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江戸時代の新年会~芝蘭堂とおらんだ正月~

[之乎者也] 2016年1月 4日 18:00

お正月です。友人からも謹賀新年のメールとともに新年会のお誘いが入って来ます。今回は季節の話題でもある江戸時代の「新年会」~「おらんだ正月」~についてお話したいと思います。

 

年末に岩手県から友人が上京して、銀座で一緒に飲んでいると「もうすぐお正月だね。正月といえば『新年会』だけど、一関(いちのせき:岩手県)出身で江戸時代に活躍した蘭学者の大槻玄沢(げんたく)って歴史の授業で習ったと思うけど、彼も新年会が大好きで、毎年必ずやっていたって知ってた?それもこの銀座で。。。」と江戸時代の新年会が話題になりました。Otsuki2.jpg

【大槻 玄沢像(小田 海僊(かいせん)画、重要文化財。出所:早稲田大学図書館)】

 

大槻玄沢(1757年~1827年)は一関藩出身、「ターヘル・アナトミア(解体新書)」を翻訳・出版(1774年)した杉田玄白と前野良沢に蘭学を師事し、二人から一字ずつ貰って玄沢と名乗っています。

両師匠が解体新書の翻訳、そして弟子の稲村三伯、宇田川玄随、岡田甫説が日本初の蘭和辞典である「ハルマ和解(わげ)」を完成(1796年)という偉業をそれぞれ成し遂げたものの、玄沢本人はむしろ後進教育やプロデューサー的な役割に熱心(世話焼きタイプ?)だったためか、蘭学(蘭学概論、オランダ語文法)入門書の「蘭学階(=楷)梯(かいてい:1788年創刊)」を著し弟子を教育する場所として京橋に「芝蘭堂(しらんどう)」を開いた(1789年)ことが実績として知られています。Otsuki3.jpg

【蘭学階梯(出所:京都外国語大学附属図書館)】

 

玄沢の門下には最盛期には100名の門下生がいましたが、蘭学者の集まりでもあり談論活発。玄沢の性格や蘭学塾の雰囲気、またオランダ商館長一行の江戸出府の際、長崎屋で対談したのをきっかけに、玄沢は1794年11月11日(旧暦)に芝蘭堂で「新元会(新しい元日を祝う会)開きます。蘭学者同士の親睦を深めて情報交換を行う場、今風に言えば西洋学会の新年会のようなものを企画、玄沢が自ら幹事役も買って出たというところでしょうか。Otsuki1.jpg【芝蘭堂新元会図(部分)(市川 岳山(がくざん)画、重要文化財。出所:早稲田大学図書館)】⇒岳山も玄沢の弟子のひとりであるので、おそらくこの新元会にも参加して楽しんだ一人ではなかったかと思われます。

 

11月11日(旧暦)がオランダ暦(すなわち現在の我々が使っている新暦)の1月1日にあたるということで、オランダの正月をお祝いするという宴会を開いたのでした。普段は難しい勉強ばかりしている蘭学者の集まりだったのかと思いますが、結構楽しそうな雰囲気です。玄沢は自宅を芝蘭堂として使っていたので、引越しの度に移転(京橋、本材木町、三十間堀町、南紺屋町、木挽町、築地小田原町など中央区内が多い)を繰り返していますが、最初の「おらんだ正月」は、京橋水谷町(現在の銀座1丁目の水谷橋公園あたり)で行われたようです。Otsuki4.jpg当時は、鎖国時代とはいえ、長崎出島を通じたオランダとの交易は許されており、特にこの時期、8代徳川吉宗の享保の改革の結果、実学奨励の方針が取られ、1720年以降漢訳洋書の輸入も一部解禁され、蘭学研究が盛んになった時期であったという背景もあったようです。この催しは好評だったようで、その後も毎年行われ玄沢の死後も長男の磐里(玄幹)に引継がれ44年間続いたようです。

 

