[橘]
2015年5月10日 14:00
今年は神田明神が現在の地にご遷座4百年の大祭です。
神田明神の氏子には日本橋川の北側の多くの町が含まれますが、今回は地元の旧日本橋橘町(現在の東日本橋三丁目)にこだわって取材してみました。
13時頃に横山町を神幸祭の行列が通り抜けます。
そして、13時半に薬研掘不動院に到着。両国(現在の東日本橋二丁目)に昔御仮屋があったことから、ここで「昼御饌」と呼ばれる神事が行われますが、その間三基の鳳輦・神輿が勢ぞろいします。神田明神以外で三基が揃うのはここだけです。
中央が一の宮鳳輦(大黒様が乗られます)。向かって右側が二の宮神輿(恵比寿様が乗られます)。左が三の宮鳳輦(平将門様が乗られます)です。
行列が薬研掘不動院到着と同じ頃に、清杉通りで待ち構えていた日本橋四地区(馬喰町、横山町、橘町-東日本橋三丁目、両国-東日本橋二丁目、矢の倉-東日本橋一丁目)の神輿が渡御を開始します。
これは私のブログネームになっている橘町のお神輿です。現在の東日本橋三丁目ですが、お祭りになると昔の名前が復活して大変うれしいです。
こちらは、子供の頃に担いだ子供神輿ですが、結構重いし大人神輿のミニツチュア版です。
そして、もう60年前になりますか、子供神輿が担げるようになる前はこの山車を引っ張ったり、太鼓をドンドンカッカッカーと敲いていました。
附け祭は人形町以降でないと観られないので、出番待ちで集結している蠣殻町にある有馬小学校迄行きました。
そして、人形町通りを進む「相馬野馬追騎馬武者」です。
お祭りって本当に良いですね。私にとってのお祭りは家が氏子なので昔から神田祭です。子供の頃から大好きです。特に神輿を担いで町を練り歩くのは良いです。今では見るだけですが、それでも体が神輿のリズムを取ってしまいます。
神田祭の翌年は山王祭があるし、「大好き!中央区!」
[橘]
2015年4月21日 14:00
春のうららの隅田川~~とはいきませんでしたが、曇り空で雨もパラパラと降ってくる中、恒例の早慶レガッタが行われました。
手前が早稲田の艇、奥が慶応の艇です。
両校のチアも校歌、応援歌を歌って応援です。
昨年も思いましたが、スタート前に艇を押さえておく人は重労働ですね。後ろは新大橋です。
スタート地点は浜町公園の横からです。
いよいよ第二エイトのスタートです。
どちらも頑張れ
[橘]
2015年3月24日 14:00
もうすぐ桜が咲きそうな陽気になってきましたが、偶々日本橋高島屋に行ったら,1Fロビーが植物園の様に色々な植物で埋まっていました。
この"Botanical Garden"はプラント・ハンターと言われる西畠清順氏に依ってプロデュースされたものです。
樹齢100年を超えるサンシュ等200種類以上の植物が共存しているそうです。
和服姿の外人さん達も植物園を背景に記念撮影です。
ご紹介が遅くて恐縮ですが、ロビーのディスプレイは3月24日(火)迄です。又、ショウーウィンドーにも植物が置かれていますが、これは3月31日迄ディスプレイされているそうです。
高島屋の前の通り「中央通り」にも沢山の花が咲いていました。
いよいよ春到来ですね。
[橘]
2015年2月 9日 13:00
小説「祈りの幕が下りる時」に出てくる橋を小説中でカレンダーにメモされた月の順にご紹介していますが、今回は4月のカレンダーに書かれていた"常盤橋"近辺のご紹介です。
"トキワ"という名前の付く橋は、ご承知の通り並んで3橋あります。
まず、"新常盤橋"ですが、中央区の日本橋本石町と千代田区大手町を結んでいます。
新常盤橋から神田方面に少し行った室町4丁目にあるお蕎麦屋さん"室町砂場"は、天ざる発祥のお店ですね。
又、千代田区側になりますが、JRの鉄橋が日本橋川に架かっており鉄橋には旧国鉄の紋章が付けられています。
