[杏葉牡丹]
2012年7月15日 08:30
銀座の東側、歌舞伎座の周辺は、中央通りや西銀座・新橋方面とも違って、民家や木造の家があったりして、昔の下町情緒の残っている場所で、雑誌の特集では『裏銀座』などと書かれることもある、面白いエリアです。
もともとは、知る人ぞ知る、美味しいお店はいくつもあったのですが、有名な落合シェフのお店「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」ができてからは、イタリアン、カジュアルなフレンチ、創作料理、ワインバーと、様々なお店が続々とオープン。
ちょっとしたグルメエリアにもなっています。
ほとんどのお店は、小規模で親しみやすい雰囲気ですが、かなり本格的で評判のお店も多く、中には夜の予約は数ヶ月待ち、という店も。
お値段もそれなりになってしまうので、そんなにしょっちゅうは行けないのですが、これが『ランチ』となると、グッと身近なお値段に!
そんなランチ激戦区の『裏銀座』で、まずお勧めしたいのは、イタリアンレストランの「Baffo(バッフォ)」。
銀座三丁目のホテルダイエーの横の路地を入った、ビルの地下です。
「Baffo」というのは、イタリア語で「髭」という意味だそうで、
その名の通り、にこやか出迎えてくれたシェフには、見事なお髭が。
案内されたテーブルには、よく冷えた水の瓶が用意されていて、すぐに自家製パンと、前菜のポテトサラダが運ばれて来ました。
香りたかくて外側パリパリのパンは温かく、ポテトサラダは、皮ごとマッシュしてじゃがいもの旨味を引き出したところに、玉ねぎのピリッとした辛味が絶妙のアクセントに。
もう、これだけで十分美味しいので、次の品を待つ間もワクワク。
この日は友人と二人だったので、ピッツァマルゲリータに、ボローニャ風ソーセージのペンネクリームソースを頼んでシェア。
お店に備え付けの焼き釜で焼いたピッツァは、外側はパリパリの、薄いタイプ。
チーズの味と香りが何とも言えず、シンプルだからこそ、そのお店の良さが分かる、という感じ。
ペンネは、シコシコの噛みごたえで、クリームソースとソーセージの相性もバツグン。
イタリアンパセリの風味が全体を引き締めていました。
お皿に残ったソースを「もったいないね~」と話していたら、すかさず、シェフがパンを追加してくれました!
そして最後のコーヒーは、デミタスカップではなく、普通の大きさで、量も十分。
ここまでで、なんと料金は1050円!
だったら、デザートも頼もう、ということで、プラス350円でランチ用デザートをオーダー。
出てきたのは、チーズケーキ・程好く食感を残したリンゴの甘煮クリーム添え・お酒を効かせた、マスカルポーネチーズとチョコレートのケーキと、一つのお皿に三点盛り。それぞれ特徴の違う品が味わえて、とっても嬉しい一皿です。
ランチのメニューは、定番のピッツァマルゲリータにピッツァサラミ、それ以外に、シェフが築地市場等で仕入れてくる、旬の食材を使ったパスタ類やフリット等、約4種類。
すべて、前菜・自家製パン・コーヒー付で1050円。
プラス350円で、デザートが付きます。
物凄く得をした気分で帰ることができるお店です。
ちなみに、入り口の樽の上に干してあったプチトマトは、自家製フォカッチャに入れるのだそうです。
あれだけパンやピッツァが美味しかったので、是非と思ったのですが、こちらはランチには出していないそうなので、やはり、今度は夜に来るしかないのかな~~。
Baffo(バッフォ)
銀座3-12-5 B1F