【芝蘭堂跡(推定)】

所在地:〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目12-6(水谷橋公園)

 

 

平成の蔵屋敷 in 中央区~その3~

[之乎者也] 2016年1月 3日 14:00

前回の「平成の蔵屋敷 in 中央区」(/archive/2015/08/-in-5.html)では、中央区にある地方銀行についてご紹介しました。3回目となる今回はそれから5か月ぶりとなりますが、今回は中央区に進出している外資系金融機関としてHSBCグループ/香港上海銀行を取り上げたいと思います。

 

東京駅前から八重洲通りを真っ直ぐ歩き、昭和通りと交わるところに、16年4月に地銀最大手の横浜銀行と経営統合することが決まっている第二地銀、東日本銀行の本店があります。その昭和通り沿いの北隣には、ガラス張りのビルが屹立しており、上部に赤地の6角形(Hexagon)に白抜きの蝶ネクタイのような形を合わせたマークの隣に、大きくHSBCの4文字が描かれています。こちらは、その香港の本部と似たガラス張りのデザイン、そしてマークからわかるようにHSBCグループ/香港上海銀行の東京拠点です。HSBC1.jpg

【HSBC東京支店ビル】⇒八重洲通りと昭和通りの交差点の近くにあります。


HSBCといえば、香港をはじめとするアジア地域、ロンドンやパリなど欧州では街中で普通に見かける銀行ですが、日本ではあまり見かけません。

日本ではもともとリテール事業を行っておらず、一時(2008年以降)展開したプレミアバンキング(プチ富裕層向けサービス)もプライベートバンキングとともに2012年に撤退しており、現在、日本においては貿易金融などをはじめとする法人向け商業金融サービス(香港上海銀行)、アセットマネジメント事業(HSBC投信)、証券会社ビジネス(HSBC証券)といった限定された範囲でのサービス提供となっています。

しかしこの銀行、実は日本とのゆかりは非常に深い銀行です。一般に、東京における外資系の銀行(投資銀行、商業銀行)は、赤坂や丸の内周辺に立地するケースが多く、中央区に拠点を設けている有力な銀行では、このHSBCのほかには、アメリカ銀行・メリルリンチ(@コレド日本橋)が有りますが、今回あえて香港上海銀行/HSBCグループをお題に選んだのは、日本とこの銀行のゆかりの深さによります。HSBC5.jpg

【1930年頃の香港上海銀行上海支店】⇒現在は、上海浦東発展銀行の外灘12号ビルとして使われています。

 

香港上海銀行は、1865年にスコットランド人のトーマス・サザーランドにより、香港にて設立されましたが、香港上海銀行が最初に日本へ進出したのは、設立の翌年の1866年です。それは、今を遡ること150年前、明治維新の前ですが、既に居留地があった横浜に最初の拠点を設けたのを皮切りとして神戸(1869年)、大阪(1872年)、長崎(1896年)と支店を開設していきます。明治以降の日本政府の富国強兵政策にも対応し、日本国内の鉄道、水道、港湾等のインフラ整備のために、2億5千万ポンドを貸付け日本の経済成長を支えました。

1923年の関東大震災により、横浜支店が倒壊したのをきっかけに、翌年東京支店を開設し、第2次大戦後も1947年以降、東京と神戸で営業を再開し、その後も日本において貿易金融等の分野を中心に日英間のビジネスをサポートした、まさに英国の在東京蔵屋敷のような役割を果たしてきた金融機関といえるでしょう。HSBC4.jpg【HSBC 香港本部ビル】

 

香港にあるHSBC本部ビルは、全面ガラス張りで更には風水を考慮した設計となっています。こちらについては預金、両替などのリテールバンキングも行っているので内部の見学も可能です。日本橋にある東京支店も、香港本部同様モダンなガラス張りのビル(1998年竣工)となっており興味をそそられますが、こちらについては、残念ながら現在リテールビジネスを行っていないため預金などこちらでは行うことはできず、従って一般には内部見学の機会は有りません。

