たどろー プロフィール
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下町連合渡御(令和8年 山王祭)
こんにちは。今日は山王祭の中でも、中央区の氏子(日枝神社を支える地域住民)たちが集う「下町連合渡御」を見学してきた。茅場町にある日本橋日枝神社に8時40分に到着。狭い境内には、すでに多くの担ぎ手たちが集まり、7基の神輿が「宮出し」の時を待つ。「八丁堀」「茅場町」「日本橋」「江戸橋」の文字が躍る提灯、半纏がそれぞれの神輿の周りに集結している。ちなみに「八丁堀」は旧京橋区。他は旧日本橋区。厳かに神事が行われていざ出発。鳶(とび)頭の木遣りを合図に威勢のいい掛け声があがり、神輿が街に繰り出していく。すぐに永代通りを渡ることになるが、警官の信号操作と交通整理で特別扱い。車列の前を神輿がゆうゆうと渡っていく。まさに神さまの「お渡り」だ。その後、茅場町と八丁堀の境となる道(旧日本橋区と旧京橋区の境)で待機していた3基の八丁堀町会の神輿が合流。歴史的には八丁堀町会の参加は、この下町連合渡御が始まってから6年後のこと。そして現在、1基は茅場町のスタート地点から参加、残りの3基は八丁堀の境で待って、そこから列の先頭に入る。祭りの一体感をうみ出すための旧日本橋区と旧京橋区の町会間で行き交う阿吽(あうん)の呼吸、気遣い。そこからすずらん通りの終点まではすぐ。その間、先導の巫女(写真)が軽やかに清めの紙吹雪を散らす。一幅の絵のような美しさ。
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弧を描いている道を探して
こんにちは。私は歩くことが好きで、中央区内もよくぶらつくのだが、弧を描く道に出会ったことが ほぼない。もちろん高速道路や一部の幹線道路は、走る車の速度も考え角張るわけにはいかないので、弧の部分はある。また公園内や大川端リバーシティ内の遊歩道のようなものは、そもそも道の目的が 違うので、この際ちょっと脇に置いておく。対象とするのは、車が通る一般道。 最初に「孤を描いている」と「曲っている」という表現に筆者は区別をしていることをお断りしたい。 例えば直角に曲がる道の隅切りを角張らせるのではなく丸みをつけた結果、曲線が出現するという箇所は枚挙にいとまがない。これは確かに「曲っている」が、「孤を描いている」道とは区別したい。 では「孤を描いている」道とは具体的にどこか。 1つ目は、江戸橋北交差点から日本橋川のすぐ北側を東に向かう通りを進み、小網神社に入る1つ手前を左に入った道。どうやら東堀留川の跡筋らしい。左折してほんのわずかな距離だが、はっきり孤を描いている。歩くとすぐ右手に小網神社の社殿の裏側が垣間見える。短い弧を味わって歩けばあとは直線。 すぐに堀留児童公園にたどりついた。ちなみに東堀留川が人工の川(堀)であったなら、その流路跡がこのようにわざわざ孤を描くことはなく、直線か角がついていたであろう。そのほうが堀としては造り やすいはずだから。ということは、もともとは自然の川であったものを、江戸幕府が河口付近だけを そのままの形状を活用し、あとは力技で一直線の堀に仕立てあげたのだとも考えられる。 2つ目は、日本橋川を挟んだすぐ南側、江戸橋南交差点から鎧橋までの通り。(上の写真 右側が東京証券取引所。左手奥が鎧橋)。先ほどの北側の直線道は、多くの車がかなりのスピードで走り抜け、川から離れる途中で川沿いに向け、直線の小道が1本分岐しているのに対し、この南側は、1本の道が日本橋川の曲がりに沿って曲がっている。車はほとんど見かけない。 おそらく、先ほどのすぐ北側の通りは、日本橋の中心エリアから隅田川の東に向けてスムーズに車を 通過させることを企図して作られたのではないか。それに対し、南側ではその役割を永代通りに託したと思われる。そのおかげで、このすぐ南側の道界隈は、兜神社や渋沢栄一の住居跡に建つ日証館、鎧の渡しの記念碑が、ありし日の時代の空気を醸し出すのにうってつけの静けさに包まれている。 3つ目は汐留ジャンクションの下あたり、銀座8丁目から築地4丁目に入る短い旧貨物線跡の細道。 今は高速道路となっている旧築地川に架かる新尾張橋を北側の頂点として緩い弧を描いている。橋を 渡ればすぐ先は広大な築地市場跡。道の両側に広がる草地と、レトロな踏切信号機が、往時の賑やかさを偲ばせる。昭和の古地図を見れば、現在の新橋駅より南側にあった旧汐留貨物駅から市場の南端に 入り込む汽車路線としては、確かにこの曲線は必要だったのであろう。
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