[rosemary sea]
2016年8月 4日 14:00
『ギフト、そして自分も楽しむ』をモニュメントとして取材します、rosemary seaです。
前回に引き続きこぎん刺し木曜会株式会社 人形町教室にて、主宰のこぎん刺し作家・講師の髙木 裕子先生にインタビューです。
⑥ 教室入会について
「入会金は5、000円、月謝は6、000円(ともに消費税別)で月2回、2時間づつのコースとなります。見学自由です。体験講座も随時受付しています。体験講座ははさみ、ものさし、筆記用具持参で2、500円(消費税別)です。」
「教室では3作まではオーソドックスな基本形で作っていただきます。それが終わったら作品は自由です。4作目からは作りたいものを作っていただいて構いません。タペストリー、バッグ、テーブルセンターなど、様々なオリジナルこぎん刺しグッズが作れます。・・・若いひとの発想や色彩感覚には驚かされることがあります。私自身、いくつになっても学ぶことがあります。実際私も伝統を守りつつ、東海道五十三次のような絵画的なものも作成しています。」
⑦ NHK文化センター 国際交流祭について
「今年で30回となりますが、すべて参加しています。ヨーロッパ諸国が多いですね。去年はハンガリーのブダペスト、今年は11月にベルギーのアントワープの予定です。」
「海外へ行ったときはほとんどの作品は持って帰りません。これと国内の展示会等で販売してしまう関係で、私の手許には私の作品はそれほどありません。現在このように生徒さんが増えてしまっていますと、自分で刺している暇がなかなかありません。」
⑧ 永 六輔さんとの出会いについて
「7月7日に亡くなられた永 六輔さんとの出会いは、NHKの生放送バラエティ番組『夢であいましょう』です。と言いましても、私はそのときの出演者ではありませんでした。私の弟がたまたま出ていましたので、『来ない?』と誘われ撮影を見学しました。そこに永さんですとか、作曲家の中村 八大さんがいらして、お知り合いになりました。永さんは地方によく行かれていましたので、こぎん刺しのこともご存じでした。それからのお付き合い、50年ほど前のことです。」
「申しましたとおり、私自身の作品の手持ちは少ないので、10年近く私の展示会ときには永さん所有の私の作品を借りて展示する、ということをしていました。これが『永 六輔コレクション』です(下の2枚の写真)。これは2年前の日本橋髙島屋さん(創作こぎん刺し作品展)でのもの。こちらの写真は亡くなる前に永さんから送ってこられた写真です(上の写真)。この半纏も私の作品です。永さんを偲ぶ某テレビ局の映像では、この半纏を着ないで膝に載せていました。」
←「これは永さんの半纏のために作った柄です。」
⑨ 次回の日本橋髙島屋さんでの展示会について
「10月19日(水)から25日(火)まで、日本橋髙島屋さんにて『女の手仕事 こぎん刺し作品展』を開催の予定です。ぜひ遊びにいらしてください。」
⑩ ギフトについて
「展示会でもそうですが、この教室でも作品を販売しています。ここにもたまに覗きにいらっしゃるひとも。地方出身のひとが田舎へ帰るときにおみやげとして。お手頃のもので、バッグですとか小さなお財布のような小物が出ます。手前のお財布ですと、4、000円前後です(下の写真)。」
日本橋人形町2-4-9 人形町双葉ビル5階
03-3665-0002
こぎん刺し木曜会さんのホームページはこちら ⇒ http://www.koginsashi.jp
[滅紫]
2016年8月 4日 09:00
昨年の「スタバはないけどスナバはある」という鳥取県知事のコピーライター顔負けのコメントで話題になったとおり(2店舗になったそうです)、すっかり日本の街の顔になった「スタバ」―スターバックスコーヒーが日本に進出して本日8月2日20周年を迎えます。一号店はご存じの方も多いかも知れませんが銀座松屋の一筋裏にあります。カウンターの横に「一号店」というプレートがあるのに以前気が付いて「20周年になるのね」という話をスタッフの人たちと交わしていました。「特別メニューやイベントもやりますので来てくださいね」
ワクワクして早速やってきました。
地下鉄コンコースから盛り上がっています。壁面ずらりとギャラリーとなり「スタバのある風景」写真展。8月2日当日の1号店の風景!
