町娘みなとっこの目黒不動参り【広重の描いたみっつの富士塚】

旅支度をして、江戸市中から目黒不動参りにでた湊っ子ちゃん。
途中で迷子になってしまい…、歩いていると、
「別所坂(べっしょざか)」にたどりつきました。
「別所坂」は、東京都目黒区中目黒1丁目と2丁目の境にある、とっても急な坂道。
目黒川沿いに連なる台地から、谷底に伸びる坂道のひとつです。
かつて、江戸市中から目黒へ入るときの、近道だったとか。

この辺りは、歌川広重の「名所江戸百景 目黒新富士」に描かれた場所です。
「目黒新富士」は、文政2年(1819)、
蝦夷・千島列島探検で名を馳せた近藤重蔵が、
自邸内に築いたものでした。
三田用水を引いて滝を流すなど、たいへん凝った造りで、
日当たり1000人もの工夫を雇い、2ヶ月かけて完成したといいます。
今は、新富士はありませんが、平成3年(1991)に、
この新富士跡から地下式遺構がみつかるという、
大発見がありました。
「富士の胎内洞穴」を模したものであり、
なかには、大日如来像が安置されていたのです。
昭和のはじめまで、この辺りは鬱蒼とした木々に囲まれ、ハゼやすすきが生い茂り、
天気のよい早朝などには、富士山を望めたといいます。

見えるかなぁ~。
湊っ子ちゃんは、「別所坂児童遊園」にあがってみました。
坂の途中にある公園は、長い長い階段をのぼった、ひときわ高い一角にあります。
「目黒新富士」は、ちょうどこの辺りにあったそう。
いまの別所坂の空は、背の高いビルに囲まれています。
やっぱり見えないなぁ…。
公園に残された3基の石碑が、新富士の面影を伝えていました。

♪江戸は広くて八百八町、
講は多くて八百八講、
江戸に旗本八万騎、
江戸に講中八万人
と詠われるほど、江戸中期、
市中では「富士講」が大流行しました。
富士参詣は江戸のひとびとの夢でした。
それでも、じっさいに富士山をめざすことには、時間や金銭の問題もありましたし、
なにより女性やお年寄りには、体力的にも困難でした。
そこで、誰もが富士山への参詣をできるようにと築かれたのが、「富士塚」です。
ちいさな富士山にのぼることで、ほんとうの富士山を登ることとおなじ御利益があるとされ、
また、頂上からはそれこそ、遠い空に富士山を望めたのです。
「お富士さん」の愛称で親しまれ、
こんにちでも山開きの6月1日(旧暦)前後には、縁日が開かれる地域もたくさんありますね。

湊っ子ちゃんのまち、東京都中央区湊にも、
富士塚があります。
「鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)」の富士塚は、
寛政2年(1790)に築かれたものです。
江戸時代のその昔は18mの高さを誇り、
多くの参詣客で賑わいました。
三代歌川豊国・二代歌川広重の
「江戸自慢三十六興 鉄炮洲いなり冨士詣」にも描かれていますね。

その頃、鐵砲洲稲荷神社は、八丁堀が隅田川へとそそぐ
河口付近にありました。
八丁堀は昭和の頃に埋め立てられ、
亀島川水門ができたことで、
この辺りがかつて、江戸湊を望む河岸地だったことを偲ぶのも、
むずかしいくらいですが、じつは、
今もちゃんと、その名残が、道のかたすみに残っているんです。
「稲荷橋」の親柱。
橋の名前は、まさに鐵砲洲稲荷神社に由来したもの。
描かれた富士塚も、ちょうどこの辺りにあったのです。
絵のなかでは、稲荷橋のたもとで、たったいま富士詣から帰ってきた子供が、
麦わら細工の蛇を嬉しそうにもっている姿が描かれています。
神社への参詣は、江戸の人々の日常のなかで、楽しみのひとつだったのですね。

鐵砲洲稲荷神社を氏神とする、船松町(ふなまつちょう)
(現在の中央区湊・入船・新川あたり)では、
昭和の頃までは、山開きのお祭りがあって、
絵の描かれた大きな四角い行灯を山車にのせ、
藤の造花で四方を飾り、町じゅうを練り歩いたそう。
なんでも、駒込富士神社に「花万度(はなまんど)」を奉納する風習があったとか。
今は、改修・移転などをくりかえし、
5.4mのこぢんまりとしたお洒落な富士塚。
富士山から持ち帰った溶岩で覆われた山肌と、そこに埋め込まれた30基の石碑は、
古き鉄砲洲における、富士講の歴史の深さを物語っています。
さて、広重の描いた目黒の富士塚は、もうひとつあるんです。
「名所江戸百景 目黒元不二」。
さっき歩いた「新富士」は、こちらの「元富士」に呼応して名づけられたもの。
上目黒の旧鎌倉街道「鎌倉みち」から東へ折れる、「目切坂(めきりざか)」の頂にありました。
文化9年(1812)に築かれたこの富士塚は、12mあり、
縁日にはたいへんな賑わいを見せたといいます。

今は、そこに元富士の姿は見えず、
石碑のいくつかを、上目黒氷川神社に残すのみです。
それでも、大木が影を落とす坂上は、
その昔、別名「くらやみ坂」と呼ばれた名残りを伝えているかのように、
不思議な静けさに包まれていました。
「名所江戸百景」に描かれた、「目黒元不二」と「目黒新富士」、
そして「江戸自慢三十六興」に描かれた、「鉄炮洲いなり冨士詣」。
このみっつの富士塚は、
絵師たちの絵ごころにうったえかけるような、
美しい景観をたたえていたのです。
木漏れ日がまぶしくて…。
湊っ子ちゃんは、うとうとしてしまいました。
稲荷橋のたもとには、
今年もお亀桜が咲いているだろうなぁ…。
そんな夢をみながら、とおく、お江戸ふるさとに、
想いを馳せる湊っ子ちゃんでした。

きれいだなぁ…。
むにゃ、むにゃ、むにゃ…。
♪参考文献「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会/「みどりの散歩道」目黒区都市整備部みどりと公園課/「目黒の坂」目黒区企画部広報課 1986年/「歴史を訪ねて」目黒区ホームページ/「中央区民文化財ガイド 京橋編」中央区教育委員会 平成17年/「中央区立郷土天文館第15回特別展 絵画にみる時代の情景~絵師からのメッセージ~」中央区教育委員会 平成25年/「江戸湊の残英」萩原久利 1993年

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第242号 令和7年3月23日