[佃のうさこ]
2018年3月17日 09:00
久しぶりに会う友人に、銀座らしいお菓子を手土産にしたいと思い、銀座2丁目にある東京凬月堂に立ち寄りました。
購入した品物を入れて頂いた紙袋の絵が、なんとも銀座らしく素敵だったのでご紹介いたします。
この絵は、世界のVIPに愛されるフランス料理店で有名な「シェ松尾」のオーナー、松尾さんによって描かれています。去年の9月13日に新しくリニューアルオープンした東京凬月堂は、松尾さんのお店とグループ提携され、その記念で描いて頂いたそうです。
片面は、現在の銀座・凬月堂がパリの街角のカフェよろしく、賑やかな笑い声も聞こえてきそうな明るい色彩で描かれています。
片面は、東京凬月堂の歴史と明治時代の銀座の風景とが、大変マッチした絵となっています。
「凬月堂」は、江戸時代の1812(文化9)年に大老松平定信から与えられた屋号で、菓子屋なのに虫がいては都合悪いだろうと「風」が、旧漢字の「凬」になっているのが、ユニークなエピソードです。
画面中央には、1882(明治15)年、日本で最初に新橋・日本橋間を走った東京馬車鉄道が大きく描かれ、その奥には1900(明治33)年に馬車鉄道がすべて電化された東京鉄道があります。
チョコレートやマロングラッセ、シュークリーム、マシュマロなど今、私たちが大好きな洋菓子は、ここ東京凬月堂(前身、米津凬月堂)によって作られ日本に初紹介されました。
145年の歴史を持つ東京凬月堂のお菓子を、その歴史を一気に味わえる紙袋と一緒に、大切な方へのお土産にいかがでしょうか。
[佃のうさこ]
2018年2月15日 12:00
2月18日に野鳥観察会が開催されます。今年で3年目、地域の愛好家から始まった観察会です。うさこも、この観察会がきっかけで、野鳥にぞっこんになり観察にハマって行きました。それは、中央区が都会の中の都会でありながら、自然を再生することで、自然と共存出来ていることを強くわからせてもらえたからです。
今、石川島公園付近で越冬している水鳥は、マガモ・ヒドリガモ・オオバン・ホシハジロ・キンクロハジロなどがいます。
観察会では、どんな鳥たちに出会えるでしょうか?早いもので、あと1か月もすると、10月にやって来た鳥たちも越冬を終えてシベリアへ帰って行きます。
是非、この機会に、越冬に中央区の隅田川を選んだ鳥たちに会いに来てみてください。うさこがご案内いたします。
[佃のうさこ]
2018年1月23日 09:00
1月20日土曜日、小学校の同窓生8人と銀座の街歩きを楽しんだ後、落語に精通している男の子(40年振りの同窓会がきっかけで、関東に住む同窓生の集まりでは永遠に男の子と女の子な訳です)の発案で、日本橋の昭和通りにほど近い薮伊豆総本店さんの落語会に行ってきました。私にとっては、初生落語のようなもの。どんなお話しが聞けるのでしょうか?
日本橋のオフィス街に忽然と現れた重厚な料亭のような門構えに、期待も一層ふくらみます。
小気味いい話しぶりの女将さんに出迎えられて、私たち一行は、3階のお座敷へ。
春風亭一左さんと朝之助さんの落語を聞かせていただきました。江戸の庶民や殿様が、滑稽に、そしてたくましく生きている様が、お二人の話術で描かれます。特に黄金餅では、今川橋、本石町、日本橋、京橋、尾張町、出雲町、新橋と、中央区の街案内では外せない江戸のメインストリートの町名が次から次へと出てきました。
2時間があっという間に過ぎた後は、お蕎麦をいただきながら、一左さんと朝之助さんが席を回って、どんな質問にも笑って答えてくださいました。
一左さんと朝之介さん
お二人とお話ししていると、また来て応援したいなぁと思える時間となりました。
店に伝わる由来によれば、薮伊豆総本店さんは、江戸の天保時代(1830~1843年)には「伊豆本」の店名で京橋で繁盛していた蕎麦屋さん。明治になって老舗店「薮」と暖簾包含し「薮伊豆」となり、「薮」の直系分店(現在浜町・浅草並木・高輪とここ4店舗のみ)となったそうです。落語を詳しく知らない私でも、そのお顔は小さい頃CMで拝見した、5代目柳谷小さん師匠が一門の落語会を京橋のお店で開いていたのがご縁で、日本橋に移った今でも、お孫さんの花緑さんや、若手の落語家さんが落語会を催しているそうです。
お店の皆さんが軽妙にお相手くださって、本当に、また日本橋での外せないご案内店が増えました。是非、皆さんもお出かけください。
女将さんの言葉を借りれば、「江戸からの蕎麦と落語を一緒に楽しんでください。」
[佃のうさこ]
2017年12月 5日 16:00
今年 佃堀は 潮の満ち引きが反映され 生き物と環境の関わりがわかるように整備されました。