入るのはあきらめました。記念のマグカップなどのグッズは松屋さんでも販売しているということなのでそちらをのぞいてみることに。
スタバが進出してから同じシアトル系のタリーズやエクセルシオールカフェなどの新しい形態も増えて街の喫茶風景もまた喫茶文化もすっかり変わりました。初めての海外の街でもスタバを見つけるとちょっと安心な感じがするのは私だけではないような気がします。コーヒー中毒気味なのでこだわりの珈琲店にも、気軽なスタバやタリーズにもよく入ります。一時コーヒーチェーンに押されて少なくなっていた喫茶店が店独自のウリでまた少しずつ増えているのも嬉しいことです。
鳥取県進出で47都道府県すべてに出店、現在1178店だそうです。都市住民のライフスタイルに合わせ、新しいスタイルを創ってきたスタバが今後どんな展開を見せるのか楽しみです。おめでとう 20周年!
[サム]
2016年8月 3日 18:00
浴衣や和装で真夏の銀座来街者の方々に、和のおもてなしの数々で涼をとっていただくイベント「ゆかたで銀ブラ2016」が、7月31日、銀座通り1丁目から8丁目の歩行者天国を利用して開催されました。
今回は、15:00~17:00に時間を変更しての実施。
1870年8月に銀座通りで日本初の歩行者天国が開催されて以来、歩行者天国開催の記念と、銀座来街者の方々に楽しく夏の一日を過ごしていただこうとの趣旨で開催されているイベント「ホリデープロムナード」の一環として、10年前からスタートしたもので、今年は「たくさんの笑顔を銀座に」をテーマに、和で彩られた銀座の街を浴衣姿で楽しめるよう、様々な催し物が組まれています。
なかでも人気は打ち水イベント「銀座涼風計画」。来街者や街の人たちが大きな掛け声とともに一斉に打ち水を行うと、通りのアスファルトが冷やされて歩行者天国に冷風が吹き抜けます。
銀座通りに設営された、氷像展示の「氷まつり」も涼感を誘います。
今年は、3丁目会場は「氷の動物園」、6丁目会場は「氷の夏祭り」がモチーフ。
この日も、外国人を含め、歩行者天国をそぞろ歩きをしながら、ひとときの涼を楽しむ、大勢の浴衣姿の来街者で賑わいました。
[あすなろ]
2016年8月 3日 16:00
八朔、8月1日。
江戸は、天正18年(1590)8月1日、徳川家康が
拠点を構えてから、大都市へと発展を遂げること
になります。
当時、江戸城のある台地の東側は広大な湿地でした。
<天守台 ※千代田区>
家康は、江戸入り直後から街の造成に着手しました。
神田山を切り崩して日比谷入江を埋め立て、大名屋敷を
整備。さらには、東側の低湿地も埋め立て、市街地を造成。
これが、現在の銀座や京橋あたりで、幕府はこれらの地に
駿河や大阪、伊勢などから商人や職人を移住させました。
掘割の整備や日本橋を南北に横切る通町筋の町割によって
成立した町人地は、交通、経済、文化の中心地となって
発展していきます。
<「熈代勝覧」絵巻>
<日本橋>
<繁栄を表す「麒麟像」> <銀座>
明治に入り江戸は名称を東京と改め、文明開花の波は
社会を変えていきました。
<永代橋と屋形船>
<三百年の松>
そして、現在の中央区があります。
現代の流行の最先端と、400年の歴史の重みが、
ごく自然な形で溶け合っている。
そんなところにもこの街が人を惹きつける秘密が
あるのかもしれません。
[CAM]
2016年8月 3日 14:00
先に、池田弥三郎氏が『日本橋私記』の中で、次のように述べて、「日本橋」の名は、原初には「二本橋」であったという主張の根拠とされていることを記した。
>『紫の一本(ひともと)』という著作には「一ツ橋、日本橋(二本橋)があって三本橋がないのはどうしたことか」と書かれている。 このような「戯語」めかして書いてあることの背景に、日本橋はもともと「二本橋」であったのだが、それがいつか、同音連想で日本橋となってしまったという、その当時の人々がまだ知っていた巷間の「知識」が隠されているとみることは、決してこじつけではない。 (50)
この『紫の一本』が「日本古典文学全集」(小学館)の第82巻「近世随想集」(2000年発行)に収められていることを発見したので、原文等を紹介しておきたい。
『紫の一本』は、近世前期の和学者・戸田茂睡(とだもすい)が著した江戸の地誌、随想である。戸田茂睡は、宝永3年(1706)に78歳で没している。この書の成立は奥書によると天和2年(1682)である。御城巡り、古城、山、坂・・・などの景地、景物による分類ごとに江戸の名所を類聚し、それぞれ長短自在に記述したものである。戸田茂睡は、和歌においても地名に特別な関心を寄せていたように見受けられる。
この中で、「日本橋」については、次のように記述している。
