かつて銭湯があった場所

銀座2丁目にあるホテル銀座ダイエーさんの場所はかつて銭湯がありました。ホテル銀座ダイエーさんはスーパーのダイエーとは全く関係がありません(後述します)。ホテル銀座ダイエーさんはホテルになる前亀の湯という屋号で銭湯をやっていました。地元の人は今でも銭湯やお風呂屋さんと呼んでいます。
銭湯の営業は昭和30年代半ばぐらいまでです。都立中央図書館に所蔵されている『組合員名簿』で昭和36年まで載っています。昭和35年の住宅地図には旅館として載っているので、おそらく銭湯と旅館を併設して営業していたのだろうと思います。昭和38年の住宅地図にはホテル銀座ダイエーと載っています。

亀の湯さんとホテル銀座ダイエーさんをやっていたのが、ホテル銀座ダイエーさんの定礎に書かれている大湯 栄三さんです。大湯さんは石川県鹿島郡鹿島町(現中能登町)の久江出身の方です。この久江という集落は東京にある銭湯経営者の多くの方の出身地でもあります。大湯さんの一族は多くの兄弟親戚などを東京に呼び寄せて銭湯をやっていました。同じ久江出身の澤井さんや久島さんらも兄弟親戚などを多く東京に呼び寄せて銭湯をやっていたので浴場業界では「能登の三羽烏」と呼ばれていました。
なぜホテル銀座ダイエーという名前になったのか。それは大湯 栄三さんの名前の「大」と「栄」を合わせてダイエーになったからです。

「大」と「栄」を合わせてダイエーになった、ということは佃島にある大栄マンションと関係があるのかと思われる方もいると思います。
実はこの大栄マンションは大湯 栄三さんが始めた日の出湯さんの場所にあります。日の出湯さんは現在大栄マンションの1Fにあります。
中央区は現在人口20万人を目指していますが、その中央区で営業しているお店の歴史を知ることは新鮮で楽しみがあります。