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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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五代さま@築地

[月島菜々子] 2016年2月15日 14:00

人気の朝ドラ「あさが来た」の舞台は大阪ですが、主役を凌ぐ人気の五代友厚は

ここ中央区にご縁がありました。
今回は五代さまの区内の足跡をたどってみます。
 
明治維新後、新政府は諸外国との交易に備え、江戸時代後期に劣悪になっていた貨幣を

国際的に通用する良質なものにする必要がありました。
この欧米式の貨幣作りを託された1人が五代さまです。
彼はこの仕事を進める中で、金銀入手のため、鉱山業を手掛け、

その管理事務所として明治6年に自宅があった大阪中之島に弘成館を創設。
明治7年、福島県の半田銀山の経営にも着手し、その拠点として東京築地入船8丁目に

東弘成館」を置きました。

現在の明石町で、聖路加病院、芥川龍之介の生誕地辺りでしょうか。

 
ドラマでは、大阪から船と汽車を乗り継ぎ新橋から築地まで煉瓦街を歩く様子、

ガス灯が点る場面では、五代さまの「ここから一里の間に85本のガス灯が街頭を照らします」

と言うセリフもありました。

近代化を遂げる東京、モダンな街中央区の様子がよくわかりました。
 
築地の別邸にて療養生活の甲斐なく49歳の生涯を終えた五代さま。
「大阪をつくった男」として有名な五代さまが最後まで築地とご縁がありましたこと、

誇らしい気がします。
 
ドラマではもう出番はありませんが、今月22日に夢の中で再登場とか。

今からとても楽しみです。

ディーンさま、いや五代さまに会えるのが

 

 

「三隅研次」回顧特集〔東京国立近代美術館フィルムセンター〕

[ジミニー☆クリケット] 2016年2月15日 12:00

京橋3丁目にある東京国立近代美術館フィルムセンターの大ホールで、映画監督・三隅研次回顧特集が組まれています

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期間は、3月13日)までです。

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三隅監督は、大映京都撮影所を中心に、多くの作品の演出を手がけましたが、1975年に54歳の若さで急逝しました

今回の企画は、三隅監督の手がけた劇場公開映画全67本のうち51本と、テレビドラマ「必殺」シリーズ演出担当回全19本を上映する"史上最大規模"の回顧特集です

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私は、13日13時からの「子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる」を鑑賞しました

この作品は、人気劇画の映画化第1作で、公儀介錯人だった拝一刀若山富三郎)が、柳生一族の陰謀から刺客となり、幼子・大五郎を連れた流浪の旅に出る物語です

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いわゆる娯楽時代劇を観るのは久しぶりだったのですが、光と影を強調した画面構成や細かいコマ割りに三隅監督の特徴が表れているように感じられ、劇画を意識したオーバーな表現も併せて楽しめました

東京国立近代美術館映画監督 三隅研次」のHPはこちら ⇒

http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/misumi-2016-1/

 

 

 

8回目の中央区観光検定、受験できました。?

[小江戸板橋] 2016年2月15日 09:00

定められた日時、定められた場所に、きちんと出向く事。

なかなか難しいことです。

 

2月11日に行われた、第8回中央区観光検定試験、

なんとか受験してまいりました。

これまで、交通機関の遅れで、ぎりぎり試験開始時間に間に合った回もありました。

前日からの大雪で、ビシャビシャになった歩道を会場に向かった回もありました。

今回、私ごとではありますが、試験1週間前に、突然急性腰痛症

「ぎっくり腰」になりまして、

身動きできない状況に陥りました。

連続受検も7回で、おしまいになりそうです。

もっとも、痛みが続いている間は、受験どころではありません。

ベジータの急襲を受けたときの悟空の様に、「グアァァァーッ」。

当日は無断欠席になるけれど、仕方ないか。

それでも、3日4日、安静にしていたら、なんとか歩けそう。

鎮痛剤と筋肉弛緩剤が効果をあげて来たようです。

誰に褒められることもなく、8回目の受験会場にやってまいりました。

 

試験。面白かったよ。

「あさり河岸(中央区新富)、士学館、鏡新明知流、桃井春蔵、江戸三大道場」

この流れは、いつかは出題されるだろうと期待していました。

出ていました。

この問題を解いただけでも、出席した甲斐がありました。

他の99問は、どうだったの。

うーーん。

なかなか正解に結びつきませんでした。

おっ。そこを衝いて来ますか。

一読して脳裏に浮かびあがった解答群を、するりとすり抜けて、攻めてきます。

腰の痛みを忘れてしまう、楽しい90分でした。

出題者のニャリとほほ笑む姿が見えるようです。

 

会場を出たところで、筋肉質のお兄さんが、「ターレーだけは、分かったよ。」

ターレーの正式名称は、ターレットトラックと言うのですね。

問題文から知りました。

 

今回、歴史的建造物に関する出題が、特に印象に残りました。

暖かくなったなら、テキスト片手に、建物めぐりとまちかど展示館めぐりをしましょう。

実際に行ってみて、目で確認することが、一番確実に覚えられます。

一つひとつの建物の距離が近いことも、気軽に回れる魅力となっています。

 

 

 

区民有形文化財(3)

[CAM] 2016年2月13日 14:00

聖路加国際病院 トイスラー記念館

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 所在地 中央区明石町10(聖路加国際病院)
 
