春の京都旅 ~舟運は新川までつながっていました!~
4月第2週の週末、春の京都を旅し、琵琶湖疏水で舟下りを楽しんできました。
今回のブログは、中央区観光協会特派員として、New River 目線で、一泊二日の京都旅をふり返ってみたいと思います。
琵琶湖疏水
今回の京都旅の目的は、琵琶湖疏水での舟下りでした。
琵琶湖疏水は、琵琶湖の湖水を京都市内へ流すために、明治時代に作られた水路です。
平安京以来、千年以上にわたって日本の都であった京都は、明治維新後の東京遷都によって人口が激減(約3分の1減少)し、経済や文化に大きな影響を及ぼしました。そのような中、第3代京都府知事の北垣国道(きたがきくにみち)が、京都復興のために琵琶湖疏水の建設を計画し、主任技師として、工部大学校(現在の東京大学工学部の前身の一つ)を卒業したばかりの田邉朔郎(たなべさくろう)を迎え、明治18年(1885)に工事を開始、5年にわたる難工事の末、明治23年(1890)に第1疏水を完成させました。そして、この工事は外国人技師に頼らず、日本人だけで完成させた初めての大土木事業となりました。
琵琶湖疏水は、現在も京都の水道用水、発電用水、灌漑用水、工業用水など、都市インフラとしての機能を果たしており、その歴史的価値の大きさと土木技術の高さなどから、国の史跡の指定や近代化産業遺産、日本遺産、土木学会選奨土木遺産の認定を受けています。
なお、琵琶湖疏水は、第1疏水と明治45年(1912)に完成した第2疏水などの総称で、現在、第1疏水は、滋賀県大津市(琵琶湖湖畔)から京都府京都市(伏見区堀詰町の濠川(ほりかわ))までの約20kmを流れています。
第1疏水には、春と秋のシーズンに大津(滋賀県大津市)と蹴上(けあげ)(京都府京都市)の間、約7.8kmに「びわ湖疏水船」という観光船が運航されています。今回、私が乗船した区間は、途中の山科(やましな)から蹴上までの約30分間でした。
琵琶湖疏水の舟運は、陸上交通の発達と戦争の影響によって昭和26年(1951)に途絶えていましたが、平成30年(2018)に約70年ぶりに観光船として復活しました。
※ 上の写真は、私が乗船した山科乗下船場に立つ案内板です。
「びわ湖疏水船」の終点、蹴上乗下船場付近です。左前方の煉瓦造りの洋館は旧御所水道ポンプ室で、かつて御所水道として京都御所に防火用水を送水していました。明治期を代表する宮廷建築家であり、赤坂離宮(現在の迎賓館)を設計した片山東熊(かたやまとうくま)と山本直三郎(やまもとなおさぶろう)の作品です。
琵琶湖疏水の水は大阪湾に注ぎ、舟運は東京・新川までつながっていました!