なお、旧香港上海銀行長崎支店は、記念館として一般開放されており内部の見学も可能です。こちらはガラス張りではなく、明治の銀行建築ではありますが、長崎への旅行の際には見学のため訪れてみるのも一興です。

 HSBC3.jpg

【旧香港上海銀行長崎支店記念館】

 

【香港上海銀行東京支店】

所在地:中央区日本橋3-11-1(昭和通り沿い)

*文中説明の通り、東京支店ではリテールビジネスは行っておらず、基本的にビル内部には入れません。見学の場合は外部から見ることに止めましょう。

 

 

築地本願寺~2015年除夜会~

[之乎者也] 2016年1月 2日 14:00

12月31日の夜、近くの築地本願寺の除夜会に行って来ました。Honganji1.jpg

22時45分、正門前に到着すると既に構内には篝火が焚かれ古代インド様式建築、国の重要文化財でもある本堂(1934年竣工)は昼間のように明るくライトアップされています。Honganji2.jpgわくわく感を押さえながら入っていくと「甘酒とココア

いかがですか!」と温かい飲み物を無料でサービスしてくれます。しばし甘酒で温まりながら、築地本願寺のロゴマークと2016 PEACEの文字を描いたキャンドルアート・平和の灯を眺めます。Honganji3.jpg

それまで流れていたパイプオルガンの穏やかな音楽が終わり、23:00「讃仏偈(さんぶつげ)」作法による法要が始まります。雅楽演奏と声明が30分ほど続いた後、宗務長(築地本願寺の事務部門の長)の安永雄玄(ゆうげん)さんからお話がありました。安永さんは今までずっと仏門にいらっしゃったわけではなく、大学卒業後、22年の都市銀行勤務と経営コンサルティング会社の立ち上げを経て、この2015年の7月に築地本願寺の宗務長に抜擢された方。実社会での経験も踏まえたわかりやすい法話を聞けました。Honganji4.jpg

カウントダウンも終わりいよいよ2016年です。安永さんから今年の字「志(こころざし)」が披露されました。「小さな課題を『志(=目標)』をしっかりと持ちながら一つ一つたゆまず解決していくことで、気が付いたら大きな進歩が得られるようにしたい」というお話でした。Honganji5.jpg【築地本願寺】

所在地:〒104-8435  中央区築地三丁目15番1号

電話:03-3541-1131

本堂参拝時間:6:00~17:00(4月から9月は~17:30) 

 

 

鉄砲洲稲荷神社~新年の準備~

[之乎者也] 2015年12月31日 09:00

12月3日付ブログ記事(/archive/2015/12/post-2910.html)にてお知らせの通り、鉄砲洲稲荷神社では11月から平成の大改修(社務所の建替えなど)のための工事が進行中です。境内にはダンプや建機が入り白いボードで囲まれていたので、このままでは初詣も行けないのではと心配していましたが、先週来、一時工事が中断され正門からの出入りもできるようになりました。TeppozuNE1.jpg本殿前には大晦日の大祓い(おおはらえ)のための茅の輪(ちのわ)も既に準備され、社務所があった部分は白いボードで囲まれたままではありますが、例年通りこの正月も無事にお参りができそうです。TeppozuNE2.jpg

ブログ読者の皆様にもご心配のことかと思いましたので、取り急ぎお知らせ致します。

 

追記:1月10日(日)の寒中禊(寒中水浴大会)は、午前11時から、鉄砲洲公園にて行われるようです。TeppozuNE3.jpg【鉄砲洲稲荷神社】

所在地:〒104-0043 中央区湊1丁目6-7

電話:03-3551-2647

交通:都バス「東15」・江戸バス「南循環」鉄砲洲停留所下車目の前。中央区コミュニティサイクル「B01鉄砲洲児童公園」サイクルポートそば。

 

 

