蛎殻町の松 プロフィール
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神田川の「柳橋」台東区側の案内板を見つけた
神田川が隅田川に合流する直前に架かっている柳橋は、1698年に初めて架けられ、現在の橋は1929年に震災復興で架けられたものです。重厚感のある、神田川の「第一橋梁」(合流先から見て最初の橋)であり、中央区の区民有形文化財に指定されています。この付近では、神田川が中央区と台東区の区境になっていて、台東区側の町名として柳橋一丁目と柳橋二丁目が存在しています。たまたま台東区側を散歩していたら、柳橋の歴史について「旧町名由来案内」の立て看板で紹介されているのを発見しました。看板によれば「その当時は川口出口之橋と呼ばれていたが、橋のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか柳橋と呼ばれた」との記述があります。新たな学びとなりました。まち歩きは楽しいです。
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首都高速道路の「切り株」見られます(その4)
首都高速道路日本橋区間の地下化事業が進んでいます。廃止された江戸橋出入口附近では橋桁が撤去され、橋脚(柱の部分)の撤去作業が進みました。これまで「切り株」のようになっていた橋脚はなくなり、江戸橋付近は一段落といったところでしょうか。もちろん、これは事業の序章に過ぎません。1日に10万台通過している自動車交通を止めずに、橋や地下埋設物が多数あるところにトンネルを新たに通す大変な工事が2035年まで。そして、ずっと使われてきた膨大な構造物を撤去する工事は長い間かかり、事業の終了は2040年の予定です。その頃私は生きているだろうか。完成を見届けるまで、健康に気をつけて過ごさないといけませんね。首都高速道路株式会社のホームページには、工事の進捗状況が公表されています。見守って応援しましょう。インフラは、経済活動を支えて市民の生活を守ってくれる生命線です。 (参考記事)2023年10月25日「首都高速道路の「切り株」見られます(その3)」2023年9月14日「首都高速道路の「切り株」見られます(その2)」2023年8月12日「首都高速道路の「切り株」見られます」
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