揮毫@中央区<戦後の政治家編>
前回のブログ記事「揮毫@中央区<渋沢栄一が生きた時代編>」に続き、今回は中央区で見ることができる、戦後の政治家によって揮毫された書をご紹介します。
日本橋の「日本国道路元標」 by 佐藤栄作
前回のブログ記事でご紹介いたしましたように、日本橋の親柱にある銘板の書「日本橋」と「にほんはし」は江戸幕府最後の第15代将軍・徳川慶喜が揮毫しました。一方、橋の車道中央にある元標の書「日本国道路元標」は、佐藤栄作(第61・62・63代内閣総理大臣。現時点では日本人唯一の平和賞の受賞者。1901年~1975年)によって揮毫されたものです。
慶長8年(1603年)に創架され、五街道の起点と定められた日本橋は、明治時代に全国の国道の起点として東京市道路元標が設置されました。昭和47年(1972年)、日本橋中央にあった東京市道路元標が北西の橋詰の広場に移設・保存され、その跡に当時の内閣総理大臣であった佐藤栄作が揮毫した日本国道路元標を埋標。そのレプリカ(写真)も北西の橋詰にあります。
住所:東京都中央区日本橋川(日本の道路網の始点)
波除神社の「すし塚」 by 三木武夫
昭和47年(1972年)11月1日に東京都鮨商環境衛生協同組合(現・東京都鮨商生活衛生協同組合)が建立した波除神社境内の塚(写真)にある書「すし塚」は、当時の副総理大臣であった三木武夫(後に、第66代内閣総理大臣。1907年~1988年)によって揮毫されました。魚の霊への感謝とすしを発展させていく決意が込められています。毎年11月1日の全国すしの日には、塚にすし種となる魚介がお供えされる魚霊祭すし塚まつりが開催されてきました。
ちなみに、波除神社には活魚塚、鮟鱇塚、海老塚、玉子塚など様々な塚があります。
住所:東京都中央区佃1-1-14
重文指定記念碑の「勝鬨橋」 by 石原慎太郎
平成19年(2007年)、勝鬨橋は国の重要文化財に指定され、その記念碑(写真:南西の橋詰にあります)の書「勝鬨橋」は、当時の東京都知事であった石原慎太郎(福田赳夫内閣で環境庁長官、竹下昇内閣で運輸大臣。第14・15・16・17代東京都知事。1932年~)が揮毫したものです。
勝鬨橋は昭和15年(1940年)の完成当時、跳開橋として東洋一の規模を誇っていました。隅田川を航行する船の減少と交通量の増加のため、昭和45年(1970年)11月29日の開閉を最後に、現在では開かずの橋となっています。
なお、記念碑の近くにある「かちどき 橋の資料館(入場無料)」では、勝鬨橋や隅田川に架かる橋の資料を展示。勝鬨橋を開閉させるために使われた発電設備など、昭和の重厚な機械類を見ることもできます(2021年6月1日現在、新型コロナウイルス感染症のため休館中)。
住所:東京都中央区築地6丁目 晴海通り
揮毫された書から受ける印象を、その人に対して持っていたイメージに重ね合わせてみるのも一興かもしれません。