※ 上の写真は、蹴上船溜から見るインクライン。下流の南禅寺船溜(写真の前方)までの約582m、約36mの高低差をケーブルカーと同じ原理で台車に舟を乗せて運びました。
インクライン上の台車に積まれていた「伏見の清酒」(酒樽)。
伏見街道沿いでノスタルジックな姿で地酒を販売する「上野酒店」
今回の京都旅の目的は、初日の琵琶湖疏水での舟下りだったので、次の日の予定は流動的でした。そんな中、2日目はあまり天気もよくなかったので、京都駅から近い場所ということで東福寺を訪ねることにしました。
東福寺は、臨済宗東福寺派の総本山で、紅葉狩りの名所として有名です。広い境内を2時間ほどかけて散策し、京都と伏見をつなぐ伏見街道を東福寺駅に向かって歩いていると、う~ん、ノスタルジックな建物があるではありませんか!「地酒」という大きな文字が目に入り、その瞬間、私の体は自然とその建物に吸い込まれていきました。
その建物は「上野酒店」(京都市東山区本町十六丁目303)といって、幕末から明治初期の動乱の中、初代がこの地に身を寄せ、製茶業から出発したという酒屋です。当時、この地域は市街地化の意欲があまり見られず、閑散とした環境だったようですが、伏見稲荷の参道として栄え始めた明治後期に、周囲の商家の急増と共に酒類販売に転じ、現在に至っているとのことでした。
店に入ると、試飲コーナーが目に入りました。ご主人が出てきて「どちらからですか?」「東京からです」「あ~、よかった!最近は外国人の方が多くて、こうやって日本語で話ができてうれしいですよ!」とのやり取り。京都はインバウンドが多いとは聞いてはいましたが、中心部から少し離れたガイドブックに載っていないこのような店にも外国人の波が押し寄せているとはビックリでした。
テーブルの上に置かれていた伏見のお酒を全種類、盃に注いでいただき、ご主人との会話が弾みました。
試飲コーナーで伏見のお酒をいただきながら、ご主人とお酒談議に花が咲きました。
店内には白鶴さんが「嘉納合名会社」の頃の木製看板が飾られていました。
「白鶴」は江戸時代に「下り酒」(*)として灘から江戸へ運ばれ、他の「下り酒」とともに高く評価されました。現在、白鶴さんは中央区銀座五丁目に東京支社を構えていらっしゃいます。
*「下り酒」とは、江戸時代に上方(灘や伏見など)で造られ、樽廻船などによって江戸へ運ばれた(江戸へ下った)お酒のことです。当時、江戸で飲まれていたお酒は濁酒(どぶろく)に近いものだったので、上方の諸白(もろはく≒ 清酒)は大変な人気だったといわれています。そこで、価値ある「下り酒」に対して、価値がないものを「くだらない」と呼ぶようになりました。
江戸酒問屋の守護神である、新川大神宮(中央区新川一丁目8番17号)には、灘や伏見などからの「下り酒」18銘柄の積樽があり、「白鶴」も奉納されています。
おわりに
中央区は「水の都」といわれるように、隅田川や日本橋川、亀島川、神田川などの多くの川が流れ、「江戸湊」として舟運とともに発展してきたエリアです。
私の勤め先の新川も、四方を隅田川、日本橋川、亀島川に囲まれ、会社の行き帰りに「霊岸橋」や「南高橋」などを渡るたびに「水の都」を実感しています。
そんなこともあって、河川や橋への興味は尽きず、今回のブログも、京都旅の中から中央区にかかわるものとして、琵琶湖疏水の土木工事・舟運に着目、その流れで舟運によって運ばれたお酒の話題に行き着きました。
京都へ行くなら、土木ファンの皆さまには、琵琶湖疏水での舟下りをおすすめします!そして、お酒の好きな方は、少し足を伸ばして伏見の酒蔵めぐりをされてはいかがでしょうか。
びわ湖疏水船は、春のシーズンは6月8日(日)まで運航しています。明治ロマンあふれる水路旅で、先人たちの偉業を身近に感じ、遠く東京・中央区につながる舟運ルートを想像するのも一興だと思います。
【参考資料・ホームページなど】
・びわ湖疏水船 乗船公式ガイドブック(琵琶湖疏水沿線魅力創造協議会)
・琵琶湖疏水パンフレット(琵琶湖疏水沿線魅力創造協議会)
・日本遺産 琵琶湖疏水(琵琶湖疏水沿線魅力創造協議会) https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/
・文化遺産オンライン 琵琶湖疏水(文化庁) https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139924
松本酒造株式会社(京都市伏見区横大路三栖大黒町7)の「NEW KYOTO.JP 白緑 720ml」(限定商品)。
同社ホームページによれば、このお酒は「ぴちぴちとした清涼感のある発酵由来のガス感を含み、軽やかな飲み口でどのようなお料理にもマッチしやすい味わいに仕上げました」と紹介されています。
上野酒店で一番最初に試飲させていただいたお酒(泡酒)で、一番印象に残った一杯でした!
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