 昭和8年(1933年)、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町19番地に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。
 設計者は米国人建築家のJ・V・W・バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリート造一部木造の二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でした。
 平成元年に解体工事が行われ、平成10年(1998年)2月に現在地へと移築復元されました。復元にあたり、創設当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録し、再利用可能な部材をできる限り用いています。
 外観は、外部に柱や梁を表現したハーフティンバー風の意匠です。室内はチューダー・ゴシック風のデザインで、玄関ホールやリビングなどに重厚な木の内装がみられます。
 この建物は、聖路加国際病院の歴史を物語るとともに、築地居留地時代から引き継がれてきた明石町の歴史の一端を伝える貴重な文化財です。

 平成183月    中央区教育委員会

 

 

アメリカ公使館跡石標

IMG_2735.JPGアメリカ公使館は安政6年(1859年)ハリスにより港区元麻布1-6、善福寺に開設されたが、明治8(1875年)12月築地の外国人居留地内のこの地に新築され、はじめて形容を整えた。 のち明治23年(1890年)3月赤坂の現在地に移転され、現在の大使館になっている。

 最後の移転により、この地には8個の小松石の石標が残された。石標には、白頭鷲、星条旗、星の3種類の彫刻が施されており、白頭鷲はアメリカの国鳥であり、星条旗に彫られた13の星は同国初期の13州を示す。

 8個の石標のうち3個は昭和59年(1984年)10月に日米友好のシンボルとして、赤坂のアメリカ大使館に寄贈され、現在同大使館の前庭に配置されている。残る5個の石標は、築地の居留地時代を伝えられるものとして中央区民文化財に登録されており、うち3個をここに、2個を聖路加ガーデンに設置する。

    1998年5月              聖路加国際病院

 

 

区民有形文化財(2)

[CAM] 2016年2月13日 09:00

カトリック築地教会聖堂

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所在地 中央区明石町5-26

カトリック築地教会は、明治四年(1871)にパリ外国宣教会のマラン神父が、鉄砲洲の稲荷橋付近の商家を借りて開いた「稲荷橋教会」がその前身とされます。明治七年(1874)、神父は宣教会の名義で築地居留地三五・三六番を借り受け、ここに司祭館と聖堂を建てました。明治十一年(1878)には、ここにゴシック様式の聖堂が献堂されますが、この聖堂は関東大震災で焼失し、現在の聖堂が昭和二年に再建されました。聖堂は石造りに見えますが、実は木造建築で、壁画をモルタル塗りとしています。
また、旧聖堂で使用された鐘は、1876年(明治九年)にフランスのレンヌで製作され、当時の司祭であるマレシャル神父から「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられたもので、現在も教会に保管されています。
教会聖堂と鐘は、かつて外国人居留地のあった明石町に残された貴重な文化財として、中央区民文化財に登録されています。
平成十三年三月
中央区教育委員会

 
屋根正面のバラとチューリップの彫刻

IMG_2726.JPG 築地教会聖堂は、区民有形文化財(建造物)であるとともに、東京都選定歴史的建造物にも指定されている(「ものしり百科」152頁)。手前が区民有形文化財、その先が都生活文化局による都選定歴史的建造物指定の標示板。

 

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 門の真正面にある、「暁星学園発祥の地」の碑。背景は明石小学校で、左に「ガス街灯の柱」(「ものしり百科」65頁)が少し写っている。 

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"三井家のおひなさま"

[お江戸のマーシャ・堀内] 2016年2月12日 16:00

二月も立春を過ぎ、桜の季節まで三寒四温を繰り返す頃となりました。

三井記念美術館で、2月6日から始まった展示会で、ひな人形、ひな道具を見に行ってきました。

 

まず、ひな祭りについてですが、これは女の子の健康と幸福を祈って行われる三月三日で、
桃の節句ともいい、五節句の一つです。
古代中国では、三月最初の巳の日に川に入って穢れを祓う風習があり、それが平安時代に日本に伝わり、
ちらし寿司、はまぐりのお吸い物、ひなあられ、菱餅、白酒が添えられてお祝いをするという独特の行事となりました。
ひな段飾りというのは、元禄の頃から始まったもののようです。

 

いずれの人形もきらびやかで、顔立ちもは"凛々しい"という言葉が合っているように想いました。
中でも、幅3メートル、5段のひな段飾りは圧巻の素晴らしさです、是非ご覧ください。

 

説明書きに有ったのですが、幾つかの人形は、江戸時代の十軒店(日本橋3丁目あたり)の職人の手による雛人形と
書かれており、このあたりは、商人と職人の町だったのだという事を改めて感じた日でした。

 

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「内裏雛」 三世大木平藏製 明治28年(1895)三井記念美術館蔵

 

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「内裏雛(女雛)」五世大木平藏製 昭和9 年(1934) 三井記念美術館蔵

  

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「紫宸殿雛人形」 五世大木平藏製 昭和9 年(1934) 三井記念美術館蔵

 

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「三井好 都のにしき 尽きぬ名残」水野年方筆 明治時代・20世紀 三井記念美術館蔵

 

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「色絵鶴向付」沈壽官造 近代 三井記念美術館蔵

 


また、三井家の薩摩焼も展示されています。豊臣秀吉晩年の朝鮮出兵後、薩摩にその技術をもたらしたのは
朝鮮の陶工によるものだったということです、そういえば、司馬遼太郎の沈壽官さん(写真の中の"色絵鶴向付"がその作品)
のことについて書いている作品があるのを思い出しました、心温まる作品です、読んでみてください。

三井記念美術館→最寄駅は地下鉄銀座線の三越前駅

詳細はこちら URL http://www.mitsui-museum.jp/

※各画像は三井記念美術館様の所有となります。二次利用は固くお断り申し上げます。