蛎殻町の松

山王祭をきっかけに日枝神社のルーツを知る(川越の巻)

2024年の山王祭は、6月7日から17日まで開催されました。中央区内においては7日の神幸祭、8日の各町会神輿渡御、9日の下町連合渡御などで連日盛り上がりました。東京のど真ん中で、こんなに多くの人々が共通の思いで祭りに全力投球しているのを間近で見られて感動しました。
現在、日枝神社は赤坂(住所は永田町)にあり、その摂社・日本橋日枝神社が中央区茅場町にあります。
日本橋日枝神社のホームページによれば「日本橋日枝神社は天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入城、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する『八丁堀北嶋(鎧島)祓所』まで神輿が船で神幸された事に始まります。」とのことです。私の手元にある江戸時代の古地図「新添江戸之図」(1657(明暦3)年)には、この地に「山王御旅所」が明確に掲載されています。
赤坂の日枝神社は、そのホームページによれば「当社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明10年(1478)太田道灌公が江戸城内に鎮護の神として川越山王社を勧請し〜」とされています。この川越山王社が、現在川越市内の大きなお寺「喜多院」の山門前方にある日枝神社(国指定重要文化財)です。ある晴れた休日の昼間、川越まで足を運びました。赤坂の日枝神社と比べればとても小規模な境内ですが、徳川家と深いつながりのある喜多院とともに続いてきた社ということで何とも言えない大きな存在感がありました。
西武新宿線本川越駅から徒歩15分くらいの閑静な住宅街にあります。赤坂の日枝神社の氏子地域に関係する皆さま、お時間あればぜひ川越へ!
次は、この神社のさらにルーツを訪れたいと思っています。