新しく堀の中央に設置された浮島に 冬の渡り鳥「ヨシガモ」を発見しました。ヨシガモは、越冬のために シベリアや中国北部やモンゴルから日本にやって来ます。ここ近辺では、皇居のお堀に40羽ほど見かけますが、何故か浜離宮では見かけません。日本で越冬するカモ類の中では、比較的数が少ない種類です。
そして、何故だか??? 佃掘に1羽だけ去年からやって来るのです。
先の住人、カルガモたちとも縄張り争いはないようです。浮島で気持ち良く寝ています。
ヨシガモのナポレオンハットと言われる頭部の羽は、美しい深緑と茶でユニークな形状です。
干潮になり お堀の石についた藻が食べやすくなるとお食事タイム!カルガモたちと仲良く出かけて行きます。
冬の佃堀の散策の折には、是非 ヨシガモを探してみてください。中央区の野鳥観察では、貴重な体験間違いなし!です。
[佃のうさこ]
2017年10月26日 09:00
10月23日台風が過ぎ去って、眩しい青空が広がった日、行列の絶えない人気カフェ「雪ノ下銀座」で料理教室が開催されました。場所は、京橋プラザからもほど近い銀座1丁目、大きなトマト絵が目印になるトマトビル3階です。教えてくださるのは、もちろん雪ノ下と言えば代名詞の「プレーンパンケーキ」です。
レシピでは、家庭で作りやすい分量で、一つ一つの行程を器具の用い方も含めて、丁寧に教えてくださいました。
低温でじっくり焼くことで、あの誰をも魅了してしまうパンケーキが出来上がるんですね!!パンケーキ好きのうさこにとって、夢の時間が流れます。
シャバシャバの生地から、もっちりしっかりの食感の焼き上がりは、まるで魔法のようです。
真夏、3階からずらっと並ぶ行列を、いつも横目に帰っていたうさこ。9月にやっと入店。出会って以来、あのパンケーキの厚さ、高さの虜でした。今回、その謎も解けて大満足の料理教室でした。
店長の西ヶ谷さんによると、「4年前からのパンケーキブームを、文化にしたい」との思いで、今回、初めての料理教室を開催されたそうです。大阪でスタートされ、すぐに銀座に出店。ベランダ席とカウンター席のお店は、まるで都会の公園のようなオープンな空間です。
次回12月4日に、クリスマス限定の教室が開催されます。パンケーキのクリスマスバージョン。どんな、アレンジなんでしょう?オーブンも使わないので手軽に作れていいですね。興味のある方は、雪ノ下のホームページをご覧ください。
[佃のうさこ]
2017年9月17日 14:00
娘さんの横顔を描いた「麗子像」で有名な岸田劉生の実家は、銀座2丁目の銀座中央通りに面したところにありました。現在、地下にメルサの入っている銀座貿易ビルの南半分、地上に花店のある場所になります。地下鉄有楽町線・銀座1丁目駅9番出口すぐですね。
父親の岸田吟香は、明治期にジャーナリスト・実業家として大変活躍した方です!その様子をご紹介いたします。
活躍その①幕末、眼病を患った吟香は、横浜の医師ヘボン博士を訪ねます。ヘボン博士は、今私たちの使っているパスポートの名前のローマ字表記の元を作った人ですが、そこで吟香は、ヘボン博士と共に日本で初めての本格的な和英辞書「和英語林集成」を編纂します!辞書の名前も吟香の命名だとも言われています!!
活躍その②東京日日新聞、現在の毎日新聞で日本で初めての従軍記者として台湾に赴き、その従軍記が大評判になっています!
活躍その③ヘボン博士から編纂手伝いのお礼に与えられた目薬の処方箋で、明治11年に薬屋「楽善堂」を開き、目薬「精錡水」を販売。大ヒットします!家屋の構造上、すすが屋内に溜まり、眼病を患う人が多かった日本にとって大変画期的な目薬でした。それまでは、軟膏で、水タイプの薬は初めてだったからです。
活躍その④吟香は、薬の広告を日本で初めて新聞に出します。新聞に公告を載せれば、売り上げが上がることに着目した日本で初めての人なんですね!!
活躍その⑤吟香は、今で言う福祉事業にとりかかります。楽善堂の楽善をとって明治13年に「楽善会訓盲唖院」を開き、盲人教育にあたっています!!それは、今現在、日本で唯一の国立盲学校「筑波大学付属視覚特別支援学校」に引き継がれています。建設された場所は、現在の築地場外市場近くで、公園内に碑があります。ちなみに、建物の設計は、お雇い外国人として来日、活躍したジョサイア・コンドルでした。
岸田劉生は、このように活躍した吟香の四男として明治24年に生まれています。
昭和4年に銀座を懐古したエッセイ「新古細句銀座通」で、「鉄道馬車の鈴の音を聞きながら、青年時代までをそこで育って来た」と書き出しています。
当時の銀座中央通りは、明治15年に新橋から日本橋で開通した日本で初めての私鉄・馬車鉄道が走っていました。
岸田吟香は、明治38年に72歳でその生涯を閉じています。