苔 プロフィール
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三越前駅で「アール・デコ」を鑑賞する
どうも、苔です。 皆さんは三越前駅に関するこんな話を聞いたことはありませんか? 「駅名を三越前駅とする代わりに三越が建設費をすべて負担した」 実はこの話、明確な証拠が残っておらず「何らかの約束はあったようだが真偽は不明」のようで、都市伝説のように今でも語り継がれているんです。 しかし、駅の改札口と三越地下をつなぐ連絡通路については三越が費用を負担して作ったことが資料に残っています。 連絡通路にはいくつか駅建設当時の名残りがありますが、今回ご紹介したいものはいつもより少し目線を上げると見えてきます。
中央区百景歴史・文化日本橋・京橋周辺苔
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日本橋と江戸橋の間で教科書にも載る「あの事件」が起きていた!
▲『江戸名所図会 7巻』国立国会図書館デジタルアーカイブスより抜粋 どうも、苔です。 中央区はその名の通り江戸時代に江戸の中心地とした賑わった地。諸国から様々な物資を集めてくるために川や堀などの水運が発展し、江戸中に張り巡らされた川沿いには物資を荷揚げするための「河岸」が設けられました。 特に日本橋北詰にあった「魚河岸」は、17世紀のはじめから昭和10年(1935年)の築地市場への移転に至るまで江戸の人々の食生活を支えた場所として有名です。 当時は荷揚げする品目ごとに河岸を設けることが多かったので、例えば京橋の袂には竹を集積する「竹河岸」、野菜を荷揚げした「大根河岸」など、どのようなものを荷揚げしていたのかが名前から推測することができるものもあります。 ふと、日本橋川には魚河岸の他にどんな河岸があったのだろうかと気になったので、以前手に入れた中央区沿革図集を眺めてみることにしました。 参考:今年も「中央区沿革図集」が特別価格で頒布されています!
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