho is as good a place as any to go in search of the mood and flavor of the old Low City, but it is not the smallest competition with a place like Shinjyuku in the matter of drawing crowds.    (41)

 

>都内でいちばん人気のある寄席は、日本橋の人形町にあった末広亭だったが、しだいにお客が減って、昭和45年には廃業になる。人形町は、今でも昔の日本橋の面影をいくぶんか残しているが、もはやかつての盛り場ではない。末広亭は、すぐ近くの明治座とは違って、戦災を免れた。戦争直後は、一面の焼野原を距てて日本橋の町を手招きし、かつての賑わいを呼び戻そうとしているかのように見えた。  (153

 

 The most popular Yose theater in the city was for a time near the Sumida River in the Ningyocho district of Nihombashi. It closed, for want of a clientele, in 1970.  Ningyocho, in which something of old Nihombashi yet survives, is not the bustling place it once was.

It escaped the bombings, though the Meijiza, to the east, did not. In the years just after the war it seemed to beckon across the waters to western Nihombashi, where big business and finance resided, as if asking it to come home again.

 

 なお、志賀さんは、人形町近辺について「地名としては、古い地図を見ますと、元大坂町とか堺町とか関西系の地名が載っていますし、繊維問屋さんが堀留にありますから、そういうことから考えると、江戸の中心ではありますけど、関西の匂いが強いような気がします」と述べています。 まったく同感です。私は、日本橋を少し歩いてすぐにそう感じました。

 

 

 
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