たどろー プロフィール
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川や堀があった空間2
短い夏季休暇。京橋から銀座を経て築地まで、食べ歩き、観劇の小旅行をしてみた(上図の赤線が歩いた経路)。朝食は9時開店同時をねらって京橋千疋屋(図の上方にある紫色の〇地点)へ。日本橋にある千疋屋総本店から明治時代にのれん分け。当時は中橋千疋屋という名だった。すぐ北側を走る八重洲通りが昔の紅葉川という江戸前期の幹線水路で、この店が面している中央通りに架かっていた橋が「中橋」。一帯はたいそう賑わっていたという。隣が西勘本店という金物屋さんで、ここが江戸歌舞伎発祥の地だという説もある。記念碑は旧京橋のたもと、大根河岸記念碑と並ぶように建てられているが、要はこの辺りだったということ。さて、千疋屋では、旬のフルーツにそれぞれフルーツサンド、マンゴーカレーがセットになった2種類を家内といただいた。乾いた舌にフルーツの甘味が染み込む。ちなみに千疋屋総本店、銀座千疋屋にもカレーセットはあるが、独立した会社なので味は異なるらしい。一方で新鮮な生ものを扱っているので、仕入れの効率だけでなく、賞味期限切れになるリスクを抑えるため会社間で品物を融通しあうなどの協力も行っていると聞いた。店を出て八重洲通りを背にして中央通りを南下し京橋跡に向かう。江戸時代、この辺りは左手(東側)を走る首都高都心環状線の下を流れていた楓川から、入り堀が中央通りに向かって櫛の歯のように入り込んでいて(図の「舟入堀」と矢印のある3本)、江戸城建築のための材木の運搬を中心に水運が盛んであったという。今となっては、どの部分が堀になっていたのか皆目見当がつかないが、現在とは違った賑わいに溢れていたことが想像できる。旧京橋川にかかる高速道路を越えてすぐ左折。このあたりにくると、いつも「三ツ橋」跡付近を巡りたくなる。私がよくおじゃまする中央区観光協会もここにある。昔なら交通の要所。楓川、京橋川、三十間堀が交叉。そのため近辺にあったあさり河岸、白魚河岸などはたいそうな賑わいだったという。けれども、今はとても静かで、高速道路の高架部分も西に曲げられているので空が開け、開放感が得られる落ち着いた空間になっている。ここから銀座を抜け築地に向うのだが、せっかくなので、三十間堀跡をたどってみることにした。
中央区百景その他たどろー
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川や堀があった空間
こんにちは。暑くなってきたので、水の流れを想像しながら歩くことができる昔の川筋、堀の跡をぐるりと廻ることにした。神田駅から数分南に直進すれば、中央区と千代田区の区境となっている龍閑川(神田堀)跡に出くわす。江戸時代は川幅が10m近くあった、との記録もあるが、今は写真(奥側が外壕からの分岐点でこの川の起点。大手町の高層ビルが見える)の通り、中層階のビルの壁に流域跡の大部分が挟まれた感じで、その幅は2~3メートル程。しかしまっすぐな川筋がわかりやすく、昔の水の流れは想像しやすい。おまけにこの壁がつくる日陰で少し涼しい。そよっと風もくる。途中、中央通りや、昭和通りに流路はさえぎられるが、それを越えてまたまっすぐに続く。川筋が、たまたま「残っている」のではなく「残している」ことが感じとれてうれしい。やがて十思スクエアが右手に見えてくる。中央区の静かな北縁を歩いている実感が湧く。そのまま龍閑児童公園に入る。中央区と千代田区の共立公園。川と橋のモニュメントがかつてのこの川の流れを彷彿とさせてくれる。そこから右に曲がり、南東に向かって流れていた浜町川跡を南下する前に、北側の神田川方面に足を延ばしてみる。1つは浜町川の神田川までの流路跡を見たかったので。民間の青空駐車場になっている所もあり、極端に狭い部分が続く。最後は民有地なのか、神田川への注ぎ部分は見ることが出来なかった。もう1つ気になったのは、区境。公園から北側に延びる龍閑川跡より先の区境は、不自然に屈折を繰り返し神田川に行き着く。この辺りの区境は、龍閑川のさらに北を流れていた神田大下水の最下流部分に極めて近い。この大下水の流路跡はほとんど確認できなかったのがなんとも歯がゆいが、果たして両者は何か関係があったのだろうか。今後調べてみたい。
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