>「一ツ橋、日本橋ありて、三橋のなきは如何に」といへば、・・・・が云ふ。「一石橋、両国橋ありて三石橋のなきがごとく」・・・・・・・・・かぞふれば一石からは二本橋江戸橋からも二ほん橋哉・・・・・
(数えてみると、日本橋は西方の一石橋から二本目であり、東方の江戸橋からも二本目で、なるほど道理にかなった名であることだ)
池田弥三郎氏の主張には、かなりの説得力があるように私は思う。
[デ・ニーロ]
2016年8月 3日 12:00
ガイドにもいろいろなタイプがあります。
特派員Blogを読んでいてもわかるように、皆さん独特のコダワリと得意分野があり、そのバラエティの豊富さがとても勉強になるものです。
先日、特派員の中でも特に優秀な人材を集めた「実地研修」なるものに参加して来ました。各特派員が持ち回りでガイドを行い、残りの特派員も疑似的にお客さんになってそのガイドぶりを観察。しかもそれら全体が有識者によっても観察され、評価されるというものですが、これがものすご〜くためになりました。
皆さん一生懸命にそれなりに素晴らしく頑張っているのに、細かいところでツッコミやダメ出しが入り、それを客観的に眺めていると(明日は我が身ですが)目からウロコでまさに実地研修の醍醐味がここにあります。
オヤヂ系特派員ガイドに多く見られるのが、歴史や文化のうんちくを紹介するタイプ。これに終始するとつまらない案内になってしまうのですが、まぁ難関の観光協会検定に合格した喜び(苦労?)からほとばしる気持の現れでもありますから、理解できます(>_<)しかし、講釈ばかりたれていないでお客さんの関心を引き込むような斬新なネタを仕込みたい!
女子系が凄いのはグルナビで、うんちく関係はすっとばして、どこのナニが美味しくて安いかを歩きながら目につく店のプロパティをことごとく教えて下さいます。観光のコンテンツにはグルメ関係が重要性を増しつつあるのを再認識させられました。伝統の老舗の味は、青山や表参道のオシャレな料理とはひと味違いますね。
観光が目覚ましくグローバル化していく中、お客さんのタイプやニーズも多様化して来ました。中央区観光協会のほうでは、こうしたニーズにも柔軟に対応し、各特派員の個性に合わせ、顧客からの要請に応じたアサインをされているようです。
なにしろアタクシは英語がペラペラなものですから(笑)
外国人観光客(英語圏)の「お・も・て・な・し」が腕の見せ所。
最近は普通のツアーでも、ごくフツーに外国人のお客さんが参加されている場合がよくあります。
先日、観光協会から突然、世界中のVIPとその家族ら48名からなる団体様の観光ガイドを依頼されました。
先方で一応は通訳が手配されているとのことで、わりと気楽に引き受けたのですが、ツアーの3日前、「通訳がドタキャン(直前で突然のキャンセル)したので、特派員ガイドの方で通訳もよろしく頼む」とのこと。
そ〜ゆーのアリですか?
しかもこの連絡、先の実地研修の前日で、本番がその実地研修の翌々日なのです!
これって、酷くない?
これはかなり大変なプレッシャーであります。
アタクシがいったい何したって言うのヨ!(>_<)
外国人観光客48名を3班に分けて約15名のお客さんを小津和紙→江戸屋→伊場仙へとご案内するのですが、江戸屋については最初から最後まで、事務的なご案内も含めて全部英語でガイディングしなければなりません。
あんまりだわ!
特派員をやっていると、こういう恐ろしい体験もできるのでヤミツキになりますネ。
なにしろアタクシは英語がペラペラなものですから(泣)、難なくやれちゃいましたけど(汗)
江戸屋さんでは刷毛の解説をしなければなりませんが、コレって日本語で日本人に説明するのもひと苦労あります。
そこで、アタクシはまず「ハケ」でなくて「ハゲ頭」という日本語を皆さんに教えてあげました。
世界共通のアニメキャラクターである「シンプソンズ」のホーマーと、ジャパニーズ・シンプソンズとも言える「サザエさん」の波平をレイアウトしたスライドボードを作成し、拡大コピーしてお見せしました。
これで動物の「毛」を素材とするブラシのイメージを、ビジュアルに伝えると同時に、ハゲとはけ(刷毛)という日本語も覚えて頂きましょうというオモテナシです。
なにしろアタクシは英会話がパーフェクトだから、こんなの必要ないのですが、バカ受けしました(嬉)
このようなグラフィックを駆使するガイディングは、実地研修でも有識者の方に高いご評価を得ました。
専門的でかたくなりがちなガイドコメントを、いかに楽しくソフトにお伝えしていけるのか。
そうした工夫を考えるのもまた楽しいものです。
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ガイドはプレゼンテーションであるということ(2016年6月30日付記事)