MMM~銀座で感じるヨーロッパの風~

[之乎者也] 2015年12月30日 14:00

この時期、ヨーロッパはクリスマスや新年を祝う飾付けできれいな季節。普段であれば年末にパリを訪れる方も少なくないかと思いますが、今年はちょっとテロも心配です。そんな方に今回は中央区のフランス探しのお話です。中央区にはプランタン銀座をはじめとして、フランスにゆかりのあるお店や施設なども少く無いですが、本日はその一つ、銀座にあるMMM(Maison des Musées du Monde(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド))を訪ねてみました。MMM5.jpg

こちらはDNP(大日本印刷)が文化活動として2003年から行っている、フランスのミュージアム(美術館・博物館)の情報提供や公式ミュージアム・グッズの展示・販売を行う文化施設です。2013年からは「世界のアートとデザインを暮らしに」をコンセプトに、フランスに限らず欧州・世界へ対象を拡充して活動を続けています。

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場所は中央通りの1本西側のスズラン通りと交詢社通りの交わる辺りです。近くには慶應義塾創設者の福澤諭吉が、1880年に日本最古の社交倶楽部として設立した交詢社があり、また食事処も多いおしゃれな雰囲気のエリアです。特派員のCAMさんが12月26日付「細雪シリーズ(7)(/archive/2015/12/post-2972.html」で紹介している関西割烹の「浜作」も隣にあります。

MMM6.jpg【交詢ビル】⇒交詢社のファサードが建物の一部として残されています。

 

ガラス張りの建物の入口には赤地にMMMの3文字が白抜きされたサインが映えるおしゃれなデザインです。MMM3.jpg中に入ります。1階と2階はミュージアムショップで、ルーヴル他フランスを中心とした欧州のミュージアムの情報提供と、ミュージアムグッズの展示・販売がされています。あまり大きなスペースではありませんが、ルーヴル(パリ)、オルセー(パリ)、ベルサイユ(パリ)、リュクサンブール美術館(パリ)、カルヴェ美術館(アヴィニョン)などのフランスのミュージアムのみならず、クレーセンター(ベルン)、大英博物館(ロンドン)、テート・ギャラリー(ロンドン)、ウィーン美術史美術館(ウィーン)、ゴッホ美術館(アムステルダム)などが紹介されておりプチ欧州旅行の気分を味わえます。

エレベーターで3階に昇ると、アートスペースということで美術館とは離れて、グラフィックアートやデザインをテーマとした企画展が行われています。ちょうど「クリスマステーブルグッズ特集」を開催中(12月25日まで)でした。こちらは写真撮影不可でしたので、ブログ読者の皆さんに様子をお伝えすることができないのは残念ですが、季節の雰囲気を反映したほっこりとする展示でした。

続いて地下1階のMMMライブラリに行ってみます。

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【MMM ライブラリー(地下1階)】⇒こちらの撮影はMMMから許可を頂いています。

 

ほかのスペースが展示・販売であるのに対して、こちらは世界各国のミュージアムの展覧会カタログ、MMMの収蔵するアート関連の資料が閲覧できるスペースとなっています。テーブルで資料をゆっくり見たり、パソコンを使ってマルチメディアソフトの閲覧など、実際にパリや欧州へでかける前に現地のアート情報を調べるのに役に立ちそうですね

隣接する交詢社通り沿いにはギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)がありますが、現在改装のため休館中で4月15日にオープンの予定だそうです。MMM4.jpgこちらはフランスなどの欧州に限らず、グラフィックデザインを発信する場ですが、再開の際にはMMMとも連携した活動も行われるようです。

 

【MMM(Maison des Musées du Monde)】

所在地:〒104-0061 中央区銀座7‐7‐4(DNP銀座アネックス)

電話:03-3574-2380

営業時間:11:00~19:00(日祝休)

入場料:無料

 

 

