新大橋
● 隅田川では千住大橋、両国橋に次いで3番目に古い歴史を持つ橋、それが新大橋です。中央区日本橋浜町2丁目と江東区新大橋1丁目をつないでいます。
● 「新大橋」という名前は、千住大橋に対し「新」とする説と、両国橋の旧称(大橋)に基づき「新」とする説の2つがあります。
● 元禄6年(1693)に初めて架けられ、明治4年の木橋になるまでの178年間に、なんと20回以上も破損、流失、焼失があり、幕府も財政難から維持費に困って廃橋を考えましたが、町民の反対が強く、延享元年(1744)に町民が維持する橋として、防火、水防を義務づけたといいます。
▲ 木橋時代の新大橋(「江戸名所図会 全三巻」角川書店より)
● 明治45年(1912)に架けられた曲弦鋼プラット・トラス橋は鉄板が敷き詰められており、大正12年(1923)に発生した関東大震災当時、隅田川に架かる橋の中で唯一焼け落ちず、多くの人命を救ったことから「お助け橋」「人助け橋」とも呼ばれました。当時多くの人が荷物を持ってこの橋に避難してきましたが、火の手が迫る中、居合わせた警察官が荷物は火が燃え移る原因になるとして、橋の上から川に投げ捨てさせて類焼を防いだといわれています。
▲「お助け橋」「人助け橋」となった鋼鉄製の新大橋。(絵はがき 東京名所)
● 橋の中央区側の上流の袂には、被災を免れた人たちによる記念碑が建立されています。
▲ 中央区側たもとの震災記念碑(左)と人助け橋のいわれの碑
● また、江東区側下流の袂には、親柱と高欄の一部を利用した橋詰広場が作られています。
▲ オベリスクを想わせる尖塔型の親柱。上部の4個の橋灯があり、台座部はこぶ出し仕上げにして重量感を出しています。
● 新大橋はその後、修理補強を行いましたが、橋台の沈下が激しく、昭和51年(1976)11月に現在の斜張橋に架け替えられました。
▲ 現在の新大橋。向かって右が中央区側、左が江東区側。
新大橋 概要
橋 名 : 新大橋(しんおおはし)
路線名 : 主要地方道50号(新大橋通り)
位 置 : 中央区日本橋浜町2丁目・江東区新大橋1丁目
竣 工 : 明治45年(1912)7月
現 況 : 昭和51年(1976)11月に新橋に架替
形 式 : 鋼プラット・トラス
橋 長:173.4メートル