人形町商店街で開催される夏の風物詩。
水天宮交差点から人形町交差点までの大通りの両歩道にテナントが立ち並びます。ろくろ体験コーナー 、瀬戸物供養などもございますので、ぜひお出かけください。
【日時】2015年8月3日(月)~5日(水) 9時~20時
【場所】人形町通り(人形町交差点~水天宮交差点)
猛暑が続き、ついつい出不精になり、もう体重は危険ライン。
とにかく外出して歩かねば、ということで人形町まで。
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番組パネル展「一番電車が走った」〔TAU〕
銀座1丁目、柳通りに面して、広島県のアンテナショップ「広島ブランドショップTAU」があります 現在、ここの3階イベントスペースで、戦後70年ドラマ「一番電車が走った」の番組パネル展が開催されています このパネル展は、8月10日(月)に、NHK総合テレビで全国放送されるドラマ「一番電車が走った」を紹介するものです。 戦後の広島電鉄の社員と少女たちの実話を元にしたドラマです TAUショップでは、このドラマの登場人物や名シーンを紹介する写真や小道具が展示され、メイキングビデオが上映されています 当日、銀座では「ゆかたで銀ぶら 2015」が開催されており、銀座中央通りには、ゆかた姿の歩行者が目立ち、涼しげな氷柱が並べられていました パネル展の期間は、8月1日(土)から8月10日(月)までです
ゆかたで銀ぶら2015
8月2日、浴衣や和装で真夏の銀座来街者の方々に、和のおもてなしの数々で涼をとって貰おうとのイベント「ゆかたで銀ぶら2015」が、銀座通り1丁目から8丁目の歩行者天国を利用して開催。 「ゆかたで銀ぶら」は、1970年8月に銀座通りで日本初の歩行者天国が開始された記念と、毎年8月に実施の「ホリデープロムナード」の一環として、9年前からスタートしたもので、真夏の銀座の風物詩として定着した感があります。 メインイベントとも云える打ち水イベント「銀座千人涼風計画」(15:00~15:45)は、来街者や街の人たちが大きな掛け声とともに一斉に打ち水を行なうと、通りのアスファルトが冷やされて歩行者天国に冷風が吹き抜けます。 この他、浴衣または和装での来街者の方を対象に、銀座にまつわるクイズ "なぞ解き巡り" の正解者のなかから抽選で、銀座の老舗の商品が当たる「大銀座抽選会」をはじめ、「風鈴絵付け体験」、東日本復興応援プロジェクトfrom銀座2015「やっぱ銀座だべ」(塩竈の矢部園茶舗水出し煎茶配布)、「銀座茶屋」、「和太鼓路上演奏会」、すみだ水族館が江戸から昭和の夏の風物詩である金魚売りの姿をイメージして、色とりどりの金魚を大小さまざまの水槽で展示する「お江戸の出張水族館」、「こども広場」など、盛りだくさんの内容です。 そして銀座通り8個所に並べられた数々の氷柱と氷像「氷まつり」。 この日の東京の最高気温は35.1℃で3日連続の猛暑日乍ら、歩行者天国を漫ろ歩きしながら、ひとときの涼を楽しむ、大勢のゆかた姿の来街者で賑わいました。
船渡御 ~2015住吉神社例祭(本祭り)~
住吉神社の例祭(本祭り)では、かつて神輿を担ぎながら隅田川に入水し、次いで伝馬船に安置し氏子区域を巡幸するという、海中渡御・船渡御が挙行されていたと記されています。 しかし、防潮堤の建設や河川の汚染等の理由から、昭和37年の例祭を最後に途絶。 その後、隅田川の河川敷が整備され、船の発着が可能となったこともあり、地元民の運動が功を奏し、平成2年、28年ぶりに船渡御が漸う復活。 現在は佃公園のテラスから宮神輿を御座船(浮き桟橋)に安置し、佃・月島・晴海の氏子地区を巡ります。 社名旗や五色の旗が翻り、供船(ともぶね)を従え、曳船に曳航された御座船が巡航する様子は、佃島の伝統を脈々と受け継ぐ歴史の重みが脳裏を過り、感慨一入(ひとしお)です。 東京湾晴海沖では「海上祭」が執り行なわれます。 海を司る神である住吉三神を主祭神に祀る住吉神社ならではの祭祀。 その際宮司が奏上する祝詞は、主に"海事関係者の安全・隆盛(豊漁)" を祈念する内容と聞きます。 5:30 出社祭 6:00 宮神輿宮出し 7:00 船渡御出船(海上祭) 8:00 船渡御着船
