パンちゃん プロフィール
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戦前の中央区の銭湯数
前回の記事では戦後の中央区の銭湯が最高軒数だった時期をお伝えしましたが、実は戦前の浴場名簿が都立中央図書館にはあります。写真は昭和10年の『東京浴場名簿』です。 当時は中央区ではなく、日本橋区と京橋区に分かれていました。商業地域の多い日本橋区は人口が少ないため軒数が少なく47軒、下町地域が占める京橋区は人口が多いので62軒、合計で109軒の銭湯がありました。 戦前の銭湯については分からないところが多いです。当時銭湯の出店は警察署が許可を出していたので警察署の管轄で区内の銭湯が分かれていました。 戦前は戦後と違い人が多く住んでいたので、銭湯の数が多かったと言えます。例えば兜町には1軒だけ銭湯がありました。坂本公園から少し南側にありました。現在はビルになっていますが、火保地図を見ると住宅が兜町に多かったので銭湯が必要でした。
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中央区の銭湯配置(最高軒数時)
今年2月に中央区の銭湯が最高軒数60軒だったことをお伝えしましたが、銭湯はどのような地域に多かったのでしょうか。 都立中央図書館に所蔵の昭和33年の『組合員名簿』(写真)を見ると、住民が多く住んでいる地域や工場の多い地域に銭湯が多いです。日本橋蛎殻町と日本橋浜町はそれぞれ4軒、当時の地名で月島西仲通り3軒、月島通り4軒です。 銭湯が少ない地域は住民が少ない地域、特に商業地域やオフィス街です。銀座は6軒(銀座3軒、銀座東3軒)、日本橋や日本橋兜町は0軒です。 こうして銭湯の配置を組合員名簿と住宅地図を使って一緒に見ていくと、どこに人が住んでいたのかが分かります。
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