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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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春海橋と春海橋梁の下を通る屋形船

[観太郎2017] 2017年8月31日 16:00

今年の夏は天候不順で、蝉の鳴く期間も短かったような気がします。それもあってか、表題の晴海橋の下を通る屋形船の写真をなかなか撮る機会に恵まれませんでした。

 

春海橋は春海橋梁という産業遺構の貨物線鉄橋と平行に走っています。この貨物線は、JRの越中島駅と晴海埠頭を結んでいましたが、平成元年に廃止になり、鉄道線路は全て撤去されてしまいました。 しかし、唯一残されている遺構が、このアーチ橋であり、「湾岸エリアの発展を見てきた貴重な遺産」と言われています。

 

この下を流れる運河は晴海運河(または春海運河)であり、この川の下流に架かる大橋も晴海大橋であるが、この橋は、春の字を使う春海と表示されている。また、この橋は中央区の晴海、勝鬨、築地、銀座と江東区豊洲・東雲を結ぶ「晴海通り」が通っている、中央区と江東区の区界でもある。

 

中央区の湾岸エリアで発展を続ける晴海・月島地区の高層ビル群、廃線アーチ橋である産業遺産、東京の夏の夜を彩る屋形船を見ることができ、また名前の面白さ(春海と晴海)を感じることのできる場所として、特に黄昏時期にお勧めである。

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【中央区大好き!になります】84.0MHz ハローラジオシティ(中央エフエム)

[お染] 2017年8月31日 09:00

もう9月だなんて...早いですね。
中央区観光協会の特派員になって三年半。赤ん坊だった息子ももうすぐ4歳です。

    

    

先日は、特派員の活動の一つである ラジオ収録 に行って参りました。
中央エフエム 「Hello! RADIO CITY」 という番組内の1コーナーで、特派員ブログの内容を紹介するのです(`・ω・´)!

    

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中央エフエム。京橋スクエアガーデンの地下1階スタジオ。
外から見えます^^

    

    
収録、実はもう5回目なんですよね。

    

初めての収録のとき、まさか自分がラジオでしゃべることになると思っていなかったので、マイクの前でドキドキしすぎて、何を話したかあまり覚えていません。(今もそうか...笑)

    

でも、毎回 ナビゲーターのJUMIさん が明るく導いてくださって、思ったよりもペラペラ話せたり、ゲラゲラ笑ったり、普段は人前で話すのが得意ではないのですが、ここでは話すことが楽しく感じます

    
ただ、最後に言う決め台詞 「大好き、中央区!」 はなぜだかどうしても照れてしまって、妙なローテンションになってしまいます(>_<)
本当に大好きなのに!!!笑

    

    

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ナビゲーターのJUMIさん
働くママとしても先輩で、憧れの女性です。

    

    
また、特派員同士が顔を合わせる機会があまりないので、収録の際にご一緒できるのも楽しみの一つです。顔を合わせてお話を伺うと「おぉ~、この方がブログネーム○○さん!」とグッと親近感が増します

     
今回は 「隅田の花火」さん とご一緒させていただきました。
「隅田の花火」さんのブログは、お写真が特にオシャレでかっこいいなぁと思っていたので、
ブログを書くときの写真の撮り方やカメラのお話ができて、嬉しかったです(*^^*)

    

    
そんなこんなで、特派員は中央区のことについてブログを書いたりラジオでしゃべったりしています。

    

中央エフエム 「Hello! RADIO CITY」
ブログの裏話など、耳で聞くことで新たな発見もあり、おススメです☆
中央区の魅力 をますます感じることができますよ。

     

    
◆中央エフエム(84.0MHz)
HP:http://fm840.jp/
 ◆「Hello!RADIO CITY」:月曜~金曜 12:00~13:00 (再18:00~19:00)
   http://fm840.jp/blog/hello/

   

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漁業取締船「照洋丸」が晴海埠頭に停泊していました。

[kimitaku] 2017年8月30日 18:00

 八月下旬 晴海埠頭を散歩。岸壁に「照洋丸」が停泊していました。

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 水産庁の「照洋丸」は漁業取締船で、日本の周辺水域で違法な操業及び漁具の設置を行う外国漁船等の指導取締を行うことを目的としています。

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 平成10年建造で、水産生物資源及び海洋環境に関する大型漁業調査船として重要な役割を果してきました。

 

 近年、我が国の周辺水域における違法操業は跡を絶たず巧妙化悪質化するとともに広域化していることから、これら違法を行う外国漁船の取り締まりを強化することが課題となり、平成26年漁業調査船から漁業取締船となりました。(水産庁web より)

 

