デ・ニーロ

俺のデニーロ

 人生とは、旅のようなもの。それも片道切符の。

どこへ逝くのか、わからないけれど、おそらく往復割引は、ない。

 まもなく還暦を迎えるアタクシは、お正月に、のんびりとそんなことを考えながら、検定試験の受検勉強をしていました。(たぶん)

 

 遅くなりましたがアケオメことよろ寒中お見舞い申し上げまする。 


 ブログでは自分のことを「アタクシ」とわざらしく呼んでますが、普段はカジュアルに「俺」という一人称をよく使います。

俺という現象は 仮定された勇気交流電灯の 一つの青い照明です

 昔、宮沢賢治がこのように言いました(「春と修羅」)

 アタクシのことをよく知る特派員の中には、「また意味不明なことを・・・」とかナントカ思われているかもしれません。

 そもそも、お気づきのように、アタクシのブログ記事は、いつもコンテンツ自体がアヤシイのです。
 
俺オレなんたらではありませぬ。
 
 欺こうなどという意図はなく、ただ、恥ずかしがり屋さんなので、ナカナカ正直な思いを上手く伝えられない(>_<)

 しかし、今年も始まったばかりであるし、今回は勇気を出して、自分の心の闇に光をあててみよう。

 いろいろと言いたいことは、情け有馬の水天宮ですが、昔から考えているのは、人生に意味はあるのか?ということです。

 俺たちに明日はあるのでしょうか?

人生の意味について

人生の意味について 俺のデニーロ

人生についてアタクシは常に、いや、たまに考えていたりする。

 読者の皆様には、心の中でアタクシと同じような迷宮と宇宙を携えながら、ここでは「俺」のメタ・メッセージを、「筆者に寄り添って」受けとめて頂ければと願うばかりであります。

 まぁ、それはともかくとして、引きこもってそんなコトを考えてばかりいてもショーもないので、ブラブラ歩きながら、「なんも考えない」という「考え」が思い浮かぶ。これがひらめき。

 ブログもブラ歩きみたく、気まぐれにアドリブで書いてみたりして。

 光があれば、陰もある。

 何気なくふと、一期一会に立ち寄ったお店へ入り、一人ぼっちでボ〜としてるのが好きです。

 銀座や日本橋などで、長〜い行列の出来ているお店に人が並んでいるのを見かけると、心の中で

 「あの行列には並ばないゾ!」とつぶやきながら、見て見ぬフリをして通りすぎる。
 
 アタクシは孤独のグルメではありませぬが、他者の味覚をやみくもに信じるものではなく、自分が美味しいと思ったものは、絶対に秘密で、一人で味わう。

 美味しさ独り占め〜!ではないけれど、そんな自分が、愛おしい。

 アタクシは、「ぐるなび」だけは、出来ないと思っていました。

 もともとグルメではありませんし、そんな味覚もスキルもない。

 それよりも、自分が美味しいと感じたものを他人様が同じように感じてくれるかどうかが心配。

 まぁ、共感してもらいたいとも、「いいネ」をクリックされたいとも思っておりませんが。

 これが粋で鯔背な、ワアクシのように実は田舎者で地方出身のひねくれた「なりすまし」の江戸っ子気質と申せましょう。

 いつだったか特派員仲間に「俺のイタリアン」というレストランへ連れていってもらったことがありますが、口コミで、アナログにご案内される分になら、昔ながらの親近感を持てるんだけど、SNSなどで見知らぬ他人様からいくらプッシュされても、逝く気になれん。

 だから、自分でもまさか、お気に入りのお店をブログで紹介するなどという、そんな恥ずかしいことを、それだけは絶対にやるまいゾ!と、心にかたく思っていたのでした。去年までは。

 しかし、和らかでかたく持ちたし人ごころ(五世川柳・水谷緑亭)ではありませぬが、今年はオリンピック・パラリンピックの年でもあるし、我が心の中にもダイバーシティーを持ってもよろしかろうと、柔軟に対応してみたい。

お楽しみはこれからだ!

お楽しみはこれからだ! 俺のデニーロ

 

 さて、前フリが長くなってしまいましたが、アタクシ、じゃない、俺はいつものように、アテもなくブラブラと茅場町近辺を歩いていたんだ。

 湊橋を渡り、もしかしたら日本銀行創業の地を訪ねに、日本橋川沿いを豊海橋方面に向う途中にて、偶然見つけたお店。

 その名も、「デニーロ」! まさに一期一会。

 これは、なんというか、運命的な出会いではありませぬか?

 この際だから、味はともかくとして、俺のデニーロとして皆さんにもシェアしちゃおうっかな〜っと(>_<)

 恥ずかしかったけれど、一応中に入って、きちんと味見はしてみました。

 ほっぺたがおちる(←死語?)ほど美味しいとまでは言わないけれど、まぁ、そこそこ普通においしかったべや。

 普段イタリアンなんて気取った料理食べ馴れてないので(俺は蕎麦派。そんな派閥あるんか?)、比べることはできないけど、確実に言えるのは、コンビニのスパゲティよりは絶対にうまい!

 食材やお値段、店の雰囲気など、細かいディテールはたいして重要ではないので、書きません。

 絶対に秘密ではありませんから、気になる方は「 こちら」をご覧下され。

 端的に言うならば、俺が「いいね!」と思ったから、いいんだ。

 結局、それしかない。

 こだわりの一品とか、シェフのひとワザもないけれど、そんなことは、俺的にはどうでもいいのであります。

 「ミシュランガイド東京2009」では都内173軒のレストランが選出されましたが、そのうち中央区で選出された店は何件でしょう?」

 第2回中央区観光検定で、レアな難問として出題された有名な設問ですが(正解は46軒)、そんなコトも、俺的にはどうでもいいのです!

 大切なことは目に見えない。

 今さらキツネ君に言われたくもないけれど、本当にそのとおりだと思う。

 心で見ないと、大切なことは見えないんだ

    (「星の王子さま」サン=テグジュベリ)

 人生に意味はあるのか?と真面目に考えつつ、俺たちに明日はないかも(>_<)とも思えてくる諸行無常の響きあり。


 今回は、「俺という現象」を、勇気交流電灯の一つで照らしてみましたが、何かモンダイありましたでしょうか?

 知り合いの特派員に、何かの講習会で直接会った時などで、「この前、ぶらぶらしてたら、俺のブログ・ネームと同じ名前のイタリアンレストラン見つけたんよ」とかナントカ言うのかもしれない。その情報が拡散するかしないかはともかく、スマホもインターネットもなかった時代にも起こりえた、ごくありきたりの現象だと思う。

 Twitterでもブログでも、やってることは言葉のやり取りで、古くからの慣わし。

 昔に比べると、遥かに時間や空間を越えてはいるけれども、つまりは意識の伝播。

 埴谷雄高の言うところの「精神のリレー」・・・

 街歩きでのご案内のアナウンスも、元を辿れば江戸時代からの文言につながっているような気がする(たぶん)

 古事記や日本書記の時代以前から、この精神のリレーは時と空間を越えて、繋がっている。

 

 人生は旅物語・・・片道切符でも、お楽しみはこれからだ!

 

 なんだか煙に巻いたような記事になってしまい、申し訳ありませんでしたが、ここまで気長にお読み頂き誠にありがとうございます。

 この世をは とりやお暇に線香の 煙とともに灰さようなら
 
   *十返舎一九 辞世の句 (勝ちどき4丁目)

 

 

 俺のデニーロ

トラッタリア・デニーロ お店情報

  東京都中央区日本橋箱崎町1-8内田ビル2階

      TEL. 03-3639-1475

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