「近代日本経済の父」のルーツを探る旅
7月3日で新紙幣が発行されて1年、一万円札の顔となった渋沢栄一。
中央区にも栄一翁が関与したものが数多く存在、現在も経済や医療福祉、教育と様々な所に息づいています。
栄一翁を育んだ場所ってどんなところ?
実際に訪れてみましたので紹介します。
日本橋・日本国道路元標からおよそ80㎞、埼玉県深谷市に渋沢栄一記念館や旧渋沢邸「中の家(なかんち)」があります。
渋沢栄一記念館は平成7年11月11日、栄一翁の祥月命日に開館しました。
左側の1867年と記されている写真はパリ万国博覧会へ幕府使節団一員としての一コマ。
この時、栄一翁はちょんまげを下ろしたようです。ただ奥様からは不評だったとか。
資料室では、写真や実物資料を通して栄一翁の生涯を知ることが出来ます。
記念館資料室での撮影は基本禁止ですが深谷市渋沢栄一記念館よりご快諾いただき一部掲載させていただきました。
詳細はHPで改めて見ていただきたいです。
これは栄一翁の肉声を聴けるコーナー。
大正12年のもので、さすがにクリアではありませんが「道徳経済合一説」の講義の一部となっており非常に貴重な資料となっています。
そして渋沢栄一アンドロイドの講義。
講義室に入った時は驚き!ました。
表情や体の動き、とても人形とは思えないくらい精巧なものとなっていました。
人形ではなくアンドロイドなんですよね。
ここでも「道徳経済合一説」の講義の一部を拝聴することができます。
また記念館の職員の方とアンドロイドの会話もあり、本当に生きている!?と勘違いするくらいの臨場感です。
~道徳経済合一説とは~
「利潤の追求が企業の目的であってもその根底には道徳が必要である」
(中央区観光協会刊 「歩いてわかる中央区ものしり百科」より)
記念館から1㎞ほどのところに栄一翁の生地である旧渋沢邸「中の家(なかんち)」があります。
こちらの中は養蚕農家の雰囲気を残しており、広い敷地内からは幼少期から青年期また晩年期に過ごした景色を感じることができます。
家業を通して勤勉さを学び、家族から深い愛情を受けた幼少期、この時期に育まれた人格が後に500もの会社、600もの社会福祉事業や教育機関の設立・育成に関わる礎になったのでしょう。
若かりし頃、倒幕や高崎城乗っ取り、横浜外国商館への焼き討ち計画を企てたり、そして財閥創業者からは日本牛耳る!計画を持ちかけられたりしたこともありました。これら計画が実行されていたならば…世界における日本の立ち位置も現在とは変わっていたのかもしれません。
またこれだけのことが実行できたであろう、でもしなかった。
これは世情を見渡せる知見、論語を通した栄一翁の慈悲深さからであり、まさにこの地において育まれたものからなのです。
「中の家」では80歳代の栄一翁を再現したアンドロイドのお話が聞けます。
因みに2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」のスタジオ内で使用されたセットや衣装等をみることができます。
さて、そろそろお腹も空いてきました。
2023年、文化庁より「100年フード」に認定された、そして栄一翁が愛した故郷の味、「煮ぼうとう」です。
しょうゆベースでさっぱりしたお味。
甲府名物「ほうとう」とは別物といっていいでしょうね。
味にちょっともの足りない?かと思いきや、じっくり味わってみると深谷で採れた野菜達が良い出汁となって、実は味わい深いものとなっています。
こちらから、煮ぼうとうを味わえるお店がいくつか紹介されています。
散策の折、訪れては如何でしょう。
栄一翁の見る先には日本百名山の一つ、赤城山が聳えています。
赤城山といえば強風で有名な赤城おろし。
91年という激動の生涯、そして赤城おろしにも堂々と対峙する栄一翁の勇姿を記念館にて見ることができます。
今回の取材・ブログ作成にあたり深谷市渋沢栄一記念館・関係各所のご理解、ご協力賜わりました。
改めて御礼申し上げます。
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