2つのMIYUKI DORI

[之乎者也] 2015年12月29日 16:00

11月1日の日曜日。中央区ではまるごとミュージアム2015が開催され、今年が2回目の「之乎者也(ちーふーちゅ~いぇ)」を含む26名の中央区観光協会特派員は、無料巡回バスに乗務しマイクを片手に街の案内役を務めました。当日は、乗車人数の調整やら運行間隔の時間調整があったり、さらには銀座地区でのデモ行進による大渋滞等様々なハプニングもありましたが、「お客様に中央区の魅力を伝える」というタスクは我々特派員にとっては、普段の研鑽の成果を披露する絶好のチャンスです。

右回りの無料巡回バスに添乗中、浜町バス乗り場に向うため東日本橋のバス乗り場を出発し左に曲がったところで、お客様の一人から「みゆき(御幸)通りって女の人の名前ですか?」と素朴な疑問が寄せられます。Miyuki1.jpg窓の外の道路名称案内板には「御幸通り(MIYUKI DORI)」と書かれており、また女性の名前で「みゆき」という名前(字は美幸や美由紀などもありますが)もよく聞きます、人気漫画の主人公にもありましたね!

 

「御幸」という漢字を辞典で調べると「みゆき、ごこう、ぎょこう」と読み、源氏物語や歴史の教科書に出てくる「行幸」と同じ意味であると載っています。とすれば、こちらの「御幸通り」も天皇陛下がお通りになった通り?ということになりますが、丸の内にある皇居前広場から東京駅前まで結ぶ「行幸(ぎょうこう)通り」であれば、東京駅からお召し列車にご乗車になる時にお通りになったのだろうと察しがつきますが、東日本橋となると「ちょっと皇居からもちょっと遠いけど、どうして?」となります。

 

理由は東日本橋のバス乗り場横にある「臨幸記念碑」にありました。現在日本橋中学校が建っている場所には、戦前には千代田尋常小学校がありました(明治10年創立、昭和20年廃校)。Miyuki3.jpg

【昭和初期の千代田尋常小学校(中央区教育委員会説明版より)】

 

1923年東京は関東大震災に襲われ、千代田尋常小学校を含む多くの地域が焼け野原になりました。千代田尋常小学校は、その後震災復旧事業による復興小学校として鉄筋コンクリートの不燃化構造で1929年12月に竣工しましたが、翌年の1930年3月に天皇陛下が復興した帝都を巡幸した際、車を学校脇の現在「臨幸記念碑」がある辺りに停め、休憩を兼ねて学校を訪問したということが記念碑に記されており、どうやら、この時の「御幸」が道の名前となったようです。Miyuki2.jpg

【臨幸記念碑】

 

さて、中央区の「MIYUKI DORI」といえば、もう一つ有名な銀座の「みゆき通り」がありますね。こちらは東日本橋のMIYUKI DORIが漢字であるのに対し、平仮名で書かれますが、新橋演舞場と日比谷公園を結び、晴海通りに並行して銀座5~6丁目を貫くこちらの通りは、「みゆき族」の聖地として名を馳せました。東京オリンピックが始まる少し前の1964年、アイビールックをちょっと崩した格好の独自のファッションの若者がたむろし、みゆき通りを闊歩したという社会現象が「みゆき族」と言われました。現在はご覧の通りブランドショップが立ち並ぶ華やかな通りとして人気を集めています。Miyuki4.jpgもちろん銀座の「みゆき通り」も「行幸(=御幸)」から来ており、こちらについては、明治天皇が築地にあった海軍兵学校、海軍大学校、浜離宮などへ行幸される際に通られた道ということで「みゆき(御幸)通り」という名前になったようです。

 

【御幸通り】

 所在地:中央区東日本橋2-2から東日本橋2-10まで。

 

【臨幸記念碑】

所在地:〒103‐0004 中央区東日本橋1-10-1(日本橋中学校 浜町河岸通り側)

 

【みゆき通り】
 所在地:中央区銀座5-1から銀座6-4まで。

 

 
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