 「照洋丸」は時々晴海ふ頭に停泊しています。

 当日の朝、散歩する人も少ない岸壁で、日の光を浴び、「照洋丸」は次回の出航を待ちわびていました。

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「ギュスターブ・ドレの『神曲』」〔銀座レトロギャラリーMUSEE〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年8月30日 16:00

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銀座1丁目、昭和通りに面して建つレトロな洋館建築銀座レトロギャラリーMUSEE」で、現在、「MUSEE企画展 ギュスターブ・ドレの『神曲』 ダンテ「神曲」、500年の時を超えた精緻な視覚化」が開催されています

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展示されているのは、当ギャラリーの代表が、ニューヨーク古書店で発見して、買い付けられた約100年前)の挿画本から、29点を個々に額装されたものです

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ギュスターブ・ドレによって、ダンテ「神曲」地獄篇煉獄篇天国篇視覚化されました

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モノトーンなのですが、ギャラリー2階に展示されている天国篇のエピソードを描いた作品は、まるで、作品自体が光り輝いているようでした

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1階煉獄篇の作品からは、異様な奥行き厚みを感じました

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13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人ダンテが著した長編叙事詩神曲」を、19世紀ギュスターブ・ドレ木版画視覚化して以降、この影響を受けているものは、現代の私たちの周辺にもたくさんあるなと実感しました

実際、ご覧になるとよくわかると思いますが、ハリー・ポッターとか思い切りそうだと思います

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この挿画本が出版されたことは、当時、本当に画期的なことだったのだろうなと思いを致しました

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レトロなギャラリー1階2階に展示された作品を、じっくりと肉眼でご覧になることをお勧めします

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開催期間は、8月23日)から9月24日)までです。

開廊時間は、11時から18時までで、期間中、火曜日はお休みです。

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なお、ギャラリー内での写真撮影についてはご了解をいただき、また、今回の企画展の内容について、ギャラリー代表から、直接ご説明をいただきました。

ありがとうございます

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ちなみに、夕暮れ時ギャラリー灯りがともっているころに眺めるレトロギャラリーのたたずまいも素敵ですよ

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銀座レトロギャラリーMUSEEのHPはこちら ⇒

http://kawasaki-brand-design.com/

芸術芸術芸術

 

 

築地場外市場の底力

[下町トム] 2017年8月30日 14:00

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先日〔場外市場〕で発生した火災は一時周辺が大混乱になる大事件でしたが、幸いにも人的被害がなくホッとしました。古い木造建築が密集している地域なので本当にどうなることかと心配していました。皆さんも驚かれたことでしょう。

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火事でお店が倒壊したり破損して営業できなくなった店がいくつかあり、心を痛めていましたが、火災現場にはいくつもの手書きの注意書きが掲げてあり、「別のところで仮営業しています」という文字が目に留まります。ブルーシートの切なさもなんのその、決してめげない力強さに触れてこちらも勇気づけられます。

 

IMG_5176 (2).JPGある八百屋さんは近くのガソリンスタンドの脇で朝のうちだけの青空営業を続けていらっしゃいます。常連さんが多く、次々と野菜が売れていきます。その都度「頑張って下さいね」とか「営業してもらってよかった」というような励ましや親しみの声が交わされています。

 

築地には人情があふれるだけではなく、逆境に負けない強い心の人たちがしっかりと食文化を支えています。どうか築地〔場外市場〕の発展と巻き返しを応援してあげてください。そしてお近くに来られた際には是非足を運んでいただけたらと思います。よろしくお願いします。

 

 

人形町に行ってきました!

[株式会社 彦晴] 2017年8月30日 09:00

人形町に行ってきました!

 

知っている人も多いかと思いますが"人形町"という正式な地名の歴史は浅いです。「人形町は、現在三丁あって、水天宮の電停から北北西の方向に堀留町にいたる都電路線の両側を占めており、正しい町名としては、昭和八年住吉町、堺町、新和泉町、芳町、元大阪町、蛎殻町、松島町の一部をまとめて起立されたのである。しかし水天宮とともに、人形町の呼び名は、ふるくから有名であった」『中央区史』より

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水天宮前交差点よりの水天宮(安産と水難にご利益があるといわれ、戌の日には多くの参拝者で賑わいます)

 

そして、人形町の発展に大きな要因となったのは明治5年に蛎殻町の有馬候中屋敷に芝赤羽橋有馬候上屋敷から水天宮が移ってきたことにある。そして水天宮の門前町として発展していったのである。

 

