中央区「橋」巡り⑦
今月も「橋」巡りです。しかしながら、橋はありません。橋の痕跡を探そうとしました。きっかけはこんな感じです。地元は「新川」で辺り一帯は江戸期は「松平越前守」の屋敷がありました。昔のことを調べて、何か物語でもできないかと思い、まずは、地図を調べました。京橋図書館や国会図書館に行って古地図を調べました。すると新川のかなりの部分が屋敷があったところで、何か周辺の町人などとの関わり合いを調べようとしましたが、なかなかうまくつかめず、頓挫しました。しかし、地図を見ていくと、亀島橋、高橋、霊岸橋など今もある橋のほかに「一の橋」「二の橋」「三の橋」と描かれていました。これらの痕跡がないか追ってきました。結論から言うと痕跡は見当たりませんでした。写真は「一の橋」があったと思われるところです。永代通りを横切り、湊橋に向かう場所です。
他にも同じような橋があるかもしれません。根気よく探してみようと思います。
「二の橋」があったと思われる場所です
「三の橋」があったと思われる場所です。
豊海橋へ向かうところです
次は「高橋」を八丁堀方向に向かって渡り、左折して少し行ったところです。「稲荷橋」跡です。
稲荷橋は鍛冶橋通りを永代橋の方から八丁堀へ向かい、高橋を渡り、すぐ左折して湊方面へ向かうところにありました。今は、橋のたもとと思われるところに、二つありました。