『ギフト、そして自分も楽しむ』をタイトルとして取材します、rosemary seaです。
榮太樓總本鋪さんの商品はみな素通りできない興味あるお話が附いています。
短めに書いたつもりですが、この量になってしまいました。
今回2つ、次回3つの商品をご紹介します。
ここでは「榮太樓總本鋪」さんを、親しみを込めて「榮太樓」さんと呼ばせていただきます。
1.金鍔(きんつば)のお話
刀の鍔(つば)をかたどった、丸いかたち。薄く伸ばした小麦生地を成型したものをごま油で香ばしく焼いています。江戸から製法を変えていません。
初代榮太樓(三代目細田安兵衛)が屋台で焼いていました。
社名の榮太樓はもとは「井筒屋」。
「榮太樓がやってんだから榮太樓の店、榮太樓ちゃん、ってお客さんに言われてて、それを社名にしようということになった。」とも。
昔、賑わっていた日本橋魚河岸のそば、ちょっと行くと見世物小屋がある、ちょうどふとんの西川さん、コレド日本橋あたりでしょうか。「木原店(きはらだな)」という道で金鍔の屋台売りをしていました。魚河岸で働く軽子(かるこ)さん、今で言う力自慢の運送業のひとが特にひいきにしてくれて、おめえんとこの金鍔はうまいね、うまいだけじゃなくて大きくて腹持ちがいい、だから腹がすいたときはちょっとつまむ、みたいな感じで榮太樓、榮太樓って大好評でした。
そんな歴史を持つ金鍔です。当時あまた存在した金鍔屋さんも、丸いかたちで残っているのは榮太樓さんぐらいです。
江戸時代には川柳や流行歌にも詠まれた逸話もあります。
「流石(さすが)武士の子 金鍔を 食べたがり」 刀に関係したもの、ですものね。
「年季増しても食べたいものは 土手のきんつば さつま芋」 吉原の遊郭の芸者さんたちも通常の年季10年を増やしてでも、土手=日本堤で売っている金鍔がさつま芋=焼き芋と同等に好きだった、ということでしょうか。
ここで職場のT山さん3号(同じ苗字が3人います。スイーツ男子です。)の食レポ。
「榮太樓さんでは冬場限定の黒みつ饅頭が大好きです。今回は黒糖くるみ金鍔を買い求めました。入っているくるみと餡がベストマッチ。あんことは思えないような、洋菓子とも言えるような深い味わいも感じさせる、いままで食べたことのない和菓子でした。とにかく美味しかった。」とのこと。
2.梅ぼ志飴のお話
お店が名付けたのではありません。指でつまんだ三角のかたちが梅干しに似ている、と洒落好きの江戸っ子たちが「梅ぼ志飴」と名付けました。だから梅の味もしませんし、酸っぱくもありません。江戸っ子はそれでいいんです。それがいいんです。何も問題はありません。
梅ぼ志飴の『志』。これは質屋の『し』に使ったり、おしることかに使われたり。「死ぬ、DIE」にならないようにこれを意識して当て字で使っています。
榮太樓さんはこの飴も江戸の製法を守り続けています。水飴を高温の直火で煮詰め、鍋から降ろすタイミングは職人の目の見計らい。適度な温度と硬さになったら三角に成型。
三角形。それは口中を傷つけない配慮と飴の欠けを防ぐ工夫の賜物。また口中が荒れないのは砂糖純度の高い証拠。化粧品の乏しい明治・大正の頃、上方の芸妓・舞妓さんたちがこの飴を唇に塗ってから口紅をつけると唇が荒れず紅に照りが出る、だから東京みやげに買ってきて、と言ったそうです。
ときの有名人にもファンはいました。いっぱいいたはずですが2人だけご紹介します。
平民宰相として親しまれた大正時代の首相、原敬。
岩手の実家に帰るときは母親の好きな梅ぼ志飴をみやげに買っていったとのこと。
小説家、開高健。アマゾンとかに行って船の上で食べたとか。著した小説にも梅ぼ志飴が出てきます。
(つづく)
榮太樓總本鋪 日本橋本店
日本橋1-2-5
03-3271-7785
営業時間: 9:30~18:00 (月~土)
定休日:日曜・祝日
榮太樓總本鋪さんのホームページはこちら ⇒ http:www.eitaro.com/