月島・晴海周辺
-
旧「晴海鉄道橋」の遊歩道 まもなく開通!
今回は晴海にスポットを!晴海と江東区豊洲の間の「晴海鉄道橋」が、晴海線の廃線後も遺構として放置されてましたが、「遊歩道」として再生し、間もなく開通しますって話です。 さて、TOKYO2020の選手村があった中央区晴海。正式な地名が決まる前は月島4号地とよばれてました。 晴海は中央区だけど、現在は鉄道の駅もない地区で、正直陸の孤島感があることは否めません(個人の感想です)ていうか陸じゃなくてリアル島ですね 選手村は、そのまま晴海フラッグというマンション群になり、晴海埠頭客船ターミナルもなくなったので、現在ランドマーク的には晴海トリトンスクエアぐらいだろうか。 かつて「東京国際見本市会場」が1959年(昭和34年)に開場し、東京モーターショーなどのイベントや、コミックマーケットを始めとする同人誌即売会などを開催していたので賑わっていたようです。 ただ、1996年(平成8年)に東京国際展示場(東京ビッグサイト)が江東区有明に開場したので、今は昔、竹取の翁といふ者ありけり・・ 晴海に関する前口上はここまで で、今回紹介したい遊歩道になる「晴海鉄道橋」(晴海橋梁)をウィキペディアで調べました。 『国鉄越中島支線の越中島駅(現越中島貨物駅)から、豊洲石炭埠頭までを東京都港湾局専用線(深川線)として開業していたが、深川線の深川線分岐点から分岐し晴海埠頭までを東京都港湾局専用線(晴海線)として建設した際、晴海運河に架かる橋梁として1957年(昭和32年)11月26日に完成し、同年12月17日に供用開始した』 だとさ ちょっと漢字が多くて文字面難解ですな。。(正しく説明しているんだろうが、カタくて頭に入らない・・)
中央区百景歴史・文化月島・晴海周辺apéritif(アペリティフ)
記事を読む
-
日本初の万博は、中央区で開催する予定だった
現在、開催中の「大阪・関西万博」は準備の遅れや会場設備への不安など、否定的な声も一部に見られましたが、実際に訪れた人たちの多くは満足されたとのことで、好評のようです。 ところで、日本初の万博は、1940年に東京都中央区で開催する予定だったということをご存知でしょうか。この万博の正式名称は「紀元2600年記念 日本万国博覧会」といい、日本書紀に基づく日本建国の年、神武天皇の即位から2600年という意味だそうです。 昭和15年3月15日から8月31日まで開催し、来場者を4500万人見込んでいたそうですが、戦争のため開催されず「幻の万博」となりました。そして、唯一完成した建築物だった万博事務局棟があった場所(中央区晴海3-3-9)に看板があります。 そして、驚くべきニュースとして、この幻の万博チケットは今回の万博でも使用することができる(入場券と交換できる制度あり)そうです。また、幻の万博の入場券など貴重な資料は、中央区立郷土天文館の「所蔵品検索システム」から見ることができます。
歴史・文化月島・晴海周辺みど
記事を読む