Tel 03(5565)6139 定休日/月曜日
[杏葉牡丹]
2012年7月 7日 08:30
ただ今はお中元シーズン真っ盛り。
もう全部終えて、ホッとしている方もいらっしゃれば、まだ何にしようか迷っているという方も、いらっしゃることと思います。
我が家では、ずいぶん前に、佃島の佃煮をお贈りしたところ、皆さん大変に喜んで下さったので、それ以来、お中元・お歳暮はいつも、佃島の佃煮と決めています。
何軒かある老舗の佃煮屋さん、それぞれみんな美味しいのですが、私がいつもお世話になっているのは、「天安」さんです。
立派な箱入りもありますが、簡易包装で1000円という物もあって、あまり気を遣わない親戚等は、こちらにしています。
また小袋入りの海苔の佃煮は、200円とお手軽なので、お中元・お歳暮に関わらず、ちょっとしたご挨拶がわりにも使えて重宝しています。
佃煮は、その名の通り、佃島が発祥の地。
江戸時代の初めに、摂津国西成郡佃村(今の大阪市西淀川区)から移って来た漁師さん達が築いたのが、佃島で、彼らが『保存食』として小魚を煮たのが、佃煮の始まり。
当初は、まだ醤油が普及していなかったので、塩で煮ていたのだそうですが、どんな味だったんでしょうね。
その後、醤油が入ってくるようになって、今の様な味付けになったのだそうです。
贈られた方は、美味しいのは勿論ですけれど、そうした歴史のある品なので、余計に喜んでくださるのでしょうね。
[杏葉牡丹]
2012年7月 1日 08:30
日本だけでなく、世界中の子供から大人まで、万人に愛されているパンダ。
本物は動物園などに行かないと見られませんが、パンダにちなんだ品物なら、街角のあちこちで見る事ができますよね。
そんな中で、まずはビックリなのが、築地場外市場の海産物のお店に飾ってある『パンダの剥製』!
一瞬目を疑ってしまいましたが、お店の人に伺ったら、「ワシントン条約より、ずっと前のものだよ~」とおっしゃってました。
確かによく見ると、かなり古そう。
一応、値段はちゃんとついていましたので、単なる「看板パンダ」ではなく、ちゃんとした売り物なのでしょうか?
そして、これもビックリなのが、パンダの革靴!
昭和通りに面した、銀座の靴屋さんのウインドウに飾られていたのを発見!
受注生産ですが、男性用、女性用それぞれあるのだそうです。
『試しに履いてみて、記念写真をどうぞ』とPOPには書いてありましたが、さすがにそれは気がひけて、遠慮をいたしました。
よく考えてみたら、パンダのスリッパもありますので、革靴があっても良いはず。
ただ、この靴を履いた時は、どんな服を着たら良いのでしょうか?
やっぱり、白と黒のパンダカラーで統一すべきなのか、それとも、豹柄はどうなのかしら等と、つい考えてしまいました。
[杏葉牡丹]
2012年6月25日 08:30
お昼時に外を歩いていると、まあ、あるわあるわ、あちこちでお弁当を売っているのが、目に入ります。
メニューも、和洋中にエスニック系と盛りだくさん。
お値段は、ちょっと前にはワンコイン(500円)弁当が出てきて、へぇーと思っていたら、すぐにサンキュー(390円)弁当が登場、しかもそれなりに充実した内容なので、インフレ・バブルを経験した世代としては、本当にいいんですか~、と申し訳なくなってしまいます。
ところが、サンキュー(390円)弁当に驚いていたら、さらにその上がありましたっ!
八丁堀の京華スクエアのすぐ近くで、お店の名前は、そのものズバリの『ニコ丸(250円)弁当』。なんと、10種類以上あるお弁当が、全て250円!!