「毎月一日・五日・十五日・戌の日に月次祭を行うが、初水天宮・例大祭(五月五日)・戌の年戌の日には遠近より来り詣でる人々多く繁華雑踏を呈するが、その繁昌ぶりは他にその比を見ないといわれる。神楽七十五座や地元有志の余興が奉納され、境内外には縁日がところ狭しと立ちならび、参詣者陸続としてつづく盛況は都下の一異観であった」『中央区史』より

 

しかし大正震災の後は各地に新興商店街が誕生し、発展したり百貨店の繁栄が人形町を衰退させていた。戦後においても、一般的に社寺は振るわなかったため、水天宮も同じく現代のような注目されることはなかったのです。

 

さて、時代の移り変わって2017年人形町は素晴らしい街へと変貌しました。

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地下鉄日比谷線のA1・A2出口から地上に上がると人形町通りを挟んで2台のからくり時計が訪問者を迎えてくれます。

 

人形町と言えば、甘酒横丁、蛎殻銀座跡、西郷隆盛屋敷跡、谷崎潤一郎生誕の地、日本橋七福神、玄次店などが有名ですね。今回は水天宮前交差点から甘酒横丁交差点までにスポットを当てて街歩きしてきました。

 

水天宮交差点は三原堂本店と重盛永信堂が人形町通りを挟んで立っております。重盛の人形焼き・ゼイタク煎餅は人形町土産としてとても有名です。三原堂のどら焼き・豆大福もとても人気がありますが、私が個人的にお薦めするのは塩せんべいです。絶妙な味付けで後を引きます。人形町通りをそのまま甘酒横丁方面に進み、右手からニッキの香りが漂ってきたら、寿堂に到着です。ニッキの香りの黄金芋は人形町の名物です。そのまま道なりに進むと右手に玉英堂があります。玉英堂のとらやきが有名ですが、私は"玉饅"をお薦めしたいです。饅頭が5層からできていて見た目も楽しめて程よい甘さがとてもよいのです。また玉英堂の現在立っている地に"尾張屋"という甘酒屋があったことが甘酒横丁に由来することも有名です。

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三原堂本店 重盛永信堂 寿堂 玉英堂

 

その玉英堂を右折すると甘酒横丁です。甘酒横丁を直進すると明治座へと繋がっています。この甘酒横丁には、つづら店や三味線・ばちなどなどを扱う楽器店などの老舗がいくつもあります。また甘酒横丁を右折して少し進んだ右手には

鯛焼きで有名な柳屋もあります。しかし今回は右折しないで左折してみることにしました。

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するとすぐ目に入ってくるのが、"谷崎潤一郎生誕の地"の石碑です。谷崎潤一郎は、明治19年この地にあった祖父の家、谷崎活版所に生まれたそうです。なおこの石碑の書は谷崎潤一郎夫人の松子さんによるとのことです。

 

その先にあるのは日本橋小学校です。現在リノベーション工事中でした。ここは西郷隆盛屋敷跡として有名です。江戸時代にはこの地は姫路藩酒井家の下屋敷となっていました。また、明治6年の沽券図には「蛎殻町一丁目壹番 二千六百三十三坪 金千五百八十六円 西郷隆盛」との記載が残っています。

西郷隆盛はこの地には明治4年より明治6年までの2年間のみの滞在となります。明治六年の政変にて鹿児島へと戻り、明治10年西南戦争を起こして自害をすることになるのです。

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また、人形町にはこんな路地が残っていて下町情緒を感じられます。

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最後に日本橋七福神の二社を紹介して今回のブログを終了しようと思います。

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    茶ノ木神社         松島神社

 

茶ノ木神社 「この地には下総国佐倉藩堀田家の中屋敷があり、その守護神として祭神を祀った。神社の周囲にぐるり植え込まれた茶ノ木が、名称の由来と伝わる」『中央区物知り百科』より(日本橋七福神の布袋尊)

 

松島神社「松島町にあり、創祀の年月は元享以前と伝えられ、神霊は天正十三年吉見兼見の勧請するところであるという。保食神を祀る、住吉この辺が海洲であったころ、海中に松樹ある小島があった。島の祠を俗に松島稲荷と称したのだという。正徳三年この地が町地になった際、とって町名とした」『中央区史』より また松島神社は毎年酉の市が開催されることでも有名であり、社はビル1階部分に組み込まれています。(日本橋七福神の大国神)

 

今回は人形町の一部分にスポットを当てブログを書きましたが、まだまだ人形町の魅力について書ききれておりません。今回触れることができなかった、蛎殻銀座跡や大門通などについても別の回にて記載してみたいと思ってます。

それにしても、人形町は歴史・文化においてとても内容の深い街でした。

 

 
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