次は"常磐橋"です。常"盤"では無く常"磐"と書きますが、常盤は「金葉和歌集」から採られた様ですが、皿の様に壊れない様に、石という字を当てたとかいう話もある様です。現在は工事中です。
"常磐橋"は明治時代に石造りになりましたが、上の絵に描かれている石垣が、浅草方面に向かう江戸城外郭門で桝形の常盤橋御門の名残りの石垣です。
そして、3つ目の"常盤橋"です。
小説に登場するのは、この常盤橋だと思われます。
[橘]
2015年1月21日 09:00
昨年9月に「祈りの幕が下りる時」の橋を歩く第一弾として、小説中の1月のカレンダーにメモされていた"柳橋"付近について書きましたが、今回はカレンダーの2月にメモされていた"浅草橋"と3月の"左衛門橋"付近に付いて書きたいと思います。
浅草橋に接している中央区の町は現在の町名では"東日本橋2丁目"ですが、住居表示変更前は"日本橋両国"でした。JR.両国駅や両国国技館のイメージから両国という地名は墨田区と思われがちですが、本来の"両国"という地名は中央区にありました。今でも、郵便局の名前には"両国郵便局"として残っています。因みに嘗て墨田区側は"東両国"という地名でした。
又、浅草橋の台東区側の袂には、"浅草見附跡"の碑が建っています。江戸時代に浅草観音や奥州に向かう人々の取り締まりのために見附が置かれたものです。
この浅草見附付近で、江戸元禄時代に赤松清左衛門が太平記を講じ江戸講釈の発祥となりましたが、これを記念した碑が薬研掘りのお不動様に建てられています。
又、江戸時代浅草橋の中央区側には郡代屋敷があり交番横に説明版が建てられていますが、郡代屋敷の敷地だったところには現在日本橋女学館があります。女子中高一貫校ですが、2009年には新校舎が完成、今年の入試から共学となり校名も"開智日本橋学園"と変更されるそうです。
左衛門橋です。
浅草橋と左衛門橋の間にも船宿があり、屋形船が係留されています。
(浅草橋から、左衛門橋を見たところです。左のビルが日本橋女学館です)
左衛門橋は北側が台東区、南側の東側が中央区馬喰町、西側が千代田区と3つの区に接しています。
[橘]
2014年12月26日 09:00
今年も大分押し詰まって来ましたね。
両国の薬研堀では恒例の「納めの歳の市」と「歳末大出庫市」が12月27日~29日行われますが、この準備が大分進んでいます。
お不動様の周囲には提灯が飾られました。
又、不動院通り周辺にはポスターや立て看板が既に準備されています。
「歳の市」とは、正月用のお飾りや、門松等を売る目的で立つ市ですが、深川のお不動様から始まり、浅草観音等を経て最後に立つ市が薬研堀なので、「納めの歳の市」と言われています。
又、「歳末大出庫市」は昔の両国・横山町・橘町等(現東日本橋等)の問屋さんや商店が中心となって衣料品や鞄、靴等を安く提供する市です。
もう50年も前になりますか、私が子供の頃は「歳の市」と一緒に「羽子板市」も行われ何軒かの羽子板を売る市が立っていました。羽子板は歌舞伎役者を模した高価な物から、その年のトピックとなった著名人を模した物まで沢山飾られていました。
羽子板には定価が付いているわけではなく、お客さんと売り手の間で交渉が始まるのですが、売り手は値段を口頭で言うのではなく、大きな算盤を弾いて値段を示していくのが子供には珍しかったのを覚えています。又、商談が成立すると、周りのお客さんのお手を拝借して<シャン、シャン、シャン>と手拍子を打つのを見るのも楽しかったものです。
残念乍、いつ頃からでしょうか、羽子板を売る店を一軒も見かけなくなってしまいました。
薬研堀の「納めの歳の市」と「歳末大出庫市」、お時間がある方は是非覗いてみて下さい。
今年は、12月27日(土)~29日(月) 11時~20時 です。