この日私が買ったのは「イタリアン・ハンバーグ弁当」。
レタスを添えて、トマトソースのかかったハンバーグに、副菜は鳥の唐揚げにエビフライ、卵焼き、漬物。御飯もしっかりした量があって、余程のガッツリ系でなければ十分です。
他にも、生姜焼、酢豚、肉じゃが、焼き魚、ロースカツ、チキン南蛮など、メニューはバラエティーに富んでいるので、常連さんもいらっしゃるそうですが、毎日でも飽きないですよね。
お昼時には、レジにずらっと人の列ができ、沢山あったはずが、あっという間に売り切れてしまうというのも、納得です。
美味しい上に、こんなに値段が安い理由は、浦安にある本社が生鮮スーパーで、新鮮な食材が安く入手でき、お米も自家精米を使うなど、限り無くコストを切り詰める努力をしているからなのだそうです。
本当に、お財布には有難い味方ですよね。
ただ、営業時間は11時~13時までと短く、
土日祝日はお休みなので、ご注意下さい。
[杏葉牡丹]
2012年6月16日 08:30
銀座松屋から築地に向かう松屋通りの、歌舞伎座の裏あたりは、しょっちゅう通っているのですが、先日、マガジンハウスの先の厚生館ビルの前に『明治会堂跡』という説明板を発見!
「24年3月」となっていたので、比較的最近建てられたものとは言え、全然気が付きませんでした。
その説明板によると、かつてこの場所にあった「明治会堂」とは、明治14年に福沢諭吉の発案により建てられた、会食もできる演説会場で、東京随一と言われ、その収容人数は何と3000人!食堂は200席もあったそうです。
明治15年には立憲改進党の結党式が、また明治16年には、鹿鳴館に先駆けて、日本初の西洋式舞踏会が開かれたのだとか。
その後、福沢の所有から農商務省の手に渡って「厚生館」と改称され、明治23年に民間に払い下げられましたが、大正12年の関東大震災で消失してしまったのだそうです。
今も残る「厚生館」という名称には、そんな由来があったのですね。
ちなみに、厚生館ビルと隣のビルとのわずかな間には、「専修大学発祥の地」の記念碑があり、反対側の通りの角には、ジョン・レノンがとても贔屓にしていた喫茶店「樹の花」があります。
中央区は、大通りばかりでなく、ちょっと裏道を歩いただけでも、歴史や由緒のある場所ばかりなので、本当に【タイムスリップ】してみたくなってしまいますね!
[杏葉牡丹]
2012年6月 7日 15:00
銀座の東側の旧「木挽町」、特に歌舞伎座の裏辺りは、銀座と言っても、狭い路地に木造家屋や看板建築があって、ちょっとレトロな雰囲気が残っている場所です。
もちろん大きなビルも多いのですが、個人商店や店舗を、そのまま建て替えたような、小さなビルも目立ちます。
そうした建物は、まだ昔からの住民がいらっしゃるのでしょうか、ビルになっていても、玄関先に植木を置いたりして、下町情緒たっぷりです。
そうした中に、とてもきれいな花の植木鉢と、メダカの泳いでいる石の手水鉢を置いている、小さなビルがあります。
オーナーさんにうかがったところ、なんと、この石の手水鉢は、明治時代に、オーナーさんのお祖父様がこの近くでやっていた、お団子屋さんで使われていた『石臼』なのだそうです。
右下の後ろ端が一部欠けているのは、
関東大震災の時に火災にあった為だったとか。
その後の復興計画で「昭和通り」を造る事になり、お団子屋さんは立ち退きになって、築地に移転して営業を続けました。
太平洋戦争の時には、聖路加病院の近くだったためか、空襲の被害から逃れ、石臼はその姿を保つことができました。
ところが、戦後になって営業を再開する際に、道具類を新しく買い換えることになり、この石臼は処分されそうになりました。
そこで、お団子屋さんの三男であったオーナーさんのお父様が「思い出のある品を勿体ない」と引き取ったのだそうです。
たまたまこの場所は、お祖父様がお団子屋さんを開業した場所のすぐ近く。
約100年もの間、関東大震災や戦禍をくぐり抜けて、この場所に戻ってきた『石臼』は、ビルに建て替え、お父様が亡くなった後も、ずっとすのままで、メダカたちの住処となって、通り過ぎる人達の目を楽しませてくれているのです。