宮神輿は、天皇陛下の高御座を模して制作されたとも云われ、八角形の形状で「八角神輿」と呼ばれ親しまれています。 町内の道路が狭く渡御に支障をきたす為、担ぎ棒が短くされていること、海中渡御に備え内部まで黒漆塗りが施され気密性が高められていることも特徴のひとつとされます。 初代の天保八角神輿は170余年を経て痛みが激しい為平成23年に新調された平成八角神輿は、前回平成24年の例祭(本祭り)からデビュー。天保八角神輿は例祭期間中、舟入堀のテラスに安置されています。 "水かけ祭り" と称されるように、沿道からホースやバケツで豪快に水がかけられ、水しぶきが飛び交いますが、海中渡御が途絶えた今、神輿洗いの名残りとも云われています。 着船後は氏子町内巡幸を経て御旅所へ。 神輿が巡幸する経路にある家の軒先には遺影が並べられている光景をよく目にします。 長年産土神(氏神)として崇める心の拠り所であり、 "生活に根ざした祭り" に対する独特の思い、祭りを通じた地域共同体の強い絆をを改めて強烈に印象付けられるシーンです。
◆郷土天文館 ミニパネル展「復興小学校・小公園の今昔」開催中!
中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)で、同館サポーターによる第4回ミニパネル展「復興小学校・小公園の今昔」が8月1日(土)からはじまった。大正12年(1923)9月1日の関東大震災で焼失し、再建された中央区内の復興小学校や小公園は今どうなっているか、その全てをパネルで紹介している。会期は9月27日(日)まで、ミニパネル展は観覧無料。同館HP こちら>>
復興小学校は、関東大震災で被災した小学校を耐震耐火構造の鉄筋コンクリート造3階建で再建した建物で、当時東京市内に196校あった小学校のうち、焼失した117校を指す。中央区内では、旧日本橋区12校と旧京橋区13校の全25校が復興小学校であった。
建設を指揮したのは「耐震構造論の父」といわれる佐野利器(さの・としかた)である。震災後東京市建設局長に就き、「復興は教育から」のもとに合理的・機能主義的で規格化・標準化した学校建設を推進し、短期間に多数の小学校竣工を成し遂げた。
関東大震災から92年の現在、区内に現存している復興小学校は7棟あり、うち小学校として今でも使用されているものは4校である。中には東京都歴史的建造物選定の校舎もある(ちらし写真は当時の常盤小学校)。
同時に先進的な復興事業として、東京市は復興小学校に隣接した敷地に52の小公園を付設した。学童の保健体育に寄与するとともに、市民散策の公園、防火・避難場所などの機能を果たした。中央区内には現在でも10か所の復興小公園が残り、児童公園や地域コミュニティー活動などの役割を担っている。@巻渕彰
セサミ ストリート45thアニバーサリーフェア〔日本橋高島屋〕
日本橋高島屋の8階ホールで、「セサミ ストリート45thアニバーサリーフェア」が開催されています 生誕45周年なんですね まずは、ビッグバードがお出迎えです 期間は、7月30日(木)から8月10日(月)までですよ なつかし~、エルモ 会場には、原画やストーリーボードが展示され、記念撮影コーナーやスタンプラリー、子供の遊べるコーナーもありと盛りだくさんです バートとアーニー 入場は無料写真撮影もOKただしフラッシュはNGです ゴミ箱からあたりを見回すオスカー 45周年のオリジナルグッズの販売も行っています マペットの素材にさわれるコーナーあり カウント伯爵(ドラキュラ)やクッキーモンスターにも会えますよ |
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