蛎殻町の松 プロフィール
-
東京中心部を守る「荒川放水路」通水100周年
今回は中央区外のお話ですが、中央区を含む都心部が恩恵を受けているインフラの周年イベントがあったので書きます。1924(大正13)年10月12日に「荒川放水路」が通水されてから、ちょうど100年が経ちました。荒川放水路という名称には馴染みがない方も多いかもしれません。北区内で隅田川と分かれ、足立区、葛飾区、墨田区、江東区、江戸川区を流れて東京湾に注ぐ全長22kmの放水路、今は都内では荒川と呼ばれています。埼玉県から流下してくる荒川は、明治時代までは今の隅田川を流れて東京湾に注いでいました。1910(明治43)年の大洪水をきっかけに、荒川の洪水対応能力を向上させるために、荒川放水路が建設されることとなりました。隅田川が荒川と分かれる地点に「岩淵水門」が設置されたことで、洪水時に荒川から隅田川に流れ込む水量を調節することが可能となりました。その後高度成長期の地盤沈下と既設の水門の老朽化が進んだため、新しい岩淵水門(通称:青水門)が1982(昭和57)年に完成しました。その際に、歴史的価値を有する旧岩淵水門(通称:赤水門)は撤去されず残されることになりました。さまざまな技術検討や議論がなされたそうです。旧岩淵水門は2024(令和6)年8月15日に国指定重要文化財(建造物)に指定されました。中央区を含む東京の中心部が荒川の洪水から守られているのは、上流・中流部のさまざまな治水施設のほか、荒川放水路と岩淵水門のおかげです。記憶に新しい2019(令和元)年10月の台風第19号(令和元年東日本台風)が上陸したのも、10月12日のことでした。なんたる偶然。このときも岩淵水門が閉じられ、隅田川に荒川の洪水が流れ込むのを防ぎました。あまり知られていないかもしれませんが、岩淵水門がなかったら都心部は大災害になっていました。2024(令和6)年10月12日には、放水路通水100周年を祝うイベントが現地で開催され、多数の市民が来場しました。災害対策の歴史を知り、今後の災害に備えることはとても重要です。学びの多いいいイベントでした。
特派員おすすめ情報イベント情報歴史・文化お役立ち情報その他蛎殻町の松
記事を読む
-
【伊奈氏シリーズその6】イイナパーク川口(埼玉県川口市)
中央区内には「郡代屋敷跡」という観光ポイントがあります。徳川家康から代官頭に任命された伊奈忠次をはじめとして、その後関東郡代といわれ十二代にわたり世襲したのが伊奈一族です。今回の伊奈氏ゆかりの地は、「イイナパーク川口」です。公園内の公園管理事務所に、伊奈忠治の銅像が建っていました。忠治は忠次の次男。忠次と忠治の功績の概要については、国土交通省関東地方整備局のホームページで解説されています。 銅像の台座には以下のような記述があります。-----------------------------------------------------伊奈半十郎忠治公文禄元年(1592年)~承応2年(1653年)江戸時代前期の幕府の代官。寛永6年(1629年)、武蔵国北足立郡赤山に陣屋を築き、ここを拠点として、見沼溜井の造成や利根川と荒川の大規模な河川改修事業を実施し、水害を防止するとともに、新田の開発に力を注ぎました。江戸時代を代表する治水・利水事業により、武蔵国東部低地帯の開発が可能となり、広大な荒野は、実り豊かな穀倉地帯へと姿を変え、現代に続く関東発展の礎となりました。----------------------------------------------------- 最寄り駅は埼玉高速鉄道の新井宿駅ですが、駅から少し離れているので、車の利用が便利です。 (過去に書いた伊奈氏シリーズ)2022年1月17日公開「幕府を支えた伊奈一族に、もっと光を」2022年5月5日公開「関東のインフラ整備に尽力した伊奈氏の拠点を歩く」2022年7月5日公開「【伊奈氏シリーズその3】伊奈神社(つくばみらい市)」2022年8月6日公開「【伊奈市シリーズその4】伊奈神社(静岡県小山町)」2024年8月5日公開「【伊奈氏シリーズその5】旧小菅御殿(東京都葛飾区)」
特派員おすすめ情報歴史・文化その他蛎殻町の松
記事を読む